やっぱり忍者 半裸に素手で 首を獲る
どこをどう歩いてくれば、こんな所にたどり着くのか。スカイには、いまひとつそれが理解出来ていない。だが、今やらねばならぬことは、頭で理解する必要はない。本能的に生理的に、己れの意思の断ずるままにスカイは飛び出してゆく。
見たこともないような木々の生い茂る森の中を、木の枝を猿のように伝ってゆく。その動きは、常人のそれではない。一陣の風となり、聴覚を頼りにスカイはそこへたどり着いた。
一本の木の幹に背中を預けた幼女に、醜怪な緑の小柄の体を持つ化け物が、ジリジリと迫っている。眼下にそれを認めたスカイは、木の枝を大きくしならせ跳躍した。
「よう、お嬢ちゃん」
「ひっ!」
唐突に現れたスカイに、幼女は、掠れた悲鳴を上げる。
「怖がらなくっていいよ。さっき、助けてって言ってたの、お嬢ちゃんだよね?」
着地の態勢のままで、スカイは問いかける。立てば、見下ろす視線になってしまうからだ。
「は、い……でも、逃げて下さい!」
うなずいた幼女だが、直後に不可解なことを口にする。
「どうして?」
「そのゴブリンどもは、普通じゃないんです! 見たところ、ろくに武装もしていない上に魔力も無さそうなあなたでは、勝てません!」
「ふうん。お嬢ちゃん、意外としっかりしてるのな。そうか、アレ、ゴブリンか。実物は、初めて見るなあ」
必死に訴えかける幼女に、スカイはのんびりと首を巡らせゴブリンを眺める。三匹のゴブリンたちは、文字通り降って湧いてきたスカイへ警戒と威嚇の視線を向けている。
「ふうん、って、のんびり構えてる場合じゃあ無いです! 私は、足を挫いて動けません。ですから、私が食べられている隙に、どうかあなただけでも……」
「却下。駄目に決まってるでしょ。小さい女の子犠牲にして、逃げるなんて夢見が悪すぎる。それに」
首を横へ振りながら、スカイは立ち上がる。三匹のゴブリンたちが、手にした棍棒を振りかざしじりりと間合いを詰めてきていた。
「あいつらはもう、まとめてやる気みたいだ」
ゆるやかな接近に応じて、スカイは拳を固めて身構える。
「た、戦うつもりなんですか!? 無茶です! 武器も持たずに、しかも……は、半裸でなんて!」
幼女の言いざまに、スカイの膝から力が抜けかける。
「半裸って……一応、上は着てるんだよ?」
言いながら、スカイが引っ張って見せるのは極細のカーボン繊維で織られた帷子である。もちろん、下には暗色のズボンを穿いている。諸事情あって、上着は身に付けていない。
「し、失礼しました……っ、き、来ます!」
幼女の声で視線を戻せば、ゴブリンたちは間近にまで迫っていた。三匹の連携はぴったりで、三本の棍棒が絶妙な時間差でスカイに襲い掛かる。
「へえ、結構速いんだな。親父ほどじゃ、ないけど」
軽口を叩きつつ、スカイの手が閃いた。直後、べきりと鈍い音が鳴る。
「ああっ!」
幼女が、悲鳴を上げた。ゴブリンたちの棍棒が、スカイの腹、脛、腕に打ち付けられた。そう、見えたから。だが、
「固くて強いが、関節は今一つだな。まず、一匹」
平坦な声で呟くスカイの前で、どさりと倒れるのは一匹のゴブリンである。からん、とゴブリンの持っていた棍棒が、乾いた音を立てて地面へ転がる。
「えっ」
「ギャギャ!」
幼女とゴブリンの、驚きの声が重なった。倒れたゴブリンの片腕と短い首が、あらぬ方向へねじ曲がっている。ひくひくと痙攣をしばらく続けたそれは、ほどなく動かぬ骸になった。
「殺気は十分だが、半端な攻撃だ。そんなんじゃ、世界には通用しないね」
息を呑んだゴブリンの二匹目に、スカイは悠然と一歩を踏み出した。
「ギィヤ!」
泡を食ったゴブリンが、棍棒を振り上げる。再び、スカイの手が閃いた。棍棒を持つ手を捻り、逆さに回す。逆の手は流れるようにゴブリンの顎へかかり、容易くそれを左へ捩り回す。ごきり、とまた鈍い音が鳴る。
「な、なんて力なの……」
呆けた表情で口にする幼女に、スカイは手にしたゴブリンの頭を離してちっちと指を振る。
