12.
車を買うと決めたものの、予想外の反対に立田は正直驚いていた。
「車ぁ? やめとけやめとけ」
相談を切り出した立田に、桶崎はすぐさまぶんぶんと手を振った。そのつもりはなくてもタバコの煙がかき回される。
「だっておまえ、いつでも借りれる車あんだろ?」
「そうすけど、ずっと甘えてるのもアレですし」
「おまえ顔より真面目よね」
「浩二さん」
横からぬっと会話に加わった背の高い社長息子は、ライターを忘れたらしく桶崎から火を借りる。
「浩二さん、立田が車買うとか言ってんすよ」
「聞こえた聞こえた。でもなー金かかんぞ」
「軽でもだめですかね」
「軽ねえ。軽で十分なわけ?」
「買い物とか病院の送り迎えとかなんすけど、これから機会増えると思うんで、気兼ねなく使えればと思って」
「ふーん。軽だって年間3-40万は維持費かかっかんな。プラス車本体の値段で、おまえはその『気兼ねしなくていい』ってのを買うわけだよ。そう考えるとどうだ?」
改めてそう言われると、高いとは思う。3-40万が高いというより、その金を他に回せればあれもできる、これもできると考える程度には、立田は車本体には惹かれていない。
「でも、あんま人に世話になんのイヤなんすよ」
「えらいんだろうが、俺にゃわからんな。親に甘えんの大好きだからー家も仕事も子供も全部頼ってますからー今度また車買ってもらうしぃ!」
「浩二さんいいなー!」
桶崎とげらげら笑う。立田は自分にその気がなければ笑わないので、そのままの表情を保つ。
「立田、おまえ愛想笑いくらいしなさいよ」
「え? あ、しなきゃまずいときはしますけど」
「今時の若いのはかわいくない。ほんとかわいくない。こう、ぬるぬるっとかわしてくっつうの?」
「ああ、わかりますわかります。こっちに合わそうっつう気がないんすよね。妙に割り切ってるっつーか冷めてるっつーか」
「いやだから、浩二さんも桶崎さんも、俺がこうでも今更怒らないでくれると思うんで」
ともに立田がバイトの頃からの付き合いだ。自分の性を知って、受け入れてくれていると思っている。ふたりはぴたりと動きを止め、半目で立田を睨んだ。
「これだよこれ」
「これっすよねえ。ワカモノ」
ノリをおさめ、浩二は改めて煙を吐く。
「ま、なんで車欲しいのかちゃんと言ってみな」
「いや、俺が聞きたいのは別に、どんな車がいいかとか、あとなんか知っといたほうがいいこととかで」
子供じゃないのだ。さっきからの、まるで犬を飼いたいとねだる子供のような扱いに立田は顔をしかめた。
「ほ、俺らは情報だけくれりゃいいってか」
「あ……すみません」
立田は小さく頭を下げ、自分の苛立った物言いを詫びる。
「おまえの給料を知ってるこっちとしちゃ、きついだろってわかっちまうからよ、実際のとこ」
「……やっぱそうですかね」
「安く借りれる車あんだろ。あせる必要あるなら、それ聞かせろっつってんのさ。話によっちゃ協力するからよ」
浩二は本人の言う通り実家を頼りにしているが、それを含めて周りの面倒見がいい。だらしない理由で困っている社員を金銭面でもフォローしている。立田は両親のこともあり、そういった人間にはまったく優しくなれないが、揃って死ねばいいとまでは思わないので、浩二のような人間がいてくれることはありがたいと思う。
「ありがとうございます。ただ俺、さっきも言ったけど、人に世話になんなくてもやっていけるようになりたくて」
それまで黙っていた桶崎がタバコを消し、口を開いた。
「んだったらおまえ、車買うのやめて、あと車借りんのもやめろよ」
立田は目を見開いて桶崎を見る。桶崎は腕を組んだ。
「人に世話になんのがいやなんだったら、てめえでまかなえる範囲で我慢するしかねえだろ。おまえの給料で車持つなんて贅沢なんだよ」
やや強い調子で続ける。浩二はタバコをくわえたまま、よそに視線を投げている。
「車がなきゃできないことがあんだったら、それはそもそもおまえには『できないこと』ってことだ。それが筋じゃねえか?」
桶崎を見つめていると、先に桶崎が視線を外した。立田ははあ、と気の抜けた声を落とす。
「確かにそうすね。やっぱ見栄すね」
「……なんだおまえ。まさか好きな子でもいんのかよ」
