無口な護衛ゼファー
学院入学の一か月前。
屋敷の玄関に、見知らぬ騎士が立っていた。
背が高く肩幅が広い。
黒い軍服に銀の留め具。
それに第三騎士団の紋章。
顔は、整っていると思う。 ただ表情がない。 正確には、あるのかもしれないが、読めない。
年齢は二十歳前後だろうか。
その騎士は、私を見ると、無言で頭を下げた。
深く丁寧に。
それだけだった。
「……初めまして」
私が声をかけると、顔を上げた。
鉄灰色の瞳。
静かな目だった。
「私はゼファー・クロスと申します。お嬢様の護衛を命じられました」
短い自己紹介だった。
以上、という空気が漂っていた。
父から話は聞いていた。
学院入学を前に、護衛騎士をつける、と。 公爵令嬢が学院に通うにあたり、王城からの派遣という形で。
ただ、こんなに無口な人が来るとは思っていなかった。
「ヴァレンシュタイン家の事情はご存知ですか」
「必要な分は」
「私が魔法の練習を頻繁にすることも」
「聞いている」
「夜間に出歩くことがあっても、構いませんか」
一瞬だけ、間があった。
「構わない」
答えは短かった。
「……よろしくお願いします、クロス卿」
「ゼファーでいい」
「では、ゼファー」
また深く頭を下げた。 それだけだった。
最初の一週間は、お互いの探り合いだった。
私は普通に過ごした。
朝の魔法練習と午後の勉強。
夕食後の読書。
ゼファーは常に、三歩後ろにいた。
話しかけてこないし意見も言わない。
しかし気配はあるのでいることは分かる。
でも邪魔ではない。不思議な人だ、と思った。
五日目の夜。
いつも通り、地下へ降りようとした。
廊下に出ると、ゼファーが壁に背を預けて立っていた。
「……まだ起きていたの」
「護衛だから」
「もう夜中よ」
「知っている」
短い。
私は少し考えてから、歩き出した。
ゼファーは黙ってついてきた。
地下への階段を降りる。 重たい鉄扉。
指先に小さく切り目を入れて、扉を開ける。
ゼファーは、それを見ていた。
止めなかった。
驚いた様子もなかった。
禁書庫の中に入る。ゼファーは扉の外で、立ったまま待っていた。
中に入ろうとしないのは、血縁でないと開かないことを知っているからか。
あるいは、私の領域を侵さないという判断か。
どちらにしても。ありがたい、と思った。
一時間ほど書物を読んで、外に出た。
ゼファーは同じ場所に、同じ姿勢で立っていた。
「……疲れませんか、そうして立っているのは」
「慣れている」
「騎士というのは、立ち続けるものなの?」
「そういうこともある」
石段を上りながら、少し考えた。
「一つ、聞いてもいいですか」
「どうぞ」
「夜中に地下に降りる令嬢の護衛を、なぜ志願したの」
昼間、父から聞いた話だ。
派遣ではなく、志願だと。
ゼファーは少し間を置いた。
「……適任だと思った」
「どういう意味で」
「うるさいのが苦手な方に、うるさい護衛はいらない」
思いがけない答えだった。
私は少し目を細めた。
「私が、静かな人間を好むと思ったのかしら」
「違うか」
「……合っているわ」
「では適任だ」
またそれだけだった。
廊下に戻りながら、私は少し笑った。
笑いかけて、ゼファーには見せないようにしようと思ったが。
「……笑えるじゃないか」
低い声が言った。
「え」
「令嬢は、よく笑うと思っていたが、どうやら違うらしい」
見られていた。
「……護衛というのは、よく観察するものなのね」
「仕事だから」
「笑わないことまで気づく必要は、あるの」
「護衛対象の状態を把握することは、必要だ」
理屈が通っている。 でも、なんとなく悔しい。
「……あまり、見すぎないでください」
「努力する」
する気がないような言い方だった。
自室に戻ってから、少し考えた。
ゼファー・クロス。
無口で表情が読めない。
でも観察眼は鋭い。
そして。
「うるさいのが苦手な方に、うるさい護衛はいらない」
その一言で、私という人間を把握していた。
一週間で。
これは、なかなか侮れない人だ。
翌朝。
朝食の後、魔法の練習をしていた。
庭で、浄化の光を使う。
ゼファーは少し離れた場所に立って、庭の外を見ていた。
こちらを見ていない。
それがありがたかった。
練習中に見られるのは、あまり好きではない。
