十六章
ジャクリンは歪んだ鼻を元の位置に治すと立ち上がり、再びナイフを構えてナリナに突っ込んでいく。 だが、ナリナは避けることなく正面からジャクリンと衝突したが吹っ飛ばされることなくその場で踏み止まり、ナイフの刃を右手で握っていたのだ。 もちろんナリナの手からは血が流れるが当の本人は平然な顔をしてニヤリと笑ってみせると今度はナリナがジャクリンの額目掛けて飛び上がるように頭突きをお見舞いした。
なんてことだ……本当に痛みを感じていないようで、ナイフを握ったまま左手で何度もジャクリンを殴り続けている。 さっきまで自分がされたことをそのまま返しているのだろうか。 どちらにせよあんなナリナは見たくない。 普段の……授業そっちのけで読書している姿やあぐらかいてゲームやっている姿、柔道着姿がひどく懐かしく感じてしまう。 そんな思いは通じることはなく、ナリナはジャクリンを殴り続けたが、同じ動作の繰り返しだったためにナリナの拳はジャクリンの手によって受け止められてしまった。 ジャクリンはその手を捻るとまた腹部に膝蹴りを食らわせ、その衝撃でナリナの手がナイフから離れた。 ナリナは自分の手から流れる血をペロっと舐めてニヤリと笑う。 ナリナは言っていた。 痛みで殺意が薄れていく、と。 だが、今のナリナは痛みを感じていないため、その殺意が消えることはないのだろうか。 ジャクリンを倒せば、ナリナの殺意は消えるのだろうか。
「死ね! クソガキィ!!」
完全に頭に血が上っているジャクリンはナイフを腰ダメに持ってナリナへ突っ込んでいくが、ナリナは正面から迎え撃ち、ジャクリンの突進を利用して後方へ大きく投げ飛ばした。 その時、俺は気づいた。 ジャクリンが吹っ飛ぶ先に銃が落ちていることに。 俺はリョウに介抱されていたが、立ち上がってジャクリンのほうへと走った。 ジャクリンはよろめきながら立ち上がり、足元に自分の銃が落ちていることに気づいてそれを取ろうと手を伸ばしたが、そこへ俺はタックルをお見舞いしてジャクリンとともに吹っ飛び、地面に倒れこんだ。 肩に刺さってるナイフが地面に当たらなかったのが幸いだったが、今はそうは言ってられない。 朦朧とする意識の中、俺は地面を這いずって銃を取ろうとしていた。 負けじとジャクリンも地面を這う。
「うおおおおおおぉぉぉ!!」
動くたびに右肩からの出血がひどくなっていく。 そりゃ自分でも無理をしているのはわかるが男ならやらなければならないときがあるってもんだ。
そして俺の指先が銃に触れた。
「がっ! うあああああああ!!」
銃を握ろうとした時、ジャクリンの手が俺の右肩のナイフを握り、傷をえぐった。 恐らく俺が一生で味わう痛みの中で、これが一番痛いものになるだろう。 クソッ 例えようがない激痛が右肩から全身に広がっていき、耳に自分の悲鳴しか聞こえなくなってきた。 次第に思考力も落ちていき…………ダメだ、気を失ってしまう。
その時、俺の手は不意にポケットの中へと入っていった。 自分でもなんでこの時にポケットに手を突っ込んだのかはわからないが、俺の手は明らかに何かを掴んだ。 それを握り、腕を振り上げた時、初めてそれが何なのかわかった。
それはテルコからもらった十字架の首飾りだった。
俺はそれを握り締めると、思いっきりジャクリンの左目に突き刺したのだ。 今度はジャクリンが悲鳴を上げてのた打ち回る。 助かったぜ、テルコ……。
「ぐふっ」
だが、俺の肉体的なダメージも大きく、もうこれ以上動けずに居ると何者かが目の前にあった銃を拾う。 俺は倒れながら見上げると、そこにはニヤケ面のナルミが立っていた。 ナルミは何も言わずジャクリンのもとまでいくと、のた打ち回るジャクリンに向かって拳銃を数発発砲したのだ。 そしてナリナ左手に隠し持っていた小型のピストルでナリナの右肩を撃った後、拍手をした。 普通の銃弾ではなく、何かの注射針のようなもので、それを撃たれたナリナはその場で倒れこんだ。
「いやあ、なかなかの戦闘データが取れました。 皆さんの協力に感謝ですねぇ」
なんだ、コイツ……。 何を言ってやがるんだ?
