校内対抗戦編1
更新は時々。
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2020年6月20日。
夕刻。
都内某所――《ノーフェイス》本社ビルの最上階。
そこには携帯端末で呼び出された夜神 当矢の姿があった。酷く緊張した面持ちでとある部屋の前に立つ。
社長室と書かれた部屋をノックすると中から凜とした女性の声が入るように促がす。部屋に入るなり仁王立ちで立ってご立腹の様子の女性がいた。
セミロングの黒髪、右目の黒い眼帯、上着は軍隊の制服、ミニスカートに白いニーソ、黒のヒールブーツ。その女性の名は緒神 愛緒、32歳独身の社長で彼の雇い主。
高級なリクライニングチェアがあるこの部屋で立って待っていたということは、彼女の機嫌が頗る悪いということだろうことは明らか。
「夜神 当矢!任務より帰還しました!」
挨拶をしても微動だにしない時はその挨拶が間違いだということだ。彼は咳払いをしてから、抱きしめて〈ただいま愛さん〉と言うとようやく返事が返ってくる。
「お帰り。"私の"当矢」
窒息するかと思うほど顔を胸に押さえつけられている。
「息が、できませんよ。社長」
はぁーと息を吐いた緒神 愛緒は彼の頬に頬を重ねると耳元で囁く。
「私は怒っている。それは、私のものであるはずのお前が私の知らぬ間に別の女のものになっていたからだ。お前に居場所を与えたのも、勉強や作法や喋り方を教えたのも、女の扱い方を教えたのも、仕事を与えているのも全て私のはずなのに…。お前は私のものなのに……」
言い終わるなり彼の耳をカプッとくわえたら眉間にしわがよる。歯形が残るほど噛むとそれを見ながら彼にまた囁く。
「女は快楽で堕ちるが男は痛みでしか堕ちない…。どうだ?この痛みはどう感じた?」
「痛いです。それだけです」
〈そうか〉と言うと彼の手を引き部屋を出ようとドアを開ける。
「どこへ?急用というのは?」
口に押さえられない怒りの感情を浮かべて彼女が答えたのは意外なものだった。
「どこって……私のものに汚い手垢を付けた豊臣のじじいの所に行くのよ。大丈夫、話をつけるだけだから」
明らかに話だけではすまないな。
そう考える彼には彼女を止められる方法はあったが、今は成り行きまかせにしておくことにした。
最初の犠牲者は門番、次の犠牲者は忍び、さらに次の犠牲者は別会社のコントラクター。
それはもう宣戦布告のない戦争の始まりだった。素手だけでことごとくを打ちのめす姿はまさに【戦場の紅花】の異名通りだ。
俺はただ後ろを付いて歩くだけで最短距離を目的地までくることができた。
はぁぁぁぁああああ!どおした!その程度か!!と罵声を浴びせながら、そして時折英語でHa!Ha!Ha!Ha!Ha!F**K!!と言っているが、それを言うのは相手が拳銃や小銃を持っていたときだけだ。
俺の格闘の師でもある緒神 愛緒が得意とするのは障壁と近接を兼ね合わせた魔法で、常に強固な防壁を体の表面に張り攻撃時には振動系と爆拳系を使用するそのスタイルは純粋な恐怖となる。
「土足は遠慮して欲しいといったはずじゃが…なるほど《紅手の愛緒》自らお出ましかの」
社長の別の異名を出した豊臣のじいさんは布団に横になっていた体を今さっき起こしたばかりなのか、それとも寝ようとしていたのかは分からないが。その姿を見るなり社長は笑いながら毒づいた。
「まだ寝るには早いぞじじい。それともくたばる準備か殊勝だな」
あくびをして気にもとめない様子の豊臣のじいさんは〈何用ですかな?〉と一言。
近くにあった机に座ると足を組み社長は〈とぼけるな〉と言って続けた。
「あんたが私の当矢に勝手に行き遅れの孫娘を押し付けようとしているのは分かっている。この子は私が見つけて育てた男だ、今さら"他の鞘"に収めてやる義理は無い」
じいさんは頭をさすりながら〈スミレ〉とあの忍びを呼び出した。ずっとそこにいたのかと思うほど気配を完全に感じなかった。これが彼女本来のハイディングスキル――隠密技術なら…なるほど優秀な忍びだ。
「お呼びですか?当主様」
「こやつがワシの孫娘のスミレじゃ。器量よしスタイルよしまだ20代じゃしの~。いい物件と思うんじゃが?ダメかの…」
