リュカは、うるさい
学院に入って、一か月が経った。
日常というのは、どこでも作られるものらしい。
朝、寮から教室へ。
授業を受けて、昼食をとって、また授業。 夕方、ゼファーと合流して帰る。
週に一度、クロード教授の授業の後に残って話す。
まだ「代償の詳細」は教えてもらっていない。 でも少しずつ、核心に近い話をしてくれるようになっていた。
それから。
この学院には、ゲームに存在しないクラスメートがいる。
リュカ・エドモンドという男だ。
最初に話しかけてきたのは、入学して三日目だった。
昼食の時間。
私はクレアと二人で、端の席に座っていた。
「隣、いい?」
突然、声をかけられた。
見上げると、明るい茶色の髪の男が立っていた。
笑っている。
よく笑う顔だ、というのが第一印象だった。
エドモンド伯爵家の家紋のバッジをつけている。
「……どうぞ」
断る理由もないので、答えた。
男は当然のように隣に座った。
「俺、リュカ・エドモンド。伯爵家の三男。よろしく」
「エリシア・ヴァレンシュタイン」
「知ってる。王太子殿下の婚約者でしょ」
あっけらかんと言った。
「そうよ」
「すごいね。緊張しない?」
「何が」
「王太子の婚約者って、なんかこう……色々大変そうじゃん」
初対面でそこまで踏み込んでくる人間は、珍しい。
「慣れているわ」
「そっか。俺は無理だな。そういう立場」
「三男だから関係ないでしょう」
「そう!だから気楽でいいよね」
リュカはそう言って、昼食を食べ始めた。
隣でクレアが目を丸くしていた。
翌日も、翌々日も、リュカは昼食の席に来た。
断っていないから来るのか、歓迎されていると思っているのか。
たぶん後者だ。
話題は多い。
授業のことや他のクラスメートのこと。
学院の食堂のメニューのこと。
全部、軽い。
深いところには来ない。
ただ、うるさい。
いい意味でではなく、純粋にうるさい。
「エリシアってさ」
「ヴァレンシュタインと呼びなさい」
「えー、長い。エリシアでよくない?」
「よくない」
「じゃあエリ」
「余計だめ」
「エリシア様?」
「それも違う」
「難しいな……」
クレアがくすくす笑っていた。
私は紅茶を飲んだ。
一週間後、廊下でリュカに呼び止められた。
「ちょっといい?」
「何」
リュカは少し真面目な顔になった。
珍しい。
「エリシアって、友達いる?」
唐突な質問だった。
「クレアが」
「他は?」
「……それくらいよ」
「なんで?」
「なんでって」
「俺、入学してからずっと見てたんだけど」
リュカが腕を組んだ。
「エリシア、壁作ってるよね。みんなに」
見抜かれていた。
意外だった。
よく笑うだけの軽い男だと思っていた。
「そんなことはないわ」
「あるよ。クレアには少し開けてるけど、他の人には全部、令嬢の顔してる」
令嬢の顔。
完璧に振る舞っている、ということは伝わっているらしい。
「令嬢だから」
「でも中身は別でしょ」
真っ直ぐな目で言った。
この男、馬鹿ではない。
「……何が言いたいの」
「友達になればいいじゃん、って話」
「あなたと?」
「俺も入れて。クレアとも」
少し間があった。
「理由は」
「なんとなく」
「なんとなく、で人に話しかけるの」
「うん。なんか、面白そうだったから」
面白そう。
クレアも似たようなことを言っていた。
「……私は面白くないわよ」
「嘘だ」
即答だった。
「なんで分かるの」
「目が面白い」
また目の話だ。
なぜこうも、色々な人に目を言われるのか。
「目が面白い、とはどういう意味」
「なんか、色々知ってそうな目。でもそれを言わないようにしてる目」
少し、間があった。
「……深読みしすぎよ」
「かもしれないけど、外れてないでしょ」
外れていない。
この男、かなり鋭い。
でも。
「なんで友達にならないの?損じゃん」
リュカは続けた。
「俺、秘密は守れるし、面倒なことには首突っ込まないし、話すのが好きだから聞き役にもなれるよ」
「自己PRが上手いわね」
「褒め言葉として受け取る」
少し笑えた。
自分でも気づかないうちに、口の端が上がっていた。
リュカがそれを見て、ぱっと顔を輝かせた。
「笑ったじゃん!」
「笑っていないわ」
「笑ってた!クレアも見た?」
「見ました!」
クレアがどこからか現れた。
いつから聞いていたのか。
「クレア、あなた」
「ごめんなさい、聞こえちゃって。でも、エリシア様笑ってましたよ本当に」
二対一になった。
「……うるさい人ね」
リュカに言った。
「そう言われる」
