俺の嫁が実体化した結果
艶やかで、まっすぐな銀髪。勝気そうに輝く金色の目が印象的な美貌。そしてきつい軍服でも隠しきれないスタイルのよさ。そして何よりかわいらしいのが、真っ白な猫耳としっぽ。この美少女が、俺の作ったキャラ、ラキアータだ。
イラストレーターを目指している俺がアナログで描いた、最高傑作。でも、所詮は紙に描いたただのイラスト。どんなに焦がれたとしても、実際現実に現れることはない、はずだったのに……
「な、なんでお前が俺の部屋にいるんだ、ラキアータ!」
自室のドアを開けたまま、俺は固まった。手から中学の通学カバンがすべり落ちる。
本来なら誰もいないはずの部屋の真ん中に座り、俺が後で食べようと思って取っておいたジャムパンをはむはむしているのは、他でもない、俺の嫁ラキアータだった。
「帰ってくるなりうるさい奴だな」
真っ白な耳をぴこぴこさせながら、ラキアータは半眼でこっちを睨んできた。
「いやいや、だって大変な事だよ! 絵の君が現実になるなんて!」
「少しは黙れ、時彦」
そうラキアータは俺の名を呼んだ。その声まで、俺が想像した通りの物だった。
「私も、なぜここにいるのか分からないのだ。気付いたら、ここにいた」
俺はその言葉を聞き終わるのを待たずに、机の引き出しを開けた。そこには俺の描いたラキアータのイラストがこっそりと隠されているはずだった。崩れた教会のガレキに片足をかけ、武器の鞭を構えるラキアータのイラストが。
「な……」
たしかに、例の絵はあった。ただ、残っているのは背景だけで、ラキアータが描かれていた部分だけ、白く切り抜かれたように元の紙がのぞいている。
「まさか、本当に絵が人間に……」
その瞬間、足もとで何かが弾けた音がした。
「無礼な! 私を下等な人間などと一緒にするではない! 私は誇り高き人猫族だ」
きゅっと鞭の根本をしごいた所をみると、さっきの弾けた音は鞭で床をひっぱたいた物だったようだ。そう、ラキアータは誇り高い性格なのだ。それは俺がよく知っている。もちろんマンガや小説にするつもりはなかったから、彼女がどんな冒険をするのかまでは決まってはいないが、
●人猫族で、猫に変身できる。誇り高い性格。鞭の名手。自分より戦闘が強い奴が好き。自分の力をわきまえない奴が大嫌い。打算的というか、現実主義者な所がある。
といったように紙の裏に性格や設定は細かく書いてあるのだ。
「す、すみませんでしたぁ!」
「ならばよろしい」
怒りでけばだっていた彼女のしっぽが元の細さに戻っていく。
(いやいや、よく考えたら、俺ってこの娘の生みの親だろ? それなのになんだって俺怒られてるんだ! おまけにジャムパンまで食われてるしっ!)
俺の混乱も知らんぷりで、ラキアータは自分のシルエットが残ったイラストを覗き込んだ。
「なるほど。私はこの絵から生まれたのだな」
そうだ。俺はラキアータ以外のキャラも描いている。それなのになんで彼女だけが実体化したんだ? 原因は? 他の絵ではなく、この絵を描いた時にだけしたこと。絵から本物を生み出すきっかけになりそうなこと……
ふと、インターネットで読んだ『タルパ』という単語を思いだした。自分の作り出した架空の人物を『いる』と強く思い込む事で、本当に目の前にいるような幻覚を自分自身に見せるという術だ。しかしそれはあくまで幽霊のような物で、ジャムパンをかじったり鞭を振るったりはしないだろう。それに、ただ強く思うだけが条件なら、もっとこの世にいろんな絵師の描いたいろんなキャラがわらわら出現しそうだが。
「思い出した! 確か、血をつけてしまったんだ!」
そう。ラキアータを描いているとき、トーンナイフを机の上に転がしっぱなしで、うっかりそれで指先を突いてしまったんだった。血が紙についてしまったのだが、少量だったし、ちょうど暖色系の色を塗る場所だったので、上からコピック塗ってごまかしたのだった。よく紙を見てみたら、ラキアータの白いシルエット部分に、自分の血だけが茶褐色に残っている。
おそらく、「人の血を塗り込めること」「強く描いた対象を思い浮かべること」が描いたキャラを実体化するために必要なのだろう。
