7.
日本酒と、チーズとベーコンを焦がしたやつと、スルメと、安口さんから言いつかったおつかいを抱えて、さてもうすぐたった君の家。というか、たった君の家を過ぎて少し行けば、わたしのマンションなので、毎日通り過ぎてたんだなー。考えてみれば。
携帯を取り出す。「絶対突然押しかけなさいよ」って言われたから迷ってたんだけど、やっぱり迷惑はかけたくないよね。別に、駆け引きをしたいわけじゃないのです。
『家にいますか? 津野さん達からたった君にお酒を預かったので、届けに行っても大丈夫ですか?』
断られたらすぐ帰ろう。日持ちのしないチーズのおつまみはわたしの夕食にしてしまう所存。あ、コンビニでお酒買って帰るのもいいかも。
返事は、少し遅かったような気もした。たった君はメールを返すのがいつもすごく早い。
『いいけど』
……たった君のメールってたまに困る。いいけど、なに? 聞きたいけど、どう打っても問い質しているみたいになりそうだよねえ。……いいっていうんだから向かっちゃおう。そうしよう。
それから5分もせずに、たった君の家に着いて、インターホンを鳴らした。
中でどたばた音がする。ぎゃーぎゃー言い合う声。なんだなんだ。ドアが開く。たった君が出てくる。
「こ、こんばんは?」
「早いよ」
「あ、そうだよね、ごめん」
つ、都合悪かったのかな? もっと早くに聞いておけばよかった。訪問のときはゆっくり、少し遅刻するくらいで行きなさい、ってお母さんに教えてもらったんだけど忘れてた。
「どれどれどれたったの彼女どれ」
「彼女じゃない」
中からにょきっと、背の高い男の人がたった君の肩に手をかけて顔を出す。
「どうもこんばんはっ!」
にこっと笑われた顔を、思わず凝視。あれ、わたしこの顔知ってるぞ?
「たけなか君?」
「へ?」
たった君、憮然。
「なんだよ、吉永って吉永なのかよ」
上がればいいじゃんってなぜか武中君に勧められるまま、3人でテーブルを囲む。テーブルと床に、すでに転がっている何本かのビールの空き缶。入ってすぐにムサシを探したんだけど、定位置にはいるものの、こちらに背を向けていた。歓迎されていないようです。
「たった君、これ津野さんから」
お酒とおつまみを渡したら、武中君大喜び(受け取ったのはまたもなぜか武中君でした)。いそいそ、勝手にグラスを出してくる。というか武中君。この人って、そのう。
「わたしも、その、驚いたよ」
「いやー、ほら、若い頃ってしょうがないじゃん、若いってそういうことじゃん。なーたった、もう時効だよな」
たった君、まだ憮然。この武中君、実はというか、中学の頃にたった君をいじめていたリーダーのような人だったのです。
「たったがメール見るなり突然帰れとか言い出すからさー、絶対彼女だと思ったのよ」
「だから彼女じゃない。こういうやりとりやだから帰れってつったんだよ、もう」
武中君の注いだ日本酒をあおる。
「吉永も、来んの早すぎ。どこでメールしたの」
「ごめん、これ渡したらすぐ帰るつもりだったから」
でも、ええ、武中君に興味津々です。
「聞いていいかなあ、ふたり、いつ仲良くなったの? だって中学の頃は、ほら」
「こいつが無職の分際で家出してゴミ捨て場で寝てたから」
つまり?
