17.
大家さん夫婦と、扇町さん達ふたり、それにたった君とわたしの6人。こたつのふとんは片づけて、もうひとつテーブルを並べる。それぞれにコンロを置いて、小さい方の土鍋ではたった君が食べたいって言ったキムチ鍋を作ることにした。
わたしの家の棚の奥から引っ張り出してきた食器を、たった君に手伝ってもらって全部洗う。台所にも作業テーブルを置いて、そこに並べる。
冷蔵庫の中にはビール、お酒に使うソーダを入れて、冷凍庫は氷だらけ。
「パーティの準備って楽しいよね、たった君!」
「はりきりすぎ」
おつまみになりそうなお菓子、食後に食べたいみかん。食べ物はこれで大丈夫かな。
トイレは掃除したしトイレットペーパーも足した、消臭スプレー置いた、洗面所のタオルは新しいのを用意した。暖房は、今日はこたつがないからエアコンとホットカーペットだけだけど、お鍋だし人数も多いから大丈夫だよね。もし寒かったら電気ストーブを出そう。
「ムサシ、人いっぱい来るよ」
ムサシの隣に座って、背中をたたく。ワシは知らんよ。って多分言ってるんだろうけど、誰も来ない家より誰かが遊びに来る家のほうが絶対いいので(わたしが)、ムサシにもおつきあい願います。
「あ、おしぼり作らなきゃ」
時計を見る。大家さんの奥さんは少し早めにくるって言ってたから……と思った瞬間、チャイムが鳴った。
「カニですかー!?」
「カニよー!」
元気いっぱい、大家さんの奥さんが発泡スチロールの箱を突き出してくる。
「ま、1杯だけどね。ご近所からもらったんだけど、私も主人もそこまで好きじゃなくて。だからほら、鍋に入れたらちょっと豪華じゃない?」
「いきなり豪華ですよ!」
本当にいきなり見た目が華やいで、直前までのつつましさとのギャップに思わず笑ってしまう。
「でしょう……あら、吉永ちゃんお肉とお魚も用意してたの?」
「鮭と鶏を少しだけ。しかも木曜の安売りのときの」
値段まで白状してしまったのは、この近所のスーパーだったら大体わかっちゃうかもと思ったからだ。値札外しておけばよかったな、いや見栄を張ってもしかたないか。たいしたことはしなくても、やっぱり人様を招く食事の席はちょこちょことお金がかさむ。
「もう、いろいろ持ってくるって言ったでしょ。お金大変じゃないの」
「そんな、わたしがみなさんを招待するのに」
「年寄りのふたり暮らしをなめてるわね」
なめるだなんてそんな。奥さんはさらに、お肉もたっぷり持ってきてくれていた。他、野菜もいろいろ。
「残り物よー、大家なんてやってるし、みんないろいろ持ってきてくれるんだけどね、余って余って。魚とキノコはなんとか片付くんだけど、野菜と肉はほんとにねえ」
「わあ、助かります」
本当に助かってしまう。残ったら家の食材に入れちゃおう。
チャイムが鳴って、大家さんが犬のポール君を連れてやってきた。
「こんばんは、今日はお招きに預かりまして」
たった君が出迎える。
「どうも。大家さん、大丈夫だと思うけど、最初はポールのリードつけたままにしといてもらえますか」
「おうおう」
ポール君は大興奮で、とりあえずたった君に前足をかけて夢中で挨拶するも、でも家の匂いもかぎまわりたいようで、どうしていいかわからなくなっている。
「あなた、ポール連れてきちゃったの?」
奥さんの咎める声に、大家さんはばつの悪そうに肩をちぢこめる。
「こっちはいいですよ。ここ、ペット可ですし」
