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【更新停止】とげぬきねこ地蔵  作者: 黒作@また休止だっ
長めのおまけ。だらだら後日談
5/20

3.


 職場が一時的に変わった。店長が一ヶ月ほど留守にするため、お店が休みになる。で、わたしはその間、製造元の洋服メーカーに出向することになった。代理店長とか来るものじゃないの? って思ったんだけど、やっぱりうちの店は店長の趣味によるところが大きいようで。店長はメーカー社長の奥さん。留守の理由は海外旅行。

 通勤は少し遠くなったけど、基本的に勤務形態は同じ。17時退勤、土日休み、お給料も変わらず。本社で歩く人達の足の速さに、なんとなく社会の厳しさを見た気になったり。

 といってもわたしはつまるところ、社長夫人の道楽店で抱える趣味社員なので、仕事は求められておらず、用意された空き会議室でひたすら書類整理を言いつかった。短期の派遣社員みたいだけど、もっと積極的に仕事をしろと言われても困るし、どうせ一ヶ月の期限つきだし、正直ほっとした。友達に話したら、ぬるい……とぬるく笑われた。

 人間関係も、いじめられるとかもなく。お昼には女子社員さん達が声をかけてくれる。

「吉永さん、社長夫人ってどんな人なんです?」

「えーとねえ、いい人ですよ。前まで髪のメッシュ、紫だったんですけど、最近緑になって」

 学生時代を思い出しながら、にこにこおしゃべり。わたしが話すことなんてそんなにないので、すぐにみんなの、愚痴やら噂話やら家の悩み事やら、恋の話やらに変わる。

 でも、遊びに行く算段になったところで、また突然話を振られた。

「吉永さん、彼氏さんとかは?」

「いないですよー」

「おっ、じゃあもしよかったら、今度食事に行きません? えーと、合コン……といったらそうなんですけど。同期の男の子がね、結構ひどい失恋しちゃって、そいつを元気づけようってことで、フリーの子もまじえて飲み会やってるんですよ」

 食事が飲み会になってるけど? なんかほんとに大学みたい。彼氏彼女いる友達がお世話するとそうなるんだよね。わたしも何度か参加したけど、だいたい女の子と固まって、おまえらやる気あんのかって感じでいつも終わってた。だって声をかけるとか恥ずかしすぎるじゃありませんか。なに話したらいいかわかんないし。

「ちょっとおしゃべりしてみてー、くらいでいいから。吉永さんのほかに、もうひとりフリーの女の子いますし」

「そう! そしてフリーの男ももうひとり」

「わ」

 びっくりした。今のを言ったのは、突然にょきっと顔を出した男の人だ。見覚えのあるようなないような、男性社員。同席のみなさんがちょっとわきあがる。

「あ、石塚君だー!」

「ちょっと石塚さん、頭の上から話さないでくれますー」

「はいすみません、永田さん」

 わたしと一緒にお昼を食べている永田さん達と、親しげにふざけている。慰め出会い探し合コン(なにかいいネーミングはないものか)、一緒に仕込んでる人なのかな。

「だいたい、もうひとりのフリーの男ってあんたのことじゃないの」

「あはは。はい、フリーです。吉永さん、俺どうですかー」

 お約束を振ってもらってしまった。笑って返す。

「残念だけど、わたし寝たきりの家族の面倒見なきゃいけなくて」

 場の空気が凍る。

「犬なんですけどね」

「……吉永さん」

 ほおー、と溶けた息を吐きながら、永田さんに肩をつかまれたので、わたしはけらけら笑った。


「吉永さん」

 昼食が終わって、またいつものひとり会議室に戻ろうとする途中。あの石塚さんに声をかけられた。

「さっき、ちょっと気になって。気を悪くさせたんじゃないかなって」

「え?」

「あー、その、疑うわけじゃないんだけど、誘ったのイヤだったのかなーと」

 足を止めて、石塚さんを凝視してしまった。どういうことだ。誘ったのがいやって、わたしが?