「うわああ、机の上を荒らしたまんまだった結果がこれだよ!」
せっかく憧れのキャラが実体化したのに、なんで喜ばないのだろうと思う人もいるだろう。だけど、実際にこういった状況が起きると、これからどうしようかとまず思う物だ。
「帰ってきたの?」
階下から母親の声と、階段を上がってくる音がする。俺はとっさに絵をズボンのポケットに押し込んだ。
「ややや、やばい! 母さんにこんな所を見られたら!」
「見られたらも何も。私をこの部屋にいろと言ったのはお前の母親だぞ」
ぺろっと唇の端についたイチゴジャムをなめとって、ラキアータはにんまりと笑みを浮かべた。
ぽんっとかすかな爆発音をたてて、ラキアータの体が煙に包まれる。
母親がドアを開けたときには、床に落ちた服の上でラキアータは一匹の白い猫に姿を変えていた。
「あら、ミルクちゃん。ここにずっといたのね」
母さんは、思い切りデレデレの声で言った。
「ミルクちゃん……」
おそらく、真っ白だからとつけた名前だろう。名前の由来が分かることはいいことだ。現実逃避気味に俺はそんなコトを考えた。
「いつの間にか、家の中に入り込んでたのよ。外は物騒だから、この子、飼う事にするから」
母さんはラキアータを抱き上げて頬づりをした。「にゃ〜」とラキアータが可愛らしい声で鳴いた。
「もちろん、世話は家族皆でするのよ。分かったわね!」
そう言い残すと、母さんは部屋を出ていった。
「そういうわけだ」
再びの爆発音と煙が現れて、俺は慌てて彼女に背中を向けた。変身能力があるのはラキアータだけで、着ている服はあくまで普通の物。小さな猫になって服が脱げた状態で人間に戻れば当然……
焦った俺の様子がおもしろかったのだろう。後ろでくすくすと笑い声がする。両肩の上から真っ白な腕が伸びて、俺の胸の前でネックレスのように組まれた。背中の服ごしに感じる、暖かく、信じられないくらいやわらかな感触。白いしっぽが腰に巻きついて来た。
形のいい唇が俺の耳に近づく。
「いまさら何を照れる事がある。私の体のラインなど、描いたお前が一番知り尽くしているだろうに」
かすかに髪が揺れる距離で囁かれ、俺はつばを飲み込んだ。顔がやばいくらいに赤くなる。
「そういえば、お前の母親がさっき外は物騒だと言ってたな。なにかあるのか」
「そ、それは。きききき、近所で胸くそ悪い事件が起きるんだ。いいいい犬が殺されたり猫が殺されたり」
フッとラキアータの気配が遠ざかる。思い切って振り向くと、彼女はまた猫の姿でちょこんと座っていた。どうやら笑っているようで、小さな背中が細かく震えている。完全に、からかわれたようだ。
「ふうん。くだらないことをする奴がいる物だな。まあ、私はそんな奴に殺されたりはしないか」
笑いを収めると、ラキアータは窓から外を眺めた。
「でもまあ、厄介な事に巻き込まれるのも嫌だからな。しばらく外に出ない方がいいか」
そういうと、ラキアータは一つあくびをした。
夜だというのに近所迷惑な犬が一つ吠えた。それを合図にしたように、俺の隣に寝ていた猫姿のラキアータがむくりと起き上がった。人の形に戻り、軍服を着る気配がする。
「動物虐待犯の退治に行くんだろ?」
まさか俺が起きているとは思わなかったのだろう。ラキアータの耳がぴこっと動いた。なんだか出し抜いたみたいで少し嬉しい。
「昼間はあんな事言ってたけど、自分に似た動物が殺されてるのに平気でいられるような薄情な女の子に作った覚えはないからな」
そう。俺はラキアータがそうするだろうというのが分かっていた。なんせ、彼女を作ったのは俺なのだから。ここで見捨てるようなら彼女ではない。
「偉そうな事を」
不機嫌そうな彼女に構わず、俺は外に出る準備を始めた。
「なんのつもりだ」
「俺もついていくよ。心配だし、もし猫の姿で逃げるハメになったら服を持っていく人間が必要だろ?」
ラキアータは、窓枠に片足をかけたまま、いかにもバカにしたように鼻を鳴らした。
「言っておくが、お前に危険が及んでも、私は助けんぞ」
たぶん、これは本当だ。『自分の力をわきまえない奴が大嫌い』と設定にあるのだから。たぶん、ラキアータは俺が動物を切り刻む変質者に刺されても、「自分の力も見極められずに、危険に突っ込んだバカ」と冷ややかに笑うだけだろう。