バギィィイ!と音を立てて畳の床に穴が開く。俺にはその時魔法ではなく自力だけで床を蹴ったようにしか見えなかった…、そのせいで滅多に出ない〈げっ〉と言う言葉がポロッと出たぐらいだ。
「どこの誰だろうと、どんなに美人で聡明だろうと、この子の鞘にはなれない。ましてや28の行き遅れ女などこの私が許さん」
それを聞いていたスミレが隠れたマスクの下で少しムッとした顔したのを、なんとなくだか俺には分かった。確かに彼女は28だが行き遅れというわけでもないと心では俺も思っていた。
「では、誰が相応しいのですか?私は彼自身が決めることだと思います」
突然社長に詰め寄るスミレ、だが社長はそれを聞くなり机に立って見下ろすようにしてから声を荒げた。
「相応しい者だと?この!緒神!愛緒!以外!――ありえんだろうが!!母であり!姉であり!恋人であり!妻である!……成人を迎えるまではと思っていたが、貴様のような猫が寄り付くならもう後回しにもしてられんな。次の当矢誕生日に籍を入れる」
完全に暴走している。ここまで冷静さを欠いた社長を見るのは久しぶりだった。こうなった社長を止められるのは"時間か俺か"だ。
スミレに今にも掴みかからんとする社長の腕を引く、そして―――力いっぱい抱きしめる。
「落ち着いてください。"愛緒"」
名前を呼んだ時点で社長の頭の中にはそれが繰り返し響くらしい…。これに関しては俺には理解できない。
はぁ~と腰から砕けるように脱力すると社長は全身を俺に預けた。
「あ~すまない当矢。また迷惑かけたな、私を冷静に戻せるのはお前だけだ」
気合を入れなおして自らの足でもう一度立つ社長は何かを決意した顔をしていた。じいさんとスミレを見てから俺にこう言った。
「決めた……当矢があいつをどうしたいか。それ次第では私以外の女を一人ぐらい愛人にしても許す。だが覚えておけよお前を見つけた時から…あの時から私はお前のもので、お前は私のものだそれだけは――」
その言葉の意味を理解できたのは俺だけだろう。俺の世界が壊れたあの日から、そして俺に世界を与えてくれたあの日から、愛が救ってくれたあの日から。
分かっているよ愛――。
「社長には申し訳ないけど――あの時俺がスミレを壊したのなら、半端に命を助けたりした俺判断ミスです。殺しておけばこんなことにはならなかった。だから取り合えずその人…スミレは俺が引き受けます。一緒に暮らしてみると俺に嫌気が差すかもしれませんしね」
俺の回答に社長は〈分かった〉と一言。そして豊臣のじいさんもそれを聞くと〈寝るからの、襖閉めといてくれ〉言ったきり布団に潜ってしまった。
スミレは後日俺のセーフハウスに来ることになったが、まずは《ノーフェイス》に入社することになるだろう。
帰るときめったやたらに壊れた豊臣家を見た社長は、完全に脅えていたメイドらしき女性に〈請求はここにしてくれ〉と名刺を渡し堂々と表から帰った。
そうしてやっと長い仕事が終わって、学校に程近いアジトに帰宅するとようやくそれに気付く。携帯端末の電源を切っていたことをだ。電源を入れて多少驚いたのは、20件を超える桜子姫からの履歴があったから。適当になものを再生する。
『もしもし、まだ用事すみませんか?私で待ってます。連絡ください』
5時35分。
『あのもう7時過ぎたんだけど、まだ用事中ですか?返信ください』
7時03分。
『ひょっとして怒ってますか?やっぱり昨日のこと……なんでもないです。返事ください』
7時34分。
『……………』
8時01分。
『どうしたら、あなたが連絡くれるか考えたの。今から自宅に行くわ』
8時13分。
『ドン!ドン!ドン!ねーいるんでしょ。本当はもう分かってて気まずくて出れないだけでしょ?ドン!ドン!ドン!』
8時31分。
それを聞き終わったとき、時計は9時を表示していた。ドドドドドドドドン!とアパートのドアが叩かれる。まさか、そう思ってゆっくり近づき恐る恐るそれを開ける。
俺は生まれてこの方ホラー映画なんて見たこと無いが、戦場では感じたことのない緊張感だった。15cmほど開いたドアに指がかけられガッと引かれるといよいよ緊張感は最高潮になる――が、そこに現れた人物はお隣の女子大生だった。