たった君の援護。でも大家さんに言うことだろうか。そうだそうだと勢いづく大家さんに、奥さんは苦笑しながら引き下がる。
「この人、どこだって連れて行かないと気が済まないのよ。ひとりで留守番じゃかわいそうだって言ってね、おかげでもう何年も旅行に行けなくて」
たった君がムサシの隣に座り、大家さんがリードを短く持ってポール君を近づける。ご挨拶だ。ムサシはいつものごとくどーんと無関心、ポール君はしゃっしゃっと、ボクシングみたいに右に左に飛ぶ。前に預かったマルちゃんといい、遊ぼうって誘ってるんだと思うんだけど、なんだか猫みたい。
その様子を笑いながら見ていたら、またチャイムが鳴る。
「こんばんはー、今日はお誘い頂きまして」
「こんばんは、扇町さん」
わたしが出ると、扇町さんと、男の人がもうひとり。一緒に住んでいる親戚の人だ。背が高くて歩く速度がすっごく速くて、いつも真顔って印象だけがある。元気でノリのいい扇町さんと対照的だって思ってた。
「こんばんは。今日はお越し下さってありがとうございます」
あんまり話したことがないので、特にその親戚の人を見て笑顔で挨拶をする。あっちも来づらかったかと思うから、来てくれてうれしい。
親戚さんは、かたく見えた表情を崩し、小さくはにかんで会釈をしてくれた。あ、いい人そう。
「こんばんは。いつもヨシトがお世話になってます」
「吉永さん、こっちはヨウです。名字同じなんで、ややこしくてすみません。こいつあとから来るって言ってましたけど、今日は早く上がれたみたいで」
「連休もお仕事、大変ですね。おつかれさまです。ひょっとして明日も?」
「いえ、明日は人並みに休みを頂いてます」
「そうですか。じゃあぜひ、ゆっくりしていってください。お酒もお鍋も、たくさんあるんですよ」
「吉永、寒い」
「あ、ごめんなさい!」
玄関で話してしまった。どうぞどうぞと中に入ってもらう。扇町さん達は笑いながら、ヨウさんはそのままたった君達のところへ、扇町さんは台所に来てくれる。
「吉永さん、これ差し入れです」
「うわあ、ありがとうございます」
大きな袋をふたつ渡される。片方ずつ中身を見せてもらう。
「こっちはビールね。でこっちは、じゃーん、俺らの故郷秋田から、比内地鶏でーす」
「えー!」
「うまいよ……って、カニだ!?」
得意げだった扇町さん、台所で縛られたカニを見つけて驚く。ちょっと芸人さんみたいな二度見。
「1杯だけよお」
「やべえ、カニには勝てない……」
「一緒に入れちゃえばいいじゃないの」
「それ、いいんですか!?」
奥さんにさらっと言われて、わたしと扇町さんが声をそろえる。
「若いくせに頭がかたいわねー、鍋なんてなんでもいいのよ」
「あ、でも鶏はソテーもいいかなと思って。ちょっと分けて下さい、俺作ります」
扇町さんは、さくさくっと下ごしらえを始める。
「あら上手」
「奥さん、扇町さんってシェフさんなんですよ」
「やだ、そうなの!?」
「いやーもうずいぶん失業中なんですよ。料理は好きなんですけど、ほんと帰れなくなるんですよねえ。パートでできるシェフとかあればいいんですけどねー」
シェフならいろんな勤め口がありそうな印象だけど、大変なんだろうな。扇町さん家は、猫のニャ太郎とキング、その子供のマリー、そしてうさぎのネモ君がいる。明らかにニャ太郎だけ名前がちがうのは、名づけた人が違うんじゃないかなと予想している。