「だって、ラキアータの戦う所、みたいじゃないか。大丈夫。足手まといにならないから。危なくなったらすぐに逃げるよ」
「ふん。勝手にしろ」
そう言うと、ラキアータは二階の窓から外の道路へ飛び降りた。おれは、少し迷った結果、こっそりと玄関から出ていくことにした。
ヒンヤリとした空気の中、ラキアータは迷うことのない足取りで進んでいく。歩くたび、白いしっぽがふりふりするのがかわいらしい。
「どこか、行くあてがあるのか?」
「わからないのか? どす黒い匂いがするのが」
「どす黒い匂い? そういえば、猫の方が人間よりも嗅覚がよかったん……」
ばきっと鈍い音を聞いた音がして、俺は口を閉ざした。ラキアータの耳もピクリと動く。
「こっちだ!」
ラキアータの後をついていってたどり着いたのは、空き地だった。腰の高さまである草の上に、何かが浮いている。一抱えもある、黒マリモのようなもの。
「こっちをむけ!」
ラキアータが腕を振るった。ヒュ、と鋭い口笛のような音が鳴る。速すぎてその先端は見えなかったものの、黒マリモが吹っ飛んだ所を見ると、攻撃はヒットしたらしい。
ふわり、とマリモがこっちを向いた。真ん中に血走っている大きな目がねっとりと光っる。
「な、な、な」
そして、俺は見つけた。マリモの下に、猫の死骸らしき物が横たわっていたのを。
「ま、まさか、こいつが夜な夜な動物を殺していたのか! てか、なんなんだこの凶暴な北海道阿寒湖名物は!」
「知らん。私も見たことがない。こいつはこの世界の生き物か?」
「違う! こっちの世界のマリモはもっと緑でかわいらしい! だいたい、こんな下品な大きさじゃない!」
俺よりも危険な奴と見て取ったか、マリモが敵意に満ちた目でラキアータを睨みつける。
艶やかなラキアータの唇が吊り上る。
「喰らえ!」
鞭先が黒い嵐となって吹き荒れた。吹き飛ばされたマリモは、地面に叩きつけられる前にまた反対側へと吹き飛ばされる。打ち上げられ、落とされ、左右に振られ、最後に叩きつけられた。これがゲームだったら、ハデに何HIT!!と輝く文字が出るだろう。
ブシュウ、という音とともに、そのモンスターは消えうせた。まさにRPGでやられたモンスターのように。
「あんな生き物、この世界にはいないと言ったな」
完全にモンスターが消えるのを見守って、ラキアータが言った。
「ああ、そうだ!」
「そうか。では、私のようにこいつも絵だったのかも知れんな」
それはなかなかぞっとしない想像だった。こいつのもとが絵だというなら、そいつは当然ラキアータと同じように出来上がったのだろう。ということは、この街にこんな魔物を生み出した奴がいるという事だ。犬や猫を殺す魔物のことばかり考え、そいつが本当に現れることを望んでいた者が。マトモな人間じゃないように思えるのは俺だけか。
ラキアータは猫の死体に歩みよった。
「埋めてやるのか?」
「いや」
何か不審な音を捕えたように、ラキアータの耳がぴくっと動いた。そして気が変わったというように猫の死体から離れる。
「そうしてやりたいのは山々だが、まだその時ではないようだ」
「それってどういう……」
俺の言葉に応えもせず、ラキアータは急に走りだした。俺も必死で後に着いていく。
「まだどす黒い匂いがする。あの魔物と同じ匂いが」
「まさか、あんなのがまだ他にいるのか?」
正直、俺はこのまま帰ろうかと一瞬本気で考えた。あんなのと連戦するなんて、冗談じゃない。あ、いや、連戦と言っても、俺は何もしてないけど。
前を行くラキアータの速度が緩んだ。
前方の十字路。手前右の角の隅。こちらをのぞく、小さな影。
「お前か!」
ラキアータの鞭が、その影をとらえ、街灯の光の中に引ずり出した。
そいつの正体があまりにも弱々しすぎて、俺は少し拍子抜けした。
軍服の怖そうなお姉さんにとらわれて、半べそをかいているのは幼い男の子だった。彼の持っていたプラスチックの書類ケースが地面に落ちて、画用紙が路面に散乱する。
「なんだ、これは」