「神夜さんよね…?私隣の安原ですけど、さっきまでキミの家に女の子が来ていたのよ。とにかくすごい剣幕だったわ。彼女か何か知らないけど時間も時間だしあまり騒がしくしないでって、そう伝えといてあの子に。あと、あなたも世の中甘く見てると後ろから刺されるわよ。あの子本当に怖かったんだから」
数回頭を下げて謝ると女子大生は〈本当気を付けなさいよ〉と言って帰っていった。確かにこのまま寝てしまうと後悔しそうだったから、ひとまず桜子姫に連絡を入れておこう。
1コール。その一回で彼女は電話に出た。その早さはもう電話を常時手に持っていたとしか思えない早さだ。
「もしもし、神夜くん?やっと連絡くれたね。本当はもっと早く色々話したかったんだけど。今日はもう門限だからまた明日だね。……でも、こんな時間まで何してたの?聞いてもいい?」
平常を装っているのは声から分かったがこの時の俺はあまり深く考えないで〈アンタには関係ない〉と言ってしまった。
ゴトッと通話口から聞こえたのは、多分頭なりを何かにぶつけたのだろうか……まあいいそれは後回しだ。彼女とは後日色々話すことになるだろうが今は特に急ぐ話もない。
「悪いけど疲れているんだ。また明後日学校で聞いてもいいか?」
「明日!《いなみ》で午後2時!」
食い気味で言った彼女に〈はい〉と俺は返事をした。その瞬間はどういうわけか社長と同じくらいの畏怖を持ってしまった。案外俺はホラーが苦手だったようだ。
しかし、そうして俺の初の護衛任務の後始末は無事に終了した。
6月21日。
今日は日曜、本来学校が休日につき夜神 当矢は《ノーフェイス》の仕事をこなすはずだった。しかし、昨日までの護衛任務の事後処理のために彼は《ノーフェイス》の仕事には就かなかった。
そして、この日の支部に一つの報告書が届いた。その報告によると、今都内では特定魔薬指定されている【メルト・インワード】通称《MI》が魔術士を中心に出回っているとあり。さらにそれは中高生の魔術士にも当てはまるという現状だった。
早乙女支部長が頭を悩ますのはこの問題と《ノーフェイス》に入った依頼が原因だった。
「マル3の情報提供者…まったく困ったね。腕のいい情報屋がこれだけしか情報が集められないのは初めてだね」
山済みの書類に隠れて姿の見えない早乙女支部長はゴソゴソと何かを探している。この書類の山で何かを探し出すのは至難の業だろう。だがこの乱雑に置かれているように見える書類だが早乙女支部長にとっては整理できているのだそうだ。
〈あったあった〉と言うとそれをブツブツと読み始めた。
「MIの流通ルート報告書…夜神 当矢。いやー完璧だなさすがは夜神くんだ。情報収集は苦手とか言ってたけどプロより完全に上の能力だよ。これさえあれば、浩道くんと康助くんに当たってもらえば依頼通り密輸元を一つ抑えれる」
この時には国の国防省の魔薬捜査課から仕事の依頼を受けていた。内容は《石田民間魔法士軍事会社と共同でのMIの流通売買組織の壊滅》というもので、《ノーフェイス》は流通元を抑えてそこから売買している組織を特定し《石田民間魔法士軍事会社》へ報告するまでが依頼内容である。
《石田民間魔法士軍事会社》は名家の一つ石田家が運営する会社で、働く人材も石田家の血筋で固められている。《ノーフェイス》はこれまでも何度か仕事を共にしているが、その内部構成はほとんど分かっていない。そもそも《石田民間魔法士軍事会社》は情報や工作を専門としているため、社員や傭兵には"情報=命"その二つは等価と教え込まれているのだから当然なのだ。
国には国営の情報収集機関があるにもかかわらず、こうして民間の企業を雇うのは、やはりそれだけの技術が《石田民間魔法士軍事会社》にはあるという証明でもある。だが、今回の依頼では組織の処理を《石田民間魔法士軍事会社》が買ってでた――、そのことが気になった早乙女支部長がこうしてもう一度MIに関する情報を見直している。
今回は、依頼とは別に流通元を抑えてそこから売買している組織を特定する。これが社長命令であるのはもちろんだが、社長の思惑は〈石田の消したい"物"か"人"か"事"がわかったらなかなかに面白いだろう〉というものだった。
「いやはや……薮蛇はいやですよ社長……」
と溜め息を吐くその姿は、やはり書類に隠れて窺うことはできない。
俺は今、混乱している。