「相手の勢いを、利用してるだけだよ。力だけで首をへし折るとか、そんな人間離れしたこと、出来ないよ」
さらりと言うスカイであったが、それでも十分に人間離れしていることに、幼女は触れなかった。代わりに浮かべるのは、焦りと恐怖の入り交じった表情である。
「は、早く、最後の一体も!」
「そう急かされても、お嬢ちゃん。これでも結構、神経使うんだ」
言いつつ最後のゴブリンへ、スカイが目を向けたその時。
「グギャギャギャ」
ゴブリンに、変化が起きた。緑色の肌が、徐々に黒く染まってゆく。体表面に、黒い塵のようなものがまとわりつき、それがゴブリンを黒く、禍々しく染め上げてゆくのだ。黒い塵を辿れば、倒れた二体のゴブリンの死体が黒ずみ、空気へ溶けていた。
「ああして黒くなると、通常のゴブリンよりもかなり強力な、手のつけられない強さになってしまうのです! ですから、早く!」
幼女の必死の声に、しかしスカイは首を横へ振る。
「今のあいつには、仕掛けられない。それに、もう手遅れだね」
幼女とスカイの凝視を受けて、ゴブリンの変化は完了してしまっていた。体格は変わらず小柄なままだが、黒光りする肌からは先程までとは比べ物にならないほどの威圧感が放たれている。
『グギャギャギャ。なかなか、やるではないか人間よ。我に、この姿を武器も魔法も無しに曝させたのは、お前が初めてだぞ』
黒くなったゴブリンが、口を開いて濁った声で言う。
「それほどでも。あんたのお仲間は、動きが単調で読みやすかっただけのことだよ」
軽口を返すスカイに、幼女が驚きの顔を向ける。だが、今のスカイにそれを気にする余裕は無い。目の前の黒く小柄な存在が、一瞬でも隙を見せることを許さないのだ。
『そうだな。それは否定せんよ。我らの力は本来矮小であり、順を違えば我が糧となっていたのやも知れぬからな。だが……お前の活躍も、これまでだ。我とお前の、力の差は歴然。最早戦うまでもなく、決着はついている。ここでお前を殺すのは容易いが……少し、惜しい。どうだ、お前が魔王様の軍門へ降り、その力を我らのために使うのであれば、ここは見逃してやっても良いぞ』
「そりゃ、無益な争いは、こっちもあんまり望まないけど……俺が降参したら、この子はどうなるんだ?」
「えっ?」
ジリジリと足を動かし、幼女を庇う位置に立ってスカイは言う。ふん、と鼻を鳴らして応じるのはゴブリンである。
『そやつは、ハイエルフの女王。魔王様に敵する存在だ。生かしてはおけぬ』
「女王? こんなちっちゃい子が!? うーん、世の中不思議に満ちてるな」
「ど、どうしてそれを……やっぱり、あなた、そいつの言葉が」
ちらりと幼女へ視線を向けて言うスカイに、幼女が息を呑む。そこへどしん、とゴブリンが足を踏み鳴らし威嚇する。
『返答や、如何に?』
問いかけに、スカイは固めた拳を上げて応じる。
「夢なら、寝てからたっぷり見てくれよ。この子が何であれ、見捨てるつもりは無いからさ」
『……そうか。少し、残念だ』
スカイの答えに小さく肩をすくめたゴブリンが、棍棒を構える。
スカイとゴブリンの視線が交錯し、火花を散らした刹那。ゴブリンの足元の地面が弾けた。凄まじいパワーの籠められた踏み込みが、大地をえぐり飛ばしたのだ。そして、迫り来る禍々しき矮躯から放たれるのは、大上段からの唐竹割り。胸元へ唸りを上げて到来する致死の一撃を前に、スカイは拳を解いて左手の指を二本立て、右手で握り印を組む。
「臨、兵、闘、者、皆、陣、烈、在、前!」
瞬く間すら飛び越えて、九つの印は組まれた。直後、棍棒の一撃が大地を削り土煙を上げる。
「ああっ!」
衝撃と轟音の中へと消えるスカイに、幼女の悲鳴がかき消されてゆく。幼女の尖った長い耳に、何かの倒れる音が微かに届いてくる。
「そ、そんな……まだ、名前さえ知らないのに……そんな人を、犠牲にしてしまうなんて……」