俺は、一枚拾いあげた。そこには、ドラゴンとも馬ともつかない生き物が鉛筆で描き殴られている。他の物を手に取ってみると、それぞれに人魚っぽい何かや、虎っぽい獣が描かれていた。
「この画用紙の絵は僕が描いたのか?」
できる限りやさしく、俺は話しかけた。
「そ、そうなの」
もじもじと少年は胸の前で手を組んだ。小指の付け根にばんそうこうが貼られている。
「クラスの友達から意地悪されてて。ぼく、パパもママも忙しくて、お話聞いてくれなくて。それで、絵を描いたの。真っ黒な、お化け犬の絵」
「あ、あれ犬だったんだ」
「驚くのはそこじゃないだろう!」
思わず口をついた俺の言葉に、ラキアータが絶妙のタイミングで突っ込んだ。
確かに、冗談事ではすまされない。
「なあ僕。その小指の傷はその絵を描く前についたもの?」
なんでそんな事を聞かれるのか分からないようではあったが、俺の質問に少年は素直にうなずいた。
「友達にわざと転ばされたときにすりむいて」
俺とラキアータは無意識に視線を交わしていた。
(なんてこった!)
さびしい想いをさせる両親。意地悪な友達。この少年は、自分のストレス発散のために凶悪な化け物を描いてウサを晴らしていたのだろう。憎しみやらいらだちやら、そんな類の物を鉛筆で紙に叩きつけるように。本来だったら、多少暗くはあるが、まあ許容範囲だ。
けれど、問題はその想いがちょっと強すぎたこと。それに、小指の傷から滲んだ血が、紙についてしまった事。
「紙からあの化け物が急に飛び出したんだ。そのまま、外に出て行っちゃって……それから、猫とか犬とかが殺され初めて……」
ぼろぼろと少年は涙をこぼした。
「ずっと、僕の魔物がやってるんじゃないかと思ってた。だから今晩、思い切って様子を見に……」
「それにしても、そんな理由からあの魔物が生まれたのなら、猫や犬など相手にせずに、真っ先に両親や友人を襲いそうだが」
「具体的に両親や友人を殺そうと思って描いたわけじゃないんだろ」
俺は少年の頭をぽんぽんと叩いた。
「あれは言わばこの子の恨みや憎しみ、言わばストレスの化身さ。だから手当りしだい出会った生き物を殺しまくってたんだ。人が殺されなくてよかったよ」
「ふーん」
分かったのか分かってないのか、ラキアータは微妙な顔だ。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
少年の小さい体は震えていた。
「あの犬に必死で祈ったんだ。もう悪いことはしないでって」
自分の作り出した魔物のせいで、動物が殺されたのだ。小さな子でなくても罪悪感を覚えるだろう。
不意に路面が動いた気がして、俺はつい言葉を止めた。
アスファルトから、煙のようなものがむくむくと湧き上がる。倒したはずの、あの黒いマリモだった。
「バカなっ!」
「ラキアータ!」
マリモの体から、人の体などやすやすと貫通する長さの針が伸びる。
俺の警告に気付き、ラキアータは身をひねった。
「クッ!」
だが、少し遅かった。針が彼女のふとももをかすめる。軍服のズボンが切れ、白い肌と流れる血が覗いた。
そうだ。恨みの気持ちはそう簡単にきれいさっぱり消える物じゃない。それは、小さな炭火に似ている。すべてを燃やし尽くすほどのハデさはなくても、ぽっちりとついた赤い火は、心にただれたような小さな穴を開けてもなおじりじりと長く熱を持ち続ける。
忘れたように思えても、また湧き上がるのが憎しみなら、一度や二度やっつけたところで、魔物が復活するのは当然の話だ。
そして、憎しみや恨みは、時が経つにつれて力を増していく。魔物は、前よりも大きくなっているようだ。
ラキアータが小さくうめき、よろめいた。
ふっとマリモがラキアータから距離を取った。それは突進なり、針を飛ばすなり、大きな攻撃をしようとしている前ふりなのは明らかだった。
ラキアータは足に力を入れ、なんとか避けようとしている。だが、遅い! それはラキアータにも分かったのだろう。焦りの顔になって、しっぽと耳の毛が逆立った。
(まずい! なんとかしないと! けど、どうする? 俺釘バットの一本も持ってねえぞ。持ってきたのは、ラキアータが描かれていた紙ぐらいだ!)
