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「そか」


 夕方、帰ってきた汗だく泥だらけのたった君に子猫のことを伝えると、彼はそうとだけ言った。大掛かりな装備を片付けて、シャワーに行く。

 それだけ? って少しだけ思って、でも全然騒ぎもしないその態度にどこか救われてもいて、自分で不思議だった。動物が死ぬのって、小さな頃のわたしにとって、世界が終わってしまうのと同じことだと思っていた。

 シャワーの水音を聞きながら、今はぐーぐー眠っている元気なほうをのぞく。「気になっても、いじりすぎてはいけない」ってネットに書いてあったんだけど、ついつい心配で。いきなり具合悪くなるとか、体の小さい動物は急変の度合いが人間よりも深刻だとか、そういうのも書いてあったから。

 白猫なのに、おしりのあたりだけ黒の変な柄がある。鼻っ面はきれいなピンク。ひっくりかえって、小さな呼吸を繰り返している。すぴすぴ。

 今は18時、次のミルクは2時間後。携帯で時間を確かめた、それがわたしの記憶の最後でした。



***



「あれ?」

 どこだっけここ、と思いました。で、状況を思い出して、時計を見て、悲鳴を上げた。深夜0時?

「た、た、た、たった君! たった君、猫! ミルクー!」

 部屋のはじっこで寝ていたたった君を思いっきり揺り起こす。と言っても、わたしの悲鳴でもう起きていたみたいで、

「吉永、ちょっと落ち着けって頼むから!」

「だって、猫、時間が! もう最後のミルクから8時間も過ぎてる! 死んじゃう、死んじゃうよ! なんでたった君も寝てるのよおっ!」

「猫預けた! 大家さんに預けてるから!」

「えっ」

 鼻水がたれた。えっ。

 部屋を見回したら、確かに猫がいません。

「あ、あれ……」

「死んだほうは、埋葬頼んできたし」

 ごしごし鼻を拭きながら(ようやく羞恥心が戻ってきました)、呼吸をととのえる。

「……まいそう?」

「うん。知り合いのお寺さん、火葬と埋葬やってくれるから」

「そんなことしてくれるの?」

「3500円ね。俺常連だからもうちょっと安くしてもらってるけど」

 少し、放心。えーと。えーと。

「すみません。度々お騒がせして本当にすみません」

「吉永って小学生みたい」

 あくびしながら言われる。

「それでほんとに24? 俺と同級生とか嘘ついてない?」

「……そんな嘘つく意味ないでしょ。それにたった君だって、最初大学生かと思ったよ」

 睨み合う。虚しいケンカですね。

「たった君て」

 眠そうな目のまま、たった君が体を伸ばす動きをとめる。

「ほんといっぱい、猫拾ってるんだね」

 用意されてた猫グッズ。猫コミュニティ。普通、猫飼ってない人が猫用ミルクとか哺乳瓶なんて持ってないよね。さっきわたし人間用のかと勘違いしたけど、吸い口の細さが全然ちがう。

「別に、犬も鳥も拾うけど」

 ……わたし、たった君とはあまりうまく会話ができない。

「犬つらいな。特にでかくなるやつは貰い手つかないし。あと鳥は拾ってもほとんど死ぬ」

「っていうか、鳥って拾うもの?」

「怪我したやつとか、ごくたまにだけど拾うよ。猫とか犬とかカラスに襲われたやつ。でも野鳥は人間のとこいるとストレスきついのか、手当てして静かなとこに放置してても死ぬこと多い。飛べない鳩拾ったときは、タオル敷いたダンボール箱に入れてそこのベランダに置いといた。数日したら勝手に飛んで行ったよ」

