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婚約破棄された悪役令嬢エリシアは、国を救った代償に貴方を忘れました。  作者: テラトンパンチ
プロローグ

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守りたいもの


 その夜は、夢を見た。

 前世の記憶だった。

 深夜のコンビニ。

 蛍光灯の白い光。

 冷えたコーヒーのカップを片手に、スマートフォンの画面を見ながら歩いていた。

 画面の中では、金髪の王子キャラクターが微笑んでいた。

 攻略対象、アルベルト・ヴォン・ラインハルト。


 声が好きだった。

 立ち絵の表情が好きだった。

 冷たそうに見えて、実は誰より真剣に国のことを考えているという設定が好きだった。

 現実にいたらいいのに、と思っていた。

 その思いがあの世界へ自分を引き寄せたのか、それとも単なる偶然か。


 今となっては、どうでもいい。

 ただ。

 ゲームの中の彼は、こんなに複雑な目をしていなかった。

 夢の中で、エリシアはそう思った。

 婚約破棄の夜に見た金の瞳が、夢の中にも現れる。

 冷たいのに、熱い。

 遠いのに、近い。

 なんだ、あの目は。

 分からないまま、夢が揺れた。

――――

 目が覚めたのは、夜明け前だった。

 窓から差し込む光はまだ薄い。

 空は深い紺色で、東の稜線がかすかに白み始めているだけだ。

 なぜ目が覚めたのか、最初は分からなかった。

 だが次の瞬間、分かった。


 空気が、おかしい。

 部屋の中の魔力の流れが、乱れている。

 微かではない。はっきりと分かる揺らぎ。

 まるで、遠くで大きな石が池に投げ込まれたような。

 エリシアはベッドから出た。

 窓に近づき外を見た。


 東の空が黒かった。


「……っ」

 息が、止まった。

 昨夜確認した時は、ほんの小さな濁りだった。

 それが一晩で、空の三分の一を覆う黒へと膨れ上がっている。

 濃い。

 昨日の比ではない濃度の黒蝕が、空に滲んでいた。

 まるで、何かが弾け飛んだように。


 まるで、誰かが抑えていた栓を引き抜いたように。

 急速な変化。

 こんな速度は想定していなかった。

 エリシアは床に飛び降り、クローゼットを開けた。

 夜着のままでは動けない。

 素早く着替え、外套を羽織る。

 廊下に出る。

「ホルスト!」


 叫んだ瞬間に、老家令が廊下の向こうから現れた。

 まだ夜着姿だ、白いひげが乱れている。

 こちらの声を聞いて飛び起きてきたのだろう。

「お嬢様、空が」

「分かってます。馬を」

「しかし今からでは」

「王都に向かいます」

 ホルストが、目を見開いた。


「お嬢様、それは追放の身で王都に戻るということで」

「分かっています」

「お叱りを受けます。最悪、牢に」

「分かっています」

 エリシアはホルストの両手を掴んだ。

 老人の目を、まっすぐに見る。


「あそこには、民衆がいます。城があります」

 一息置いて。

「殿下がいます」

 ホルストは何も言わなかった。

 ただ、深く頭を下げた。

「馬の準備をいたします」


 夜明けとともに、ルーナを駆けた。

 王都まで、通常なら三日の道のりだ。

 だが魔力強化で馬を補助しながら、休みなく走れば一日と少しで着ける。

 領地を出た瞬間から、空気の質が変わっていた。

 重い。

 王都に近づくほど、重くなっていく。

 

