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この話はすべてフィクションなのでございます。

 こちら、いわゆる流行りの、夢も希望もない若者です。

 ないですが、取り立てて不満があるわけでもなく。

 日々それなりに過ごしていければそれでよい、の構えです。


 なのにあーあーもー、子猫の鳴き声が聞こえるよぉ!



***



「にゃーにゃーにゃーにゃーにゃー」


 うわあ嘘でしょ。絶望感が勢いよく全身を支配する。週末、人気のない夜の住宅街、道路っぱた、おさだまりのダンボールから聞こえるにゃーにゃーにゃー。

 子猫の声ってもっとかわいらしいものかと思ってたけど、ずいぶん大きいんだ。すごく響く。周りが静かだから?


 うちはマンションです飼えません、せっかくの金曜の夜にひどいよ神様。今週もがんばって働いたんだよ。いや捨て猫を見過ごすことなんて誰でもやること、わたしだってもう24の大人です、さあするっと通り過ぎろ! ダンボール箱を見ないように、できる限りの距離をとって早足で行き過ぎる。カツカツカツ、ってコンクリートを打ちつける自分のパンプスの音がひどく耳障り。本当に、耳障り。

 角を曲がって、子猫の声が聞こえなくなる。と、思ったらまだ聞こえた。ちょっと鳴き止んでいただけみたいだ。うちまでもうすぐなのに、あとふたつ通りを越えたら入り口が見えるのに、足が止まる。

 誰か来ないかな。誰か拾わないかなあ。ほら子猫の声かわいそうでしょ、誰か来てよ。みんな、わたしみたく耳をふさいでるのかな。それとも、こんなこと考えてるのはわたしだけなのかな。


 近くにコンビニがある。食べ物とか買ってくる? 猫缶って必ず置いてるよね。でも見たら絶対、情がうつる。うー、おとなになったつもりが、わたし、子供の頃から全然変わってない。スルースキルは磨かれた気でいたのに。ここしばらく、捨て猫って見たことなかった。

 コンビニ、近いって言っても国道渡らなきゃいけないし、往復でそこそこかかる。戻ってきたら拾われてるかもしれない。よしそうしよう。必殺時間稼ぎ。


 急ぎ足になったり、のたのた遅く歩いたり、迷いながらコンビニに着く。自動ドアが開いて、明る過ぎる照明と、心地よく冷やされた空気がわたしを迎えた。9月に入ったのに、8月よりもきつい暑さが続くおかしな気候。

 まったく縁のなかったペットコーナーへ行く。猫缶は3種類くらいあった。ドライフードのほうが安くて、おすすめ年齢が書いてある。って、わたし子猫見てないから年齢わからないじゃないか。ばかだ。

 トイレ用の猫砂、おもちゃにおやつ。犬用のも一緒に並んでいる。ウサギや鳥のコーナーも小さくだけどあった。自分の行動を決めかねて、ずるずると眺めていたら、不意にぼたぼたぼたって水の音。

「あーあー」

 うんざりしたその声は、店内の誰かのもの。ガラス張りの壁から外を見れば、黒い雲から重たい雨が先を争って落ち始めていた。

「すみません、これ下さい」

 あわてて出したお財布に500円玉があったから、レジにたたきつけるようにおいて、ビニール傘を1本引っこ抜いて外へ駆け出した。


 あの通りに走りこんだら、ダンボール箱の前に誰かがいた。しゃがみこんで、ビニール傘を自分と箱に差している。

 ほっとした。一声かけようと、その人物のもとへ行く。もう出来始めた水たまりをよけて近づく。

「あの」

 ビニール傘の人がこちらを向いた。ジャージを着た大学生くらいの男の子だった。知らない男の子に声かけるとかわたしの人生ではありえないことなんだが、動物や子供のかすがいパワー(?)はすごいな。ともかく、わたし以外に子猫を気にかけていた人がいたことがうれしかった。