「勝手に飛んでいくって、鳥かごに入れたりしないの?」

「犬猫とはちょっと違うからなあ。ムクドリ拾ったことあったんだけど、鳥かごに入れようとしたときにすげえ暴れて翼折ったことあって、そっからやめた」

 助けたっぽい鳥はそれくらいかな、とたった君は言った。

「あとたまに、小学生も拾う」

「えっ?」

「捨て猫といえば小学生だろ。そこに猫捨てた小学生が物陰からずーっと見張ってて、俺が拾ったらついてきた」

「ああ。なんかかわいいね」

「かわいいとか言うけど、ほんと勘弁してほしい。一度、『飼っていいって親が言うまで帰らない!』ってここでストライキされて、誤解した親に警察呼ばれたことあんだけど」

 悪いとは思いながら笑ってしまった。

「職質まじでむかつく。彼女とかいるの? ってその質問必要か? 俺が拾ったのは猫であって小学生じゃねえっつの」

「彼女がいたら小学生には手出さないはずだ、って考えたとか?」

「さあね。知らないけど」

 ぼそぼそ言うその調子が余計おかしくて、さらにツボに来る。

「たった君、ちょっとぶっきらぼうだもんね。こわく見えたのかも」

 たった君が、冷蔵庫から飲み物を取ってきた。わたしの分のグラスも用意してくれた。

 氷の入った麦茶、手にも喉にも心地いい。冷房がなかったから、だいぶ汗かいてたんだよね。起きてるとき、ミルクの合間を縫って自分の家に帰ってお風呂に入ったきたんだけど、そのとき着替えた服がすっかり汗じみている。

「吉永、寝てなかったの?」

「あ、うん……ごめんね、ぐーすか寝ちゃって」

 しかも起きざま、誤解して責めてしまいまして。

「なんか緊張しちゃったのと、仕事のあとだから4時間ごとに起きれる自信がなくて。……それでも、死なせちゃったけど」

 鼻が痛い。

「ごめん泣くかも。気にしないで下さいすみません」

「別に謝ることないけど。それに言ったけど、あっちは多分吉永じゃなくても死んだと思うよ」

「そうかな。あとから見つけたんだけど、もっとお砂糖のお水とかあげたらよかったのかも。あっためるのも足りなかったのかも」

「弱り過ぎてたら栄養とる力もないから。逆にミルクで腹壊したのかもしれないし。それに処置はもちろん大切だけど、結局は運とか個体の生命力が一番でかいって俺は思ってる。あの2匹は兄弟だと思うけど、あっちは体も小さかったろ」

 たった君が、フォローしてくれているのがうれしい。でも、まるごと受け取れもしない。自分にできる最善が、他にあったんじゃないかってどうしても思えてしまう。

「……たった君は、いっぱい見送ってきたから、平気なの?」

 鼻をすすりながら、相変わらず表情の乏しいたった君を見る。

「あの、あのね、いやみとかじゃないよ。ただお医者さんみたいだなって思って。落ち着いてて」

 わたしが言ったあと、たった君は少し考えていた。彼がグラスを揺らしたから、麦茶の氷の音がする。

「悲しいし、残念だし、捨てたやつ死んでくれとは思うけど。でも確かに、吉永ほどは悲しくないよ。慣れたのもあるし、それに死ぬのは仕方ないし」

「仕方ないから、平気?」

 聞き返したわたしに、こくり、ってうなずきが返る。

「動物が死ぬのは当たり前だし。悲しいのは死ぬことじゃなくて、死に方でしょ」

 少し冷房入れるね、たった君はそう言って立ち上がると、窓を閉めた。

「夜中、急に蒸しだすよな」

 壁に取りつけられたスイッチをいじって、ぴ、ってエアコンスタートの音。

「死に方」

 ぽつん、と繰り返してみる。

「そう。あそこで放っておいて雨の中で死なれるより、誰かが拾ったかなって期待し続けるより、拾って体拭いてミルクやって、助けようとしたけど死んだってほうが俺の気が済むの」

「……そっか」

 ふわって、エアコンの心地いい風。そんなに得意じゃないけど、やっぱり蒸しきった部屋に居続けたからご馳走みたいに感じる。

「わたし、死んじゃうことしか考えてなかったな」

 麦茶のグラスをいじる。

「吉永、動物飼ったことない?」

「うん。ずっとマンションだったし。……だから、」

 喉を鳴らす。麦茶を飲んだばっかりなのに、喉が渇いている気がした。

「……猫、捨てたこともある。捨て猫拾って、親にだめだって言われて同じところに捨てに行ったの」

 捨てたやつ死んでくれって言ったたった君の顔が見れない。でも、言わないでいるとだましている気がして。

 にゃーにゃー鳴いてた。ひどい匂いがして、多分病気だった。それなのに。

「そんなに後悔するんだったら、なんでなにもしなかったの?」

 たった君の声は、わたしを責めていた。今は無表情じゃなかった。

「……親がだめって言ったから」

 子供だから、親が世界のすべてだった。

「俺もだめって言われたよ。じいちゃんにだけど。だから土下座して金借りたんだ」

「……え?」

 お金?

