09:地を駆ける獣を狩る(前編)
受付を済ませた僕とリエルは、『大猪の森』奥地へと移動している。
この森は、王都の南側から3時間程度歩いた場所に生い茂っており、気性が穏やかな魔物が多く巣くい危険性が低い。そのため、ギルド側で魔物の生態を管理しているという特殊な場所だ。
ただ、魔物の気性が穏やかだからといって、弱いというワケではないが。
大猪の森でクエストを行うためには制約の術式が編まれた首輪を嵌める必要があり、制約については以下のようになっている。
1.無理に外そうとすると死ぬ寸前まで首を絞める。
2.魔力を放出して切り離すことをできなくする。
3.狩った魂を記録し、討伐数をごまかせなくする。
首輪の性能上、項番3の”狩った魂をカウントする”ことが、近距離でしか判定できず、遠距離攻撃を封印する意味で項番2の制約がある。これにより、人によっては戦闘能力低下を免れない。これが、大猪の森のクエスト難度が高い所以である。
この首輪、話を聞くとすごい高性能に思えるだろう? これ、エフィルさんが100年前に作った製品なんだってさ……
宮廷魔術師の役職はダテじゃない、というか技術の発達バランスおかしいよね。魔法の万能具合は異常。
そんなことを考えながら、隣で軽くスキップしながら移動しているリエルの様子を見る。とても元気で、機嫌が良い。
ギルドでこの首輪の説明を受けたときに、
「師匠謹製? そんな危険なアイテムなんですか? 嫌ですよ、嫌ですよ、何が起こるかわかりませんよ。きっと首輪を嵌めただけで精気が抜かれて師匠の魔力に還元されるとか、師匠の命令に逆らえないようになるとか、存在感が濃くなって周囲に過剰なまでに注目されるようになるとか、そういった呪い的な魔術が付加されているに決まってます! 勇者様、このギルド職員は私たちを謀ろうとしています。勇者召喚に反対していた勢力の一派ですよ。今すぐここで始末するべきです!」
……とか、物騒なことを言って険しい表情を浮かべていた人間とは思えないよね。「首輪を嵌めて欲しい。じゃないと一緒にいられないだろ。ほら……」というやりとりをした後からものすごく機嫌が良くなって「あぁ、勇者様に首輪をつけられてしまいましたぁ……」とか顔を赤くして言うもんだから本当に困るよね。
「勇者様、森か、その近くで何か起きているようです」
不意に、リエルがそう言った。
全面に広がっている群生地対を見るが、(素人の目算的で)8km以上は距離がある。僕には異常を確認することができない。
「ごめん、僕の視力では確認できない。何かというのは?」
「師匠の魔力が動いている感触があるのですが、具体的には……」
「エフィルさんの魔力? ……首輪を付けた人が制約を破ったとか?」
「そうかもしれませんし、違うかもしれません。とにかく、森の方角へ急いで移動しましょう。近づけば私の方で、魔力の不和がある地帯を感知できます」
「了解」
リエルの身体が紫色の魔力で包まれる、肉体強化だ。
僕は肉体強化の魔術は使えない。そのため、素早く移動するためにはスライムの力を利用する。
外部にスライムで創った人工筋肉を纏い、特撮ヒーローのような強化服を着用した状態となるのだ。
左半身を赤、右半身を銀のスライムが包み込む。気持ちィィイイイイ!!
そう、このスライム変身形態のことを、フレアメタルと……
「ごぼォッッ!!」
首輪が僕を絞めにきた、あかん、あかん、あかんでこれ、リエルが何かを叫んでるけど、耳に入ってこない。直前までの格好を付けたノリが台無しだよ!
スライムの魔力が首輪を覆ったから干渉してしまったのか? 落ち着け、制約通りなら死ぬ寸前で停止するハズだ。
駄目だ、酸素が、足りない……
体内で……スライムを、生成し…て無理矢理回復させた、ら?
意識が、無くなる迄……なら、苦しみが延長さえる、ら、け、あ………
思、k、う、……が………
*
目をあけると、そこには青空が広がっていた。身体には堅い、地面の感触。
「あ……ど………っけ。」
声が、でない。どういう状況だ? これ。
顔と股間がベタつくが、それ以外は身体に異常は無さそうだ。起き上がると、僕の四隅に術具? のような小石が置かれているのに気付く。呪いのアイテム……だろうか。
僕が今いるのは草原で、目の前には森が小さく見え―――――、状況を思い出した。
「リ……ッ……!!」
そして、大猪の森に、異常を確認するために先へ進んだであろう彼女を追って、走り出した。
回復スライムを直接体内に生成して、無理矢理肉体を活性化さながらとにかくがむしゃらに足を動かす。
草原を駆け、森に近づくと”何か”に入った気がした。ギルドの人から「森には結果が張られている」と聞いていたので、おそらくはそれだろう。
結界に入ってすぐに感じたのは、血の臭い。普段嗅ぎなれない僕がわかるほどの、強烈な。
人が死んだだけでは、ここまでの臭いはしないハズ、リエルは無事だ。そう言い聞かせ、どこから魔物に襲われても良いよう、警戒しながら進む。
魔物を繁殖させている森って話なのに、気配がないのが不気味で仕方ない。
進むにつれて、どんどん嫌な臭いが濃くなっていくのが不快で仕方ない。
スライムでは回復できない、精神的な疲労が僕にのし掛かる。
だが、弱音を吐いても仕方が無い。森の奥へ、臭いがするほうへと足を勧める。
すると、赤く染まった木々に囲まれ、四肢をもがれ、バラバラになった大猪の姿があった。
千切れた部分の断面は、無理矢理砕かれ、吹き飛んだような状態となっており酷く……凄惨な光景になっている。しかも、この大猪、ギルドで聞いていたものより遙かに体格が大きい。リエルが、こいつと好戦したのだろうか?
