同志は、思ったより近くにいる
(マリアside)
修正力というものを、最初に感じたのはいつだったか。
転入して、三日目だったと思う。
朝、廊下を歩いていたら。
何かに引っ張られる感覚があった。
足が、勝手にエリシアの方向へ向こうとした。
いや、正確には違う。
足ではなく、感情が。
エリシアを見るたびに、わずかな苛立ちが湧く。
理由がない。
エリシアは何もしていない。
むしろ親切にしてくれている。
でも苛立ちが湧く。
これが修正力だと気づくのに、三日かかった。
ゲームのシナリオでは。
エリシアがマリアに嫌がらせをして、マリアが傷つく。
マリアが泣いて、王太子が怒る。
そこから断罪へ向かう。
その流れを作るために、修正力は働く。
エリシアにシナリオ通りの行動をさせるか。
あるいは。
マリアにシナリオ通りの感情を持たせるか。
エリシアが嫌がらせをしない以上。
修正力は私を使おうとしている。
私がエリシアを嫌うように。
私がエリシアを攻撃するように。
私が「被害者」になるように。
そういう感情を、外から植え付けようとしている。
気づいた時、背筋が冷えた。
私は前世の記憶がある。
だから分かった。
でももし気づかなければ。
知らないうちに、エリシアを傷つけていたかもしれない。
自分では理由も分からないまま、彼女を嫌いになって。
シナリオ通りの「被害者」として振る舞っていたかもしれない。
それが怖かった。
エリシアに話したのは、図書室での翌日だった。
昼食の後、二人で少し話せる時間があった。
「少し、話してもいいですか」
「どうぞ」
エリシアは本から目を上げた。
「修正力が、私を通してあなたを排除しようとしている感覚があります」
エリシアは少しの間、沈黙した。
「気づいていたのですか」
「三日前から」
「……それを、私に言うということは」
「抗うつもりです。でも、一人では難しくて」
エリシアが私を見た。
少し、目が変わった。
測る目から、確認する目に。
「具体的には、どんな感覚ですか」
「わずかな苛立ちが湧く。あなたを見ると。理由がないのに」
「今も?」
「今は、ありません。話すようになってから、薄れました」
「なぜだと思いますか」
少し考えた。
「修正力はシナリオを必要とします。シナリオが崩れると、力が行き場を失うのかもしれません。私があなたの事情を知って、共感しているから、感情を植え付けにくくなった」
エリシアが少し目を細めた。
「……よく考えていますね」
「前世でゲームを三周しましたから」
「三周も」
「エリシアさんのことが気になって、三周目はあなたの動向ばかり追っていました」
エリシアが、少し意外そうな顔をした。
「……悪役令嬢の動向を追う人がいるのですか」
「います。私がそうでした」
「なぜ?」
「なんとなく、あなたのことが好きだったのかもしれません。嫌いになれなかった、が正確ですが」
エリシアは少し間を置いた。
「……変わっているわね、あなたも」
「そうですか?」
「悪役令嬢のことを、ゲームで好きになる人がいるとは思わなかった」
「前世でも、そういう人は多かったですよ。ファンが多かった」
「ファンね‥」
「はい。エリシア・ヴァレンシュタインは、ゲームの中で人気のキャラクターでした」
エリシアが、少し困ったような顔をした。
「……それは、知らなかった」
「攻略できないキャラクターだったので、余計に惜しむ人が多くて」
「攻略できない」
「はい。救えないキャラクターだったので」
少し間があった。
エリシアが、窓の外を見た。
「……救えない、か」
「でも今は、違います」
エリシアがこちらを向いた。
「あなたが、最初から違う選択をした。だから、シナリオは最初から崩れています」
「崩れていることで、黒蝕が早まっているかもしれないけれど」
「それでも」
私は真っ直ぐに言った。
「あなたが選んだことで、世界が変わっています。それは確かです」
エリシアは少しの間、私を見た。
それから。
「……ありがとう」
また言ってくれた。
昨日よりも、少し自然に。
それからの日々。
私はエリシアと、少しずつ話す時間を作った。
リュカとクレアと四人でいる時間も増えた。
修正力の感覚は、確かに薄れていった。
だが完全に消えたわけではない。