「自分で面倒見れないもんを拾ってくんなって怒られたけど、だからって捨てるわけにもいかねーし。お弟子さんにどうしたらいいかわからんから一緒に考えてくれって言ったら、」

「待ってたった君、なんの話? お弟子さん?」

「ああ、えーと」

 たった君は、頭をかく。

「俺、じいちゃんが寺やってて、家族で間借りしてたのね。親父がクソッたれで住むとこなくなったから。だから動物とか絶対飼えなかったんだけど、拾っちゃったもんはしょうがないじゃん。だからじいちゃんのお弟子さんがわりと話聞いてくれたから、どうしたらいいか相談したわけ」

 小学校6年生のときだ、と彼は言う。

「里親を探したらどうかって言うんで、じゃあ里親探すからそれまでここで飼わせてくれって頼んだの。じいちゃんにね。そしたら、金はどうするんだって言われて。金がなきゃ動物は飼えないぞって。俺小遣いもらってなかったし、またお弟子さんに相談したら、住職……あ、じいちゃんね、じいちゃんに借りたらどうだって言われて」

 なんとも、思ってもいなかった話。まばたきをする。

「で、もっかい土下座。中学生になったらバイトして返すから、貸して下さいって」

「そういえば中学生って、アルバイトできるの?」

「できないよ」

「え、でも、部活しないでアルバイトしてるって聞いた」

 たった君はまた首を振る。

「してない。新聞配達ならできたかもしんないけど、じいちゃんだめだって言ったし」

「じゃあ一体、どうしたの?」

「ボランティアでアルバイトの代わりにしてもらった」

「ボランティア?」

 たぶんわたし、すっとんきょーな声してた。


「そう、ボランティア。檀家さんでボランティアグループ主催してる人がいて、その人のとこに放り込まれた。だから中学生になってからは毎日そこ行ってた」

「そのために部活行かなかったの?」

「別にやりたい部活とかなかったし。それに、じいちゃんは俺のこと、親父と同じで口先だけって思ってたから、絶対見返してやりたかったし」

 じゃあたった君は、捨て猫を一時的に預かる間に必要なお金をもらうために、中学時代部活をしないでボランティアをしてたってこと?

「……借金してるって聞いたけど、まさか」

「うん。だからじいちゃんに借金してた」

 おうちに借金がある、って、おうちの人に借金をしてる、って意味だったの? そういうことなの?

「あ、でもボランティアもしたけど、高校行ってからアルバイトして金も返したよ」

 そのほうがすっきりするでしょ、って当たり前のように言う。どうしよう。

「たった君て」

「なに?」

「たった君て、変……!」

「……そう?」




 また冷房を止めて、窓を開けて。たった君は大家さんのところに子猫を迎えに行った(0時なんて遅い時間だったけど、これが約束の時間だったらしい)。

「大家さんも動物好きなんだね」

「それはそうだろうけど、あの人、いつも俺が拾うの待ってる気がする」

 たった君が眉間にしわを寄せて言う。もしかしてあの時間、子猫の声を聞きながらみんなじりじりしてたのかと思うと、おかしいやら妙にうれしいやら。

 移動で目をさました子猫が、またミルクを欲しがって精一杯、鳴く。やる? って聞かれたから、ありがたくミルクをあげる役を引き受ける。子猫のかわいさやばすぎる。

「あのね、たった君」

「なに?」

「今ならわたしも、捨て猫を拾うのあんまりためらわないかもしれないけど。でも、やっぱり動物拾うのって勇気がいるよ」

 別に言い訳したかったわけじゃない。ただ、動物飼ったことのない身として、捨て猫拾うなんて、ええ、こわかったです。自分的にありえないことでした。今はこっち側とあっち側で、くっきりと違って見える。こうしてたった君が拾ってくれた今なら。

