26:暴漆竜トルネギオス
黒竜種、それは黒いドラゴンの総称。
僕らの前に急降下してきているのは暴漆竜トルネギオスと言う。紫色に光る4枚の翼と全身を全身から常に瘴気を吐き出しているのが特徴のドラゴンで、全長は20m程度。竜種の中では2等級の強さを持ち、その力は魔王と比類するレベルだと王都魔物図鑑(3版)に書いてあった。
アリーゼは余裕で撃退するつもりなんだけど、かなり厳しい戦いを強いられる気がしてならない。
「ダンナ、姫騎士殿! 見えていますか!」
後列の商隊からオッサンの叫び声が聞こえる。
「視認できてる! 僕とアリーゼで迎撃するから戦闘の余波を受けないように馬車を反転させて。戦闘のフォローは考えなくて良い。あと、こっちの馬車に1人寄越してくれ、僕らが抜けると御者をできる人間がいない!」
接敵まであと40秒。
「勇者様、私が両方倒してしまってかまわないですよね?」
「なんでそんなに自身に満ちあふれてるんだよ、1匹は僕が貰う」
トルネギオスは、コチラを舐めるように空中でアクロバットな軌道を描いてゆっくりと降下してくる。アリーゼは不敵な笑みでそれを見つめている。お互いに何故こんなに余裕があるのか。
トルネギオスからの殺気、アリーゼからの威圧感で、僕は油断すれば「ひっ」と言ってしまいそうな程にはプレッシャーを感じて、なけなしの精神力で耐えている状態だというのに。
しかし、相手が余裕をかましているなら、それなりに準備させて貰おう。アリーゼの口に触手を突っ込み、無理矢理”ドーピングスライムスープ・コンソメ味”を投与。僕は全身にスライムで創った人工筋肉を装着する。
相手に合わせるつもりはないが、全身黒色の同系色。ハンプティ・ジョーカー。その影からさらにもう1体スライムが湧き出る。ダンプティ・ジョーカー。これらは、僕の切り札。
「王都ノ人間ヨ、貴様ラ―――グォォォオオオッ」
何かを喋りかけたのを無視して、アリーゼが先制攻撃を仕掛ける。
彼女は剣の鞘を投擲、喋っていたトルネギオスの目玉に直撃させ、僕に目配せ。無傷のトルネギオスと距離を詰める。手負いの方は僕にくれると言うことか。
激高してアリーゼを踏みつぶそうとした手負いの右腕を、僕の触手が絡みとる。邪魔はさせない。
「ヨクモ兄者ヲ!」
無傷のトルネギスがアリーゼに向かって黒い炎を吐き出すが―――、無駄だ。
射線上にダンプティを移動させ、その全身で炎を喰らう。そして、その炎をハンプティの、僕の口から放出する。狙いは、勿論兄者である。
弟の炎を浴びた兄トルネギスは先程にも増して高い悲鳴で鳴いてくれる。が、怒りの咆哮というだけで、ダメージはそれ程受けていないようだ。まぁ、同じ種類のドラゴンが吐いた炎なので、耐性があるのだろう。
「小癪ナ男、貴様カラ殺シテヤル!」
よし、良い感じに僕をターゲットにしてくれた。アリーゼのほうに視線をやると、彼女は弟トルネギスを剣戟で吹き飛ばし、馬車と僕から距離を離してくれていた。ならば、と。僕もそれに習って巨大な触手の鞭を生成して兄トルネギスをぶち飛ばす。
兄は空中で体勢を整え炎によるカウンター攻撃をしかけてくるが、やっぱりダンプティで割り込みをかけて吸収。今度は吐き出さずにハンプティに魔力を転換し蓄える。
「ヌゥ、人間ヨ、ナントモ面妖ナ力ヲ持ッテイルナ」
僕は返事をせず、兄トルネギスの状態を観察する。うん、無傷。アリーゼにつけられた目の傷は修復されているし、触手の鞭によるダメージも受けた形跡がない。それに、しゃべり方からして思考も冷静に戻っているようだ。
どう対処するか―――と、魔物図鑑の内容を思い出す。たしか、竜の血に回復能力があって高く売れると書いてあった。つまり、回復するのは血のおかげと言うことだ。ならば答えは簡単だ、血抜きして殺す。