その原因が目の前にある甘味所の『デラックスカップルフルーツコーンパフェ』なる代物の所為だ。高さ52cm、幅28cm――バニラ・チョコ・ベリーの各種アイスに始まりソフトクリームの周りにバナナが丸ごとハート型カットメロンとマスカットが複数。ウエハースコーンがこれでもかと刺さっているのがまたいっそ迫力を増している要因だろう。
世の中にこんな食べ物があったなんて――、そう驚いている俺に目の前に座る少女が笑顔を向けた。何故こんな状況に至ったかと言うと、任務で入学した聖徳院で護衛対象かつ一日だけの雇い主になった豊臣 桜子が昨日の《マジカルカーニバル》砲撃での優勝を祝いたい――そういう想いから今の事態に至る。
任務を終えた以上は学校自体を転校なり退学なりして姿を暗ますのが最善だが、社長に許可をもらえないうちは行動に移ることも出来ない。結果的に明日も学校で会う彼女を無下にはできないため、こうして差し向かいでパフェをつついているのだ。隣もまたその隣も同じものがあることも俺が滅入っている要因の一つ。
「どうしたの?おいしくない?」
「いいや……そういうわけじゃ」
彼女は満面の笑みを浮かべてすくったアイスを俺の方へ向ける。その行為自体はなんらおかしくない行動だと思うが、それは相手が恋人だったときに限ったことだ。自ら手に持つスプーンの上に乗せたアイスの行き場がなく、宙に浮くだけという違和感が半端じゃない。かといって目の前にあるアイスを口にすると直ぐ様新たにすくい上げたアイスなりが目の前に立ちはだかる。それを数回繰り返すとようやく彼女の意図に気付く。
「私も食べたいなー」
目を閉じ開かれた彼女の口に彼女の持つスプーンが向かうことはなく、その行為が俺のスプーンの行方を決定するものに他ならないのは確実だった。
止む終えず融けかけたアイスを彼女の口に入れると瞬時に口が閉じ、ゆっくり味を堪能した後溜め息を吐いて頬を赤らめる。ようやくスプーンが空になり置く事ができる――そう考えたが、直ぐに彼女が次のアイスを催促したためそれがテーブルに置かれることは当分なかった。
「こうやって食べさせ合えばあっという間に無くなっちゃうね。うん、おいし~」
彼女のこの意見に賛同することはできそうもない、いささか強引だが話を進めなくては。
「で、今回アンタに頼まれた優勝はした…報酬はもう受け取ったし、――今後学校では話すこともないだろうから言っておくけど。アンタは学校での行動が危うすぎる。あれでは敵を作ってしまう一方だからやめておいたほうがいい、これは警告ではなく忠告だからそう受け取って――」
コツンッと音が反響した。
彼女がスプーンを落とした音だというのはそれを見てから分かったが、彼女の絶望したようなその表情の意味する所は理解できなかった。〈ごめんなさい〉と言った彼女が食べるのを止めて話を聞こうとしている。一時的にも警護対象だった所為か、安全性に欠ける彼女の行動を指摘しておくよう話を続けるのは、彼女のことをある程度心配したからに他ならない。
「アンタはAクラスの人間だから本来Fクラスの俺とはなんの接点もない関係だった。だが俺とアンタが親しくすることで、3年や生徒会に目を付けられるといくら豊臣の姫であっても酷い目にあうかもしれない」
多少言い過ぎかとも思ったが、こればかりは当人がどうにかするしかない。えらく落ち込んだ様子の彼女だったが、突如ブツブツと何かを言い始めた。
「今後学校では話すこともない――って…そんなこと言わなくてもいいじゃない。私のこと嫌いだからそんなこと言うのね……。どうしたら神夜くんは私のものになるのかな……そっか、私の全てを捧げればきっと応えてくれるよね…きっとそうだよ。…すれば……さえできれば…」
全て聞き取れたわけじゃないが、この時の桜子姫の声は例の留守電のそれに近いものがありゾクッと背筋に悪寒が走った。だがその気配が消えると同時に彼女が話始めたことは耳を疑うものだった。
「ねえ、神夜くんこの前食堂で言い合いになった井伊 直子先輩は、実は生徒会長の浅井 修一朗と恋仲なのよ。彼女を利用すればきっと生徒会も黙らせることが出来るわ、そうすれば3年生も何も言えなくなるはず。そうすれば神夜くんと話せないなんてことはないよね!ね!」
豊臣の家系は策士が多いのか……さすがはあのじいさんの孫と言うべきか――。