出会ったばかりの青年が、見ず知らずの己れのために命を落とす。罪悪感とこれから訪れるであろう絶望に、幼女はがっくりと肩を落とし、そして懐から短剣を取り出し鞘を払う。
「……せめて、女王として恥じぬ死に様を」
小さな手が短剣を逆手に持ち、その刃を美しい喉へと向ける。ぴたり、と刃は震えることなく、幼女の喉を裂かんと迫る。
「よお、無事か……って、何やってんのおおお!?」
刃が肌に触れる直前、慌てたスカイが刃を摘まんで止めた。
「お離しを! 私は、あの方のお心に応え、無様な死に様を晒してはならないのです!」
「大丈夫! 俺、生きてるから! 大丈夫だからあああ!」
半狂乱になって短剣を振り回す幼女から、スカイは何とかして短剣を取り上げた。いやいやと駄々をこねるようにすがりついてくる幼女であったが、ぴたりと動きが止まる。
「えっ……ええっ!? ええええ!?」
ペタペタと、幼女の手がスカイの身体に何度も触れてくる。
「ね、大丈夫だから」
「ほえええ!?」
安心させるように微笑むスカイから、奇声を上げて幼女が離れる。
「あ、あの、黒い、ゴブリンは……」
「倒したよ。結構強かったから、ちょっと本気で気合い入れる必要あったけど……ほら」
問いかける幼女に、スカイは背後を振り返って見せる。そこには、両腕を折られてへたり込み、首をおかしな方向へ曲げて絶命するゴブリンの姿があった。
「ほ、ええ……た、確かに、死んでます……」
「でしょ? だから、もう大丈夫。君は、死ななくていいから、ね」
朗らかに言うスカイの前で、幼女は呆然と黒いゴブリンの死体を見つめていた。長い間ずっと、幼女はそのままでいた。間が持たなくなったスカイに、ちょんちょんと肩を突っつかれるまで、動かなかった。
「ほ……はい?」
我に返った幼女が、何度も瞬きをしながら首を傾げる。
「あ、いや、考え事の邪魔して、ごめんね? あのさ、このへんの、最寄りのコンビニ、どこにあるか知ってる? 今日中に、単3電池買って帰らないといけないんだけど、山越えて谷越えてしたあたりで、道に迷っちゃってさ。良かったら、教えてもらえないかなあ、って」
スカイの問いかけに、しかし幼女は首を横へ振るばかりである。コンビニ、単3電池、という言葉自体が理解出来ていないのだ、と気付いたスカイは、がっくりと項垂れた。
「だよな……ごめんね、お嬢ちゃん。もう少し、歩き回ってみるよ。じゃ、家まで送ってあげるから、行こうか」
三秒だけ落ち込んだスカイが立ち直り、幼女にた背を向けてしゃがみこむ。
「ほ、えっ……あ、あの」
「足を挫いて動けないんでしょ? 乗って乗って」
促すスカイの勢いに押され、幼女がおずおずと背に身を預けてくる。
「それじゃあ、出発! あ、方向は、教えてね」
「はい、あっち、です……」
「了解!」
幼女をおぶったまま、スカイは猛スピードで駆け出した。地を駆けるその姿は瞬く間に、木々を飛び越え空を疾走する。
「このほうが、速いから。しっかり掴まってて。怖くなったら、言ってね」
「ほ、え、だ、大丈夫、です。あ、あの」
「ん、なに?」
「わ、私は、エルフィリアって、いいます……エルフの、森の女王、です……あ、あなたは」
「俺は、高千穂素快。どこにでもいる、普通の高校生だよ」
朗らかに、スカイは名乗る。日本のどこを探しても、スカイのような高校生などはいない。だが、その事実をエルフィリアは知るよしも無いのである。
「ありがとう、ございます、スカイさん……」
空中を走行するスカイの背中で、白磁の幼く美しい頬を薔薇色に染めながら、エルフィリアの呟いた声は駆け抜ける風に溶けてゆくのであった。
なお、一年後魔王が幼女を連れた忍者に倒され世界に平和がもたらされたのではあるか、高千穂素快がコンビニへたどり着き単3電池を買えたかどうかは、不明なのであった。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
今回も、お楽しみいただけましたら、幸いです。