18:最悪の状況を想定する
「ただいま」
「お疲れさん。勇者様、聖女様がお怒りだったので、頑張ってくれよ」
気分良く城内に戻ろうと歩いていたが、門番のザンクさんに不吉なことを言われて僕の足が停止する。
手を繋いでいたリエルが転びそうになったので慌てて支え、「ゴメン」と言って手を離す。が、離れた手をまた握られた。
「……リエル嬢ちゃん、すごく懐いてるな。城内の兵士で将来を見越して目を付けてた連中なんてまともに会話すらさせて貰えなかったというのに、恨まれるぜ? まぁ、勇者様はエフィル殿と仲が良いから、お兄様補正って感じだな」
「いえ、私はご主人様の愛人としてお側に置いてもらうことになりました」
「勇者様、洗脳系のスキルを使うとは人の風上にもおけねぇな!」
「誤解ですって。色々あって僕とリエルの関係が進展して彼「愛人」になったんですよ!」
「「「……」」」
ザンクさんの目付は「後で聞かせろよ」と語っている、今回は追求をスルーしてくれるようだ。
状況を説明するとしたら”依頼の最中に仲良くなって、前々から僕に好意を持っていてくれたらしいリエルの可愛さに僕はローリーに目覚めて、一緒にお風呂に入ったら完全に籠絡された”というのがありのままの事実なんだが「妄想じゃねぇか」と言われそうで恐い。
このあたりは、リエルと口裏を合わせて何か説得力があるサクセスフルなストーリーを作っておいた方が良いだろう……と、それは置いといて先程気になったことを聞いておかないと。
「聖女様、なんで怒ってるんですか? 僕、何も悪いことした記憶が無いんですけど」
「そうですよ、むしろ勇者様は大活躍でしたから!」
いや、活躍した覚えもないんだが。リエルさんの大活躍のサポートしかしてないよ。
「俺にも詳しくはわからねぇ。ただ、目の光彩を無くした聖女様に『糞勇者が戻ってきたらすぐに私の所に来るように言いなさい』と伝言を聞いていてな。そういやぁ、『リエルも一緒に来るように』だったか。危ねぇ、忘れる所だったぜ」
「え、私も一緒にですか?」
僕とリエルの間で何とも言えない空気が流れる。
今回の依頼でミストベアを討伐、かつ捕獲するという最善の結果を出しているにも関わらず何故聖女様はお怒り状態になったのか。
考えても仕方ないので、安いプライドしかないから、土下座でもしとけば大丈夫かな。と開き直る。
リエルと繋いでいる手が強く握られたので、僕も強く握りかえし、反対の手で頭をなでなでして落ち着かせてやる。
「私、聖女様に怒られるの初めてだから緊張します。うぅー」
「大丈夫、悪いことはしてないんだし毅然とした態度で臨めば良い。駄目なら頭を下げるだけで問題ないし!」
「ハッハッハ、さすが勇者様は説教慣れしているな。死んだら骨は拾ってやるからよ」
縁起でもないコトを言うザンクさんに手を振り、とりあえず荷物を置くためにリエル別れて自分の部屋に戻ると……聖女様が居た。
何故いるのか?