「ああ! わたしが断りたいがために、犬の世話をしているって答えたと?」

「……だったら悪いなって。それに、本当でも悪かったかなと」

 はー。へー? 正直、驚きだ。そんなに気にすることかなあ?

「本当ですけど、謝って頂くことじゃないですよ。気も悪くしてないですし、むしろ今少し驚いたくらいで」

 石塚さんは、それを聞くと、にっと笑った。

「吉永さん、いいなあ」

「へっ?」

「すみません、俺が聞きたかったんです。寝たきりの世話って、そりゃ犬かもしれませんが、それを笑って言っちゃうのがおもしろいなって思って」

 手を差し出された。これはまさか握手を求めているんですか。

「改めて、石塚です。よろしくお願いします」

 え、え、握手って普通? あんまり普通じゃない気がするんだけど、でも断れないだって恥かかせるよね? 戸惑いながら手を出すと、やさしく握られてしまった。心臓がはねました、男の人と手をつないだのって初めてなんだけど。

「忙しいと思いますが、たまには一緒に遊んでやってください。また声をかけさせてもらいます」

 そりゃあさわやかに笑って、石塚さんは退場した。遊ぶって、みんなでか? それともまさか、ふたりでだろうか。

 驚いたあまり、その日ムサシになにか買っていくつもりだったのに忘れてしまった。


「ムサシっ、おまえ元気じゃねーか!」

 たった君の家に着くなり、そんな声。なにごとかとスーパーの袋を置き、駆け込む。中でたった君が暴れるムサシを抱きかかえていた。

「なに、どうしたの?」

「爪切り嫌がるんだ……こら、じっとしてろっつーの! 痛くしねえから!」

 でもムサシ、ぐんぐんっと体をしならせてたった君から逃げようとする。

「吉永、手伝って」

「う、うん……でもあの、わたし動くムサシはちょっとこわいかもっ……」

 はあ? って顔をされて、でもたった君はすぐに飲み込んでくれた。

「そういや、まだ動物にはびびってるよな」

 あきらめたのか、たった君はムサシを離す。ムサシはたった君から距離をとって、伏せをした。でもまだ警戒したようにたった君を睨んでいる。

「じいさん、爪切りしてなかったんだろうなー、慣れてないや」

「爪切りしなくてもいいの?」

「地面歩いてりゃ普通減るんだよ。いつも散歩してたんだと思う」

 散歩。ぴこーん、と頭のどこぞが光る閃く。すばらしい思いつき。

「じゃあムサシ、散歩行こうよ!」

「ええ?」

「行きたい!」

「吉永がか! でもこいつ、歩かないよ。足も弱くなってるんだとは思うけど、リードつけても、ワシは行かぬ、と」

 そうなの。犬ってみんな散歩が好きなのかと思ったのに。

「あ、じゃあ、わたしが抱っこしていく。それならいいよね。ごはん作るね! 食べたら行ってくる!」

「待て待て待て」

 台所へ向かおうとしたら、肩をつかんでとめられる。

「犬こわいくせに、ムサシを抱っこできんの?」

「……小さい子くらいでしょ? ムサシ静かだし、いやがることをするわけじゃなかったら、できるかなって」

 わたしも少し、散歩なら慣れたつもりだから。

「ムサシは抱っこも慣れてないはずなんだ。爺さんがしていたとも思えないし。そういう犬を、しかも慣れない吉永が抱き上げるとか危ないよ。もし下手なことして、おびえたムサシが吉永のこと噛むようなことになったらどうすんの?」