この日は、そのことを話しただけだが冗談に思えないほど彼女の目がやる気に満ちていた。
6月22日。
この日夜神 当矢は学校でやたらと声をかけられていた。勿論先日行われた《マジカルカーニバル》の砲撃での優勝が一番の要因だが、優勝=婚姻という例の件も相乗効果となっている。
全ては噂のみの形で広がっているため、競技内容や使用した魔法は直接見た数人の学生以外知らないようだった。それでも徳川の御曹司に勝ったことが事実である以上興味をもたれるのは当然の事。本来潜入という類のものは目立ってはいけないものだが、否応無しに目立ってしまったのはしかたないというものだ。学年性別問わず彼を見に来る人は耐えなかったし、握手を求める人もいたがこれは女性に限ったものだった。
時間さえ経てばこの状況も次第に改善されるだろう。しかし、彼の考えとは別に豊臣 桜子がこの後に新たな騒動をもたらすのだった。
聖徳院現代魔法科高等学校における在校生の数は700人弱。都内の魔法科高校の数は国立・私立・公立を含めると33校で生徒の総数は2万人強、この数は世界の同年代魔法士の約13.34倍に相当する。しかし、全てが魔法士になるわけではなく他の色んな職種に分かれて最終的には約4000人が魔法士として職に就く。そういう訳で魔法科に通う者は中学から才能の差を痛いほど知り、その上で嫉妬や妬みが生まれ、挙げ句競争によって去る者も少なくない。
特に聖徳院は、中学からのエスカレーター式ということもありクラスが違うだけで壁が出来てしまうのだ。
そんな壁などなんのその――と、学年さえ違う校舎をとある一人を探すためズカズカと歩き回る女子がいた。豊臣 桜子だ。
彼女が探す相手は、3年Aクラスに在籍しているのは分かっているため迷わずその教室に向かい、〈井伊 直子先輩はいますか?〉と不仕付けに訪ねた。その後〈昼休みに食堂で待ってます〉と言って帰ってしまったのが、正午を迎えた頃には噂で豊臣 桜子が井伊 直子を呼びつけたという風に広まっていた。
「おい押すなよ。痛いだろうが」「うっせ、見えないんだよ」「何この人の数?」「イベント?」「決闘だってよ」「3年生と2年生だってさ」「まじか!やばいな」
雑踏がざわめく中、Aランチを食べる女子が二人と弁当を食べる男子が一人。普段Fクラスが使うテーブルを使っているのは、弁当を食べる男子――神夜 紀正/夜神 当矢が座っていたからに過ぎない。黙々と食事をする彼に隣から色々と話しかける女子は豊臣 桜子。どうやら彼を問い詰めているようだった。
「で!その弁当は誰の手作りなの?一人暮らしなのは分かってるんだから!女……女ね!この煮つけは間違いなく女だわ――」
手作り弁当のおかずを片っ端から味見した彼女は、その味に覚えがあり〈これ…どこかで〉と呟いていた。それもそのはず、彼女は年に数回この弁当を作ったスミレの料理を口にしているのだから。
そんなやり取りを目の前でつまらなそうに見ていた井伊 直子。それを見て、彼は弁当の作り手を威嚇する桜子に現状の説明を聞く。
「それより――どうして彼女…井伊先輩?を昼食に誘ったのか聞きたいんだが」
ようやく自分の話題に移行したことから食事する手を止めて口を開いた。
「私も聞きたいわね。先輩を呼びつけて放置って……あなた何様?」
ざわついていた周囲がいつの間にか静まり返っていた。そのテーブルに近すぎず遠すぎずで聞き耳を立てている野次馬には、物語りが展開する場面とあっては静かになってもおかしくはない。
「あら井伊先輩、そんな口利いてもいいの?先輩はいま神夜くんの下僕になっているのよ。神夜くんの下僕が神夜くんと同じ席でご飯を食べるのは当然でしょ」
会話が聞こえたのか一瞬その場がまたざわついた。
「何それ……あーこないだの――。そういえば優勝したらしいわね。約束した以上しかたないわね…でも"下僕"じゃなくて"何でもいうことを聞く"って言ったと思うんだけど?何すればいいの?」
「そうでしたっけ…まぁいいや。じゃー、神夜くんが決めればいいかな?先輩に何して欲しい?」
彼はそのやり取り関して覚えがあったが興味はなかった。しかし、井伊 直子の次の言葉で彼の考えが変わった。
「どうでもいいけど早くしてよね。"ボウヤ"と遊んでる暇ないのよ」
