6.
「おいしー!」
「そうですかーよかったです」
わたしが作ったドーナツを、永田さん達がそりゃあうれしそうに頬張ってくれる。食堂ではなく、すっかり片付いた会議室の机で、わたし達はお昼を広げていた。
「お菓子といえば横手さんもよく作ってきてくれてたよねー、すごく凝ったやつ」
「あーあったあった。手作りって聞いて驚いたやつだ」
「へえ、かっこいいなあ。わたし、ごく簡単なのしか作れなくて。これも、ホットケーキミックスで作ったやつです」
お豆腐ドーナツ。そのままだと甘党さんには物足りないだろうから、お砂糖をまぶしたものと、そのままの甘さ控えめの両方を用意してみた。本当は手作りより、お店で買ったやつのほうがいいんだろうけど、会社のすぐ近くにドーナツ屋さんがあるからみんな結構食べ飽きてると思ったんだよね。
「吉永さんって、ホットケーキミックス似合うわ」
「え、そ、そうですか?」
「わかる。ホットケーキミックスっぽい」
わかられてしまったようですが、わからないです。わたしの扱いは、ここでもいじられ担当のようです。
「もう吉永さん、おしまいかー。さみしいなー」
「永田さん達には本当に良くして頂いて、ありがとうございます」
「あはは、なんにもしてないけどねー。なにかあったら連絡してね、力になるし」
本社勤務は今日で最後。いやまったく、頭が上がりません。お礼のドーナツをもうひとつ勧めると、えー太っちゃうからーでも吉永さんからの勧めじゃ断れないなーなんてくねくねしている。大丈夫です、ちょっとくらい太ったってみなさんすてきです。
会議室のドアがノックされ、石塚さんが入ってきた。ここは壁がクリアなので、お互いの姿が見える。
「こんにちはー、永田さんまたお菓子食べてる。ダイエットするんじゃなかったの?」
「石塚君、うるさいよー」
「石塚さん、おつかれさまです」
挨拶をして、ドーナツを勧めるか迷う。男の人って甘いものどうなのかな。
「吉永さんがドーナツ揚げてきてくれたのよ。石塚君も頭下げて頂いたら? 吉永さん、この人ね、甘いものに目がないの」
「あ、そうなんですか? じゃあ是非どうぞ。たくさん作ったので」
こっちがお砂糖有り、こっちがなしです、なんて説明をする。石塚さんはうれしそうに、迷わずお砂糖有りをとった。
「将来メタボか糖尿か」
「いただききます。永田さん、旦那さん元気?」
「はいはい、メタボ進行中ですぅー」
イジワルな永田さんにさらっと返す石塚さん。みんなで笑う。
「もーさ、俺は運動すればすぐ痩せるから、って言うばっかで、休みの日もごろごろしてるだけだろっつの」
「わかる。うちの旦那もそうだった。もう若い頃とはちがうでしょって言ってんのに聞きゃしなくて、今じゃ立派な……よ。永田さん、今がんばんないと!」
おなかを、手でぼーん、と示す。
「吉永さん、おつかれ会、今日でいいんだよね。予約とったんだけど」
「はい、大丈夫です。ありがとうございます」
木曜だったので、ちょうどいいと思ってこの日にお願いした。
石塚さんに、もう一個いいかな、って聞かれたので、どうぞどうぞ。
「吉永さんて、お菓子作るの好きなの?」
「いえ、ほとんどしたことなくて。これも、とっても簡単なレシピで」
自分でも、砂糖なしのほうをひとつとって、半分にちぎる。
「でもなかなか、食べてくれないんですよねえ……」
ぼそっとつぶやいてから、今のはひとりごとだったと気づく。でも、
「え、なになに。誰に!」
「吉永さん、誰に食べてもらえないの。聞き捨てならないな」
「永田さん達、食いつき過ぎ!」
思いっきり詰め寄られてしまった。必死で首を振る。
「犬の話です、犬の」
「犬にお菓子?」
「あ、このドーナツとかはあげませんよ、ちゃんと犬の体に悪くないおやつですよ。年寄り犬だから、作りたてのやわらかいおやつをあげたくて」