全員が唖然とする中、ナルミはジャクリンの持っていたアタッシュケースを拾い上げる。
「コレは貰っておきますよ。 我々の組織で使わせてもらいます。 ああ、ナリナさんなら大丈夫です。 鎮静剤を打ち込んだだけなので」
ここにきて新しい勢力の登場である。 ナルミは腕時計で時間を確認すると「まだ時間があるので」と前置きしてから語り始めた。
「僕もある組織の一員でね、任務はナリナさんの観察、戦闘データの収集。 いやあ、1年前にナリナさんが自分の首を切った時は焦りましたよ~、せっかくの『可能性』がこんなことで死んでしまうのかとね」
そうか……通りで第一発見者になり、死なれてはマズイと救急車を呼んだわけか。 続いてナルミはポケットからスタンガンのような長方形の黒い物体を取り出す。
「これはナリナさんの脳を操るために作った機械の試作品です。 病院内で試してみたら、ちゃんとナリナさんの意思に反して身体を動かすことができました」
あの時の騒動はコイツの仕業だったのか。 何やら1年前から今までの出来事が一本の線で繋がり始めたぞ……。 大雑把なところから細かいところまで、明らかな人の意志が動いている。
ナルミは持っている装置をぐりぐり動かすと、倒れていたナリナがよろっと起き上がった。
「本当に面白いですねぇ、コレ。 ナリナさんの精神が邪魔していない今の状態なら、思い通りに動かせます。 ほら、このように自ら硫酸の池に身を投げることもできますよ」
「や、止めろ!!」
俺とナリナの意思とは裏腹に、ナリナの身体はよろよろと歩きながら硫酸の池へと向かっていく。 何度呼びかけてもナリナは目を閉じたまま反応を示さないし、ナルミは躊躇なくナリナを硫酸の池の目の前へと誘導していき、止まった。
「ククク……いいですねぇ。 クククク、実に愉快です」
何が愉快なものか。 なんとしてでもあの装置を破壊したいが今の俺にナルミと戦うだけの力は残っていない。
その時だ。
「そこまでだ、ナルミ君」
一筋の弾丸がナルミが持っていた装置を見事に撃ち抜いたのだ。 装置はバラバラになり、地面に散乱したことにより呪縛から開放されたナリナは再びその場で倒れこんだ。
2つの意味で安堵の息を吐き、俺はその声のする方を見た。 そこには紛れもない、茶色のコートを着たノダさんの姿があった。
ノダさんは銃を構えながら足を引きずってナルミのほうへと歩み寄っていく。
「あらあら、ノダさん。 よくご無事で」
刑事だった時と同じような笑みでナルミは頭を下げる。
「私はその子を守ると誓ったんだ。 そう簡単には死ねんさ」
「それはそれは大層な心がけで。 しかしナリナさんはそれを望んでいるのでしょうか? ナリナさんはアナタを恨んでますよ? アナタのせいで私は児童施設の人間に酷いことをされたって。 人には相談できない悩みをね……ククク。 なんならその時の映像をお見せしましょうか? 一部始終撮影していたもので……。 クク、あの職員に無理やりナリナさんは……ククク」
コイツ……マジでこの場で殺したほうがいいだろう。 俺が怒りでそう思った時、ナルミは腕時計に目をやった。 その直後、強烈な縦揺れが俺たちを襲う。 これは爆発音か。
「はい、皆さんお疲れ様でした。 僕が仕掛けたC4爆弾が爆発したようです。 この施設はまもなく崩壊します。 そうですねぇ、約10分くらいで生き埋めですかね、ククク」
ナルミは病院内でノダさんとともに行動していたが、そこまで手を回していたとは。 恐らくコイツは凄腕のエージェントようだ。
「では、頑張ってください。 ……ああ、そうそう、ユウト君」
不意に俺の名前を言われ、顔をあげる。
「アナタはナリナさんの『可能性』を引き出す、そして阻害する要素もあります。 それを常に頭の中にしまっておいてください」
そう言ってナルミは何か黒い物体を足元に落とした。 それが何なのかわからなかったが、次の瞬間に強烈な光を放ち、俺の視界を奪った。 フラッシュバンというやつか。 視界を奪われながらもナルミが逃げる足音だけはちゃんと聞こえていたが、どうすることもできず、視界の回復を待った。
それにしてもナリナの『可能性』とはなんだ? しかも俺がそれを『引き出す』とか『阻害』とかするらしいが、2つの言葉の意味は真逆である。
「おい、ユウト! 起きれるか?」
その声はリョウか。 リョウに身体を起こされると次第に視界が回復してきた。 ノダさんはナリナに肩を貸していたし、アキバもシェリー先生も立っていた。
―――――――――――――――ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ!!