 そんな可能性までは考えてなかった。

「……でも、歩けなくても、外を見るのはいいことだって」

「そもそも、すでに爪の話から離れてるし」

 そういえばそうだった。抱っこしていったんじゃ、爪は減らない。

「連れて行ってやりたい気持ちはわかるけど、もっと慣れてからにしたほうがいい。ただ」

「ただ?」

「……まー、もしかしたら、ムサシは俺らにはなつかないかもしれないけど」

「え、どうして?」

 おじいさんを忘れられないから? 困ったように頬をかくたった君に、今度はわたしが食いつく。

「先生が、ムサシはもしかしたら甲斐犬の血が入ってるかもしれないって。甲斐犬って数少なくて天然記念物だし、ちがうかもしれないけど」

 天然記念物って言葉にびっくりする。ムサシ、正直、ぶさいくなんだけど。毛並みもきれいではないし。

「でも、甲斐犬って主人オンリーって性質があって。長く飼うとそれだけ他の人間に慣れにくくなるらしいんだよね。爺さんと別れてからの態度を考えると、もしか、あるのかなーとか思ってさ」

 ごはんを食べなくなったり、反応を示さなくなったり。

「ともかく、リードつけたムサシが自分から歩かない限り、吉永は勝手に連れ出しちゃだめ。絶対だ」

「……はい」

 そりゃ、うなずくしかないさ。しょんぼり。



***



 わたしは、朝、朝食と夕食を作る。夕食はたった君家で簡単に食べられるようにして、会社へ。17時退勤して、うちに帰って着替えて、夕食を持って、18時くらいにたった君宅へ。夕食を一緒に食べて、たった君は20時に出勤。わたしは2,3時間ムサシとすごして、うちに帰る。

 たった君がいないとき、ムサシにリードをつけてみた。素直につけさせてくれたけど、まったくはしゃいだ様子もなく、立ち上がりもしない。うながすように何度か引いてみても、明らかに彼の意志で動かない。

 ブラッシングは毎日させてくれる。肢や顔もできるようになった。耳の掃除も、我ながらあぶなっかしかったけど、我慢強い彼のおかげでなんとか無事にこなせている。歯磨きは、たった君と一緒に。

 ムサシは、いつも寝ている。必ず眠っているのかというとそうではなくて、時々、寝そべったまま目を開いて、どこかを見ていたりする。

 ムサシさん、おじいさんのいない世界はつまらないですか?

 つまらぬことには答えぬ。きりり。

 ……勝手なアテレコだけど、きっと外れてもいないんだろうな。

 そんなこと言うなよう。


***


『それなら、散歩を補助するハーネスがあるよ。うちにあるから取りにおいで。他にも//』

 仕事の手を休めて、津野さんからのありがたいメールを読んでいたら、会議室に男性社員が入ってきた。会議室といっても、わたしひとりが書類を広げて作業している。たっぷり書類やバインダの入ったダンボールを抱えて、机に置く。

「これもお願いします。終わったら、紙のほうは処分してしまってかまいませんので」

「はい、すみませんが、そこのマジックでマルを書いておいてもらえませんか?」

 男性は快くうなずき、そんなに? って思うほど景気良く大きなマルを書いて出て行った。イケメンだった気がする。永田さん達が騒いでいた人じゃないっけ?

 入れ替わりに、永田さんが入ってきた。

「吉永さーん!」

「こんにちは」

「佐藤さん来てたのね、どうだった? ねえどうだった? 彼、よくない?」

「イケメンだと思いました」

「ねー、潤いよねえ」

 永田さんはまだ若いけど、既婚。同い年だったことがわかってから、特に親しく話しかけてくれる。恋や男の人の話が大好きで、なんとも邪気なくはしゃぐ姿にわたしもつられて笑う。職場で気力を回復させてくれるものがあるのっていいよね。