「自覚があるなら直しなさい」
「でも直すと俺じゃなくなるから」
それは確かにそうかもしれない。
少し、考えた。
「……友達の定義は何」
「え?」
「あなたの言う友達は、どういうものを指しているの」
リュカは少し考えた。
珍しく、真剣な顔で。
「なんか、困った時に連絡できる人、かな。別に毎日話さなくてもいいし、深いこと話さなくてもいいけど。いる、ってことが分かってる人」
いる、ってことが分かってる人。
シンプルだった。
難しくなかった。
「……本当のことを全部話さなくていいの」
「全部話せる相手なんて、そうそういないよ」
あっさり言った。
「だからって友達じゃないとはならないでしょ」
そういうものか、と思った。
私は「本当のことを話せる人がいない」と孤独を感じていた。
でも。
全部話せなくても、いることが分かっていれば、それでいいのかもしれない。
「……分かった」
言っていた。
「え」
「友達でいい」
リュカが、今日一番の顔で笑った。
「やった!」
「ただし」
「なに」
「うるさくしすぎない。深入りしない。秘密は守る」
「全部できる」
「本当に?」
「本当に。俺、意外とそういうの得意なんだよね」
得意、というのが本当かどうかは、まだ分からない。
でも。
嘘をついている目ではなかった。
「クレアも入れていいわ」
「やったー!」
クレアが飛び跳ねた。
廊下で、少し目立ちすぎだ。
「騒がしい」
「ごめんなさい!でも嬉しくて!」
リュカがにっこりした。
「俺、エリシアが笑うの好きだな」
「また笑ってないわ」
「今ちょっと笑いかけてた」
「笑っていない」
「惜しかった」
ため息をついた。
でも。
悪い気はしなかった。
その夜、寮の部屋で一人になってから。
リュカのことを考えた。
ゲームに存在しないキャラクター。
なぜいるのか、という疑問は、最初から持っている。
物語の修正力は、シナリオに沿って動く。
登場しないはずの人物は、いないはずだ。
でも、いる。
つまり。
リュカは、この世界が「純粋なゲームではない」ということの証明だ。
ゲームをベースにしているが、完全には一致しない。
独自に動いている部分がある。
それは以前から感じていたことだ。
でも、リュカの存在で、それが確信に変わった。
この世界は、生きている。
ゲームではない。
だとすれば。
黒蝕も、ゲームの通りに動くとは限らない。
タイムラインが、ずれる可能性がある。
早まる可能性が、ある。
少し、背筋が冷えた。
焦ってはいけない。
でも、計画を少し修正する必要があるかもしれない。
もう一つ、考えたことがある。
「全部話せなくても、いることが分かっていれば、それでいい」
リュカの言葉だ。
私は誰かに全部を話せない、と孤独を感じていた。
でも。
全部話せなくても、傍にいてくれる人が増えている。
クレアにゼファー、そして今日、リュカ。
全部は言えない。 でも、いる。
それは。
孤独とは、少し違う何かだ。
目を閉じる前に、窓の外を見た。
夜空に星が出ている。
王都でも、同じ星を見ているだろうか。
殿下は今夜、何をしているだろう。
また考えてしまった。
「考えないようにしている」が、上手くいっていない。
でも。
今夜は少しだけ、許した。
考えても、いい。
全力で好きでいることを、自分に許可したから。
おやすみなさい、と。
遠い誰かに向かって、心の中だけで言った。
(リュカside)
その夜、寮の部屋で、天井を見ていた。
エリシア・ヴァレンシュタインが笑った瞬間を、思い出した。
ほんの少しだけど、確かに笑った。
あの笑顔を引き出せた気がして、なんか嬉しかった。
でも同時に。
少し、引っかかっていた。
「なんで友達にならないの?損じゃん」
俺がそう言ったのは、本当になんとなくだった。
ただ。
あの娘の目が、ずっと気になっていた。
色々知ってそうな目。
でも言わないようにしてる目。
それだけじゃない。
少し、疲れている目。
笑っていても、どこかで疲れている。
完璧に振る舞いながら、一人で何かを背負っている目。
俺はそういう目に、弱い。
過保護とか、お節介とか言われるのは分かってる。
でも。
見て見ぬふりができない。
「深入りしない」と約束したけど。
どこまでが深入りで、どこまでが普通なのか。
それが正直、まだ分からない。
まあ、いいか。
分からないなりに、傍にいればいい。
それくらいのことだ。
目を閉じた。
明日も、うるさくしよう。
あの笑顔が、またこぼれるように。