 魔力の濁りが、濃くなっていく。

 草の色が、ところどころ変だ。道端の花が、黒く縁取られながら枯れている。

 黒蝕の粒子が、もう大気に混じり始めている。

 ルーナが、不安そうに耳をそばだてる。


「大丈夫よ」

 低く声をかけながら、エリシアは馬上で計算を続けた。

 準備は足りない。

 禁術を使うための精神的な準備は、ある。

 覚悟は、ある。

 だが物理的な準備が足りない。

 発動にはヴァレンシュタイン家の禁書庫の魔法陣が必要だと思っていた。

 あの陣を基点に、大規模な浄化を展開する。それが計画だった。

 だが王都で黒蝕が爆発的に広がれば、王都に陣はない。

 即席で展開するしかない。

 消耗は、計画の比ではない。

 ……構わない。

 エリシアは唇を引き結んだ。


 構わない。間に合わないよりずっとましだ。

 遠くで、雷鳴のような音がした。

 だが空に雲はない。

 黒い空があるだけだ。

 地鳴りのように響く轟音は、魔力の暴走が起こしている衝撃波だ。

 ルーナ頼むから、走って。



 王都の城門が見えた時、空はすでに半分以上が黒に染まっていた。

 正午を過ぎた頃合い。

 太陽は黒い雲の向こうに隠れ、昼間なのに薄暗い。

 城門の前は、混乱していた。

 馬に乗った騎士たちが、城外へ向かう民衆の流れを整理しようとしている。

 逃げる者、逃げられない者。

 子どもを抱えた母親が、騎士に怒鳴っている声が聞こえる。

 黒い粒子が、雨のようにぱらぱらと降っている。

 触れた草が、瞬時に枯れる。

 黒い雨だ。

 馬を止めて、飛び降りる。

 城門へ向かって走る。

「止まれ!今は城外への――」

 門兵が叫ぶ声が途中で止まった。


「え……エリシア様……!?」

 振り返る余裕はない。

「後で叱責は受けます。今は中に通して」

 門兵が呆然としている隙に、エリシアは城門を抜けた。

 城下町に入った瞬間。

 状況が、想定より悪いと分かった。


 通りの建物が崩れている。

 魔力の暴走で構造が歪んだのか、壁に亀裂が入り、石材が路上に散乱している。


 魔獣が走り回っている。

 犬が、猫が、城下町に住んでいたはずの動物たちが、黒く染まって暴れている。

 騎士たちが対応しているが、数が多い。

 悲鳴が、あちこちから聞こえる。

 エリシアは走りながら、魔力を走査した。

 核を探す。

 黒蝕には核がある。

 暴走の中心点。そこを潰さなければ、いくら表面を浄化しても意味がない。

 次から次へと新しい暴走が生まれる。

 核はどこだ。

 走る。

 ぶつかりそうになった市民を避ける。

 路地を抜け、広場に出る。

 その瞬間。見えた。


 広場の中心に、黒い渦があった。

 直径は五メートルほど。

 地面から空に向かって伸びる、黒い竜巻のような渦。

 その中心で、魔力が凝縮されて圧縮されて、爆発寸前の状態になっている。


 あれが核だ。

 エリシアは走りを止め、広場の中心へ向かった。

 核が自分を認識する。渦の回転速度が上がる。排除しようとしている。


「知ってるわ、そういう話でしょう」

 小さく呟いて、掌を掲げた。

 白い光が集まる。

 全力で、叩き込む。

 爆音と衝撃波が走り、エリシアの外套が風にはためく。広場の石畳に亀裂が入る。

 黒い渦が歪み、縮む。


 だが。

 消えない。核は健在だ。

 表面を削っただけだ。

 出力を上げる。


 頭の奥が痛む、指先の感覚が遠くなる。

 視界の端がぼやける。

 それでも止めない。

 もう一度、もう一度。


 黒い渦が縮んでいく。

 少しずつ。少しずつ。

 「下がれ!!」

 聞き慣れた声が。

 背後から。

 聞き違えるはずがない。


 10年間耳にしてきた声だ。

 冷静で、低く、よく響く。

 エリシアは振り返った。

 黒い軍服。銀の髪が乱れている。

 金の瞳が、まっすぐにこちらを見ている。

 アルベルト殿下。

 心臓が強く、跳ねた。


 こんな場所で、こんな状況で、そんなことを感じている場合ではないと分かっていた。

 でも跳ねた。


「なぜ戻った」

 叱責の声だった。

 だがその奥にあるもの――それは怒りではなかった。

 焦りだ。

 切迫した、怖れのような焦りだ。


「説明は後で」

 エリシアは前を向いた。

 笑おうとした。ちゃんと笑えているかどうか、自分では分からなかった。

「核を抑えます。殿下は周囲の避難誘導を」

「貴女一人では」

「十分です」


 言い切った。

 目が合う。

 一瞬。

 婚約破棄の夜と同じだった。

 言葉では届かない何かが、二人の間に満ちる。

 だが今は時間がない。

 黒い雨が強くなる。渦が膨張する。

 核が、次の暴発に向けて圧縮を強める。

 エリシアは地面に手をついた。

 石畳の上に、白い光で紋様を描く。


 即席の大規模浄化陣。

 ヴァレンシュタイン家の禁書庫の陣と比べれば、粗い。

 効率は悪い。だがここにそんなものはない。今あるもので戦うしかない。

 紋様が広がる。広場の石畳一面に、白い光の線が走る。


 黒い渦が、認識する。

 《浄化術式、展開を確認》

 《対象を排除する》

 何かが、圧し掛かってくる。


 物語の修正力の残滓。

 シナリオから逸脱した者を消そうとする、世界の意志。

「……しつこい」

 エリシアは歯を食いしばった。

 光の出力を上げる。

 陣が安定する。

 白い紋様が金に変わり始める。

 代償が、走る。


 胸の奥で、あの音がする。

 砂が、こぼれる音。

 削れる音、命の音。


 それでも止めない。

 

 視界の端で、殿下が動いている。

 騎士団に何かを指示している。

 騎士達が民衆を誘導している。


 このままでいい。

 あとは核を――。


 その瞬間、核が爆発した。

 圧縮された魔力が一気に解放される。

 衝撃波が同心円状に広がり、広場の石畳が一斉に砕ける。

 エリシアは吹き飛ばされ、地面を転がった。

 即席の浄化陣が、半分以上消えていた。

「――っ」

 立ち上がろうとした。

 膝が、ガクリと折れる。


 先ほどまでと違う消耗だ。

 核の暴発を直接受けた。

 魔力が一気に奪われた感触がある。


 空が、黒い。

 広場に誰もいない、避難は完了している。

 だが核は、まだある。

 砕けた石畳の中心で、黒い渦が再び圧縮を始めている。


 次の暴発が来る前に、仕留めなければならない。

 でも。

 浄化陣が足りない。

 魔力が足りない。このまま通常の浄化術式では届かない。


 もう禁術しかない。

 今ここで使うしかない。

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