「あの、その猫、拾うんですか?」

 息が切れていてちょっと恥ずかしい。傘を少しあげて男の子がこっちを見たけど、表情がよくわからない。

「猫、捨てた人?」

 思考が止まりましたが。低い声でぼそっと言われたんだけど、雨音がうるさいはずなのによく聞こえてしまった。

「……いえ、わたしじゃありません」

「そうすか。じゃ、この猫いります? 2匹いるけど」

 男の子が立ったかと思うと、片手でずいっとダンボール箱をわたしに押しつける。答えられなくてうつむいた。

 でもそれで十分だってばかりに、男の子はきびすを返す。ああ、足速い。

「あの、待って……」

 その子達、どうするの? 拾ってくれるのかと思ったけど、もしかして、保健所に連れて行くの? 確かめなきゃいけないって思ったのに。

 男の子が足をとめて振り向く。っていうのに、なんてこった涙腺が。

「そ、のっ、猫っ……、あのっ……」

「え? え、なにちょっと」

「すびばぜんっ……、その、猫、ひろ、ひろっ」

 なんだこの変な女ぁああ! うわああん!



***



「……すみません」

 土下座する。すぐ後ろは玄関です。えーと、この男の子のアパートの中です。

「……やっぱり、あんたが捨てたんです?」

「違います!」

 全力で否定。怒った声になってしまった。いや、だって。

「じゃあ何が聞きたかったんすか」

 男の子が部屋の中を動き回りながら、とてもどうでもよさそうに尋ねてくる。とても見覚えのあるスーパーの買い物カゴにタオルを敷いて(それって持ってていいものなの?)、そこに子猫を入れた。ダンボールは濡れてしまったからか、外に置いてある。多分あれはもう使い物にならない。

「その、猫をどうするのかなって」

「どうするって、里親探すか、他に保護してくれる人探すけど」

「そうですか! すみません、それだけ聞きたくて」

 よくわからん、って顔をされる。

「……あの、すみません、もし保健所に連れて行くんだったらどうしようって思って。もしそうなら、わたしが保護しようかと」

「別にあんたに任せていいなら任せるけど」

「いえ……家がペット禁止のマンションで」

「そんなとこだろうね」

 胸がじくじくする。別にひどいこと言われてるわけじゃないはずなのに。

「じゃ、その……それだけ聞ければ。お騒がせしました、帰ります」

「はあ」

 そそくさと立ち上がり、靴を履く。そこで、玄関のドアに置いてある、作業用の靴に目が留まる。正確にはその名札。『立田 史彦』。

 振り返る。

「たった君?」

「……ん?」

 あれ同級生だ!?



***



「ごめん、全然覚えてない」

「あ、ううん、わたし、全然地味だったし」

「中学っつった?」

「うん。2年と3年のとき、同じクラスだったよ。両方とも1組だったでしょ?」

 当たっていたからか、たった君はむうと微妙な顔。

「しょうがないよ、話したことなかったし」

「まあ俺は覚えやすいか。いじめられてたもんな」

 今度はわたしが言葉につまる。

 たつた ふみひこ君は、変わった子だった。受け答えがどことなくズレてることがあって、彼が授業で意見を言うといつもくすくす笑いが起きたし、彼の書いた作文は悪ふざけした男子が教室で読み上げるのが定例だった。

 彼の体が平均よりも小さくて、おうちが貧乏ってことも原因だったと思う。彼は部活も入らずにアルバイトをしていた。おうちに借金があるって噂だった。本人がそう言ったんだってクラスの子が誇らしげに証言していたのを覚えている。

「ごめん」

 ぽろっと言ってから、後悔した。なにに謝ってるのかさっぱりだ。でも、漠然とした後ろめたさがあることは事実だった。

「なにが?」

 当たり前の質問だよね。ああもう、口が下手だなわたしは。あれから何年も経ってるんだから、もっと明るく笑い飛ばせばいいだろう、そう同窓会のノリだよ! 行ったことないけど。

「ああ、俺がいじめられてたこと? 別に、だからって吉永なんもできなかっただろ。女子にかばわれてもみっともないし」

「う、うん」

 そりゃそう、まったく正論なんだけど。なんかたった君の言葉って胸に刺さる!