時々、ふとした瞬間に、奇妙な感情が湧くことがある。
でも、気づいている。
気づいていれば、流されない。
それだけで、十分だった。
ある日の放課後。
エリシアが魔法の練習をしていた。
中庭で、一人で。
白い光を掌に集めて、少し離れた場所の魔法陣に向けて放つ。
精密だった。
光が、綺麗に陣の中央に収まる。
私は少し離れた場所から見ていた。
邪魔するつもりはなかった。
ただ、見ていたかった。
エリシアが練習している姿が、好きだった。
完璧な令嬢の顔ではなく、ただ魔法に集中している顔。
その顔の方が、本物の彼女に近い気がした。
少しすると、エリシアが気づいた。
「あら見ていたの?」
「ごめんなさい。邪魔するつもりは」
「いい。邪魔ではないわよ」
短い返事だった。
エリシアが近づいてきた。
「マリア、浄化魔法は使えると言っていたわね」
「少しだけですが」
「見せてもらえますか」
少し驚いた。
「私の魔法を見たいのですか」
「参考にしたいことがあって」
素直な言い方だった。
私は掌を広げ白い光を集める。
エリシアの光より、小さい。
でも、性質が似ている。
「……綺麗ですね」
エリシアが少し目を細めた。
「ヴァレンシュタインの浄化とは、少し質が違う。でも、根は同じね」
「そうなのですか」
「聖女の浄化は、外から清める。ヴァレンシュタインの浄化は、中から解体する。方向が違うだけで、目的は同じ」
それは、考えたことがなかった。
「……同じ目的を持つ、別の力」
「そう」
エリシアが光を消した。
「一つ、頼んでいいですか」
「なんですか」
「黒蝕が来た時。あなたの力も使えますか」
少し間があった。
「……私の力で、何ができますか」
「禁術の補助ができる可能性がある。今は確認していないけれど、聖女の浄化と禁術が組み合わされば、代償が軽減できるかもしれない」
心臓が跳ねた。
「代償が、軽減できる?」
「可能性だけど」
「……調べますか」
「調べたい。でも今は、クロード教授との研究が先で」
「私も一緒に調べてもいいですか」
エリシアが少し間を置いた。
「いえ、危険なことに巻き込みたくない」
「もう巻き込まれています」
「あなたが選んでいるなら、止めない」
少し間があった。
エリシアが頷いた。
「……分かったわ。一緒に調べましょう」
それが、二人の共同研究の始まりだった。
夜、寮の部屋で。
日記を書いた。
前世の癖で、今世でも時々書いている。
「今日、エリシアと共同研究の話をした。代償の軽減について。可能性しかない。でも、可能性があるなら追いたい」
「彼女は一人で全部背負うつもりでいる。でも、私が隣にいる限り、一人にはしない」
「修正力がまた少し弱まった気がする。シナリオが、どんどん遠くなっている」
「それが、怖いのではなく。嬉しい」
ペンを置き窓の外を見た。
星が出ている。
エリシアも今夜、空を見ているだろうか。
たぶん、見ている。
あの人は、よく空を見る。
たぶん、遠くにいる誰かのことを思いながら。
私には、その誰かが誰か、なんとなく分かるが言わない。
でも、知っている。
エリシアが笑う時。
ふと遠くを見る時その目の先に、何があるか。
「……応援しています」
声に出した。
誰にでもなく。
でも、届けばいい。
遠くの星に向かって。
(エリシアside)
マリアが「修正力が私を通してあなたを排除しようとしている」と言った時。
正直、驚いた。
気づいていたのか、と。
そして。
それを私に言いに来たのか、と。
修正力に抗うことを、自分で選んだのか、と。
この娘は、本当に諦めない。
ゲームの中のヒロインは、ただ流れに乗っているだけだった。
でも今のマリアは違う。
流れに抗って自分で選んでいる。
それが、眩しかった。
「エリシア・ヴァレンシュタインのファンが多かった」という言葉が、夜になってからも頭に残っていた。
救えないキャラクターを、惜しむ人がいた。
前世では。
でも今世では。
マリアが「一緒に調べましょう」と言った。
救えないかもしれない。
でも、可能性を追いたいと言った。
それが少しだけ怖かった。
希望というものは、怖い。
持ってしまうと、失った時が怖い。
でも「持たなければ良かった」とは、思えない。
持っていよう。
失っても、前に進めると言ったのだから。
持っていよう。