やばい、天上にヒビが入ってきた。 崩壊するのは時間の問題だったが、カードキーがないので脱出が不可能なのだ。 どうする。 一体どうすればこの状況を打破できるのだ。
「ガアアアアアアアアアアァァァァ!!」
こんな時にまた邪魔が入りやがった。
崩落する天上から死体の山目掛けてX-001が降ってきたのだ。 X-001はブォンと右手をなぎ払うと横たわっていた死体たちが吹っ飛ばされ、硫酸の池へと落ちていく。 逃げ場もないこの状況……奴を倒すほかなかった。
「やるしかないか」
俺はリョウから離れ、自分の両足で立った。 右肩にはナイフが刺さったままだが、抜くとかえって出血が酷くなる恐れがあったし、何より痛いので抜かない。
「X-001を……硫酸の中へ、突き落とす……」
その声で振り向くとナリナがよろめきながら立っていた。 大丈夫なのか、ナリナ。 お前はジャクリンとの戦いで怪我だらけじゃねーか。 俺も自分で言うのもなんだが酷い怪我だ。 しかし、今自分の両足で動けるのは俺、ナリナ、リョウ、アキバだが、アキバはシェリー先生とノダさんを安全なとこへ移動させるという役目をまかせるとして、この3人でX-001をなんとかしなくてはならない。
「おっしゃあ!! オレが囮になるぜ!!」
リョウは自分の両頬を叩いて気合を入れると屈伸運動をし始めた。 確かにコイツは俺よりひ弱だが、足だけは異常に速いのだ。 となると俺とナリナは……
「あれだ」
ナリナが指差したのはショベルカーであった。 なるほど、あれを使ってX-001を押し出すというわけか。
「来るぞー!!」
その声でX-001のほうを見るとX-001はこちらに向かって走り出してきていた。 とっさに俺とナリナは同じ方向に、リョウは反対方向に走って突進を避けると、リョウは足元に落ちていた石ころをX-001の顔面に投げつけた。
「おらぁ! こっちじゃ、ボケぇ!!」
そんな幼稚な挑発にも関わらずX-001はリョウのほうへと身体を向けて、リョウに攻撃し始めた。 振り下ろされる手刀攻撃も自慢の俊足で掻い潜っていくリョウは不思議と輝いて見えた。 学校じゃイマイチ締まらないゆるゆるキャラだったのにな。 人間、短時間でこうも成長するものなのかね。
一方俺たちはよれよれの身体を引きずり、ショベルカーへと飛び乗った。 俺が運転席へ座り、その後ろの何もないところにナリナが立っているという具合だ。 もともとショベルカーなんてのは1人乗りだしな。 だが、ここで新たな問題だ。 鍵がない。 あまりにまぬけな問題だが、あたりを捜しても見つからないし、事務所にあったとしたらもう見つけるのは不可能だし。 そういえば昔親父に聞いたことがある。 バイクとか盗む時に鍵穴にハサミなどの硬いものをブッ刺して回せばエンジンがかかると。 そんなバカな話があるかとその時は苦笑したが、今となってはその可能性に賭けてみたくなった。 問題はこの鍵穴にブッ刺さるような長くて硬いものはないかということだ。
「………………」
きょろきょろとあたりを捜す俺に視界にさっきからチラチラと肩に刺さっているナイフの柄が見える。 ちょうど鍵穴に入りそうで長さも硬さもよさげなナイフ。 これ、刺さってても抜いても痛いんすよ。
だが、他の物を捜すより、こっちのほうが手っ取り早い。
「ナリナ、頼む」
「ああ」
ナイフのナの字も言っていないがナリナは返事をするとナイフの柄を握った。 ナリナも俺の背後からずっとこのナイフを見ていた気がしないでもないが、それは今は置いといて大きく息を吸った。
「やれ!」
そう言って歯を食いしばるとナリナは躊躇することなくナイフを引き抜き、同時に俺の肩から血が飛び散った。 うおおおおおお、痛てぇぇ…………!!
無言の悶絶を味わっているとナリナはそのナイフを鍵穴に突き刺し、捻った。
――――――――――ブォン! ブロロロロロロロ…………。
やったぜ、本当にエンジンがかかった。 後ろを見るとショベルカーはマフラーから黒煙を上げて唸っている。 車の運転なら大体わかるが、ショベルカーの運転は見るのも初めてだ。
俺が右側にあったレバーを握るとナリナをそっと俺の手の上に自分の手を置いた。 チラッと振り返るとナリナは唇を緩めて微笑んでいた。 ああ、ナリナよ。 いつもそんな感じで頼むぜ!