さばいた鶏に塩を振っていく。軽くしゃべりながら、あざやかな手さばきで料理をしていく姿はテレビ番組みたいだ。
「うちのニャ太郎なんですけど、もともとここらへんうろついてる野良で、ヨウがときどきエサやってたんですね。俺は知らなかったんですよ、その頃は前の店勤めてて、ばかみたいに忙しかったんで。で、ある日ヨウが情けない声で俺の職場に電話してきて、どうしよう妊娠してるって」
「えええ?」
奥さんが驚いた声を出す。わたしはこの話の顛末を知っているから、くすくす笑いながら奥さんに野菜を渡した。奥さんはダシをとり終えた昆布をとって、野菜を入れていく。こっちで作ってから持っていくのだ。キムチ鍋のほうはもうできているから、あとはあたためるだけ。
「さすがにヨウが妊娠してるわけないから、女の子を妊娠させたのかと思ってびびりましたよ。で、よくよく聞いてみたら野良猫のおなかが大きいって言うんです。こいつ、ニャ太郎がメスだって知らなかったんですよ。で、なんか具合があんまよくなさそうだって言うんですね。なに言ってんだって思いましたけど、やっぱ、子供とかそういうの聞くと妙な義務感わきませんか。しかたないから、つかまえて病院連れてけって言ったんですよ。でもヨウのやつ、ヘタレだからつかまえらんなくて」
じゅーっていい音、いい匂い。わたしが男の人をうらやましいなあって思うのは、重たいフライパンを軽々と返しているときだ。
「でも、野良をつかまえるのって大変なんでしょう? たった君に聞いたけど」
「そう、そうなんですねえ。ニャ太郎、飼われてたのか人には慣れてましたけど、とっつかまえてキャリーバッグに入れるのは無理でした」
奥さんも手を止めず、鍋の準備を進めていく。
「妊娠中なら余計に警戒するでしょうしねえ。で、どうしたの?」
「立田君がね、見かねてやってくれたんですよ」
「立田君が? ああ」
納得したらしく、笑いながら何度もうなずいた。
「それ、知ってるわ。あれでしょ、うちに洗濯ネットくれって行って来たときじゃない?」
「あー、そうですそうです。ご迷惑おかけしました。立田君、洗濯ネット縫い合わせて網作って、俺とヨウをニャ太郎に向かわせたんですよ。で、ニャ太郎が俺達を警戒してるすきに、うしろから網かぶせてつかまえちゃったんです。あれ、すごかったですねー」
「あのときそんなことしてたのね。猫探しの探偵みたいねえ」
「仕事にできるんじゃないですか」
みんな笑ってるけど、今、たった君の押入れの猫グッズには、巨大な虫取り網みたいなのがある。新品のあれは多分、次に猫を追うことになったときのために買ったんだと思う。網が丈夫で目が細かくて、洗濯ネットよりも動物に怪我をさせないのだ。
「でもニャ太郎、つかまっても全然暴れなかったんですよ。立田君がやばいって言って、あわてて獣医連れてって、そのまま帝王切開になりました。病気にもかかってたみたいで、ニャ太郎は入院、子猫はそのまま俺とヨウがとりあえず預かりました。なんでうちがって思ったけど、ヨウはニャ太郎にすっかり情が移ってたんで、入院したニャ太郎のためになにかしてやりたかったんでしょうね」
フライパンの鶏にふたをすると、野菜を刻んで、にんにくやオイルでソースを作る。
「でも、子猫って大変ですよね? 特に産まれたばっかりの子で、親猫がいないって」
ちらって思い浮かぶ、白と黒の子猫達。