しかし、彼女と大猪の死体とでは、イメージがかけ離れている。リエルがどんな戦闘方法を行うかわからないため、第三者による不確定要素が強いことを頭の隅に置いておかないといけなだろう。
嫌悪感を殺し、大猪の死体に触れる。
「冷たいな……」
素人感覚では、死んで時間が経過しているようにも思える。だが、長時間森の中で死体を放置したら、他の魔物が群がって食べ、食物連鎖の礎となるのが通常ではないだろうか。
自分の無知でなければ手がかりを得られたかもしれないが、これ以上考えても無駄だと思い先に歩みを進めることにする。
ここまでは死臭を頼りに歩いてきたけど、ここからはどうやって行く方向を決めるか――、足音が聞こえる!
即座にそちらに視線を向け、両腕にスライムの触手を4本づつ生成して戦闘態勢を整える。
徐々に足音が近づき、僕と”ソイツ”が対峙する。
「なん、だと……」
そこに居た生物は、上半身がなかった。
いや、元々は上半身があったのだろう。大猪と同様に、何らかの要員によって吹き飛ばされたのであろう痕跡がある。
僕が硬直した隙に、その生物―――黒い靄でできた人間の下半身のようなモノは、コチラに向かって走ってくる。
アイツが魔法生物―――僕のスライムと同様に、作られた存在なのは間違いない。霧という性質を持っている異常、触れた生物の生命を奪って殺します、的な攻撃方法なのも予想が付く。それなら、僕がやることは単純だ。
「スライムに魔力を宿し、散らせてやる!」
両腕の触手……僕の魔力を受け、金色に輝きだしたソレを伸ばして霧のバケモノに直撃させる。
当てた感触はない。が、バケモノは跡形も無く消滅した。
この手応えならば、手負いでなくとも楽に屠ることができるだろう。
それに、リエルが敗れるようなことは絶対にない。彼女は、『王都最狂』の異名を持つエフィルさんの弟子なのだ。僕なんかより修羅場を潜ってきているハズだし、訓練も受けている。そう思い当たると、少しだけ安心した。
「ふぅぅぅー」と息を吐き、自分の中で区切りをつける。
このバケモノが歩いていてきた方向へ行けば、リエルが言っていた”魔力の不和”の原因に突き当たるハズだ。そこには、おそらく彼女もいる。
僕は手を触手を納め、代わりに普通のスライムを両腕に精製する。
ニギニギ。スライムの心地よい弾力に心の疲れが軽減され、気持ちがポジティブになってくる。
歩きながら、現状の戦闘力を考える。
今の状態でのリスクは、敵に接近して攻撃をしなければならないこと。首輪の「2.魔力を放出して切り離すことをできなくする」という制約が効いているからだ。先程はスライムの触手を、現存する『鞭』という武器の射程で届く範囲内で利用した。
その気になれば、僕の視界が届く限りは伸ばせるのだが、首輪がどう反応するかが未知数。僕の魔力を帯びたスライムが、本人がいるエリアから離れるのだから、「魔力を切り離した」と判定されてしまうかもしれない。
少し前の、首を絞められた件がある。
あれは、首元まで纏ったスライムの魔力が、首輪に干渉して「1.無理に外そうとすると死ぬ寸前まで首を絞める」に接触したとお思われるのだが、僕はそのつもりがなかったのに起きた。
要に、首輪の制約が曖昧なのだ。それに、エフィルさんの性格を考えると「面白そうだったから」ということでギルドで教えて貰えなかった怪しげな制約がある可能性も十分にある。
僕が敵に接近したくないのは、身体能力に不安があるからだ。地球から召還された際にスライムを精製する能力を得たが、それ以外は何も変わっていない。体育の時間に運動し、見た目を気にして少し筋トレをしていた程度のただのガキ。
最近は、アリーゼに稽古を付けて貰ったりしているが、この世界、僕の年齢で冒険者をやっている人間の平均以下なのは間違いない。
次に考えるのは、防御力の強化……だがこれも無理そう。
僕の能力は部分的にスライムの鎧を纏うこともできるが、自分自身に『鎧は纏うイメージ』があるので、「切り離した」ことになりそうなのが恐すぎる。クエストを受注する前は、スライムを全身に覆っていれば攻撃を受けてもノーダメージとたかをくくっていたが、現実は甘くなかったということだ。
結論:現状維持
歩いているうちに、破損した樹木が見受けられ、魔力がぶつかり合うような戦闘音が聞こえてきた。
警戒心を高めながら、僕は音がする方向に全力で走り出す。