「捨てられた動物拾う義務はないでしょ。動物捨てちゃいけない法律はあるけど」

「そういうことじゃなくて」

 苦笑する。たった君はやっぱりちょっと、変わってると思う。捨て猫に全力過ぎる小学生。保護者さんも変だと思うよ。住職様、会ってみたいような、わたしなんか怒鳴り飛ばされちゃいそうな。


 わたしは、目を閉じて耳をふさいで子猫の横を通り過ぎようとしたけど、別にそれは間違ってない。自分の生活の中に、どれだけの責任を持つのか。持てる範囲におさめるのは当たり前のこと。4時間おきにミルク、なんてわたしの現状じゃ無理が過ぎる。

 ただ、わたしは気にしてしまう性質だから。感情移入、どっぷりしちゃうほうだから。なにが正しいとか、正しくないとか、そんなのは置いておいて、共感してしまう。たった君の「助けようとしたけど死んだってほうが俺の気が済むの」って言葉に。うん、スルースキルなんてさっぱり磨かれてなかった。

「この子、これから里親探すの?」

「うん。もうちょいしたら一番かわいい時期だから、そこ狙って写真とる」

「狙って、って」

「写真超重要だよ。……俺は下手だから、誰かに頼むけど」

 確かに下手そう。なんとなく。

「わたし撮ろうか。結構きれいに撮れるよ」

「じゃあ頼んだ」

「いつもはどうしてるの?」

「里親の会の人に頼んで来てもらってたんだけど、けっこう遠いから悪くて。こっちから行くと猫疲れるし。俺が撮ると里親つかないって不評なんだよね」

 だからぼそぼそ言わないでくれるかなあ。いちいち笑う。

「吉永のほうも探してみてよ、里親」

「うん。ツイッターで前そういうのあったし、写真できたら拡散してみてもいい?」

「ツイッターって、俺よくわからんのだけど」

「色んな人が見る掲示板に、里親募集の情報を出す感じ」

「ふうん。いいけど、里親は審査みたいのあるからね」

「審査?」

「育てる資格のないやつに猫渡してもしょうがないだろってこと」

「あ、うん、わかった」

 そっか、そうだよね。そういえばわたしも、審査あります、って書いてあるツイート見てなんか安心した覚えがある。

「てか吉永、帰んなくていいの? 終電とかは?」

「もう1時だから電車ないと思うけど。家はすぐそこだからいつでも帰れるよ」

「そうなの?」

 そういえば、言ってなかったか。

「中学のときと同じところに住んでるよ。たった君も、実家ここらへんなんでしょ?」

「うん……そっか。ふーん」

 ふーんってなんだろう。あ、帰れってことか!

「ごめんね、すっかり長居しちゃって。えっとじゃあ、携帯教えてくれないかな。写真のこともだし、この子がちゃんと落ち着く先決まるまで、できるだけ協力させて欲しい、です」

 テーブルの上に出しっぱなしだった携帯をつかんで、たった君の前に出す。

「はあ」

 なんとも力ない返事をもらいながら、もそもそ番号とアドレスを交換する。

 め、迷惑なのでしょうか。というかたった君、わたしいなくても問題なく子猫問題解決できるよね……かき回しただけの気がする。

「帰るね、ほんと色々お騒がせしてごめんね」

「送るよ」

「いや悪いからいいよ! たった君、ほんとは寝る時間だったんじゃない?」

「もうそこそこ寝たし。吉永が家知られたくないならやめとくけど」

「そんなことはないよ!」

 あれ、ひょっとして1時とかって、男の人側からするとこういう風に気を遣うべき時間帯とか? あんまり遠慮すると悪いのか……!?