日持ちするのは、たいていかたくなったやつだし。ソフトタイプのおやつはいっぱい売ってるけど、ムサシはどうも、ドッグフードより普通の食材のほうが好きらしいのだ。おじいさんと同じものを食べていたんじゃないか、というのがたった君の予想で。
だからムサシのためにおやつを作ってるんだけど、なかなかお口に合うものが作れないでいる。なにが悪いのかなー。
「なんだあ。食べさせたい相手がいるのかと思ったのに」
「それは」
どうしよう。いいかな。最後だしな。
「います、よ」
なぜか時間が止まる。あれ、騒いでくれちゃうのかと思ったんだけど。永田さんに凝視され、すみません、となんとなく謝る。
「あ。びっくりした」
「うん、不意打ちだった……吉永さん、絶対そういうののらくらかわし続けると思ったのに」
「そんな、すごく人聞きが悪いじゃないですか!」
そりゃー、職場の人と恋愛話をするのって微妙なのかとは思うんだけど。
「へえ、そっかあ。いるんだ、吉永さん。片想い?」
「そういう話に、全然ならないので」
気恥ずかしいので、ちぎったドーナツを頬張る。
「そっかあ。いいね、片想いいいね。今ときめいたわ、なつかしいものが……」
「そうね、まぶしいわ……遠くまできたわねえ……」
永田さん達がふざけあっている。たいして歳、変わらないじゃないですか。
「で? 社の人間だったら、お手伝いしますけど?」
「いえ、中学の同級生なので」
ぎゃー、とかまた騒ぐ。まぶしいって連呼される。
「そっか。そっかー。いいなー甘酸っぱいなー」
「あ、残念だったねー石塚君!」
永田さんが石塚さんの背中をたたく。石塚さんはその勢いに驚きながら、うなずいた。
「うん、残念。でも吉永さん、うまくいくといいね」
石塚さんが、やさしく笑ってくれる。永田さん達も、なんだかずいぶん、あたたかく見守る目になってくれているじゃありませんか。
「がんばってみます。ありがとうございます」
今夜の飲み会のネタが決まったな! なんて盛り上がっていてこわいので、どうぞどうぞとドーナツを勧めた。
石塚さんがわたしをどう思っていたかはわからないけど、わたしはたった君の言葉を聞いて、胸が痛んだので、たった君が好きなのだと思う。いや大好きなのはわかってたんだけど。だってわたしのお地蔵さま。
石塚さんの好意を感じたとき、恋愛をちょこっとだけ意識したとき、考えた。このひとは、捨て猫を見つけたらどうするのかな? 行き先をなくしたおじいさん犬を見つけたら?
彼の答えは知らない。そんなことは聞けない。ただわたしは、見過ごす人と一緒に歩くことはもうできないから、お互いのことを考えるならまず確かめないといけない。わたしったら、ずいぶん面倒な物件になったなあ、なんて。
でも、たった君が一番過ぎるから、ほんとはそんなこと考える隙もないんだろうな。あの愛想のかけらもない顔で、しかたないなって言いながら自分の手におさめちゃうんだ。
なんて痛快なんだろう、って思って、胸が熱くなるんだ。
***
安口さんは今日も辛口です。
「そりゃー、動物救おうっつって必死のとこ、いちいち発情されたらうざいわよねえ。立田君正しいわ」
がしゃんがしゃん、ポスターを刷るプリンタの様子を見守りながら、全開です。
「正しいってねえ、安口さん。せっかくあの吉永ちゃんが素直に立田君への好意を認めたというのに、他に言うことはないの?」
――愛護がらみで会ったの相手に、いちいちそんなこと考えないよ。
たった君のその言葉について、わたしは津野さん達に相談してみたのです。
「だから立田君の立場で代弁してるんじゃないの。立田君は、自分のことカバーしてるんでしょ」
「どういうことですか?」
「立田君の活動の範囲って女性ばっかりなのよ。一般の主婦が多いし、その絡みで未婚の若い女性もね。立田君にしてみたら、女ばっかりの中で色目使ってるとか思われたりすると、すごくやりづらいんじゃないの?」