桶崎がぐぐっと近づく。
「よくわかんないす」
「へえ」
浩二が楽しげに口端を上げる。
「ま、金は貯めとけって。車なんかあとでいんだよ、どうにだってしてやっから」
「いやだから、そういう風に人をあてにしたくないっつうか、頼らないでもやっていけるようになりたいんですって」
「あー、若いねえ。立田おまえ、飄々としてっけどやっぱ若かったんだなあ」
また浩二が喉を鳴らす。
「頼ってるものがあると、自分が子供なんじゃねえかって自信が持てねえわけだろ」
「……自分がっていうか、普通そう見えるでしょ」
「周りに頼ってる部分があったら子供ってわけじゃねえべ。もうな、ぶっちゃけ、おまえがなにをどうしようが俺らからは若く見えんの。最上級で『あいつは若いけど結構がんばってる』なんだよ。だからもうそこはあきらめろ」
立田はまた顔をしかめる。
「車が好きなら買えばいいさ。でも一人前に見られたくて買うんだったら、俺らからは『無理してんな』って見えちまうよってこと」
***
「車買うのやめたの?」
なぜかうれしそうな吉永の声に、立田は小さく眉をひそめる。
「……やめるっつか、とりあえず延期」
あれから数人に話を聞き、結局武中をのぞく全員に再考をうながされた。武中だけが「よし買おうぜ今すぐ車屋行こうぜ!」と目を輝かせたことが、もっとも立田の気をくじく結果となった。
「そっか。よかったかも」
「なにが」
「やーなんか、お母さんが自分も運転できる軽買いたいって言ってて。あっちだと車ないと買い物大変なのね。で、そうなったら今あっちにあるお父さんの車、こっちに持ってくるらしいんだよね」
立田の眉間の皺が深くなる。
「駐車場の契約の関係らしいんだけど。でね、そしたらわたしにも運転できるよう保険変えてくれるんだって。一緒に住んでないと家族でも他人らしいんだよね。でもだから、たった君も運転できるよ。8人乗りだから大きくてちょっと面倒だけど」
立田はこたつに手をつっこんだ。体を沈め、テーブルにあごを乗せ、喉元まで出た言葉をこらえる。今思うこと、なにを言っても格好が悪い。吉永が悪いわけではない。吉永は無邪気なだけだ。
「でもね、わたしやっぱり、車は大家さんにお借りしたほうがいいと思うんだよね」
「……なんで?」
「だって喜んでくれるじゃない」
立田の真似なのか、自分もテーブルにあごを乗せる。
「大家さん、立田君が車借りに行くとすっごく嬉しそうだよ。立田君が車買っちゃったら、きっとさみしいよ」
「さみしいって」
だとして、それがなんなんだ。
「そういう話じゃないだろ。あんま甘えるわけにいかないって話」
「えー」
不満げな声。なんでだよと睨みつけると、吉永はこたつに隠れ、目だけ立田に向ける。
「大家さん、立田君のこと好きでしょ。頼られると嬉しそうだよ。わたし、嬉しそうな大家さん見るの好きなんだもん」
うれしいからなんだと言うのか。吉永の言うことは、立田にはやはりわからない。そして吉永にも、立田の思うことはさっぱり理解できないことなのかもしれない。
「だからわたしも、立田君がうちの車使ってくれたらうれしいけど。でもやっぱり大家さんからその役をとっちゃうのはなあ……」
「……ええ?」
「だって大家さん、わたしの顔見るたび『車いいのかい?』って聞くんだよ。でそのあと、わたしがたった君の話するの待ってるの。だからいっぱいたった君の話しちゃってるんだよね、ごめんね」
立田は寝転び、頭までこたつにもぐりこんだ。
「たった君?」
今日はイヤな日だった。朝からずっと否定され説教され、とどめがこれだ。自分は大変微笑ましく見守られている。嫌だとは言わないが。
「たった君、のぼせちゃうよ? 眠いなら布団敷くよ、そしたらわたし帰るし」
回りこんできたらしい吉永にゆすられる。ぺろっと布団をめくると、吉永がよくするちょっと心配そうな、でもなんとなくのんきな顔。耳の下に結んだおさげが揺れていたので、立田はそれを引っ張った。
「あいたっ」
そのままふたたびこたつにもぐる。
「たった君? ねえ怒ったの、ごめんてばたった君っ」
嫌だとは言わないが。
いや、やっぱり嫌だ。立田はそのまましばらく、天岩戸を決め込んだ。