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【短編小説】明日バス核爆発

掲載日:2025/12/15

 道端に置かれた空き缶に吸い殻を押し込むと、夜でも分かるくらい薄汚い妖精が舌打ちをしながら乱暴にその缶を拾ってズダ袋に放り込んだ。

 おれの今日が終わろうとしている時、あいつの今日が始まったのかも知れない。

 実際に時計の針は頂点で重なろうとしている。

 おれは疲れていたし、あいつだって疲れているだろう。疲れていない人間なんていない。空元気も使い果たした。三回射精した後のキンタマみたいなもんだ。


 駅前のロータリーに停まっているバスが排気ガスをひとつ大きく吐き出した。

 それを合図にして散らばっていた人影がのそりと動き出してバスの乗降口に向かう。

 おれも立ち上がり、曖昧に歩き出してその列に加わってみたが、このバスがどこへ向かうかは知らない。

 並んでいる人たちも統一感が無く、とりあえずここではない場所へ出るバスなのだと言う事しか分からなかった。

 だが必要とされていることだけは分かった。

 


 列に並んで乗り込んだバスの中は薄暗かった。

 特に電気がついている訳でも無いうえに、すでに座席についた客の多くがカーテンを引いているので、外の灯りもあまり入ってきていない。

 窓際に座り通路側の椅子に荷物を置いた若い女と、その荷物をどかして座りたいババアがやりあっている傍を押し抜けるように通り抜ける。

 疲れているからこそ傲慢になる。

 おれは奥まで並んだ座席を見て、空いている作業着の男の隣と学生風の男の隣、そのどちらの隣に座るか迷って、学生風の隣に腰を下ろした。



 実際にこの男が学生なのかは知らない。  

 平服の若い男となるとそんなものだろう。もしかしたらフリーターだとか無職かも知れないがおれには関係がない。

 疲れているから仕方がない。

 学生風が耳に刺したイヤフォンからは音が漏れていなかったのでおれは安心した。


 通路を挟んで横にある席に、若い女と揉めていた先ほどの中年女が座った。

 その奥には作業着の男が寝ている。

  躊躇いつつ座った中年の女が鼻をつまんだのを見て、おれは密かにほくそ笑んだ。

 労働の臭いだ、疲労の臭いだよ。

 バスの乗降口についたエアコンプレッサーが鳴ってドアが閉まった。

 もう降りられない。

 おれは安堵の息を吐く。その中にかすかな不安が混ざっていた気もした。



 運転手がマイクでぼそぼそと何かを言っていたが聞き取れなかった。

 おそらく出発するとかそう言うことだろう。あまり意味のない常套句だ。誰だって疲れているから仕方ない。



 おれの隣に座る学生風の男はカーテンを引いていなかったので外の景色が少しだけ見えた。

 窓から見えたロータリーの真ん中にある植え込みにはまだ電飾が光っていて、トナカイやら流星やらが色とりどりにおれの目を引いた。

 しかしバスが走り出すと同時に電飾が落ちて、まるでこの世の終わりみたいに見えた。

 おれはその瞬間が可笑しくなって笑ったが、まったく面白くなかったのか誰も見ていなかったのか、笑う奴はいなかった。

 おれはそれすらも可笑しくなって笑っていたが、疲れているから仕方ないと思った。


 バスが見慣れた通りを下っていく。

 この街ともさようならだ。

 おれが住むこの街をおれは何も知らないままだった。おれがどうしてここに住んでいるのかもおれにはわからなかった。

 それはおれが疲れる前からだった。

 おれはこの街にいるおれのことを知ろうともしなかった。

 だがおれがこの街で過ごした日々は間違いなく存在している。

 おれはそのことを覚えているし、たぶん忘れたりもしない。そうやっておれは疲れてしまったが、その疲れたおれはそう言う日々の積み重ねだ。


 そうだとするならば過去と言うのは恐らく美しいと言えるのだろう。

 過去が美しいのは足跡があるからで、逆説的に足跡の無い未来は汚いものなのかも知れない。

 ありもしない未来を想像して腹を立てたりすることがあるが、それはきっと汚濁した未来のひとつだ。

