バッドラック
続けるのが難しいので、短編としてご覧ください。
短かったな、俺の人生。
俺、運河那尉人は、ある意味では自分らしい死に方をした。
偶然道路に落ちていたバナナを踏んだら目の前を歩いていた女の子を押し倒してしまい、その子に平手打ちをされて川に落ち、川から上がろうとしたら足を滑らせ、そしてそのはずみで足がつり、そのまま川で流されると岩に頭をぶつけ意識を失った。そして結果的にはおそらく溺死したのだ。
運が悪い俺にとって、最も俺らしいとも言える死に方だ。悲しさすら通り越してむしろ鼻が高いくらいに。
しかし、不思議なことが数点ある。
まず、なぜ死んだはずの俺が考えるということを続けられるのかが一点。
もう一点は目の前にいる比較的背の高めな女の人だ。
「おや、目覚めたのですね」
「目覚めた? もしかして俺って死んでないの?」
ふわふわした感覚があるものだから死んだものだと思っていたが、生きてるのだろうか。
「いいえ、あなたは死にました。しかもこの上なく不幸な死に方で、あなたの人生の中でベスト10には入るんじゃないかと思われる出来事でした」
「そっかー、ベスト10に入っちゃうくらいの不幸かー。そりゃめちゃくちゃ不幸な出来事だな」
和やかな空気が一瞬流れた。俺も目の前の女性も微笑んだ。
「って、いや、どう考えても俺の人生の不幸ランキングでトップに躍り出るくらいの出来事だよね、それ! 結果的に死んじゃってるんだから、ベスト10じゃなくてぶっちぎりで優勝でしょ!」
そもそもベストってなんだよ。普通に考えたらワーストだろワースト。
「いえ、あなたの11歳のときに起こった、風邪を引いたら結果的に自分の家が火事になった出来事は最悪でした。あれは本当に不幸に不幸が重なって、不幸の連鎖反応としてはむしろ芸術的過ぎるものでした。大丈夫です。安心してください。自分の人生に自信を持ってください」
えっと、何で俺は励まされたんだ?
「あれはまさに風が吹けば桶屋が儲かる――いえ、風邪を引けば建築家が儲かるような出来事でしたね」
そんなことを言って目の前の女性はウフフと笑っている。
いや、笑い事ではないし、全然面白くない。人の不幸を笑うってどういう神経だよ。
「ところで、俺が死んだとなると、あんたは誰なの? まさか天使ってわけでもないだろうし」
「意外と冷静ですね」
「そりゃある程度覚悟はあったしな」
足がつった時点でやばいなとは思っていた。
「で、あんたは?」
「私ですか? 私は女神です」
彼女はさも当然であるかのようにそう言った。
女神? 女神ってあの――よくは知らないけど神様的なやつ?
「えっと……これは笑うところ?」
普通に考えればあり得ないギャグセンスだけど、この女性の数分の言動から考えるとあり得るから困る。
「いえ、私は本当に女神です。下界からはよく転生神と呼ばれています」
目の前の自称女神は主張の激しくない胸を突き出してドヤ顔をしている。見た目はきれいというより可愛いに近いかもしれない。
「いや、転生神とか全然聞いたことないけど……」
「今はそうかもしれません。でも、地球時間であと百年もしたら私も有名になる予定なんです! ちゃんと地球を見守る神様にお願いしておきましたから間違いありません」
じゃあそれ俺に言うのは間違いだよね。まだ百年経ってないし。というより、神様が神様にお願いし始めたら世話ないだろ。
「仮に、あんたが女神だとか転生神だったとして、俺に何か用があるの?」
「もちろんですよ。なければ来るわけがないじゃないですか。私、これでも女神ですよ? あの有名な女神っていうやつです」
なんか急に軽いノリになった気がする。
「私たち神は、あなたの行いをずっと見ていました」
「――っ!?」
ずっと?
え、ずっと?