「たった君、また拾ったの?」
「またって言うな」
だって。武中君が笑い声を上げる。
「そー、俺大学中退して就職したんだけど、超ブラックだから速攻辞めてやったのね。したら親父に殴られてさ、友達のとこ転々としてたんだけど、みんなだんだん冷たくなるんですよ」
「当たり前だよ」
うん、当たり前だと思う。
「でも、たっただけは優しかったの……」
「おまえが寝てたのがうちのアパートのゴミ捨て場じゃなかったら無視したよ」
警察に突き出そうとしたら同級生だということがわかり(武中君曰く、たった君は人間には冷たいらしい)、そのままここに居座りだしたのだと言う。
「最悪。部屋は汚すし冷蔵庫カラにするし」
「いやー、たっただからいいやって思ってたら、こいつマジこえーの。何度殺されると思ったことか」
「こ、殺される?」
「麦茶のポットあんじゃん、中身入ったままのあれでぼこぼこに殴られて死ぬかと思った。信じられる、俺打ち身とヒビで全治3ヶ月よ」
「ええええ!?」
「こいつ、そんとき預かってた猫を蹴ったんだ」
「あ、じゃあしょうがないね……」
「ええええ!? うわ、吉永の目も超冷てえし、なんだよ吉永も愛護族かよ! ……いや、今はほんと反省してますよ、犬も猫もかわいいです。でも俺になつかないやつはかわいくない」
「なんで動物が自分にとって危険なやつに懐くよ」
たった君が吐き捨てる。怒ってる、けど、武中君が本当にそういう人だったらたった君がこんな風に会ったりはしないと思うから、冗談の範囲なのかも(今は)。というか、そうオモイタイ。
「でも、ヒビとか全治3ヶ月とか、傷害事件になってもおかしくない気がするんだけど……」
「そー、俺訴えられたよな。でもま、あの時ほんと荒れててね、俺。みんなに邪魔もんにされてさ、でもたったはなんだかんだで置いてくれたから、一応感謝してたわけ。そのたったが気が狂ったみたいに怒ったから、こりゃ俺がやっちゃならんことしたんだなって思ってね」
こわかったぞー、って明るく笑われても、多分ほんとに結構こわい話よね? ね? からっと言われてるけど、その場に居合わせたらわたし、本気で泣いてる気がするんだよ?
「ま、あとは金なかったし、警察きらいだしで、寝て治した」
「病院行かなかったの!?」
「行かなきゃまずいときはわかるって」
そうなの、そういうものなの? どうしようなんだか住む世界がちがう。武中君って、不良とかそういうのだったんだろうか。中学のときは確かにいじめっ子だったけど、卒業してからは知らない。うちは同窓会もまだないはずだし。今見る彼は、ちょっと強面ではあるけど、普通の男性な気がする。
「てか、吉永こそ、たったと付き合ってたとか驚いたわ。俺まじで全然気づかなかった」
この付き合うって、付き合いがある、でとらえていいんだろうか。なんかあんまり否定するのもしつこいし。そしていま、本来の目的を思い出したけど、すみません津野さん色々全部失敗でした。
「わたしがたった君と会ったのは、この夏のことだよ。捨て猫がいて」
「なんだ、そんな最近なん? そしてやっぱ捨て猫なわけね。そーだよな、たっただもんな、たったに絡む女なんて全部そうだよなー」
げらげらげら。わたしやっぱり、今日お邪魔しないほうがよかったんじゃなかろーか。
「にしても吉永、よく俺のことわかったな。惚れてたかそうか」
「あ、ううん、そんなことはないんだけど。武中君はやっぱり目立ってたし、顔もそんなに変わってないと思うんだ」
「…………いや、確かに冗談だけどさあ」
ん?
