知識は、時として刃になり己を傷つける
(クロードside)
俺が禁術の研究を始めたのは、十八歳の時だった。
理由は単純だ。
誰も研究していなかったから。
危険だから、触れてはいけない。
代償が大きいから、存在を封じておく。
そういう理由で、学術的な研究がほとんど進んでいなかった。
でも俺には、それが不思議だった。
存在するなら、理解すべきだ。
理解できないものを「危険だから封じる」のは、怠慢に見えた。
だから研究した。
六年で、それなりに分かってきた。
禁術の構造、代償の原理。 、過去の使用者たちの記録。
そして一つ、確信していることがある。
禁術は、いつか必ず使われる。
なぜなら、それが存在する理由があるから。
問題は使う人間が、代償を理解した上で使えるかどうかだ。
エリシア・ヴァレンシュタインが、最初の授業で手を挙げた時。
正直、驚いた。答えが正確すぎたからだ。
「汚染の構造を解体して再編する」という説明は、禁術の原理に近い。
通常の浄化魔法の教本には、そこまで書かれていない。
どこで知ったのか。
ヴァレンシュタインの蔵書、と言った。
否定はしない。あの家には、王立図書館にもない資料がある。
でも知識を持っているだけではない。
使える知識として持っていると思われる。
その違いは大きい。
研究者でも、禁術の理論を「使える形で」持っている人間は少ない。
知識と実践の間には、深い溝がある。
この娘は、その溝を渡りかけている気がする。
授業後、残るよう促した。
「禁書庫に入ったことはあるか」と聞いた。
「家の書物には自由に触れられます」と返ってきた。
答えになっていない。
つまり、イエスだ。
入っている事は間違いない。
それから「禁術の代償を知りたい」と言われた時。
少し、考えた。
この娘は、代償を知ってどうするつもりか。
純粋な好奇心で聞く目ではなかった。
必要だから聞いている目だった。
つまり使うつもりがある目だ。
「もう少し、あなたのことを知ってから」と言って、教室を出た。
嘘ではない。
でも、本当のことも全部は言っていない。
本当のことを言えば。
「代償を教えれば、あなたが使う理由を得てしまう」
俺は禁術の研究者だ。
知識を持っている。
でも、知識を渡すことが、その人間を危険に近づけるなら。
渡す前に、考える必要がある。
それだけのことだった。
翌日。
俺は王城の記録室に向かった。
ヴァレンシュタイン家の公開記録を調べるためだ。
令嬢について、知れることを知っておきたかった。
公爵家の一人娘。
母は五年前に病で他界。
父親は領地をよく治める、信頼の厚い当主。
令嬢本人については。
十歳頃から、魔法の才能が急激に伸び始めた。
十歳頃から普通、魔法の才能が「急激に伸びる」ことはない。
ゆっくり開花するか、最初から高い水準にあるか、どちらかだ。
十歳で急激に‥何かが、変わったという事だ。
俺はしばらく、その記録を見ていた。
次の授業で、令嬢を観察した。
他の生徒が理解に詰まっている問いを、すでに先の理屈まで考えている目をしている。
でも、手は挙げない。
最初の授業だけ手を挙げたのは、おそらく意図的だった。
自分の知識量を、一度だけ見せた。
そして俺の反応を確認したと感じた。
それから、引っ込んだ。
目立ちたくない、ということか。
でも俺を信用できるかどうか、測っている。
なかなか慎重な娘だ。そして、なかなかに賢い。
三回目の授業の後、俺の方から声をかけた。
「ヴァレンシュタイン、少し残れますか」
令嬢は頷いた。
他の生徒が出て行くのを待って、俺は椅子に座った。
令嬢は立ったままだった。
「座っていい」
「立っていた方が落ち着きます」
「そういう人もいる」
俺は少し考えてから、問いを変えた。
「魔法の第二段階は、どこまで来ていますか」
少し間があった。
「七割程度です」
入学して一か月で、第二段階の七割。
もとから高い水準にあったとしても、速い。
「独学ですか」
「家庭教師から基礎を。応用は自習です」
「自習で、どこを参考にしていますか」
「ヴァレンシュタインの蔵書と」
少し間があった。
「禁書庫の資料」
今度は、はっきり言った。
俺は眼鏡を押し上げた。
「正直に言いましたね」
「先生には嘘をついても意味がないと思いまして」
「なぜ」
「どうせ見抜くから」
少しおかしかった。
笑わなかったが、そう思った。