「じゃあえっと、……お願いします」

 またぽんぽこおなかで眠り始めた子猫をスーパーのカゴに寝かせて、頭を下げた。名残惜しかったけど、そろそろ常識が戻ってきていた。昨日からこっち、すっかり頭が飛んでいた気がする。




「吉永って」

「はい?」

 地面は濡れてるけど、空は晴れて月と星がくっきり。隣を歩くたった君が空を見ていたから、わたしも真似をしたらいいもの見れてしまった。

 たった君、次の言葉がなかなかない。どうしたのかと思って顔を見たら、首を振られた。

「免許証は、人に簡単に渡さないほうがいいと思う」

「あ、はい……」

 なんか文脈つながってない気がします。最初はなにを言いかけたのかな。あんまりきついことは勘弁願いたい、根がネガティブなんです。しかしこのわたしが、深夜に男の人と歩いているとは。というか、家に泊まったとか。

「こんな時間に帰って、親なんにも言わない?」

「親いないよ。おばあちゃんの介護で、両親そろってそっち行っちゃったから、今はわたしだけ」

「あ、そうなの。なんか吉永の親って厳しそうだなって思って」

「厳しい……のかなあ」

「箱入りって感じ」

「それはちがうよ、普通のサラリーマンの家」

 水たまりを避ける。サンダルに履き替えてきたから、濡れたって大丈夫なんだけど。

「でも、意外と教育ママパパではあったかも。大学、いいところ行かせようってわたしより必死だったな」

 あんまり結果の出せない娘でごめんなさい。

「たった君は?」

「俺、行ってない」

 どうして、って聞いてもいいんだろうか。でも沈黙が質問になっていたようで。

「自分が勉強苦手なことはよくわかってたし、早く金稼いで自立したかった。高校のとき今の会社でバイトしてたんだけど、入社してから資格とるなら雇ってくれるって言うから、じゃあやりますっつって」

「資格? じゃあ、結局勉強してるんじゃないの?」

「うん。でも金になるってわかってるからあんまイヤじゃないよ」

「そっか。いいねえ」

 日雇いっぽいのかな、って思ったんだけど、ちがうみたいだ。資格いるならちゃんと社員なのかな? あんまり詮索するのも失礼か。

「ただ、時間不規則なのだけがなあ。金曜の夜にさ、町内のチームでフットサルやってんのね。仕事入っちゃうとそれに出られないのがつまんない」

「あ、ひょっとして子猫拾ったとき?」

「うん。黒ケツ拾ったとき。いつも猫頼むのがそのチームの人だから、昨日はつかまんなくて」

 ってことは、大家さんもそのチームなの? なんだなんだ、ご近所仲良しだなあ。わたしここらへんに10年以上住んでるのに、そんな付き合いないぞ。

「……って、黒ケツ?」

「ん?」

「それ名前? ひどくない!?」

「でも2匹いたから、呼び分けないと不便だろ? 死んじゃったけど、あっちは白ケツって呼んでた」

「え、いつ?」

「いや自分の中で」

 っていうか名前のひどさを言ったんだけどね! ちゃんとした名前をつけたら情がわいちゃうから、っていうのとはまた違う気がするよう、たった君の場合。

「吉永は?」

「え?」

「吉永は仕事、なにしてんの」

「えっとね、地元の衣料品店の事務やってる」

「事務?」

「うん。一応婦人服のメーカーなんだけど、ちっちゃいところだから事務のわたしが広告作ったりして、すばらしいローカル具合だよ」

 お客さんはほとんど来ない。たまにきても店長とおしゃべりに来たおばあちゃんとかおばさんで、仕入れた服のほとんどが長期ワゴンセールになる。どうやって経営成り立ってるんだろうって思ってたら、地元の学校の制服とか、学校関係で安泰という。土日休みの服屋さんってあるの? って友達に驚かれた。あるんです。

「わたしの場合は、正直、特に夢とか希望とかなかったからさ。待遇で決めちゃった。お給料はそう高くないけど、距離もいいし、土日帰れるし、長期休みももらえるし」

 経理の勉強して大学卒業してそこなのか、って親に言われたのがちょっと切ない。恥じることはなにもないと思いつつ、でも早口で言い訳がましくなってしまったのが情けない。

「たった君、夢とかあった?」

「夢」

 たった君は少し首を傾げた。

「捨て猫預かれる家に住むことだったかも」

 心臓がどきゅんとゆったぞ。

「……そ、それが夢?」

「んー、ほんとはもっとでかい家に住みたいんだけど。そうしたらでかい犬も預かれるし。でもそうすると一軒屋とかだろ、一軒屋だとあんまり近所と仲良くできなさそうっつーか。今のとこは大家さんとか周り動物好きばっかりだから、やっぱり都合いいんだよな。動物の世話、ひとりじゃしんどい」

