悪役令嬢の、正しい生存戦略
記憶を取り戻して、半年が過ぎた。
私は今日も、完璧な公爵令嬢だ。
朝は決まった時間に起き、決まった服を着て、決まった朝食を食べる。
午前は魔法の練習。
午後は礼儀作法と勉強、夜は読書か、たまに刺繍。
絵に描いたような令嬢の一日。
変えたのは、一つだけ。
月に一度か二度、夜中に地下へ降りる。
それだけだ。
悪役令嬢の生存戦略について、私なりに考えた結論がある。
まず、嫌がらせはしない。
これは当然だ。
ゲームのエリシアがヒロインを虐げたのは、シナリオの都合だ。
私にそんなことをする理由はない。
する気もない。
次に、目立たない。
これが少し難しい。
公爵令嬢というのは、黙っていても目立つ。
特に私は王太子の婚約者だ。
どう動いても、誰かが見ている。
だから方針を変えた。
目立たないのではなく、「予測可能な存在」になる。
毎日同じように振る舞えば、人は見飽きる。
驚きがない人間には、注意が向きにくい。
完璧な令嬢を、完璧に演じ続ける。
それが一番、目立たない方法だ。
そして。
禁書庫の研究だけは続ける。
これだけは譲れない。
今日の研究成果。
浄化術式には、三段階がある。
第一段階。小規模浄化。
魔力汚染した物体や小型魔獣に使用できる。
代償は、魔力の消耗のみ。
これは安全に使える。
第二段階。中規模浄化。
複数の汚染源をまとめて清浄化できる。
代償は、使用者の体力と魔力の一部。
無理をすれば倒れる。でも直接命には関わらない。
第三段階。大規模浄化。禁術。
これが、黒蝕に対抗できる唯一の手段。
代償は「核」。
問題はこの「核」だ。
書物を読み込むほどに、詳細が少ない。
歴代当主の記録の中で、禁術を使ったのは三人だけ。
一人目は四百年前。
大規模な魔力暴走を止めた。
記録には「声を失った」とある。
二人目は二百年前。
疫病のような魔力汚染を浄化した。
「記憶の一部が欠けた」とある。
三人目は百年前。
小規模な黒蝕の先触れを消した。
「誰かへの感情が消えた」とある。
つまり。
代償の内容は、毎回違う。
そして。 共通しているのは一つだけ。
「術式が、使用者にとって最も大切なものを選ぶ」。
「……最も、大切なもの」
声に出して、少し考えた。
私にとって、今最も大切なものは何か。
前世の記憶。
この世界を知る知識。
家族への愛情。 それとも‥。
考えかけて、止める。
また殿下の顔が浮かびそうだったから。
浄化魔法の練習も、着々と進めていた。
公爵家の令嬢が魔法を学ぶのは、普通のことだ。
浄化の血筋として、基礎的な術は習得が求められる。
家庭教師のアルマ先生は、魔法学院を出た優秀な女性だ。
白髪混じりの厳しい人で、甘やかすことを知らない。
「集中が足りません、エリシア様」
「……はい」
「指先が揺れています。魔力の流れを、もっと丁寧に」
私は再び集中する。
浄化の光を、掌に集める。
白い光。温かい感触。
これは気持ちがいい。
体の中から、何か正しいものが流れ出るような感覚。
ヴァレンシュタインの血が、浄化を求めているような。
「……少し、良くなりました」
アルマ先生が、わずかに目を細める。
この人の「少し良くなりました」は、かなりの褒め言葉だ。
「継続すれば、三年で第一段階は完全習得できるでしょう」
「三年、ですか」
「急いでも無意味です。焦れば暴走します」
先生は淡々と言う。
三年で第一段階。
そこから第二段階の習得に、また数年。
学院に入学するまでに、第二段階まで習得できるだろうか。
そして学院の期間中に、禁術の理論を固める。
婚約破棄の後、領地で最終調整。
タイムラインは、ギリギリだ。
「先生」
「なんですか」
「浄化魔法は、どこまで伸びるものですか」
先生は少し考えてから答えた。
「才能によります。ヴァレンシュタインの血は、浄化に向いています。あなたは……上限が見えません」
「見えない、とは」
「通常、魔法の才能は十歳頃に天井が予測できます」
先生は私の目を見る。
「ですがあなたは、まだ伸びている最中です。珍しいことです」
そうか、それは好都合だ。
「励みになります」
「慢心は禁物ですよ」
「はい。精進します」
先生は少し眉を上げて、また練習に戻るよう促した。
私は掌に光を集めながら、心の中で計算を続けた。
問題は、一つある。
王太子殿下だ。
顔を合わせる機会が、少しずつ増えている。
王家主催の茶会や、公式行事での顔見せ。
遠目に見れば、何ともない。
ただ、近くに来た時が、困る。
あの人は、目が鋭い。
話しかけてくることはない。
じっと見てくることもない。
ただ、気配がする。
視野の端に、いる。
気にするなと言い聞かせても。
視野の端が、そちらへ向く。
悪役令嬢として最も避けるべき感情は、たぶん。
この人への、何かだと思う。
先日の茶会で、初めて言葉を交わした。
大人たちの会話が続く中、少し離れた場所で立っていた時。
気配がして、振り向いた。
殿下が、隣に来ていた。
驚かなかった。
内心では驚いていたが、顔には出さなかった。
「……エリシア嬢」
「殿下」
礼をする。
彼は少し間を置いてから、窓の外を見た。
「魔法の修練は続けているか」
唐突な質問だった。
「はい。浄化魔法の基礎を学んでいます」
「進捗は」
「順調です」
また短い沈黙。
なぜ魔法の話をするのだろう。
世間話としては少し変な選択だ。
「……先生が良ければ、王城の魔法師も紹介できる」
「ありがとうございます。ですが今の先生で十分です」
断った。
王城の魔法師では、こちらの進捗が筒抜けになる。
殿下は少し目を細めた。
「そうか」
それだけだった。
でも何か、確かめられているような感じがした。
この人は、会話の端々で何かを試している。
怖い人だな、と思った。
でも。怖いのに。
嫌じゃない、というのが、また困る。
夜、一人で考えた。
悪役令嬢の正しい生存戦略に、一つ追加しなければならない。
殿下のそばに、いすぎない。
あの人はこちらを観察している。
理由は分からないが、目が鋭すぎる。
距離を保ち必要以上に近づかない。
でも、必要な礼儀は欠かさない。
それが正しい。そう決めたのに。
眠る前に浮かぶのは、どうしてもあの金の瞳で。
「……本当に、困った性格してるわね、私」
前世でも、似たような状況はなかったか。
好きになってはいけない相手に、ちゃんと惹かれていく。
そういう業の深さは、転生しても変わらないらしい。
翌朝。
いつも通り起きて、いつも通り朝食を食べた。
魔法の練習をして、礼儀作法の稽古をして。
完璧な令嬢として、完璧な一日を送った。
誰も知らない。
夜中に地下へ降りて、古びた書物を読み込んでいることを。
誰も知らない。
八年後の未来のために、着々と準備していることを。
誰も知らない。
‥一部を除いては。
遠い王都で、報告書を手にしたまましばらく動かない青年がいることを、私はまだ知らない。