人間の思考というのは不思議な物で、俺はそんな長々とした考えを一秒に満たない間に終えていた。
そして、一か八かの秘策を考え付いたのも、本当に一瞬だった。
ポケットから紙を取り出す。もしも、ラキアータが絵から実体化したのなら、背景のガレキだって現実になるはずだ。俺はこの崩れた教会を描くのに苦労した。出そうとした質感、割れたレンガの断面の凹凸。建ったままだったら、どこにステンドグラスがはまっていたか、その模様はどんな物だったかも。
「出でよ!」
つい、そんな言葉が口をついたのは、ただの漫画やゲームの影響だ。気にしないでほしい。
蛍のような光が紙から飛び出した。その光は輝きを弱めるかわりに大きさと量を増し、空中でレンガに、折れた柱に、割れたガラスの破片となった。土埃をあげ、ガレキはラキアータとマリモの間にC字型の壁を作る。マリモの右横はブロック塀で、奴は囲われたに形になる。すぐに壁を飛び越えてこない所をみると、そんなに高くは浮かべないらしい。攻撃を邪魔するだけのつもりだったが、俺の作戦は敵を生け捕りにするという思わぬ成果をあげたわけだ。
「なっ」
ラキアータは一瞬茫然としていた。
「大丈夫か、ラキアー……」
俺がかっこよく微笑もうとした瞬間、急に視界がぶれて、額に痛みがはしる。遅れて落ちて来た小石が、俺の額を直撃したのだ。
「ンガ!」
思わず頭を抱えてうずくまる。とほほ。せっかくかっこつけたと思ったのに、なさけない。
「よ、余計な事を!」
俺に助けられてプライドが傷ついたのか、ラキアータは怒ったように頬を赤くしていた。
キッとガレキの向こうにいるはずのマリモを睨みつける。怒りで、しっぽが膨らんでピンと立っていた。
魔物はガレキをひっかいて崩すことで、出口を作ろうとしているようだ。ガラガラという音が聞こえてくる。
「君、お前があの魔物を描いた紙はどれだ!」
俺は少年にどなりながら、路面に散らばった紙を拾い集めた。
「どういう事だ?」
ラキアータが小首を傾げた。
「忘れたか? 絵が実体化するのに必要なのは、強い想いを込める事と、血を塗ることだ。だったら、残った絵についた血を消すなり焼くなりすれば!」
もちろん、保証はない。だけどかなりそうなる確率はかなり高い。
「わかった!」
ラキアータも風に飛ばされそうな画用紙を拾い集める。
「あった! これ……」
ラキアータの言葉を、爆発にも似た音が遮った。即席の壁が崩れ落ち、埃の中からずんぐりとしたマリモが現れた。奴の目は血走っていて、明らかに怒っている。
ブワアッ、と奴の体が膨らんだ。無数の黒い針が弓矢のようにこっちへ飛んでくる。
「うわあ!」
一瞬、手の中にある紙が頭に浮かんだ。ラキアータが出てきた紙。もし俺の推理が正しければ、染み込んだ俺の血に傷がついたら、ラキアータにも影響が出てしまう。俺は咄嗟に紙を胸に抱えるようにして、魔物に背をむけうずくまった。針が迫る風圧に髪が揺れる。俺はきつく目を閉じた。
パシパシと弾けるような音が連続で炸裂した。しばらくしてその音が止み、俺はゆっくりと目を開いた。
吹雪。ラキアータの鞭で引きちぎられた紙が辺りに舞っていた。ラキアータは、針が俺の背に到達する前に、紙を破ってくれたのだ。
マリモが真っ白い光に照らし出された。そしてそのまま光に溶けて消えていく。
足元にさっきの少年が倒れているのに気がつき、俺は思わず駆け寄った。口元に手をやると、しっかりした呼吸が感じられた。
「安心しろ、襲われてびっくりしたんだろう。気を失っているだけだ」