「では正直に聞きます。代償の詳細を教えてもらえますか?」
俺は答えた。
「今は無理です」
「理由を聞いてもいいですか?」
「あなたが、それを知ってどうするつもりか、分からないから」
令嬢は少し目を細めた。
「知った上で覚悟を決めたい、ということでは不十分ですか」
「十分かもしれない。でも俺はもう少し、確認したいことがある」
「何を」
俺は少し考えた。
「あなたが、なぜそれを必要としているか」
沈黙。
令嬢は俺をまっすぐ見た。
「……国のためです」
短い答えだった。
俺は少し間を置いた。
「もう少し、聞かせてもらえますか」
「今は、これだけです」
押してもこれ以上出てこない、という意志が見えた。
「分かりました」
俺は立ち上がった。
「では、また来てください。少しずつ、話しましょう」
「……先生は、なぜそこまで確認するのですか」
俺は少し考えてから、正直に言った。
「知識を渡すことで、あなたを危険に近づけたくないから」
令嬢が、少し目を丸くした。
「でも、渡さなければ、もっと危険に近づくかもしれない」
俺の言葉に、令嬢は少し時間をかけて頷いた。
「……そうです」
「だから確認したい。あなたが、正しく知識を使える人間かどうか」
「正しく、というのは」
「代償を、理解した上で選べる人間かどうか」
長い沈黙があった。
令嬢は窓の外を一度見てから、俺に向き直った。
「……それを確認してから、教えてくれるのですか」
「そのつもりです」
「どれくらいかかりますか」
「あなた次第です」
また少し間があった。
「分かりました」
令嬢は頭を下げた。 深く、丁寧に。
「よろしくお願いします、先生」
令嬢が教室を出た後。
俺は一人、椅子に座っていた。
「国のためです」
その言葉が、頭に残っていた。
嘘ではないと思ったが全部ではない。
国のため、と言えるのは、国が危険にさらされることを知っているからだ。
何かを、知っている。
禁術が必要になるほどの、何かを。
もしかしてアレか‥黒蝕。
俺は黒蝕について、研究の過程で知っていた。
魔力汚染が大規模に発生した場合の、最悪のシナリオ。
それを止めるには、禁術しかないという試算。
まさか、それを知っている人間が現れるとは思っていなかった。
ましてや十五歳の令嬢が。
窓の外を見た。秋の空は高い。
知識は刃だ。
使い方を知らなければ、自分を傷つける。 使い方を間違えれば、人を傷つける。
でも。
使わなければ、守れないものがある。
令嬢は、何かを守るために、刃を手に入れようとしている。
それが分かった。
だから俺は、渡す前に確認したい。
正しく、使える人間かどうか。
使う覚悟があるかどうか、ではない。
覚悟があるのは、見れば分かる。
問題は。
代償を本当の意味で理解して、それでも選べるかどうか。
禁術の代償は俺が六年かけて調べた限り。
想像より、ずっと大きい。
「何を失うかは、術式が決める」という記録は正しい。
だが俺の研究では、もう一歩踏み込んだ結論がある。
術式は、使用者の「最も大切なものを選ぶ」のではない。
正確には。
「使用者が、失っても前に進めるものを選ぶ」のだ。
それが、同じことのように見えて、全然違う。
最も大切なものを失えば、人は壊れる。
でも術式は、人を壊さない。
使用者が、それを失っても生きていけるように。
失う前に、生きる力を確認してから、選ぶ。
だから。
あの令嬢が禁術を使った場合。
失うのは彼女が生きていける、ギリギリの場所にある、最も大切なもの。
それが何かは、俺には分からない。
でも。
彼女が手放せないと思っているものを、術式は見つけ出す。
それが怖い。
立ち上がって、荷物をまとめた。
令嬢が「よろしくお願いします」と言った時の目が、頭に残っていた。
強い目だった。覚悟がある目だった。
でも同時に。
十五歳の目だった。
怖さも、孤独も、全部抱えている、ただの少女の目だった。
「知識を渡すことで、あなたを危険に近づけたくないから」
正直に言ったのは、俺にしては珍しかった。
でも、あの娘には嘘をついても意味がない気がした。
「どうせ見抜くから」と言っていたが。
たぶん。
俺も、あの娘のことが少し分かりかけているのであろう。
刃を手に入れようとしている人間。
でも。
刃で、何かを守ろうとしている人間。
そういう人間には知識を渡す価値がある。
ただし。
渡す前に、もう少しだけ確認させてほしい。