サッと立ち上がった彼は直子の隣まで行くと鋭い目つきで詰め寄った。
「なんでもいいんだろ……じゃあ。ここでキスして、学校が終わったらホテルに行く…それでもいいんだな――」
耳元で囁かれた直子は軽く悲鳴を上げた。
ジリジリと詰め寄る彼、それをただただ見てるだけの野次馬。あ!と声を荒げる桜子、いよいよと目を瞑る直子。
その時彼の右後ろからそれを止める手が伸ばされた。
「何をしている貴様!」
「…修一朗」
直子が修一郎と呼んだのは、生徒会長にして彼女の恋人――浅井 修一郎だった。肩を掴んだ手にさらに力を籠めて物凄い形相をしていた。
「放せよ。あんたには関係ないことだ」
そう言うとまた夜神 当矢は直子に顔を近づける――が、もちろんそれを浅井 修一郎が見過ごすわけが無い。清涼感のある髪型とキリッとした眉毛が特徴的だが、その眉間にはシワが限界までよる。
「何のつもりか知らんが!人の女に手を出すなと言っているんだ!」
殴りかかろうとする浅井 修一郎――、がその前に夜神 当矢と彼の拳の間にその身を分け入れ止めたのは直子。そのため、浅井 修一郎は困惑している様で―。
「どうして止めるんだ!直子」
「待って修一郎。これは私が言い出したことなの」
どういうことなのか、ことの経緯を直子は浅井 修一郎に話した。もう一度席に座り直した彼らは冷静になるよう桜子に忠告される。もちろん桜子が一番注意したのはキスしようとした夜神 当矢だったのだが、彼はまた黙々と弁当を食べ始めた。
「何を馬鹿なことをしているんだ…。直子、お前はこの僕の許婚だろう?そのお前がそんなことでは困るぞ」
経緯を聞き終えた浅井 修一郎はただただ呆れていた。その後も〈馬鹿馬鹿しい〉や〈呆れる〉という単語を並べて罵る。それを止めたのは以外にも桜子だった。
「急に入ってきといて何説教してるの。そんなにあなたは偉いの?彼女と私たちの問題にあれこれ口出ししないでくれる!」
鼻で笑った浅井 修一郎は、〈馬鹿馬鹿しい〉と言い放つと立ち上がり直子の手を取ろて立ち去ろうとする。その時唐突に夜神 当矢が話し始めたことは意外なことだった。
「生徒会長…井伊先輩の自由と純潔を賭けて俺と勝負しないか?」
ピタッと動かなくなった浅井 修一郎にさらに話を続ける彼と、それに聞き入る直子に桜子。
「勝負は今度の校内対抗戦で3年Aクラスが2年Fクラスより上ならアンタの勝ち。その逆なら俺の勝ち。――どうする?」
校内対抗戦とは、学年やクラスで分かれたチームが特殊な勝負で争う校内のトーナメント形式の対戦だ。クラス全員で――と言うわけでなく代表5人一組で競い合う。特殊な勝負というのは、互いのベイズ鉱石……マナに反応して砕ける鉱石を守る戦闘で、勝利の条件は相手のそれを破壊するか対戦相手5人を直接魔法攻撃して魔法の衝撃をショックに変えるアーマーを通じ無力化できれば勝利だ。
現代魔法科高校は学年が上がるたびに扱える魔法が――その知識が増える。一学年違えば扱える魔法の威力は短機関銃と重機関銃の違いぐらいあり、ある程度離れた位置からお互いに打ち合ったときの威力で後者に軍配があがるだろう。つまり、まともに遣り合えば3年に2年が敵う道理がない。
それを分かっている浅井 修一郎は振り向くと〈いいだろう〉と言って〈ただし〉と付け加えた。
「この勝負に勝ったらAクラスとFクラスの区別は確りとしてもらおうか。君たちの関係がどうだろうが学校の規律は守ってもらう」
「分かった」
事が終わってみれば野次馬たちは〈決闘?〉〈血みどろの四角関係だって〉〈女かけて決闘だってさ〉〈今度の校内対抗戦は荒れるぞ〉と盛り上がり、この噂はその日のうちに広がり彼の名もそれとなく広がった。
なぜ今日に限ってこんなに目立つことをしたのか、その理由は時間を戻さなければならない。
6月21日。
深夜――都港。
坊主頭に英語でSIXの剃りこみが入った黒スーツ姿の男がいる所は、MIの密輸ルートの一つであるタンカーが停泊している港。
彼の名はシックス――《ノーフェイス》の傭兵・コントラクターで名前は本人が名乗っているコードネームだ。そしてそのコードネームを頭に剃りこんでいることを見れば分かる通り知性には欠ける男である。