いやいやいやいや、ずっとってのはちょっとやばいな。恥ずかしすぎる。一人のときとかもずっと見られてたかと考え始めたらさすがに夜も眠れなくなっちゃうよ――いや、もう寝る必要とかないのかもしれないけど。
「いいんですよ。恥ずかしがらないでください。あなたのしてきた功績は我々がきちんと評価しています」
「コウ……セキ?」
「あなたは自分の運の悪さに肩を落とすことなく、絶えず他人に優しくしてきました。初めてあなたがおばあさんを手助けした日のことを、あなたは覚えていないかもしれません。しかし私たちはきちんと覚えています。周りの目線も気にせずに取ったあなたの行動は、現代日本ではとても取れない難しい行動の一つです。それにはとても勇気が必要だったはずです。覚えていますか?」
いい話だとは思うのだけど、正直なところ覚えていない。かなり昔のことなのだと思う。
「いつの話だっけ?」
「え? いつ?」
「うん」
「……え、いつ?」
「うん」
何で二回繰り返したんだよ。
「いや、えっと、その……」
いや、聞いてきたそっちが焦るなよ。目が完全に泳いじゃってるよ。ずっと俺のこと見てきたんじゃなかったのかよ!
「あのー、ちょっと待ってくださいね。ふふふ」
笑ってごまかせることじゃないでしょ。しかもなんか振り返っちゃったし。
ペラペラペラ。
いや、紙を捲る音、聞こえてますけど!? いい話っぽかったのに台無しだよ。
「あ、ありました。そうです、5歳のときでしたね」
「いや、『ありました』じゃないでしょ」
というより、5歳のときの記憶なんてそんなの――
「ああ! 覚えてる覚えてる! あのときかあ。長袖着てたばあさんのことだな」
自分でも驚いた。意外と覚えてるもんなんだな。まあ、あのばあさんは夏の暑い日にも関わらず長袖着てて具合悪そうにしてたから、余計に目立ってたんだよな。
「よく覚えてましたね。忘れていても無理がないと思ったのですが」
まあ、どっかの自称女神さんは忘れてたわけだしな。
「私も別に一度や二度だったらきっとカンペなどいらなかったと思います」
カンペとか――もうツッコミどころ多すぎて疲れたよ。なんで死んでからこんなに疲れなくちゃならないんだよ。
「でも、よく聞いてください」
自称女神が真剣に俺を見る。
「きゅ、急にどうした?」
「あなたは、何度も何度も、人の役に立ってきた。そのため多くの人があなたの行動で救われたことでしょう。しかし、そのほとんどにおいてあなたは報われることがありませんでした。それはあなたの運の悪さが影響したのだと思います。あなたのしたことが他人の功績だと思われたり、あなたのしたことを相手はなんとも思っていなかったりすることも何度もありました。それでもあなたは人の役に立つことを止めなかった。それは本当に立派なことだと思います」
面と向かって言われると少し照れくさい。
「その……どうも」
「私はそんなあなたに、最高のプレゼントを用意しているのです」
「プレゼント?」
できれば生きているうちに欲しかったけれど、何だろう?
「では、まず――じゃじゃーん。テンセイセット~」
この人今自分で『じゃじゃーん』言いましたよ。
「これは転生するために必要な神具です。神にのみ扱うことが許された道具の一つです。わかりますか?」
「いや、名前からなんとなく想像はつくけど……」
「つまり、あなたには異世界に転生して次の人生を楽しんでもらいたいのです」
転生するって、いわゆるチート的な力を持って、それで世界を助けちゃったりするやつだよね。世界を助けることには興味あるけど、チート的な力――ねぇ。
俺にはちょっと不釣り合いな気もする。
「まあ、どうせあなたは死んでしまったのですから、もう信じる以外に道はないと思いますよ?」
「うーん……」
少し現実離れしすぎてよくわからないんだよな。
だいたいこの胡散臭い自称女神を信じるってのも――
「ほら、男ならうじうじしない!」
「は、はいっ」
仕方ない。とりあえず信じることにしよう。
「転生しますね?」
「わ、わかった。わかったけど、転生っていうくらいだからなんか特別な能力とか付くの?」
「もちろん素晴らしいものを差し上げますよ。えっと、確かウンガナイトくんは――」
彼女はまたしてもペラペラと何かを捲っている。
「おー、さすがですね。なんと5083ポイントもあります」
「そう言われてもそれがすごいのかどうかがまったく……」
「ごく普通の人生を80年生きてだいたい5000ポイントです。それを僅か17年という人生で獲得しているわけですから、やはりただものではないですね」
「なるほど」
とりあえずすごいポイントなのだろう。