「そうなんですよー俺全然知らなかったんで、よくわからんわともかく忙しいわでこっちが死ぬかと思いましたね。でも子猫殺すとか後味悪すぎるじゃないですか。仕事さぼって子猫の面倒見ましたよ。そのときも立田君には世話になりました。てかほんと、ヨウにやらせたかったけど、あいつあんな見た目でほんとヘタレでね。いい大学でてるし仕事だってできるくせに、要領悪いし愛想ないし、人付き合いが壊滅的に下手で、今のとこで落ち着くまで散々苦労しててね」
ちなみにこの会話、全部あっちのヨウさん達にも聞こえてるはずだ。広い部屋じゃないし、あっちは静かな面子が揃っているし。
スプーンにとったソースを指にとり、なめる。すばやくて、またプロっぽいと感心して拍手したら、ここで? と笑われた。
「ま、ほんとアレな理由ですけど、それで俺が前のとこ辞めたんですよ。くそ忙しいとこ迷惑かけましたねー」
同居人が子猫拾ったんで仕事出られません。確かになかなかのインパクトだ。
焼き上がった鶏にソースをかけて、出来上がり。ちょうどお鍋の準備も完了して、そのタイミングのよさにこれがプロなのかな? なんて感心。
「鍋、できましたよー」
奥さんがカニと鶏の鍋を、わたしがキムチ鍋を、そして扇町さんが鶏のソテーを持ってテーブルへ。
待っていた大家さん達はすでにビールを開けていて、ぼそぼそとなにかしゃべったり、しゃべらなかったりしていたようだ。おしゃべり好きな面子が台所に集まっちゃってたよね。
「じゃ、改めまして、乾杯!」
みんなが席に落ち着いたところで、元気よく、扇町さんが音頭をとってくれた。
「カニの脚、ひとり一本っすかねー? あちっ」
「私はいいわあ、カニ苦手なのよ」
「え、そんな日本人いるんですか!?」
「そりゃいるわよ、当たり前でしょ。あ、立田君ミソ食べなさいね、カニミソ」
大家さんの奥さんがカニの胴をひょいっととって、たった君のおわんに入れる。
「なんで俺? 別に俺じゃなくていいです」
立田君は、突然自分のもとにやってきたカニと睨み合う。
「なにいってるの、こういうときに栄養つけないと!」
「ここは立田君の部屋だし、いいんじゃない?」
みんながうんうんうなずくから、たった君はそれ以上なにか言うのはやめたようだ。食べ方わかんないんすよ、って言ったら、隣に座っていた扇町さんが教えてくれる。なんとも微笑ましくて、多分、この中で一番年下の男の子だからって理由もあるんだろうな。
「いやー、やっぱいいですね鍋。うん、いいなあ」
扇町さんはすっかりご機嫌で、ビールをおいしそうに飲み干した。
「俺ね、長屋って憧れてたんすよ」
「長屋? 時代劇に出てくる、いろんな家族が住んでるような?」
冷蔵庫から取り出して、新しいビールを渡す。
「そうそう。あ、どうもです。長屋とか、下宿とか、下町とかそういうの。人情っぽいのいいなーって思ってたんですよ。遠くの親戚より近くの他人とか、いいじゃないですか。でね、アパート探してたら、ここペット可だっていうでしょ。俺、実は動物好きってわけじゃないんですけどね、でも、動物と普通に暮らせる人達だったら、結構おおらかなんじゃねえかなあって考えたんですよね」
お鍋からひょいひょいっと、お野菜やお肉、お魚を取り分けて、ヨウさんに渡した。ヨウさんのおわんだったみたいだ。ヨウさんはかたまったようにおわんを見ていて、なんだろう、嫌いなものでも入ってたのかな?