「ね、猫見てもいい、かな?」

「いいけど」

 猫見て帰ろう、そうしよう。つつっと膝で歩いて、スーパーのカゴを覗き込む。小さな、本当に小さな子猫が2匹、こっちを見た。

「うああああ」

「なんだ」

「……かわいいねえ」

 やられた。おそるおそる手を伸ばしたら、かたっぽ、元気なほうが手によじのぼってきて(以下胸中で言葉にならない奇声)。もう片方はおとなしくて、こっちに目だけ向けている。

 にゃーにゃーにゃーにゃー、鳴いている。わたしが聞いていたのはこの子の声だったんだな。

「子猫って、結構声大きいんだね。びっくりしちゃった」

 顔がにやける。抱き上げて膝に乗せて、なでる。隣にたった君が座った。

「そりゃ必死だからだよ」

 ……また硬直する。

 たった君がカゴの中から、おとなしいほうを抱き上げた。やっとミルクの匂いに気づく。わたしが子猫ににやにやしている間に、あたためていたらしい。なんかもう本当にすみません。すみません。

「って、哺乳ビン?」

「なに?」

「……たった君、赤ちゃんいるの?」

「なんで!?」

「え、え、だってなんでそんなの持ってるの?」

「たまに小さいの拾うから買った」

 思わずまじまじ、たった君の顔を見つめてしまう。すごく気まずそうに顔をそらされたので、また謝った。

「たった君、猫、よく拾うんだ」

「そこ、結構捨てられるし」

「そうなの?」

「その通り、私道なんだよ。だから車ほとんど入ってこないし、住宅街だろ。それにこのアパート、ペット可だし」

 ペット可のアパートなんてあるんだ。というかわたし、余裕で私道を通ってた。

「普通のアパートに見えたけど、なにか特別なことあるの? 家賃が高いとか?」

「家賃は安いよ。ただ敷金高い」

 敷金って、退去後に部屋をきれいにするために使うんだっけ? ペットが部屋を傷つけたときのため、ってことなのかな。

「週末狙って捨てたんだろうな」

 たった君の言葉は、すごく淡々としている。怒っているのかな、って思うけど、それもわからない。表情も変わらない。だから、子猫の口に、哺乳瓶の細い乳首をちょこちょこ揺らす姿がずいぶんとアンバランスに見えた。

「飲まないな」

 また、ぼそっとつぶやかれた言葉にひやり。

「……だ、大丈夫?」

「さあ。これ、そっちにあげて」

 哺乳瓶を渡された。まだわたしの膝にいる、元気な子にあげろってことだよね。今たった君がやったようにしたら、こっちの子は飲んでくれた。ずいぶん下手だけど。

「飲んだ、たった君飲んだよ」

「仰向けじゃないよ。うつぶせ。猫は仰向けでお乳飲まないでしょ」

「あ、はい」

 人間の子供みたいに、子猫のおなかが上になるようにして手に持ってあげてたんだけど、これが悪かったのか! でも反省したものの、姿勢をあらためてもやっぱりあんまり上手じゃない。飲みたい気持ちだけ先行して、子猫の顔がミルクだらけ。……ばっちい、かわいい。

 たった君は、今度はガーゼにミルクを浸して、おとなしい子猫の口に当て始めた。

「……飲む?」

「微妙。とりあえず口の中に入れば」

 子猫が小さな舌を出した。薄い白色のミルクが、子猫の舌に落ちる。じっと見てたら、あとちょっとやっといてといわれて、ぽいと渡された。あわわ。

 わたしがものすごくおっかなびっくりやっていると、たった君は携帯で電話をかけはじめた。でも、相手は出ないようで。

「金曜の夜だもんなあ……」

「どうしたの?」

 たった君はわたしを見たけど、すぐには答えなかった。元気なほうの子猫をわたしの膝から持っていって、その小さな体をガーゼで吹く。

「俺、これから夜勤なんだ」

「あ、そうなんだ。おつかれさまです……ごめんわたし邪魔だね! ごめんね、帰るね」

 そうかそういうことか、と。手に持った子猫を見つめる。

「……この子達、どうするの? 帰ってくるまで平気?」

「平気じゃない」

「えっ!?」

「このくらいだと、4時間おきとかでミルクやらんと。今、預かってくれそうな人に電話したんだけど、金曜のこの時間はみんないなくて」

「じゃ、じゃあわたしが見るよ」

「でも吉永の家、動物だめなんだろ。ちょっとなら預かれる?」

 う。ちょっとなら、平気かな? でもこの子、元気なほうは声が大きい。正直、最近越してきたお隣さんがこわい。友達と部屋で飲み会したとき、壁をどんってたたかれた。ペット禁止なのに入れたことがバレて、管理人さんに言われちゃったらどうしよう。