「それと、20歳に満たない段階で死んでしまったため、『若さ故の謝り』という神の同情ポイントが5000加算されます。合計で約10000ポイントですね。これだけあれば転生先でいい暮らしができると思いますよ。何か欲しい能力とかはありますか? 足を速くしておきたいとか、超人的なパワーが欲しいとか」
急にそんな漠然としたことを聞かれても答えることはできない。何があればどれくらい便利なのかなんて、生きてるうちにそこまで真剣に考えたことはなかった。
それに、能力云々よりも、どちらかと言えばもっと気になることがある。
「例えば、俺のいた日本にそのポイントで何か影響を与えることはできるの?」
「転生先ではなく?」
「そう」
「あなたの場合は神の同情ポイントがあるので可能ですよ。その分でなら影響を与えることはできます」
「それなら――」
少し心残りなことがある。たぶん苦しんでるはずだ。
「最後に俺に平手打ちした女の子がいて、俺が死んだことでたぶん責任を感じていると思う。たぶん一番苦しんでるはずだ」
「ちょっと、ちょっと待ってください。もしかして――」
「その5000ポイントで、彼女にできるだけ責任を感じさせないように、俺の死の一件をうまく処理してほしい」
俺の言葉に、彼女は顔色を変えた。
「本気で、言っているのですか?」
「もちろん」
「彼女は、あなたを死に至らしめた要因のうちの一つなのですよ? 本当に彼女を助けるのですか?」
「彼女が悪いわけじゃない。原因は俺だ。バナナで滑るなんて頭の悪い出来事を招いた、俺の不運が一番の原因だ」
「しかし彼女が平手打ちをしなければあなたは川に流されることはなかった」
「それでも俺は別に恨んでなんかいない。あんた方神様は俺の人生を哀れなものだと思ったかもしれない。でも俺にとっては違う。俺にとっては愛すべき人生だったし、いい人生だった。もし彼女を悲しませたままにしたら、その人生に汚点を残すことになっちまう。それは嫌だし、それはとても悲しいことだ」
女神は考えているようだった。
「あなたがそうおっしゃるのなら構いませんが、本当にいいんですね?」
「男に二言はない」
「わかりました。そこまで言うのならその件についてはきちんと処理しておきます」
「それと、5083ポイントだっけ? これもその子に譲渡したい」
「――え?」
「今の話からすると、彼女は一応俺を殺した要因の一つとして認識されてるわけだ。つまり、彼女が転生するときにはきっとポイントは低いはずだ。違う?」
女神は答えない。それはつまり正しいということだ。
「彼女が転生するときにポイントが低かったら、転生先で嫌な人生を歩むわけだろう? 俺のせいでそんな人生を歩ませるのはごめんだね」
「しかし、それでは――」
「それに言っただろ? 俺の生きた17年間はいい人生だった。誇りにすら思ってる。だから、誰にも汚されたくないんだ。それがたとえ神の判断に背くものであってもね。もし、ここでポイントを使ってそういう人生を手に入れたら、俺のしてきたことが嘘っぽくなる。それは嫌なんだ」
「本当に――いいんですね?」
「ああ」
「――わかりました。神に対してここまで挑発的な侮辱は初めてです。あなたは今の状態を何も分かっていない。このまま転生しては腕力も知力も今のまま。最悪なのは運です。私は神なのであまり深くは教えられませんが、あなたの運は0です。1ですらありません。最低も最低。最底辺の運です。常に最悪の事態が降りかかる。あなたが成長してもずっと0のままです。ずっとあなたには不幸が訪れ続ける。それでいいんですね?」
わかってないのは女神のほうだ。
ずっと不幸な人生。それ『で』いいんじゃない。
「それ『が』俺の人生だ」
しばらく女神は真剣な表情を見せていたが、一息つくと表情を崩した。今まで纏っていたオーラのようなものがなくなり、彼女はまるで一人の人間のような顔になる。
「まったく……あなたのような人には敵いませんね」
口調も幾らか軽いものになったように思える。
「わがまま言って悪いな」
「構いません。ただ、お人好しもたいがいにしないと、後から悔やんでも遅いですからね?」
「次、死んだら、またお姉さんに頼むよ。そしたらお姉さんの希望に沿うように転生するからさ」
「私にまで気を使わないでください!」
「別に気を使ったわけじゃないよ」
辺りが眩しくなる。真っ白な世界になっていき、目を開けるのもはばかられるほどだ。
「それでは、そろそろお別れの時間です」
「わざわざありがとな」
「はい。それでは、最高の人生を」
「お姉さんのほうも頑張って」
「グッドラック――いえ、あなたの場合、バッドラック、ですね」
俺は笑った。
女神さまもなかなかうまいこと言うじゃないか。
辺りは眩い光に包まれ、もう目をつぶるしかない。
そうして俺は転生した。