まだ降りやまない白いかけらの中、ラキアータが微笑んだ。どこかさみしそうに。
その微笑みに、俺は何やら不吉な物を感じた。
ラキアータは俺の額に手を伸ばした。髪をかきあげる指の細さに、俺の心臓が高鳴った。
さっき降ってきた石に打たれた傷を調べてくれているのだろう。血が出てきていないから、あざにはなっているだろうが、切れてはいないようだった。
「バカが。戦闘能力皆無のクセに私などをかばうからだ」
言った内容のわりには口調がやさしい。
「さっきも、私が出てきた紙を守ろうとしてくれただろう?」
「ああ、まあ」
答えながら、俺は目を瞬かせた。なんだか、ラキアータの姿が薄く見えるのは気のせいだろうか? 貧血で視界がかすむほど血は出ていないはずだけど……
「ありがとう、時彦」
ラキアータは俺から手を放した。また微笑んだ。涙をためて。
「おい、なんで泣いてるんだよ」
「もうすぐ、お別れだ」
「それって一体どういう……」
俺の足が震えた。なんで? なんでだ? せっかく変な魔物を倒したのに。せっかくこの騒動で、ラキアータとちょっと仲良くなれたような気がしたのに。そもそも、俺達は出会ったばっかだぞ? ろくに話もしてないのに、お別れなんて早すぎるだろ!
ひょっとして、守り切ったと思ったけれど、紙に傷でもついたのだろうか? 慌てて広げて確認してみるが、なにも異常はない。
「ここだ」
ラキアータは俺の手から紙を取ると裏返した。そして、裏に書かれた設定の一文を指差す。『自分より戦闘が強い奴が好き』
「これが、どうかしたんだよ!」
頭の中がカッと熱くなって、目の前がくらくらする感じだった。
「私は、この設定に反してしまった」
ラキアータの頬に朱が差した。ぱたぱたと落ち着かなくシッポが上下している。
「いや、だから一体何が言いたいんだよ、なんでラキアータが消えるんだ?」
「私は、お前のキャラクターとして生み出された」
少しずつラキアータの姿が薄くなっている。ここまできたらもう俺の見間違いなんかじゃない。
「だから、この設定こそが私のすべて。ここに書かれていることと、私の存在はイコールで結ばれているんだ。だから、この設定に違反してしまったら、もう私は私ではいられなくなる」
言われてみれば当然の事だった。俺は、ラキアータがこういう性格だと『決めた』。
仮に彼女が紙の裏に書いた性格でなくなってしまったら、俺の想像と違う行動を取ったらそれはもう俺の考えたラキアータではなくなってしまう。
こう言えばわかりやすいだろうか。自分のオリキャラを他人がマンガなり小説なりにしたとき、そのキャラが自分のイメージと違う行動をしたら『誰だお前? こんなの俺のキャラじゃない』ってなるだろ? ラキアータは、それを自分自身でやってしまったんだ。
「お前はどう考えても私より戦闘は弱いのにな」
「え……それってどういう……」
その項目に外れてしまった。それってつまり……
今はもう、見間違いとは思えないほどはっきりと、ラキアータの姿は薄くなっていた。
「じゃあな、時彦」
まるで手に取った雪が消えてなくなるように、ラキアータの輪郭がぼやけ、溶けて行った。
玄関でスニーカーを履きながら、俺は母親に声をかけた。
「ちょっと言ってくるから」
「すぐ帰ってくるのよ! それから、ミルクちゃん見つけたら教えてね」
「はいはい」
家を出ると、自然と早足になった。
事件から、数週間が経った。マリモがいなくなってから、犬や猫の虐殺事件はなくなった。これで町が静かになると思いきや、新しい謎として、どこの物とも知れないガレキが道をふさいでいるという怪現象が起こった。(てか、俺のせいですごめんなさい)テレビの取材も来ていてにぎやかだが、ガレキは撤去されたし、そのうちそれも静かになるだろう。
