ゼファーは、嘘つきが嫌いらしい
(ゼファーside)
俺は嘘が嫌いだ。
嘘をつく人間が、という意味ではない。
嘘をつかなければならない状況が、嫌いだ。
だから俺は、なるべく喋らない。
喋らなければ、嘘をつかずに済む。
曖昧にしなければならない時は、黙る。
黙ることは、嘘ではない。
そういう生き方をしてきた。
第三騎士団でも、それは変わらなかった。
無口な副団長、と言われる。
怖い、とも言われる。
怖くはない、と思う。
ただ、余計なことを言わないだけだ。
ヴァレンシュタイン家への護衛を志願したのは、三週間前だった。
皇太子殿下に呼ばれたのが、その一か月前。
謁見の間ではなく、書庫の奥の小部屋だった。
側近も呼ばず、殿下は一人で文献を広げていた。
「クロス、座れ」
命令ではなく、要請のような言い方だった。
俺は椅子に座った。
「公爵令嬢の護衛の話は聞いたか」
「噂程度は」
「志願者を募っている。お前に頼みたい」
直接的だった。
皇太子という立場の人間にしては、珍しい頼み方だ。
「理由を聞いてもいいですか」
「信用できる人間が必要だ」
「他にもいるでしょう」
「彼女に合う人間が必要だ」
少し間があった。
「どういう意味ですか」
殿下は俺を見た。
金の瞳、年齢の割に、深い目だ。
「令嬢は、うるさい人間を好まない。それから、鋭い人間を嫌がらない」
「……観察しているのですね」
「婚約者だから」
淡々とした声だった。
だが、その奥に何かある気がした。
「それだけではないでしょう」
言ってから、少し驚いた。
皇太子に向かって、踏み込んだことを言った。
殿下は少し目を細めた。
「……そうだな」
認めた。
「彼女は何かを知っている。そして、それを一人で背負おうとしている」
「なぜそう思うのですか」
「三年間、夜中に地下の禁書庫に通っている。魔法の腕は同い年の令嬢より一段階以上速い。それだけで、普通ではないことが分かる」
俺は黙って聞いた。
「止めることはしない。ただ、傍にいてほしい」
殿下はそこで少し間を置いた。
「……頼む」
最後の二文字が、少し違った。
命令ではなく本当頼んでいるように感じた。
俺は答えた。
「承知しました」
それが、始まりだった。
実際に令嬢に会って、最初に思ったのは。
想像と、少し違う。
公爵令嬢。
皇太子の婚約者、完璧な礼儀と、金の髪と、翡翠の瞳。
それは想像通りだった。
違ったのは、目だ。
翡翠の瞳の奥に、妙に静かな光がある。
十五歳の目ではない。
何十年も生きてきたような、落ち着き。
あるいは、何十年分の重さを最初から持っているような。
どちらかは分からない。
ただこの人は、何かを隠している。
それだけは、最初の十秒で分かった。
最初の一週間、俺は観察した。
朝の魔法練習。
午後の勉強、夕食後の読書と令嬢は規則正しい。
完璧だ。
完璧すぎる、という言い方が正確かもしれない。
人間は、完璧に振る舞い続けることができない。
どこかで崩れる。
でも彼女は崩れない。
正確には、崩れないように、意識して保っている。
その努力が、微かに見える。
それが分かる人間は、あまりいないだろう。
俺は仕事柄、人間の微細な変化を読む癖がある。
だから見える。
完璧な令嬢の裏側で、何かが動いていることが。
五日目の夜、地下へついていった。
血で開く扉、禁書庫。
驚きはしなかった。
殿下から、ある程度は聞いていた。
でも実際に見ると、少し違う。
令嬢は迷いなく扉を開ける。
慣れている。
何度も、やってきたのだ。
俺は扉の外で待った。
中に入れないのは分かっている。
彼女の領域だ。
入る必要もない。
一時間後、令嬢が出てきた。
石段を上りながら、聞いてきた。
「一つ、聞いてもいいですか」
「どうぞ」
「夜中に地下に降りる令嬢の護衛を、なぜ志願したの」
俺は少し考えた。
本当のことは言えない。
殿下に頼まれたとは言えない。
でも嘘もつきたくない。
「……適任だと思った」
これは本当のことだ。
うるさくない。
踏み込みすぎない。
そして、見ていないふりができる。
そういう護衛が、この人には必要だと思った。
理由の全部は言わなかった。
でも嘘はついていない。
それから二週間。
令嬢のことが、少しずつ分かってきた。
笑うことが少ない。
でも、笑えないわけではない。
最初の夜、廊下を歩きながら少し笑った。
隠そうとしていた、でも見えた。
人前では感情を抑えている。 でも抑えていることが、分かる。
それは孤独だ。
クレアという令嬢がいる。
友人と言えるかもしれない。
だが本当のことを話せているかどうかは、別だ。
「本当のことを話せる友達という意味では」
俺が聞いた時、令嬢はそう言った。
本当のことを、話せる相手がいない。
それを、あっさり認めた。
言ってから少し驚いた顔をしていたが。
俺は、なぜそれを話してくれたのか、少し考えた。
たぶん。
俺が、喋らないからだと思う。
喋らない人間には、秘密が漏れにくい。
それを、彼女は本能的に感じているのかもしれない。
その夜、一人で考えた。
殿下は言った。
「彼女は何かを知っている。そして、それを一人で背負おうとしている」
二週間で、それが正解だと分かった。
何を知っているのかは、まだ分からない。
禁書庫の術式については、俺も調べた。
代償が必要な、大規模浄化の禁術。
令嬢はそれを研究している。
なぜか。
使うつもりだから、以外に理由がない。
何かのために。
誰かのために?
