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婚約破棄された悪役令嬢エリシアは、国を救った代償に貴方を忘れました。  作者: テラトンパンチ
過去編

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禁書庫にて

 禁書庫には、血の匂いがする。


 最初に気づいたのは、三度目に降りた時だった。

 石と埃の匂いの奥に、もっと古い何かが混じっている。

 鉄のような。塩のような。

 ヴァレンシュタインの血が、何百年もここに染み込んでいるのだと、その時悟った。


 この部屋は、人の命で作られている。

 怖いとは思わなかった。

 ただ、重い、と思った。


 記憶を取り戻してから、一年が過ぎた。

 十一歳になった私は、月に二度、地下へ降りる。

 書物は読み尽くした。

 残るのは、魔法陣そのものだ。


 今夜は、触れてみようと思う。

 魔法陣の中心に、一歩踏み込む。

 足元の紋様が、微かに光った。

 反応している。血の反応だ。

 もう一歩。光が強くなる。

 掌を、中央の紋様に向ける。

 触れる前から、熱を感じる。


 深呼吸を一つ。

 指先が、紋様に触れた。


 視界が白くなった。

 痛い。痛いというより、熱い。

 頭の奥が、じんじんする。

 知識が、流れ込んでくる。

 言語ではない。感覚として。

 映像として。ずっと昔の、誰かの記憶として。

 黒い空。崩れる大地。

 光の柱。そして、消えていく誰かの背中。

 「……っ」


 手を離した。

 床に膝をつく。

 息が荒い。

 しばらく動けなかった。


 落ち着いてから、確認する。

 流れ込んできた知識を、整理する。

 禁術の発動には、三つの条件がある。


 一つ目。ヴァレンシュタインの血。

 これは持っている。

 二つ目。浄化魔法の第二段階以上の習得。

 まだ第一段階も完全ではない。これが課題だ。


 三つ目。浄化の意志。

 「守りたい」という感情が、術式の燃料になる。

 そして代償について。

 新しいことが分かった。

 「術式は、使用者の内側に触れる。最も深い場所に在るものを、燃料として使う」

 最も深い場所。


 それは時に記憶で、時に感情で、時に知識だ。

 だが一つだけ、共通することがある。

 「それは、使用者が一番手放したくないものだ」

 手放したくないもの。

 私にとって、それは何だろう。

 前世の記憶だろうか。

 あの狭いアパートも、コンビニ帰りの夜も、全部。

 ゲームを知っていること。


 黒蝕を知っていること。

 この世界の終わりを知っていること。

 それが消えたら、どうなるのか。

 でも。

 知識が消えても、感情は残るかもしれない。

 感情が消えても、知識は残るかもしれない。

 あるいは。

 両方消えるかもしれない。


 「……怖い、ね」

 また本音が漏れた。

 夜中の地下で、十一歳の少女が一人で呟く。

 我ながら、絵面が悲しい。


 手のひらを見る。

 触れた箇所が、少し赤い。

 軽い火傷のような感覚。

 でも、これくらいで済んだ。


 今の私の魔力量では、まだ本格的に接続できない。

 流れ込んできた知識は、表層だけだ。

 奥に、もっとある。

 禁術の全貌を理解するには、まだ時間がかかる。

 それでいい。

 今夜分かったことを、全部頭に刻み込む。


 発動条件、三つ。

 代償の法則、一つ。

 そして。

 もう一つ、感じたことがある。

 魔法陣に触れた瞬間。

 あの映像の中で、消えていく背中を見た時。

 悲しかった。


 誰の記憶かも分からないのに。

 遠い先祖が、誰かを守って消えた記憶かもしれない。

 あるいは、これは予言の類かもしれない。

 私が、消えていく未来の映像かもしれない。

 どちらにしても。

 悲しかった。


 消えることが、怖かった。

 「……でも」

 立ち上がる。

 膝を払う。

 「それでも選ぶんでしょう、私は」

 問いかけではなく、確認だ。

 答えは分かっている。

 選ぶ。

 この世界を守る。

 怖くても、悲しくても。

 それが、私がここに転生した意味だから。


 部屋を出る前に、もう一度だけ振り返った。

 魔法陣は静かだ。光は消えている。

 ただ、薄暗い石の部屋に、古い紋様が刻まれているだけ。


 誰かが、命をかけて彫ったのだろう。

 何百年も前に。

 同じ血の人間が。

 同じ覚悟で。

 「……先人に、倣います」

 静かに礼をした。

 返事は、ない。


 当然だ。

 でも、重たい空気が少しだけ柔らかくなった気がした。


 地上に戻り、廊下を歩く。屋敷は静まり返っている。

 自室に近づいた時。ふと、何かを感じた。

 感じた、というより。聞こえた、気がした。

 遠くで。

 誰かが、名前を呼ぶような。

 「……エリシア」

 いや。

 聞こえたのではない。


 頭の中で、響いた。

 知らない声。

 でも、なぜか知っている声。

 男の声。低い。落ち着いた。

 でも、どこかが震えている。

 「……気のせい、よね」

 首を振る。


 禁術に触れた反動で、感覚がおかしくなっているのかもしれない。

 自室に入り、ベッドに倒れ込む。

 天井を見上げる。

 疲れた、体が重い。

 魔法陣に触れた後遺症だろう。

 明日はアルマ先生の授業がある。


 しっかり休まなければ。

 目を閉じる。

 眠る直前に、また聞こえた気がした。

 「……待っていろ」

 誰が?誰を?

 待っているのだろう。

 それを考える前に、意識が落ちた。


(アルベルトside)

 夜中に、目が覚めた。なぜかは分からない。

 執務室の窓から、空を見る。

 月が高い。

 領地の令嬢は、今夜も地下へ降りただろうか。

 最新の報告によれば、彼女は定期的に禁書庫を訪れている。

 何を調べているのかは、外からでは分からない。

 だが。

 今夜、なぜか。

 胸のあたりが、ざわついた。

 理由がない。


 ただ、何か遠くで何かが起きているような、そんな感覚。

 「……ばかばかしい」

 独り言が、静かな部屋に落ちる。

 婚約者の顔を、月を見るたびに思い出す。

 そんな習慣は、なかったはずだ。

 だが。

 気づけば、考えている。


 あの翡翠の瞳が、今夜は何を見ているか。

 あの年齢に合わない目が、今夜は何を知ったか。

「……名前を、呼んでしまいそうだな」

 声には出さなかった。

 ただ、頭の中で。

 エリシア、と。


 一度だけ、呼んだ。

 届くはずのない距離で。

 届くはずのない声で。

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