十分ほど歩いて、大きな家に着く。つたの飾りがついた黒い門の横にあるインターフォンを鳴らす。
「こんにちは」
「あ、お兄ちゃんだ!」
玄関から出てきたのは例の少年、優斗くんだ。
「ラキアータ、早く早く!」
家の中からラキアータがちょこっと顔をのぞかせた。
「何やってんだよ。今日デートなんでしょ?」
優斗はラキアータの手を引いて外へ連れ出した。
「で、でも。こんな恰好したことないんだぞ。軍服しか着たことなくて……」
男だから詳しい服の名前は知らないけど、ラキアータは長いスカートとフリルのついた上着を着ていた。全体的にピンクで、ふわふわした感じにまとめられている。ふわふわした猫耳としっぽはなくなっている。
あの時、一度確かにラキアータは消えた。いや、魂のように、ふわふわとにぶく光を放つ小さな火の玉になったのだ。そして目を背けるほどに強くなったその光はカッと強くなった。そして、光が消えたあとに、ラキアータが倒れていた。猫の耳もしっぽもなくなった、ただの人間になったラキアータが。
そう、俺の作った設定をやぶった以上、それは俺のラキアータではなくなる。ラキアータは、もうちゃんとした人間になったのだ。もう猫に化けることもできないし、血の付いた紙を破いたところで、もう消滅しない。
「すっごくかわいいよラキアータ」
俺の言葉に、ぱっと彼女の頬が赤くなる。
「お、お世辞はいい」
そういって、ふいっと俺から目をそらした。
「わ、私は、そんなにこった格好でなくていいと言ったんだ。でもご主人が『せっかくのデートなんだからもっとかわいい服を買え』と」
「へえ。いい人でよかったなあ。それにしても、お前がこんなに金持ちの子だったとは」
俺は開いたドアから見える豪華な内装の玄関に目をやった。
あれから気絶から覚めた優斗を家に送って行った時、父親は仕事とかで、母親が出てきた。あとから聞いた話によると、夫婦とも会社の重役で、ほとんどいないという生活らしい。
それから、ちょっとした修羅場だった。まず勝手に家を出た優斗に母親がブチ切れた。その後、なぜかラキアータがブチ切れた。「そこまで大事な子供なら、なぜ守らない。なぜ、自分の身を守る術を教えない?」そこで、優斗が語り出した。もっとママやパパと話したかったこと。困らせたくなくて、ずっとがまんしていたこと。友達にいじわるされてつらいこと……
それを聞いた優斗のママは、優斗をぎゅっと抱きしめた。
そして、優斗の気持ちを引き出したラキアータを、母親はすっかり気に行ってしまったらしい。普段人見知りの優斗がなついているのも手伝って、ラキアータは住み込みのメイドとして雇われることになったのだ。
「ある意味メイドみたいな物か〜」
「それだけじゃないぞ」
にやりとラキアータは意味ありげに笑った。
「この家のガードマンも務めるつもりだ」
スカートのどこかに隠してあったのか、ラキアータはしゅるっと鞭をとりだした。
「人間になっても、鞭の腕はなまってないぞ」
「マジですか?」
「試してみるか?」
しゅっとしなやかなラキアータの腕が動いた。と思うと、俺は鞭です巻きにされていた。
「遊園地! 遊園地! 楽しみだな!」
ラキアータは鞭をほどくのを忘れ、ずるずると俺をひっぱっていく。
「ちょ、ばか、離せえええ」
俺の嫁が実体化した結果、俺のキャラ(嫁)ではなくなってしまった。けど、それでいいと思う。