わたしは刷り上ったポスターをまとめながら、濡れても平気なエコバッグに底から詰めていく。縦に入れるとどうしても曲がったり折れたりしてしまうので、特製平底バッグなのです。
「そっかあ……そうですね」
「なんか納得してる風だけど、絶対わかってないでしょ。吉永ちゃん」
津野さんに、じと目で見られる。
「つまり、吉永ちゃんからいかないとだめってことよ! 立田君の立場上!」
「あ、なるほど!」
ぽん、と手をたたく。
「そうー? そんだけ一緒にいて手を出していないってことは、立田君にとって吉永ちゃんが本当に対象外ってことだと思うけど」
「安口さんはまたそういう意地悪言って」
「なによ、立田君が吉永ちゃんのこと好きに決まってる、なんてどうして言いきれるの。20代男子が気のある女子と密室にふたりっきりでいて、なにもしないなんて信じない。あたしは信じない」
「肉食の話は聞かなくていいからね、吉永ちゃん。人間には繊細な情緒と強い理性があるもんよ」
言われていることはともかく、ふたりの掛け合いは好きです。
「わたし、やっぱり対象外なんでしょうか」
「そんなことないと思うけどなあ。まあ、立田君に聞くしか」
「対象外だって言われても、一緒にいても大丈夫ですかね。わたし、ムサシともたった君ともずっと仲良くしたいんですけど……」
「言っといてなんなんだけど、あたしはどーも吉永ちゃんが立田君に恋をしているように見えないんだけど、気のせいかしらね、安口さん……」
「いいじゃないの、恋だろうが恋じゃなかろうが、吉永ちゃんはとっとと立田君と結婚して、2階に引っ越して、預かれる動物の数を増やせばいいのよ」
それはひどいです。
「じゃあ、人を通してそれとなく聞いてみたら?」
津野さんが、安口さんをひっぱたいたあと、わたしに向かって聞いた。
「人を?」
「ふたり、中学の同級生なんでしょ。共通の友達とかに、立田君が吉永ちゃんをどう思ってるか聞き出すよう、頼んでみたら?」
「なるほど!」
それはとてもいい、けど。
「共通の知り合いって、アパートの人と、グリングリンの人くらいなんですけど……」
「えー、いないの? じゃあしょうがないな、今度ふたりでうちに来なさいよ。うちらが聞いてあげるから」
なんかこわいって思っちゃうの、悪いだろうか。
「ていうか、最近立田君こないわね。吉永ちゃんが来る前は結構来てたのに。ちゃんと顔出せって言っといて」
「は、はい。でもたった君って、意外とお出かけ多いみたいなんですよ。友達多いのかも」
これもふたりには言えないけど、たった君、グリングリンを避けている気がする。わたしが行くっていうと、じゃあ人手がいる時は呼んで、って言う。まさか、マルちゃんを押しつけられたときのことを根に持ってたりするんだろうか。
「友達……意外」
「あんまりいそうに見えないのに」
「今日も友達が遊びに来るらしいので、わたしもこのまま自分の家に帰るし」
木曜は飲み会だったし、今週は二日もムサシに会えなくてさみしいなあ。
「使えるな」
安口さんが目を光らせた。って、え。
「使えるわね」
「あの、なんの話ですか?」
「吉永ちゃんは、立田君の友達でしょ?」
その通りだ。こくりとうなずく。
「友達の友達は、友達よねえ」
「そうよ、吉永ちゃんがその立田君の『お友達』のところへ行っても、問題ないはずよね」
「それは……あるような気がするんですが……」
わたしの否定は、さらりと流される。
「安口さん、立田君に頼みたいことない?」
「ないけど作るわ。津野さん、食べ物持たせてやってよ」
「もらいものの日本酒があるから、それとつまみでいいか。うち飲まないからちょうどいいわ」
津野さんがにっこり笑って、わたしの肩をたたく。
「じゃ、吉永ちゃん。しっかり立田君に届けてね!」
「いい、立田君がその『お友達』に、吉永ちゃんをなんて紹介するか、じっくり見ておきなさいよ!」
なんか、たった君がこのふたりを避ける気持ち、ちょっとわかる……かもしれない。