出立⑤
「アキ、どこに行くの?」
肌寒くなってきた昨今、そそくさと上着を着て出掛け支度をしている自分をビビが呼び止めた。
「今日はハルジさん・・・行商が来るだろ?少し聞きたいことがあるんだよ」
手を止めずにさっさと上着を着終えた自分は、「じゃ」と手をかざし、ビビに背を向ける。だが「まって!あたしもいく!」という、ビビの言葉に阻止をされる。
ビビは服の端材でヌイグルミを作っていた手を止め、いそいそと片付けをし始めた。床で転がりながら人形遊びをしているリリとジジが、顔を見合わせる。待たずに行ってしまおうかとも思ったが、奥に座る母より無言の圧を感じた。
ビビは家事をよくやる。むしろ母不在時には妹二人をうまく使い、母の代わりをこなしてさえいる。最近では料理も作るようになり、家庭内でのポジションは自分より上に位置する。
なので蔑ろにしようものなら、母から「なんで置いていくのか」という無用な説教を被ることになる。
しかもビビがついて来るということは・・・
「あたしもいく~」「じゃ~あたしも~」
当然暇をしているリリとジジもついて来るということだ。
はぁ…と、あからさまなため息をつく自分を気にも止めず、遊んでた指人形を放り出して自分の元まで駆けてくる。
しかし、「こら!リジ!人形片付けないならもう作ってあげないよ!」というビビの一喝に大慌てで踵を返し、わたわたと片付けに戻っていった。
リジ、は下の二人をまとめて呼ぶときの略称だ。リリとジジは非常に仲が良く、何をするにも一緒に行動するため自然とそう呼ばれるようになった。
更には姉であるビビをリスペクトしており、ビビの言うことはよくきく。ちなみに自分やラキが指示をすると、大抵「やだ」で終わる。
そんな二人は仲良くじゃれながら自分の前を歩いている。ビビは一歩後ろをいつも歩いてくる。
「なぁ、ビビはハルジさんになんの用があるんだい?」
後ろ歩くビビへ顔を向けずに聞くと、
「羽と!」「飴を!」「「交換してもらう!」」
と、聞いていない方のリジが答える。
羽とは刃蝶と呼ばれる蝶の羽で、村外れの子供の遊び場に時折現れる魔物の一種。攻撃時には高速で飛び、切りつけてくる危険な魔物だが、幼い頃から対処法を教えられている村の子供達にとっては、おもちゃの対象として見なされている。
刃蝶は生きている状態で羽をむしると羽が高質化する。その羽は角度によって虹彩を変え、非常に美しい。特にリジは捕まえるのが上手く、高速で飛ぶ刃蝶を超える早さで走り、飛んでいる蝶の腹を掴みーー手早くむしる。子供の残酷さを垣間見ているようでその光景はかなりシュールだ。
しかし、刃蝶の羽は街ではそれなりに価値はあるらしく、行商で子供達のおやつorお小遣いとして交換してもらえる。かく言う自分もよくやっていた。刃蝶はサーチ&デストロイ。
自分は手を仲良く繋いでくるくる回りながらも、何故か転ばず前に進むリジを「そうか」と笑顔で受け流しながら、ビビに視線を送る。
ビビは一拍置いて、リジが話し出さないことを確認して告げる。
「…お母さんにお小遣いもらったから布を見に。もう、ほんとに古汚いのしかなくなってきたから」
……小遣い?我が家にそんな制度あったかな?もらった記憶がない。自分もそれなりに手伝っているつもりなのだが。
「あとは、私も少しは羽があるからなにか交換しようかなーって……」
そう言って少しはにかみ、エプロンのようなワンピースの前ポケットをポンポン叩き、幾ばくかの蓄えがあることを主張する。
道中すれ違うご近所様への挨拶をしつつ、更にはリジの遊びたい攻勢で若干の寄り道をしつつも、村の中央に陣取る6台ほどの幌馬車へたどり着いた。