「吉永さん、1ヶ月だっけ? どうせなんだしさ、何人か持って帰りなって。あとくされもないし!」

「露骨だなー永田さん!」

 持って帰るって(しかも何人かって)、わたしにできることはせめて持ち帰られることのような気がする。農耕民族です。

 恋愛かあ。もちろん憧れるんだけどな。そういや石塚さんって、本当にまた誘ってくるんだろうか。

「ふふ。吉永さん、ごはん行こうよ」

「はい」

 当たり前みたいに誘いにきてくれるのがうれしくて、一瞬で石塚さんのことを忘れた。



***



「……押しつけられすぎ」

「あ、あはは」

 土曜日を待って、たった君と津野さん宅へ。そしてたった君宅へ戻ってきたわたし達の手には、補助用ハーネスと犬用カート、そしてなぜか、マルチーズのマルちゃん。

「でもほら、仔犬と触れ合うことは高齢犬にもいいって言ってたし」

「そりゃそうかもしれないけど。仔犬は手間かかるのに。津野さん絶対、最初からこのつもりだったよな」

 そうだろうな。立田君も連れてきて、ってメールにあったし(言わないでおこう)。

 無事去勢を終えたマルちゃんを、預かってくれないかと頼まれた。文句を言ってるけど、結局うなずいたのはたった君だ。さすがにわたしにはそんな判断できない。手がいっぱいなのだと頭を下げられれば、断ることもできないだろう。

「まあ、こいつなら貰い手がつくと思うけど」

 マルちゃんをひょいと抱いて、たった君がマルちゃんの鼻をのぞきこむ。マルちゃんは興味津々に鼻をつきだし、たった君のにおいを嗅ぐと、ぺろりと彼の鼻をなめた。

「人懐っこいねえ」

「それはほんと、けっこーだけど。ムサシ、他の犬平気なのかなー」

 少し気鬱そうにたった君がつぶやく。


「きゃんきゃん!」

 甲高い、けれどまだ頼りない仔犬らしい声で、マルちゃんがムサシに一生懸命吼える。

「……ガン無視だね」

 ムサシは顔を背け、まったくの無視。

 マルちゃん、遊んで欲しくてしかたなくて、でもこわいから、ムサシに一歩踏み出しては飛び退り、踏み出しては飛び退り。

「これ、大丈夫なの? ムサシ、怒っちゃわない?」

「マルが調子乗りすぎたら、ちょっとくらい怒るかもね。最初がこうなのはよくあることだけど」

 たった君、押入れをごそごそして、白色のフェンスみたいなのを出してくる。なんだっけ、名前知ってる、サークル……かな? ムサシの定位置から離れたお風呂場の隣あたりに囲いを作り、中にタオルとトイレシートを敷く。

「仲良くなったら仲良くなったで複雑」

 よくわからなくて、たった君を見る。たった君は少しだけ首を自分の肩へ向ける。

「里親決まったら、マルは出てくだろ。マルもだけど、ムサシがまたさみしい思いする」

 そうだ。少しでもムサシが楽しくなれたら、って思ったのに。

「なつかないのって、もう別れるのがいやだからなのかな」

「さあ、そこまで考えてるかな。爺さんに義理立てしてるのかもしれないし、俺らのことがお気に召さないだけかもしれないし」

「ばっさり言うー……」

 今日はこんなもんかな、たった君はそう言ってマルちゃんをサークルに入れた。マルちゃんはしばらく鳴いていたけど、そのうちこてんっとひっくり返って眠ってしまった。仔犬っていっぱい昼寝するんだってね。


 今日のメニューは、冷製パスタと野菜のスープ。ラビオリの上にチーズを乗せて焦がして、スフレ皿に入れて副菜として出したら、たった君は最初にそれを食べ切ってしまった。お行儀はあんまりよくないです。が、好物とかその時食べたかったものが丸わかり過ぎるのは便利です。もうちょっと涼しくなったら、グラタンを出してみようかな。

「涼しくなる前に、ムサシを洗いたいんだよなー」

「シャンプー!?」

「……いきなりでかい声出しちゃだめ」

 ムサシはともかく、マルちゃんが驚いて顔だけこっちに向いていた。ごめん、起こしたよね驚かせたね。

 声をひそめて、それでもわくわくを消せずにたった君に近づく。

「したいです、シャンプーしたいです。参加希望です」

「吉永、ほんっと小学生だよね」

「はい。お犬様のお世話が楽しくてしょうがないのです」

「吉永がブラッシングしてくれてるし、明日天気がよかったら洗うかあ」

 携帯を取り出して、明日の天気予報を確認する。

「たった君、明日晴れ! 一日晴れ!」

 たった君が噴き出した。




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