いや、それ以前に何故僕がスライムで作ったベッドに幾度も蹴りを入れて笑っているのか。
ドムッ、ドムゥ、ドムッッ、と、スライムが衝撃を吸う音と聖女様の口から漏れる笑い声が部屋を支配する。
あまりの恐怖に顔の筋肉が痙攣し、朝食が喉から迫り上がってくる。
日頃からアリーゼに怒られ慣れた経験からか、これは僕に対する怒りではない大丈夫セーフだよ僕は無事だよという確信があるので、なんとか悲鳴を揚げずに踏みとどまった。
「勇者様、すいません。少しイラつくことがありまして少々……ストレス解消にスライムのほうを使わせて貰っていました。衝撃吸収性が高くて素晴らしいですね。蹴りごたえがあるのに、足は痛くないんですもの、ホホホホホ。今度わたくしの部屋にサンドバッグ用のスライムを作製して貰おうかしら」
「は、はい喜んで!」
「では、早速用件を……いえ、急ぎと伝言をしていた手前申し訳ないのですが、多少時刻を置いて私の部屋へリエルと共に来て下さい。御覧の通り、今は感情が悪い方へ揺れてますので個人的な私怨が入ってしまうかもしれません」
「分かりました。お茶でも飲んで休憩した後、そちらに伺います」
「では、よしなに」
ばたん、と。聖女様は扉を閉めて退出した。
はぁぁぁぁぁと、溜息が漏れ、僕はその場に座り込んだ。
「どういう状況だ、コレは」
……いや、冷静に考えるとなんとなくは状況が掴める。
大猪の森で起きたことに関する不穏な動きと、その対処によるストレスだろう。
・エフィルさんの結界に干渉するだけの実力者の敵対
・対処するための斥候に兵ではなく冒険者を利用させた内部にいる敵
無い知恵絞って思いつくのはこれだけなのだが、おそらく聖女様の立場であればもっと悩まなくてはいけないことも多いのだろう。
この流れだと、僕は敵対する何かとの戦いの矢面に立つことを望まれるのだろうか……僕が考える、最悪の状況を想定する。
王都が平和すぎて、大規模な人間同士の諍いなんて信じられないが大量の兵士同士を戦わせるというのなら、僕の力でなんとかしよう。エフィルさんのクラスの強敵がいるなら難しいが、普通の歩兵、騎兵なら傷つけることなく無力化できる自信はある。それが万を超える軍勢であっても相対してみせる。
大好きなスライムを、戦争の道具にするのだけは抵抗あるけど、人の命には代えられないからね。
コン、コン。
覚悟を決めた所で、ドアをノックする音が聞こえる。
「ご主人様、ご無事ですか……?」
不安そうなリエルの声に「大丈夫だよ、入っておいで」と返事をし、抱きついてきた彼女の腰に手を回す。
聖女様の威圧と最悪の想定で疲弊した心が癒されるのを感じる、はぁー、人の温もりは心地よい。
話を聞くと、この部屋に来るまでに聖女様とすれ違って、あまりの威圧感に僕がどうにかなってしまったのではないかと心配して話も聞かずに走ってきたそうだ。
なんという彼氏冥利に尽きる話だが、聖女様からすれば”不機嫌なのを抑えて話しかけたのに無視した”という立場になるのがリエルの現状だからね。後で謁見した時に何か言われたらフォローするよにしないとな。
「さっき聖女様が僕の部屋まで来て、疲れているからもう少ししてから部屋に来てくれって。それだけだから安心して」
「はい、安心しました。聖女様、いつも通りの笑顔なんですけど、笑っていないというか……なんというか、凄かったです」
「うん、朝食が胃から戻りそうだった。そういえば、聖女様の件を別にしても、えらい早く僕の部屋まできたけどエフィルさん留守だった?」
「いえ、部屋に入れなかったんですよね……」
リエルが部屋に戻ってみると、結界が敷いてあってドアを開くことができなかったそうだ。
確実にエフィルさんが怪しげな実験を慣行しており、年に数回はある恒例行事なので気にすることでもないらしい。「ご主人様より、よっぽど師匠の方が奇行が多いですから」と自慢げな表情で言われたが、僕は何を言い返せば良いのやら。
とにかく一服して時間を置こうと、部屋の前で待機していたメイドさんにお茶を持ってきてくれるようお願いをする。
彼女はアルゥネで、名前をアカハネと言う。
聖女様に絶対的な忠誠を誓う信奉者で、戦闘特化型のメイドだ。紅の髪に、背中にある紅いナイフのような腕から『紅刀』の異名を持ち、城内強さランキングの5本指に入ると言われている。
僕の部屋の前に待機していたが、別に専属メイドというヤツではない。勤務当番だったというだけの話である。
宿屋でストナさんが「姫騎士、紅刀、雲隠れは出払っている」ようなことを言っていたが、少なくとも紅刀は城内で悠々とメイド業務を行っている。やはり、キナ臭い展開になっているのは間違いないだろう。
再び、はぁぁぁぁぁと、溜息を付いたが、リエルが頭をなでなでしてくれたのですぐに癒された。
あー、リエル可愛いなぁ。くんかくんかスーハースーハー。良い臭いもするし本当に僕の天使だよ、癒し効果が尋常じゃない。
イチャついていると「失礼します」とアカハネさんが入って来て、テーブルにお茶を置いて僕の背後に控える。
普段は部屋から出て行くのに、なんで居残っているんだこの人。
「アカハネさん、いつもは給仕したら退室しないっけ?」
「そうですね」
「退室して欲しいんですけど」
「無理な相談です」
「「……」」
沈黙する僕とアカハネさん。そんな空間でも頭をなでられて蕩けているリエル。
「勇者さん、少々……お願いがあるのですが」