 あ、となにかを思い出したらしくたった君がわたしを振り向く。

「吉永、言っとくけど、俺が動物拾うからって駆け込み寺とかにすんなよなー」

「そ、そんなこと考えてないよ!」

「たまにいるんだよ、すげえむかつくんだあれ。捨て猫無視するやつのほうが全然ましだわ」

「ごめんなさい……」

「なんで吉永が謝んの?」

 いやなんか、自分のことを言われた気がした。だってあれだよね、かわいそうかわいそうって泣くぐらいなら自分で責任持てってことよね。そりゃもちろん、現実としてほいほい拾えるものじゃないけど。

「まあ、早く大人になりたかった。じいちゃんとことはいえ居候だったしね」

「どうしよう……まぶしいよたった君……」

「は?」

 わたし、おとなになったのにいまだに捨て猫拾えなかったよ! 小さい頃、おとなになったら捨て猫全部飼うんだって、ベッドで泣いただけで終わっちゃったわたしにはまぶしすぎるよ!

「なんでもないです……うち、ここです。送ってくれてどうもありがとう」

「あー、ここのマンションか」

 わたしのマンションを見上げて、たった君がなんでか納得する。

「ここも昔、猫捨てられてたな。5匹組の」

「……え?」

「そこの駐輪場のとこ。ケージごと捨てられてたんだ。5匹とも病気でさー、すげー金かかった。じいちゃんに何度も金借りて」

 たった君はそのときを思い出してか、苦い顔。わたし、心臓がとまりそう。

「最後の1匹がずーっと貰い手つかなくてさ。うちで預かってたんだけど、なんでだかどんどん太んの。俺ちゃんと定量の飯しかやってないのに、おかしいなーって思ってたら、親父も母さんも、じいちゃんまでそいつにこっそり食い物やってて、そりゃ太るっつーの。結局このままじゃだめだって知り合いの獣医さんが引き取ってくれて、ダイエット成功した頃、なんとか貰い手がついたんだよ。もう1歳過ぎてたな……って、吉永?」

 抱きついて思いきり泣いてしまいました。最初から最後まで本当にすみません。いや、これが最後じゃないんだけどね。




 たった君はそれから何度も、ほっとけないからしょうがないんだよって口にするんだけど、わたしもそういうタイプだったので、猫拾いの道に進んでしまいました。といってもたいそうなことはしてないし、あれから捨て猫も拾っていない。時々、里親の会にお手伝いに行ったり、カンパしたりするくらい。やっぱり金だよ金、ってたった君は言うけど、確かに大変だなって活動を見てて痛感。


 黒ケツは驚くほどあっさり貰い手が決まって、彼女(女の子だった)の新しい家族は、とても仲のよさそうな若いご夫婦。奥さんが猫を飼うのに慣れてるそうで、小さくても大丈夫だとのこと。わたしも会ったんだけど、子供ができないとわかったから、また猫を飼う決意ができたんだってはみかみながら教えてくれた。

 里親合格の一番の理由は、たった君が懇意にしているペットショップの店長さんと奥さんが仲がよかったこと。たった君は、今回は良縁だったって満足げ。あんまり表情わからないけど。黒ケツを送った日、まためそめそ泣いたわたしの肩を抱いてくれたのがうれしかった。

 たった君とはあんまり会えない。里親の会のお手伝いに行くときくらい。


「ありがたやありがたや」

「……吉永、なんで会うたび俺のこと拝むの?」

「とげ抜きねこ地蔵だから」

「だからそれ、なに!?」


 ちくちく、心に残ってた小さなトゲ。

 抜いてもらえる時が来るなんて、まさか思ってなかったんだよ。


 相変わらず人生に対して夢も希望もないけど、代わり映えのない職場でこれからも働いていくんだけど、でも捨て猫を見つけたら堂々と拾って帰れるのっていいな、って思う。

 最近もっぱら、通帳見ながら、あのアパート、2階のはじが空いてたよねえって考えている。




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