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婚約破棄された悪役令嬢エリシアは、国を救った代償に貴方を忘れました。  作者: 仁科異邦
過去編

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32/35

無口な男の胸中

(ゼファーside).

 俺が初めて人を守れなかったのは、十歳の夏だった。

 弟が川に落ちた。

 子ども同士で遊んでいた。  

 弟が足を滑らせたが、俺は手が届かなかった。

 後三秒あれば、間に合った。

 でも俺は、動けなかった。

 怖かったのだと思う。

 どうすればいいか、分からなかったのだと思う。

 その間に、近くにいた大人が飛び込んで、弟を助けた。

 弟は助かった。

 でも、俺の中に何かが刻まれた。

 あの動けなかった時間を、一生かけて取り戻そうとしている気がする。


 騎士団に入ったのは、その記憶があったからだ。

 動ける人間になりたかった。

 間に合える人間になりたかった。

 第三騎士団の副団長になった時、少し違うと思った。


 俺が守りたいのは、国ではない。 制度でもない。

 俺の目の前にいる、誰かだ。

 名もない誰かでも。

 立場も関係ない誰かでも。

 危険な場所へ向かっていれば、止める。

 それだけが、俺のやりたいことだった。


 エリシア・ヴァレンシュタインの護衛を志願した時。

 王太子殿下に「頼む」と言われた。

 その二文字が、今でも頭にある。

 殿下は感情を表に出さない人間だ。

 それを知った上で、「頼む」と言った。


 つまり。

 あの二文字には、相当の重さがある。

 どれだけ心配しているか。

 どれだけ大切に思っているか。

 それが、「頼む」の二文字に入っていた。

 俺には、その重さが分かった。

 だから引き受けた。


 実際に傍にいて、分かったことがある。

 エリシア令嬢は、消えようとしている。

 気づいたのは、一か月が過ぎた頃だ。

 最初は、禁書庫の研究だと思っていた。

 でも段々と研究の目的が、見えてきた。


 禁術を使うつもりだ。

 代償を払って、何かを失って。

 それでも使うつもりだ。

 それが分かった時。

 俺の中で、何かが決まった。


 止めることはしない、と最初に決めた。

 彼女の選択を、俺が奪う権利はない。

 それは今も変わらない。


 でも。止めることと、傍にいることは、違う。

 彼女が消えるとしても。

 消えるその瞬間まで、傍にいる。

 それが、俺にできることだ。


 昨日、実験棟で魔力暴走が起きた。

 実験体がクレア令嬢の方へ向かった。

 俺は動いた。

 素手で実験体を掴んだ。

 少し、腕が焼けた痛くないとは言わない。

 でも、間に合った。

 それだけが重要だった。

 エリシア令嬢が浄化して、実験体は霧散した。

 二人で、うまくやれたと思ったら。

 令嬢が俺の腕を確認して、浄化を当ててくれた。

 それから。

「なぜ、あなたはいつもそうするの」

 聞かれた。


 正直に話した。弟の話を。

 川に落ちた話を。

 間に合わなかった時の話を。

 話しながら、不思議だと思った。

 俺は、滅多に人にこういう話をしない。

 嘘をつかないために、黙ることが多い。

 でも今日は、話したなぜか。


 この人には、嘘をついても意味がない気がするから。

 最初からそう感じていた。

 見透かすような目があるからではなく。

 この人自身が、嘘をつかない人間だからだと思う。

 嘘をつかない人間の前では、俺も話せる。


「傍にいたいと思う人間の傍にいられる仕事だから」

 そう言った時。

 令嬢が「傍にいたい人間というのは」と聞いた。

「護衛対象を含む、複数の人間だ」

 と答えた。

 曖昧な答えだった。

 でも正直な答えでもあった。


 護衛対象を「含む」。

 つまり、それだけではない。

 令嬢は、そこを聞かなかった。

 聞かなくてもいい、と思ったのか。

 あるいは聞いたら、答えてしまいそうだと感じたか。

 どちらにしても少し、安堵した。


「友人が傷つくと、困るから」

 令嬢がそう言った。

 友人。

 以前「友達にしてあげようか」と言われた時、「考えておく」と答えた。

 考え結論が出るのに、しばらくかかった。


 友達というものの定義が、俺には曖昧だったから。

 でも今日の「友人」という言葉は、すんなり入ってきた。

「友人で、いい」

 と言えた自分でも、少し驚いた。


「自分を大事にしてください」

 それを言われた時。

 うまく答えが出なかった。

 俺は自分を大事にすることを、あまり考えてこなかった。

 誰かを守ることが仕事で、自分が傷つくことは仕事の一部だと思っていた、でも令嬢が言った。


「友人として言う。自分を大事にしてください」

 友人として、という言葉がついていた。

 仕事の話ではない。

 令嬢が、俺に言いたいことを言っている。

 それが少し、重かった。

 重い、というのが正確かどうか分からない。

 ずっしりとした、温かい重さ、が近い。


 夜、弟に手紙を書く。

 短い手紙だった。

 翌日、令嬢に見せた。


「直すところはないわ」

 そう言ってくれた。

 添削がなかったことに、少し安堵した。

「もう少し書いてもいい」

 と言われた。

「令嬢が夜中に地下に降りる護衛をしている、くらいなら」

 令嬢がそう言った時。

 自分のことを書いていい、という許可をもらった気がした。

 俺のことを、弟に知らせていいと。

 令嬢との日常を、話していいと。

 それが少し、嬉しかった。

 嬉しい、という感情に名前をつけるのに、少し時間がかかった。

 俺は嬉しいという感情に、あまり慣れていないかもしれない。


 今夜。

 二通目の手紙を書いた。

 「令嬢が夜中に地下に降りる護衛をしている。何を調べているかは、まだ全部は分からない。でも大事なことだと思う。この人は、誰かのために何かをしようとしている。止めることはしない。ただ、傍にいる。それが俺にできることだ。」

 書いてから、少し考えた。

 送っていいか迷って。

 送ることにした。

 弟なら、笑うかもしれない。


「兄ちゃんらしい」と言うかもしれない。

 俺らしい、というのが何かは、自分では分からない。

 でも弟は知っているかもしれない。

 十歳の夏から、ずっと見てきた弟だから。


 窓の外を見た。星が出ている。

 故郷も、同じ星を見ているだろう。

 弟は今夜、何をしているか。


 手紙が届くまで、一週間かかる。

 返事が来るまで、二週間。

 それまで待てる。

 今は、ここにいる。

 ヴァレンシュタイン家の護衛として。

 令嬢の三歩後ろを、歩いている。


 一つだけ、まだ言葉にしていないことがある。

 令嬢が消えようとしている。

 それを、止めたい。

 だが止めることはしない、と決めた。

 でも、止めたい、という感情は、ある。

 矛盾している。

 でも両方、本当のことだ。


 せめて。

 消える前の時間が、少しでも良いものであるように。

 そのために、傍にいる。

 それが今の俺の、正直なところだ。


(令嬢へ。言わないことを書く。)

 これは送らない手紙だ。

 頭の中だけに書く。

 令嬢、あなたは強い人だと思う。

 でも、強いだけではない。


 怖くても、孤独でも、続ける人だ。

 それが、俺には眩しい。

 俺は間に合わなかった時間のために、騎士になった。

 あなたは何のために、あれだけの覚悟を持っているのか。

 誰かのため、と言う。

 国のため、と言う。

 でもあなた自身のためにも、あってほしい。

 少しでいい消えることを前提にしないで、生きることを。

 少し考えてほしい。


 言わない、言えない。

 でもそう思っている。


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