ハンプティ・ジョーカーの両腕の形状を変化させ、牙を生やす。10万年前の南北アメリカ大陸に生息していたサーベルタイガー、スミドロンをモデルとした形態だ。
コイツで、噛んで吸血スライムを流し込んでやるとしよう。
トルネギスは炎が効かないことを学習し、爪と牙で攻めてくるが、捌くのは余裕だ。ハンプティ、ダンプティの両方から無数の触手を展開して、動きを封じてやるだけで良い。
すぐに馬鹿力で触手を千切られるが、接近するには十分な隙ができる。ほら、ガブリ……っと、鱗堅いな。魔力を右腕に集中し、牙を硬質化。
もっかガブリと。今度は鱗を貫通し、肉を貫いた感覚があった。
「――――――ッ!!!」
よし、お仕事完了。
油断した僕はトルネギスの尻尾にはじき飛ばされるが、ハンプティ・ジョーカーを纏っているので肋骨が数本折れただけで済んだ。それもすぐに回復する。2度目の炎で蓄えた魔力のおかげだ。
ハンプティ・ダンプティの能力は相手の魔力による攻撃を吸収。それを対になる側から反射、または還元。つまるところ、相性が非常に良かったのだ。近接戦闘をするにしてもトルネギスが瘴気を纏っているのでそこから力を貰うことができるし、遠距離攻撃も黒い炎によるブレス――体内で生成した瘴気を高密度の魔力で覆ったそれは簡単に無効化できるのだ。
トルネギスは体内の血が抜かれ苦痛にのたうち回っているが、見ていて気持ちの良いものではないので、最低限の警戒だけしてアリーゼのほうに目線を向ける。すると、向こうも決着が付きそうだった。
数時間前に僕の両腕を切断した光を纏った剣で、トルネギスの首をスパーンと両断。血が飛び散り辺りを汚す。アリーゼは慌てて吹き出る血を止めようと光った剣で断面を焼こうとするが、一向に止まる気配がない。なんでそんなことを……と思ったが、『竜の血=高く売れる』の方程式をすぐに思い出す。
僕は慌ててアリーゼの方に駆け寄ると、吹き出る血をスライムで無理矢理押し止めて止血。アリーゼに付着した血も拭おうと思ったら……彼女が装着している鎧が血を吸い取っていた。さすが聖女様の祝福というか、呪いがかけてある鎧である。
「アリーゼ、お疲れ様」
「勇者様こそ。初めて黒竜種と戦いましたけど、それ程強くありませんでしたね」
「うん、魔物図鑑に魔王と比類とか記載があったからエフィルさん並の実力があると思っていたんだけど……」
「魔力量で言えば、エフィル様クラスだったと思いますよ。ただ、戦術に幅がありませんでしたから」
「なるほどね-」
のんびりと話をしている最中に、兄トルネギスも血抜きが終わり完全に動きを止める。僕は右手を前に出すと、アリーゼはそれを両腕で握り、その胸へと包み込んでくれた。
いや、ハイタッチしたかったんだけどね。甲冑越しだから感触はないけど、恥ずかしいこのシチュエーションは何かくるものがある。「アリーゼ様の胸は良い形をしていますよね」と、リエルの幻影が僕の脳内で囁いているし。激しく同意だ。
「うおおおおおお!」
「勇者様ァァァ!」
「姫騎士殿、愛してます、結婚してください、うひょおお」
「ドラゴンを簡単に倒しちまったよ! 王都バンザイ! 聖女様バンザイ!」
溢れんばかりの歓声。逃げろと言ったのに、ある程度まで距離を離したところで様子を伺っていたようだ。
商隊の連中はこぞって近づいてくると「胴上げだ!」とのことで僕は男達のむさ苦しい腕でもみくちゃにされ、空中に浮いた。「ワァァショイ! ワァァショイ!」胴上げなんてされるのは初めてなんだけど、悪い気分ではない。
「次は姫騎士殿だー!」
「「「「オォォオオ!!」」」」
男達はそう言うと、僕を空中に放り投げアリーゼを取り囲もうとして「触らないで下さい」の一言で全員なぎ倒されて。
僕は誰にキャッチされることもなく、背中から地面に落ちて―――、と思った所でアリーゼにお姫様抱っこする形で抱えられた。くっ……