堂々とコンテナの上から姿を晒して名乗った上で8人の錬金術士に囲まれ盛大にピンチに陥っている。短機関銃を手に持つ男たちはアメリカ人で。
「馬鹿なのかこいつ。たった一人でノコノコ出てきやがって」「おまけに"俺はシックス"だとさ」「日本の魔法士は馬鹿ばかりか」
英語が飛び交う中シックスは考えていた。
くそ失敗した!――まさか錬金術師が8人もいるなんて。何か言ってるけど分っかんねーけど、これを乗り切れば社長も"フクロウ"じゃなくて俺を認めてくれるんじゃね。
シックスの言う"フクロウ"とは、彼が付けた夜神 当矢のコードネーム。シックスはそういった形に拘る癖があり《ノーフェイス》という通称からコードネームは必要だと常々口にしている。シックスという名も、なんとなくカッコいいから付けているということは誰もが知っていることである。
錬金術師が次々に術を発動しようとする。
錬金術は基本――等価交換の物質変化で術を扱う。魔術士が空気中にあるマナを体内に取り込み貯めてそれを元に魔法を発生させるのに対し、錬金術師は空間や物に含まれるマナを利用し発動する為にマナの保有量などは必要ない。つまり才能の要らないものだ。
「やばい!俺死ぬ」
シックスの絶体絶命のピンチ。そこに現れたのは、早乙女支部長が送り込んだ魔法士――松田 浩道だった。
「――【大紅蓮旋】――」
シックスに夢中の錬金術師の背後から近接標準現代魔法の伍――【大紅蓮旋】で奇襲を仕掛けた。体を中心に纏った紅蓮の炎を手にする愛刀の切っ先に移し一閃すると、錬金術師3人がそれに包まれ灰へと変わる。
「馬鹿がまた増えたぞ」「今度の奴は強いぞ」「日本の魔法士は馬鹿ばかりだと思っていたんだがな!」
またも英語で叫ぶMIの密輸組織に、今度は松田 浩道が英語で話しかける。
「そいつを日本人の基準にするな」
刀にマナを注ぐと青紫ががる刀身、そしてバチバチと音を立てて稲妻を纏った。突きの構えをすると近接変則現代魔法の弐――【雷迅突】が、まさに雷の如き速さで突撃すると一人の腹を穿ち電撃で生きたまま無力化する。
そして、もう一度構えると松田 浩道は英語で言った。
「次はどいつが味わいたい」
すると、短機関銃を投げ捨て両手を頭の上で振り〈降参だ〉と一人が言うと次々に投降の意思を示した。アメリカのコンダクターはこんな時〈命を懸けるまでも無い〉とドライなのだ。
全ての事が終わったとき、ようやくシックスが物陰から姿を現しおずおずと歩いて松田 浩道のところに行く。松田 浩道は投降した者を拘束して負傷させた一人を手当てしていたが、その姿が怒りのオーラを纏っているのに気付かなかったのはシックスだけで。
「浩さん……すんません。でも、陽動にはなったすよね?ね?」
立ち上がってネクタイを調えると松田 浩道は、軽いステップで右拳をシックスの顔面向けて突き出した。ゴッ!と言う音とヒギャッ!!という声が聞こえて倒れこんだシックスは大量の鼻血を出していた。
「何が陽動だ。お前がしたのは独断専行の猪突猛進だ。お前はいつからそんなに命を粗末にする奴になった」
キョトンとする密輸元の男たち、その直ぐ前で倒れたシックスは上体を起すと涙を流しながら。
「だって、おで、強くなんねーど!しゃじょうを護ってやれねー!フクロウみたいになんねーど」
そんなシックスに胸元からハンカチを取り出して渡すと。
「当矢は当矢。お前はお前だろ。あいつは特別だがお前は普通だ。お前は今自分に出来ることをすればいい」
そう言われたシックスは〈浩さん…〉と感動していたが、その後に続く言葉でその感動は失せてしまった。
「後、社長はお前なんか必要としていないぞ」
「そんなごと無いやい!」
そうこうしているところにもう一人、黒スーツ姿の金髪の厳つい男が現れた。
「おいシックス。またやらかしたか?」
「ホークさんも来てたんすね」
シックスがホークと呼んだこの金髪は鷹城 康助。《ノーフェイス》設立メンバーの一人で社長の緒神 愛緒との関係性はよく分からないが"愛ちゃん"とちゃん付けで呼べる唯一の人物だ。
「俺はこいつらを石田の連中に渡してくるだけだ。簡単に降参したぐらいだ、すぐにゲロっちまうだろうさ」
「そうか、俺が頼りないから社長がホークさんも"ロード"さんもよこしてくれたんですね」