「そうねえ、まあおおらかな人ばっかりってわけじゃないけど。でも言いたいことはわかるわ」
大家さんの奥さんがうなずいて、ご自分で用意したぬる燗を注ぐ。早めにビールを切り上げて、大家さんとゆっくり飲まれている。
「いやでも、俺的には大当たりだったんですよ? アパートの人と鍋やるなんて思いませんでしたもん。夏のあれも楽しかったですよ、ムサシのシャンプー大会。吉永さんに感謝だなあ」
「ほんと突然言い出しちゃって、すみません。お鍋食べたくて、でも三人だとちょっとさみしいなって思って」
三人っていうのはもちろん、たった君とムサシとわたしだ。ムサシは今、断固としたたぬき寝入りで、さっきからずーっとかまってほしいポール君を無視し続けている。誰も気にしてない。
「みなさんが快く受けて下さって、うれしかったです」
「あはは。かわいいなあ。女の子がいるっていいですよね。このアパートから一気にうさんくささが減りましたもん」
「うさんくさいは余計よ、扇町さん」
笑い声が上がる。わたしはわたしがいないときのこのアパートっていうのを知らないわけで、そこはよくわからないんだけど、歓迎してもらえているなら本当にうれしい。
「でもね、女の子がいるのがいいっていうのは本当よね。うちは男の子ばっかりだったし。ねえ吉永ちゃん、いつここにお嫁に来るの?」
「えっ」
「だめですよ奥さん、そういうの聞いたらー」
「ふふ、冗談ですよ」
みなさん大人でいらして、楽しそうに笑っている。でもそうだよねえ、普通そう見えるよね。
「あ、結婚するんで、2階の契約したいんですけど」
たった君がからっぽになったカニを置いた。奥さんはお銚子を倒してしまった。
「ああっ」
「拭くもの、拭くもの」
「これどうぞ」
たった君がタオルを渡す。床は前に替えて、拭き掃除がしやすくなっている。
掃除の音だけで、会話が完全に途切れる。みんなが、見たくても見れないのは、多分わたしだ。
「あ、あの……と、突然ですみません」
えへへ、と頭をかいて笑った。いや、わたしもすっごく驚いたんだよ! この場で言うなんて聞いてなかった! でも、みんなのほうが驚いて反応に困ってしまったから、引っ込んでしまった。
「……あ、そうなの! おめでとう!」
扇町さんがまだ少し戸惑いながらも、大きな声で祝ってくれた。それからみんなも解放されたみたいにおめでとうって言ってくれる。ごめんなさいごめんなさい。
「あー、びっくりした。いや、ふたりが結婚するのは別にびっくりしないよ? ただほら、そういうふうに突然どうでもいいことみたいに言われると、一瞬どう反応していいかわからないじゃん!」
「そ、そうだよたった君!」
「別にどうでもいいつもりはないんだけど……」
扇町さんが首を振る。
「お披露目パーティなんだったらさ、『実は今日は大事なお知らせがありまして……』とか言ってくれたら、こっちだって察することできるっていうかさ」
「はあ。すみません」
「すみません……」
たった君の返事を謝る。あとでお話しようね、たった君……!
「おふたり、本当に結婚するの?」
大家さんが、おちょこを置いた。
「はい。まだ決めたばかりなんですけど」
「それで、ここの2階に?」
「はい。できれば」
「そう」
大家さんが、たった君とわたしと、それにムサシを見る。
「そうですか。うん、それはいい」
にこっと笑ってくださる。眼鏡の奥の目がなくなってしまうくらいに。
「そうか、立田君がね。あの立田君がね。いやあ、そうかそうか」
「あの、って言わないでください」
「ははは。いやめでたい。いいね。今日は、うれしい日だ」
大家さんが立田君のことを目にかけていることは知っていた。それにわたしよりもずっと長い付き合いなんだよね。
「吉永さん、よろしくお願いしますね」
「はい」
母さんもう一本、と奥さんにお酒を頼む。
「そうか、それじゃ契約の話ね。まあそれは、今日でなくていいね? お酒の入ってない日にしよう。部屋は空けておくから。母さん、いいね」
「はい。それで、いつ結婚するの?」
「いやまだ、決めたばかりなんで」
「あらそう? でも、立田君、ご両親にはお話したんでしょ?」
「いや、まだです」
びきっ。と、一瞬で部屋の空気が冷えた気がした。
「まだ? 吉永さんのほうは?」
「あ、すみません、うちもまだなんですけど……」
「まだご両親の承諾は得てない?」
「いや、結婚するのは親じゃないですし」
ぎゃあああ、たったくーん!