命を削るかもしれない術を、一人でこっそり準備している。
それが分かった時。
俺の中で、何かが決まった。
止めることはしない。
殿下も止めていない。
彼女の選択を、誰も奪えないし、奪うべきでもない。
だがせめて。
最後まで、傍にいる。
それが俺にできることだ。
翌朝。
令嬢が魔法の練習をする間、俺は庭の外を見ていた。
見ていない、というのは嘘になる。
時々、視界の端で確認する。
白い光が、安定している。
先週より、少し強い。
速いペースで伸びている。
それだけ、必死だということだ。
タイムラインがあるのだと思う。
いつまでに、この力に到達しなければならない。
そういう計算が、この人の行動全体にある。
俺は庭の外を見たまま、考えた。
この人は消えようとしている。
命を削ることを、最初から織り込んでいる。
そのために、三年以上かけて準備をしてきた。
怖くないはずがない。
それでも続けている。
「……強い人だ」
声に出さずに、思う。
強さの種類が、俺の知っているものと違う。
剣の強さでも、魔法の強さでも、地位の強さでもない。
諦めない、という強さだ。
怖くても、孤独でも、続ける。
そういう強さ。
夕刻。
令嬢がクレアという令嬢とお茶をしていた。
俺は三歩後ろに立っていた。
クレアが俺を見て、騒いだ。
格好いい、と言った。
聞こえていたが、反応しなかった。
それよりクレアが「殿下とはどうなんですか」と聞いた時。
令嬢の目が、少し動いた。
「泳いだ」という表現が正確かは分からないが、揺れた。
そして「それだけよ」と言った時。
声が、ほんの少し低くなった。
俺は庭の外を見たまま、全部聞いていた。
殿下への気持ち。
それは、あるのだと思う。
隠している。
認めていないのかもしれない。
でも、ある。
それは少し、複雑な気持ちになった。
複雑、というのが正確かどうかも分からないが。
うまく名前をつけられない感情が、少しだけあった。
夜。
令嬢に「昼間のこと、聞こえていたでしょう」と聞かれた。
聞こえていた。 全部。
「忘れてください」と言われた。
「記憶を消す術は持っていない」と答えた。
嘘ではない。
「友達はいるの」と聞かれた。
「いない、と思う」と答えた。
これも、嘘ではない。
同僚はいる。
話せる相手もいる。
だが「友達」の定義が分からない。
令嬢は「本当のことを話せる友達という意味では」と言った。
その定義なら俺も、いない。
ただ。
この人とは、少し話せる気がする。
理由は分からない。
お互い、余計なことを言わないからかもしれない。
お互い、本当のことを全部は言わないが、嘘もつかないからかもしれない。
「よろしくね」と言われた。
「ああ」と答えた。
それだけだった。でも。
俺にしては、珍しく、すぐに答えが出た。
眠る前に、一度だけ考えた。
殿下に頼まれた。
「頼む」と言われた。
あの二文字が、まだ頭にある。
殿下は、令嬢のことが心配なのだと思う。
それ以上かもしれない。
だが、それを言葉にするつもりはないのだろう。
だから俺も、言葉にしない。
ただこの護衛は。
仕事として引き受けた。
でも今は、仕事だけではない気がする。
それが何なのかは、まだ分からない。
分からないうちは、黙っておく。
それが俺の、やり方だ。