急にシックスが"ロード"と口にすると松田 浩道が抜刀してにじり寄る。
「俺をロードと呼ぶんじゃない……3枚に下ろすぞ――」
血の気が引いたシックスがコクコクと肯くともう一度刀を鞘に収め、鷹城 康助に〈後は頼みます〉と言ってその場を後にした。
携帯端末でどこかに連絡を取る鷹城 康助。立ち上がって鼻血を止めるシックスに帰るよう促がす。
「おいシックスお前も帰れ。仕事は終いだ」
「そいつら運ぶの手伝いますよ」
「いらん。そこまで迎えがきてるからな」
風を切る音が聞こえ上から風圧が押し寄せると同時に黒い大きな塊が降りてきた。日本に普及している日本製の丸いフォルムが特徴的な4人乗りのヘリ【ナデシコ】。
着陸せず空中で止まるヘリから一人飛び降りてくると、鷹城 康助に何やら話して捕らえたアメリカ人の密輸者を一人ヘリに連れて行く。そしてもう一度別の捕らえたアメリカ人に近づくと一瞬の内にその首を刀で跳ね飛ばした。
「てめぇ!何しやがる!」
怒号と共に鷹城 康助が石田のコントラクターの胸ぐらを掴みとる。
「どうして殺す必要があった!」
「貴様らは所詮アウトソーシングだ。こいつらの処理はうちが決める」
胸ぐらを掴む手に一層力が入るが、すぐに手を離して拳を引く。
「確かにうちはアウトソーシングでしかない。だがな…、どんな捕虜でも俺たちが預かった命だ!その命を勝手に殺されちゃ困るんだよ!」
怒りをぶつける鷹城 康助だったが、石田のコントラクターは聞く耳持たずという態度でヘリに乗りその場を後にした。
その後、シックスが声をかけようとするがあまりの形相に押し黙ってしまう。〈クソ!〉とコンテナを素手で凹ませた鷹城 康助の怒りはそれでもまだ収まっていなかった。
飛び去るヘリを見ながら鷹城 康助はぼやくのだった。
後味の悪い仕事だ――と。
そして、同じ頃。――都空港――ターミナル内。
別の密輸元を抑えた夜神 当矢が連絡を取っていたのは早乙女支部長だった。
「ああ、社長の指示通りだ。社長には使いを出したからすぐに口頭で伝わるはずだ早乙女さん」
「口頭でですか?なるほど夜神くん、早速彼女を部下として使っているんですね。伝令としては適役」
早乙女の言う彼女とは《ノーフェイス》に昨日入社し、夜神 当矢の専属部下として配属された元豊臣家警務部忍び隊の木下 スミレ。彼の専属部下に指名したのは社長の緒神 愛緒の考えだ。
この事だけ聞けば愛緒とスミレの仲は良好に聞こえるが、実際はスミレが彼以外使えない人材である事が分かっている為の配置に過ぎない。
「ああ。思ったよりもスミレは尽くしてくれている。しかし、まだ彼女が豊臣のスパイである疑いは排除しきれない。俺は端から心配してないが早乙女さんの判断には取り合えず従っておくよ」
そう、早乙女支部長は木下 スミレが豊臣のスパイであるかもと考えその動向を疑っていた。早乙女支部長は実のところ魔法士ではない…、ならどうして早乙女が支部長という今の地位になれたのかといえば、それは早乙女が"臆病"だったからだ。すべてを疑い最悪を想定してそれに備えた上で備えに備える。姿を資料に隠すのもその所為かもしれないと言える。
「私もそこまで疑っているわけじゃないのですが。疑って損することはないですから。人間の世界は――」
その声に返事することはなかったが夜神 当矢もその意見に同意見だった。
「俺は回収班が来るまで捕らえたアメリカのマフィアを見張ってる。回収は何時ごろだ早乙女さん?」
「後3分で着きます。黒い軍用トラックがいくと思いますのでそのつもりで」
3分後、回収班が到着すると素早く事後処理をして撤収していった。ここからは時間との戦い。石田より先に売買組織を見つけ出して石田の"何か"を先に掴むかということ。
回収――そして情報搾取し終えた《ノーフェイス》は何とか売買組織を特定した。その結果、6つの組織が売買していることが分かった。
一つは日本国政府関係、一つは魔法士団、三つはヤクザや暴力団、そして最後に【新魔法騎士団】という高校生の魔法士の集団。そしてその元締めの名前が石田 光だった。
この情報を手に入れた事は後に《ノーフェイス》にとっての大きな誤算を生み出す事となるが、そのことに気付く者はまだいない。
面白かったら幸い。
そうでなければ読んで頂いただけで幸いです。