 他の乗客の過去も同じように美しく、同等に未来は汚いのかも知れない。

 おれにはわからない。

 それは疲れているからかも知れない。



 だが過去も未来もさっきのロータリーで見た電飾みたいに電源が落ちる様に綺麗に消えたりしない。

 少しずつ欠けたり切れたりして、惨めな消え方をする。

 それが疲れるということだ。


 バスが幹線道路に出た頃になって、今までどこにいたのか知らないが、バスガイドが出て何かを喋りだした。

 内容はわからない。滑舌が悪かった。

 そしてひどいブスであった。

 浅黒い肌。低く潰れた鼻。一重の目は間が抜けたように離れておりくちびるは薄かった。

 とにもかくにも酷いブスであった。

 ブスバスガイド、とおれは呟いてみた。

 通路を挟んで隣に座った中年女が咳払いをしておれを睨んた。


 おれは精一杯の慎みをもって口にチャックをした。

 そしてどのようにしてブスなバスガイドが誕生したのか考えてみた。

 きっとブスな両親のブスなセックスと判断によって生まれてしまったんだ。ブスは生きているだけでツラいことが絶えない。税金による補助が必要だ。

 しかしブスの為に税金を払いたくない。

 だからブスの人生は辛い。


 だがこのブスなバスガイドにも人生があり、そのブスなりに過ごしてきた美しい過去と言うのも存在する。

 それは両親に愛されて育ったと思える瞬間だとか、友達と同等だと思って遊んでいた時間、または恋と呼ぶには儚い錯覚の累積だとかがそれに当たる。

 もしかしたら美味しいラーメンだとか気持ち良かったオナニーかも知れない。

 とにかくそんな美しい時間が少なくともひとつは存在していて、だからブスな彼女の影だとかは美しく輝いているのだろう。

 おれは納得した。

 彼女はブスだ。だが美しい。


 バスはおれの知らない道を走っている。

 外は暗くてよく見えない。

 疲れたおれは疲れた瞼を閉じる。

 目を閉じた時に見えるあの緑色の光も見えないくらい疲れていた。

 いまはあの美しさが欲しい。

 このバスがどこに行くにしても、おれの現在や未来がどうであっても、おれが生きる上での糧と言うのは、そういった過去の光であり、輝きだ。

 仮にそれが錯覚や勘違いでもいい。

 とにかく、そういった類の何かがそこに在ると言う確証だけが大切なのだ。


 知らない街を走るバスの窓から見える景色には、知らないひとたちの生活があり、やはりそれも疲れていたり美しかったりするんだろう。

 暗くて見えない光。

 だけどその光が生む影、現在とか未来に耐えられなくなったひと達がこうやってバスに乗ってどこかへと向かう。

 おれもそのひとりだ。

 ブスバスガイドも、おれも、隣の学生風の男も作業着もその横の年増も貪欲なババァも傲慢な若い女も誰もかもがそうやって現在に耐えられなくなった。

 結局、誰もが疲れている。

 疲れ過ぎている。



 昔の事だけ輝いている暗い毎日。

 おれたちはそんな暗い毎日から脱出するべくこのバスに乗り込んだのだ。

 このバスがどこに行くかは知らない。

 そんなことは重要じゃない。


 バスの中に溜まった鬱屈がバスの振動に揺られて増殖していく気がした。

 誰かが缶のプルタブを引いた。

 炭酸が抜ける音がする。

 誰かが燐寸で火を点けた。

 煙草の香りが広がる。

 誰かが咳をした。

 誰かが新聞を折りたたむ。

 ブスバスガイドが膨らんで爆発した。

 肉片が飛び散りおれたちに降り積もった。


 運転手は無言のままだった。

 隣に座る学生風の男も膨らんで爆発した。前に座った年増も作業着も膨らんで弾けた。俺の指も膨らみ始めた。

 おれも膨らんだ。

 おれも弾けた。

 おれも他のみんなと同じように飛び散ってバスの中に積もった。

 バスが膨らんで弾けて街に積もった。

 お前らの明日はきっと最悪だ。

 だけど昨日までは美しかったんだぜ。

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