気合十分にアクセルを踏むとショベルカーは轟音を上げながら前進した。
「リョウ! タイミングはお前にまかせたぞ!!」
X-001に追われ続けていたリョウはぜぇぜぇといって息を切らせながら走っていると俺たちの前を横切った。
「い、今だあああああああ!!」
リョウの合図で俺はアクセルを踏むとちょうどリョウを追いかけていたX-001と衝突した。 その巨体はズルズルとショベルカーに運ばれ、穴の一歩手前まで押すことができたが、この場に来てX-001は怒涛の踏ん張りを見せる。
もう終わらせてくれよ、ちくしょう! そう思い、アクセルを踏み続けるが一向に動く気配はない。
「ユウト、頭を下げろ」
その言葉に横を見るとX-001の巨大な手が迫ってきていた。 とっさに頭を下げるとバキバキッという音とともにショベルカーの屋根が吹っ飛んでしまった。
「ガアアアアアアアアア!!」
うおっ! X-001は雄たけびを上げるとショベルカーを逆に押し返してきたのだ。 なんという怪力。 このままでは逃げられてしまう。 何か手はないか、何か……。 …………。
「ナリナ、ハンドルはまかせた」
俺はハンドルを離し、ポケットに手を突っ込んだ。 取り出したのはシェリー先生からもらった特殊なナノマシンを撃ち出すピストルである。 これはナリナを沈静化するために貰ったものだが、X-001にも効果があるに違いない。
右手が使えないため、左手でピストルを構える。
「これでおしまいだ」
引き金を引くとプスンと白い矢が放たれ、X-001の額に命中した。 するとX-001の身体から白い煙が立ち始め、見る見るうちに身体が小さくなっていくではないか。 どうやらリミッター解除前の姿に戻されたようで、さっきまでの怪力は失われた。
「ガアアアアアアアア!!」
「飛ぶぞ、ナリナ!!」
アクセルを全開まで踏み、その直後にナリナとともに運転席から飛び降りた。 その時だった。
「アリガ、トウ」
そう言ってX-001はショベルカーとともに硫酸の池へと落ちていった。 覗きこむとX-001は俺たちのほうを見上げ、もがくこともなく静かに溶けていってしまった。 俺の聞き間違いだろうか。 そう思い、ナリナのほうを見るとナリナは首を横に振る。
「私も聴こえた」
俺たちはX-001に感謝されることはまったくしてないし、逆に呪い殺されそうなことはしたが。
凄く気になったがとにかく今は脱出が先だ。
「あああああ!!」
リョウが地面に落ちている何かを拾い、俺たちに見せた。
「カードキー!! 落ちてた!!」
でかしたぞ、こんちくしょう! 死体が散乱したことにより発見できたのだろうか。 リョウは壁にあったカードリーダーにカードキーを通すと横のシャッターが開いた。 この騒ぎの中、カードキーを見つけられたのは奇跡としか言いようがない。
「よし、ここから下水道を通るぞ」
アキバは足元にあったハッチを開き、最初に梯子を降りていった。 続いてシェリー先生、リョウ、ノダさん、ナリナ、俺の順に降りると、そこは巨大な下水道であり、緑っぽい排水がまるで台風で増水して荒れた川のように流れていた。 俺たちはわき道を歩き、出口へと向かっていく。 遠くから複数の爆発音が不安を煽るが、俺たちの足は確実に生還へと近づきつつあった。 もう邪魔するものは何もない。 安心してため息を吐いてみる。 やれやれ。
排水の流れが穏やかになってきたと感じつつしばらく歩いていると壁に鉄の梯子があり、地上に向かって伸びていた。 アキバはそれに足をかけて上っていく。 続いてシェリー先生、リョウ、ノダさん、ナリナの順に梯子を上がっていき、俺も梯子を上り始めた。
――――――――――――――――ゴォン!!
「うああ!!」
ザブン。 俺は大きな爆発の揺れにより、梯子から手を滑らせて川の中へと落ちてしまった。 右手が使い物にならないため、ろくに泳げもしない。 ちくちょう、なんてこった。 まさかこんなところで死ぬことになるとは。 もがいてももがいても浮くことはなく、沈んでいく俺は息が続かなくなり、目の前が真っ暗になっていき…………
俺の意識はここで途絶えた。