「俺、たったのことはすぐわかったんだけどな。この陰気な顔!」
「そうなんだ。わたしね、たった君のことはわからなかったんだ。偶然フルネームを見てやっと思い出して。でもね、たった君のほうがひどいんだよ、名前言ってもわたしのこと思い出せないって」
笑いながら言うと、たった君が頭をかいた。
「でも、ほんと、全然目立ってなかったからしょうがないけどね。武中君も覚えてないでしょ?」
「はー? ばかにすんなよ、覚えてるって」
「調子ばっか」
つぶやいたたった君に武中君が肘を入れる。
「おめーと一緒にすんな! そりゃ最初はわかんなかったよ、女って男より顔変わるじゃねーか。でも吉永のことは覚えてるよ、いつも美化委員やってただろ」
「え、すごい」
そのとおりだ。わたしは中学3年間通して、美化委員をやっていた。
「あとはほら、確か教室に毎日花持ってきてたのも吉永だろ?」
「えええ、すごい!」
「すごくねーし。クラスメイトのことくらい覚えてるだろ、普通」
さも当然のように言われてしまったけども、思わずちらっとたった君と目が合ってですね、はい、覚えてません。どうやら武中君って、わたし達よりもずっとちゃんとクラスのみんなのことを見てたみたいだ。……わたし、ちょっと反省しなきゃいけない部分があるな。
「そっかあ、覚えててくれるのってうれしいね」
そして気恥ずかしくもあり。中学校の頃の自分、どんなことしてたっけ? 漠然としてた記憶を必死で手繰る。そんなことすると、急にあの頃が目の前にまで戻った気がした。わたしはすごく恥ずかしがり屋で。人の目を見るのが苦手だった。今はそんなことないんだけど、そういえば時々、上に塗り重ねた大人の強さがはがれて、昔のわたしがのぞく時がある。
武中君が、そういや、とわたしを見た。
「あの頃はわかんなかったんだけどさ、毎日花持ってくるのってすげえ金かかったんじゃねーの?」
「ううん、廃棄するお花だったから」
うつむいて、はにかみながら言った。意図したわけじゃないのに、そう、わたしはこんな仕草をいつもしてた。
たった君が、あ、って声を上げた。
「花屋の吉永?」
「え?」
「あ、あー! そうか、吉永って花屋の吉永じゃね!?」
「たった、声でけー。テンション上がり過ぎだろ」
「いやだって。あーそうか、思い出したわ。なんだよ、思い出せないのしょうがないじゃん、花屋どうしたんだよ吉永」
たった君がなんでだか、責めるみたいな口調でつっかかってくる。
「花屋はうちじゃなくて、おばあちゃん家だよ。でも、おばあちゃんが死んじゃったとき、たたんだの。誰も継がなかったし」
あのときのことも、ちょっと胸が痛かったな。小さい女の子の夢に、お花屋さんになる、ってあるけど、わたしはおばあちゃんのお花屋さんが好きじゃなかった。お店はいつもどこか生臭くて、あの匂いが花の腐った匂いだって知った時は、花も生モノなんだって知ってショックだった。それに、まだ咲き終えていない、でも商品としての価値のなくなった切り花を、無造作に捨てていく仕草もどうしても苦手で。そりゃーね、商売だからね、甘ったれたこと言ってるって今はわかるんだけど。
今も、花はあんまり好きじゃない。売られる花が好きじゃない。そう思うたび、おばあちゃんに申し訳ない。婆不孝、ごめん。おばあちゃんには本当、かわいがってもらったのになー。
もう売れない、だけどまだ綺麗な花を、毎日学校に持っていった。おばあちゃんの言う通り、綺麗なのは一日だけで翌日にはもう萎れ始めた寂しい姿に変わるから、焼却炉で燃やして次の花に替えた。
「吉永のばーちゃんだと思う、じいちゃんの寺に花入れてたの」
「そうなんだ!?」
「花が入ってるダンボール、ヨシナガって書いてあった気がする」
そうか、たった君のおじいさんのお寺がどこかって知らないけど、でもたった君はそこから中学に通ってたんだから、このあたりよね。おばあちゃんのお花屋さんもこの近くなんだから、取引があったっておかしくない。
「はー……世間は狭いねえ」
「なんだおまえら、付き合ってるくせになんもしらねーのな」
「だから付き合ってねえって言ってんだろしつけー武中」
たった君が本気でいらついてる気がするので、やめてください武中君。
それからまた1時間くらい盛り上がって、わたしは先においとま。武中君は今日は泊まるらしい。楽しそうでいいなあって思って、こういうとき異性って不便だなあって思いました。