「どっ」

「ど?」

「泥棒、したり、しないから、ここで面倒見ちゃだめ?」

「泥棒……」

「じゃあわたしの免許証持っていって! それなら」

「いやいやいや」

 出しかけたお財布を止められる。

「ご、ごめん、非常識だよね……」

「……まあ、うん」

 たった君は、重々しくうなずいてくれた。ごめんなさい。

「吉永がそれでいいなら、そうして」

「え? 免許証?」

「じゃなくて。ここで面倒見るならそうして。別に盗むものなんて猫くらいしかないし」

 猫くらいしかない、ってどういう意味だ。

「いいの?」

「うん。でも、多分そっち、死ぬよ」

「……え?」

 わたしの手にいる、おとなしいほうの子猫をさして、たった君はそう言った。

「多分ね」

「……え、でも」

「病院行っても無理。こっちも絶対大丈夫とは言えない。小さ過ぎるし、わりと放っておかれた時間長いと思う」

 どうしよう。ちょっと目の前が真っ暗なんですけど。

「これ、猫セット。使えるのあったら使って。洗ってからね」

 押入れの中から、肩幅くらいの箱を出してくる。

「吉永、スマホ?」

「う、ううん」

「じゃあネット使えるようにしておくから。わかんないことあったら調べて。とりあえずトイレもさせてやらないといけないから、それは調べて」

 部屋にあったパソコンを起動する。

「あと、どうしても困ったらここの番号に電話してみて。まあだめなものはだめだろうけど」

 チラシにマジックで番号を書いて渡してくれる。最近のチラシは両面印刷だから、枠外の白い部分に。親切なのか冷たいのかよくわからない言葉をぽんぽん口にしながら、たった君がわたしの周りに色々なものを用意する。

「暑いだろうけど、冷房我慢して。台所のとこが一番涼しいから。猫冷やしたり乾かしたらだめね。あと、もしかたっぽ死んだら、温度注意して。もう片方も体温と湿度足りなくなるかもしれないから」

「かたっぽ死んだら、って」

「2匹いたらくっついてあったかいしょ。猫は猫同士の体温が一番ぽい」

 わたしがまだぽかんとしている間に、たった君は着替えるから、と言って背中を向けた。わたしもあわてて背を向ける。

「明日の夕方ぐらいには帰るんで。ここ出るときは別に鍵とかしなくてもいいから」

 じゃ。たった君は、すっかり作業員さんの格好になって、大きなリュックを背に出て行った。



***



 たった君の言う通り、おとなしかったほうは、死んでしまった。たった君が出かけた次のミルクの時間に、全然飲んでくれなくて、わたわたしているうちに動かなくなってしまった。教えてくれた電話番号もかけたんだけど、つながらなかった。冷たくなったその子をどうしていいかわからなくて、兄弟で一緒にさせてあげたほうがいいのか、それとも別にしたほうがいいのか。でも、元気なほうが元気に動き回って、死んじゃった子のほうを踏みまくるもんから、泣いてるのに笑えてしまって、結局2匹は別々にした。


 元気なほうは、ミルクを飲むとすぐ寝てしまう。目を離すのはこわかったけど、明け方コンビニに買い物に行った。きれいなタオルと、赤ちゃん用のウエットティッシュを買う。

 会計のとき、店員さんが、あ、って言うから何かと思ったら、さっき傘買いましたよね? と聞かれた。そういえばさっきは500円玉たたきつけてきちゃったけど、まさか515円だったんじゃとあせったら、はい、お釣り、って209円渡された。うちの傘は291円なんですよー、って。笑ったらまた涙が出てしまって、慌てて謝る。ごめんなさい、今猫が死んじゃって。店員さんは、ああ、それは泣くしかないですよね、って言って、チロルチョコをおごってくれた。お見舞い品、20円ナリ。

 なんかさっきまで世界がまっくらだったのに、ちょっぴり気持ちが軽くなって、ありがとうございます。世間様はけっこうやさしかった。

 たった君の家に戻って、新しいタオルを袋から出して、小さな子猫を包んだ。




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