でも気配は感じる。
何かあれば、すぐに動ける体勢でいるのが分かる。
不思議な存在感だ。
いるのに、邪魔じゃない。
むしろ。
「……落ち着く、かもしれない」
呟く。
ゼファーには聞こえないくらいの声で。
一人でいる時と、そう変わらない感覚。
でも、一人じゃない。
護衛騎士というのは、そういうものなのかしら。
それとも、この人が特別なのかしら。
判断するには、まだ早い。
二週間が経った。
ある日の夕刻、クレアが遊びに来た。
庭でお茶をしていると、ゼファーが少し離れた場所に立った。
クレアがそれを見て、そわそわし始めた。
「え、え、あの方……」
「護衛よ。気にしなくていい」
「き、気にしないのは無理ですよ!すごく格好いい方じゃないですか!!」
声が少し大きかった。
ゼファーは微動だにしなかった。
聞こえているはずだが、反応しない。
「ゼファーは無口だから、話しかけても返事が短いわよ」
「名前まで知ってるんですか!」
「護衛だもの」
「エリシア様って……ほんとに、ものすごい環境にいますね」
クレアはため息をついた。
「王太子殿下の婚約者で、格好いい護衛騎士がついてて」
「殿下は関係ないわ」
「関係なくないですよ!」
クレアが身を乗り出してきた。
「最近どうなんですか、殿下と。仲良くなりました?」
「……普通よ」
「普通って何ですか普通って」
「婚約者として、礼を欠かさない関係」
「つまらない!もっとこう、ドキドキした話があるはずです!」
クレアの目が輝いている。
恋愛小説が好きなだけある。
「……特にないわ」
嘘だ。
でも言えない。
ドキドキした話なら、いくつかある。
茶会で庭に出た時のこと。「また」と言われた時のこと。
でも言えない。
「エリシア様は、殿下のことどう思ってるんですか」
「婚約者として、尊敬している」
「それだけ?」
「……それだけよ」
クレアはじっとこちらを見た。
しばらくして、小さくため息をついた。
「……エリシア様って、嘘をつく時に少しだけ目が泳ぐんですよね」
「泳いでいないわ」
「泳いでましたよ」
おそろしい子だ。
「……うるさい」
「うわ、初めて言いましたよそんなこと。絶対好きじゃないですか」
「クレア」
「はい」
「それ以上言うと、次のお茶会に呼ばない」
「すみませんでした」
即座だった。
私は紅茶を飲んだ。
向こうではゼファーが、相変わらず庭の外を見ていた。
聞こえているはずだ。 全部。
でも、絶対に何も言わないだろう。
それだけは、確信があった。
夜。
ゼファーに聞いた。
「昼間のこと、聞こえていたでしょう」
「何の話だ」
「クレアとの会話」
「聞こえていたかもしれない」
「……全部?」
「護衛対象の周囲の音を遮断することはできない」
つまり全部、だ。
少し恥ずかしかった。
「……忘れてください」
「記憶を消す術は持っていない」
「せめて、誰にも言わないで」
「言う相手がいない」
それは本当のことのように聞こえた。
私は少し笑った。
「……ゼファーって、友達はいるの?」
唐突な質問だった。
自分でも少し驚いた。
ゼファーは少し考えてから答えた。
「いない、と思う」
「思う、というのは」
「定義による」
「……そう」
沈黙。
「令嬢は?」
逆に聞かれた。
「クレアがいるわ」
「それだけか」
「……それだけかもしれない。本当のことを話せる友達という意味では」
答えてから、少し驚いた。
こんなことを、ゼファーに話すつもりはなかった。
「……変なことを言ったわ。忘れて」
「記憶を消す術は持っていないと言った」
「さっきと同じ答えはいらない」
「では覚えておく」
ため息をついた。
でも、嫌な感じはしなかった。
学院入学まで、もう少しだ。
ゼファーという人のことを、少しずつ分かり始めている。
無口だが、嘘をつかない。
表情がないが、見ていないわけではない。
距離を取るが、必要な時には必ずいる。
不思議な人だ。
でも。
いてくれて、よかったかもしれない。
一人でいることに慣れすぎていた。
三歩後ろに、誰かがいる。
それだけで、少しだけ世界が違う。
「ゼファー」
「なんだ」
「……よろしくね」
少し間があった。
「ああ」
それだけだった。
でも、確かだった。