「ち、ちがうんです! その、本当はまだ今日みなさんにお話するはずじゃなくて!」
「部屋借りたいって言ったの吉永だろ。早めに話しておかないと」
「そうだけど!」
これは、これはよくなーい! みんなの目が一気に心配とか呆れとか呆れとかががが。
「細かい事情に口をはさむ気はないけどね、うちは立田君のこと、少しは聞いているからね? なんだ、もし駆け落ちとかそういうのは」
「か、駆け落ちだなんてそんな!」
立田君のご両親は、世間的に少し困った人達らしいから、うちの親に反対された場合は……それっぽいのも考えてたけど、大家さん達に言うつもりはありませんでした!
「なんだ、やっぱり立田君とこも家大変なのか。うちもだぜー」
「やっぱりってなんすか?」
「いやー、かなり若い頃からここ住んでたろ? でも家族がここに来たとこ一度も見たことなかったからさ」
「やらしいとこ見てるんすね」
「なっ! 俺はねー、別にっ」
「まあいいですけど。俺の親、人間としてダメなんで。別にあれの許可はいらないです」
仏頂面に磨きをかけて、キムチ鍋の白菜とお肉をいっぱいおわんに入れる。
「あの、あの、扇町さんすみません」
「なんで吉永が謝んの」
「なんで吉永さんが謝るの!」
「たった君には言われたくなーいっ」
なんかもうそれからは、たしなめられたりお説教だったり、たった君がひねくれたり、そんな流れでした。うん、わたし達、すっごく頼りないよね……。
「たった君、風邪引くよ」
みんなを見送って戻ると、たった君はざぶとんを枕に横になっていた。大量の食器に気が遠くなるけど、明日はお休みなんだから明日にしよう。
たった君の隣に座る。
「おふとん、敷けないね」
顔をのぞきこむ。まだ起きてると思うんだけど、眠すぎるらしくて目が開かない。
「いっぱい怒られちゃったね」
「……うん」
「でも、たった君が言ったの、かっこよかったよ」
「……疲れた」
あのあとたった君はひねくれたりへそを曲げたりして、反抗期みたいなことも言って、場の空気はちょっと悪くなってしまった。でもそこでたった君は言いづらそうに、ぼそぼそと言った。
――すみません。俺、どうしても親のこととか、自分がいやなこととかに腹立てちゃうんですけど、でもちゃんとやってきたいって思ってます。一応これ開いたのも、そのためでした。
俺、やっぱり親には頼れません。だからこれから先、もしかしたら、みなさんを頼っちゃうかもしれないです。大家さんにはもう十分甘えてるし。
ムサシなんですけど、もしかしたら心臓悪いかもしれません。いい歳なんで、吉永とふたりで、できるだけのことしてくつもりです。だから、えーと……なんかいろいろ、よろしくお願いします。
「ムサシのためだったんだ」
「……別に、それだけじゃないけど」
「かっこよかったよ。えらかったよ、たった君」
みんな、心配してくれたし、お祝いもしてくれた。わたしはこのアパートがもっと好きになったよ。
目にかかった長めの前髪を指で分けて、なでる。目が合ったら、たった君がわたしの手をつかんで引っ張った。一緒に寝転がったら、たった君が抱きしめてくれた。
たった君の胸に顔をうずめる。すごい。びっくりするくらい幸せだ。
たった君の顔が見たくなって顔を上げたら、たった君もわたしを見ていた。じーっと見つめ合うのが照れくさくて笑ったら、たった君も笑ってくれる。頬をなでて、キスをしてくれた。
「……あんなに飲むんじゃなかった」
後悔した声が、おかしいやら気恥ずかしいやらで笑ってしまう。
たった君がまた、わたしを見つめている。
「なに?」
「あんな、怒ることなかったかも」
「え?」
「ううん」
また、ぎゅっと抱きしめられる。
「吉永、いつ俺の嫁になるの?」
耳元で聞かれて、どきどきする。
「わたしが決めるの? 一緒に決めようよ」
「じゃあ、今から」
「今から?」
「うん」
子供みたいなやりとり。定位置のムサシが、ふごっていびきをかいた。顔を見合わせて、けらけら笑った。