隊商は護衛を含む二十名ほどで三ヶ月に一度程訪れ、都度10日ほど滞在する。
その間に、この辺で採れる動植物や魔物素材や肉などで物々交換を行ってくれている。街で使える貨幣にも交換してくれるが、地産地消が主なこの村ではあまり需要がない。村内ですら物々交換で成り立っているのだから。
しかしながら、なんだってこんな辺鄙なところに商いに来るのか理解しかねるが、頭であるハルジさん曰く、この付近の魔物は希少な種が多い様で「結構稼がせてもらっている」らしい。
その隊商の主であるハルジさんは一台の幌馬車の前で、数名の男衆に囲まれる様に木箱に腰かけて煙草をふかしていた。
160㎝あるかないかの小兵で体も細く、ぱっと見た感じは非常に若い。年齢不詳の少年然としたハルジさんだがその実、父と同世代の結構なおっさんである。
「こんにちは、ハルジさん」
遠目に、近づいてくる自分達に気づいたハルジさんが手を振ってくれたので挨拶をする。ビビも軽く頭を下げ、挨拶をする。
「いつもお世話になっております、ハルジさん」
「やぁビビちゃん、また可愛くなったんじゃないかい」
「そんなに短期間では変わりません……それに可愛くなんて……」
ビビは満更でもなさそうに俯き、モジモジとスカートを掴む。ちらりとこちらを見やる視線と交差するが、兄から「そうですね」とも「そうでない」とも言いづらい。仕方なく笑顔でやり過ごす自分を、ビビは「むぅ」といった表情を浮かべ、自分から視線を外す。
「……で、アキ坊はなにか変わったのかい?」
とん、と煙管の灰を落とし、飄々とした風体で自分に問うてくる。
「ははは……残念ながらなにも……」
「おや、残念だねぇ」
はっはっはっ、と回りの男たちと一緒に快活に笑うハルジさんに、自分は苦笑を浮かべる。
「で、アキ坊の用件は後だ。ビビちゃんは今日はどんな用件だい?ん?タクラバ地方の料理本が手に入ったけど買うかい?この付近で素材の入手は困難な様だけど」
「…それはちょっといらないです」
はっはっはっ、と快活に笑う男衆に今度はビビが苦笑いを浮かべる番だった。
その後、ビビはハルジさんに用件を伝え、布の物色を始めた。
すると然程間を置かずに、道中脱線して遊びに消えたリジが、ひょっこりと幌馬車の下から顔を覗かせてくる。完全に気配を消され、意表を突かれた自分が「うわっ!」と声をあげると、リジは「ニヒ!」とお互いの顔を見合わせ、からからと笑い声をあげる。まさにいたずらに成功した子供のそれだ。
「おやぁ、アキ坊やられちゃったねぇ」
そんな様子を微笑ましそうに、男衆とハルジさんが笑う。
そんな周囲のリアクションに気を良くしたリジは、馬車の下から颯爽と躍り出る。素早く飛び込み前転を行い、片足前に投げ出し踵で勢いを殺す。そして上半身の反動は活かしたまま、「「にん!」」と言い、刃蝶の羽を手裏剣のようにハルジさんへ投げつける。
「って!おい!」
咄嗟に手を伸ばすがリジも羽も止めることが、叶わない。
非情なまでに鋭利な一対の羽が、まるで体を求めるように左右から挟み込むようにハルジさんへ飛来する。視認するのも困難なほど薄いその刃、しかし陽の光に虹彩が反射し、虹の様に弧を描いて行く!
……が、しかしその危険な虹を、ハルジさんは煙草を持った方の手でなんなく受け止める。左右より飛来する鋭利な刃物を片手で難なく。煙草が一瞬消えたように見えたのは気のせいではないのだろう。
ハルジさんは言葉を発さず笑顔で、しかしうっすらと目を開いてリジを見る。
リジは投げた体勢そのままに、視線だけをハルジさんと交差させ、「ふっ」と意味有り気に気取るとこう言ったーー
「「飴と交換してください」」と。