5-5
9階は10階と比べて煙が少ない気がした。
「火事は上で起きてたのかも」
あらいがそう判断する。
「それじゃ、この階は大丈夫そうだな」
ガラスが散乱した状態の部屋を俺は歩いて廊下に出ようとした。ドアノブに手をかけても熱くはなく、外に出れそうだ。
「待って、まだ様子を見たい」
「何を心配してるんだよ…平気だって」
俺は若干の余裕を持って扉を開ける。
「…」
バンという銃声が廊下に響く。
乾いた破裂音が、
骨を超えて内臓に伝わってくる気がする。
本来であれば俺の心臓を射抜いた筈。
しかし、それが叶うことは無かった。
「おわっ」
身体が引っ張られる感覚。
反射的にホテルの客室に倒れ込んだ。
俺の目の前を何かが風を切って飛ぶ。
いや、避けたんじゃない。
避けられたのだ。
あらいが俺の腕を強く引いたのだから。
「平気?」
鼓動が騒がしい。
心臓がダンスホールで踊ってる気がした。
冷や汗が首筋を伝っていく。
「そうか…あらいが懸念してたのはこのことか」
助かった。
その現実が、じわじわと遅れて脳が理解する。
脳が毒に犯されてるのではないかと錯覚するほど、
頭の回転が遅いことに恨めしさを感じる。
俺は口の中が乾いているのに気づきながら、
体勢を立て直した。
「構えて」
「分かってる」
俺たちは銃を構えて扉の前で待機。
しかし敵は入ってこなかった。
「どうして来ない?」
「警戒してるのよ」
「それもそうか」
「来ない…わね」
「そういえば、どうして敵に気づいたんだ?」
敵が全然入ってこないので少し余裕が出る。
そこで先ほど敵に気づいたのはどうしてなのか聞いておきたかった。後学のために役に立つと思って。
「私たちの居る部屋が妙に綺麗で違和感だった。
まるで失敗するのを恐れてるみたいに掃除が行き届いてた。どの階に行っても違和感がないようにってことだと思う。でも、それが逆に私にとっては違和感だった」
「何故?」
「この世界は滅びた後の世界。
人が居ない筈なのに、机のホコリは無く綺麗だった。
それはまるで拭いた跡だったんじゃない?」
「なるほど」
言い分は理解できる。
敵は奇襲を狙った。
10階の一部に火を放ち、俺たちを誘導。
エレベーター、非常階段、そしてロープを使って下の階へ移動。敵の中でどこに来るか想像した。
そしてロープを選んだ。
これは賭けだった…いや…もしかしたら他の所も張ってたのかもしれない。
来るのは何処でも良かった。
網にさえ引っかかれば。
次に考えるのはどうやって襲えばいいか。
それは待ち伏せだろう。
明らかに乱雑だと可笑しいから掃除されてるって設定を選んだんだ。
しかし、ここで性格が出る。
掃除をしようと思ったら、思った以上に気になって細かい所にまで手が伸びた。
その結果、本来ならばホコリが溜まって居ても可笑しくない場所にホコリが無かった。
つまりは敵が出入りした可能性が浮上した。
ということだろう。
「…」
いきなり扉に向かって銃声が響いた。
だが、俺たちはその前には立っていなかった。
弾は壁に当たり、空しく弾ける。
「運がいいぜ……だが、やられっぱなしでいるかよ」
俺はショットガンを構え、引き金に指をかける。
このままぶちかましてやろうとした、その時だった。
「待って」
あらいの声に止められる。
「どうして止める?」
焦りと怒りが混ざった声が自然と漏れる。
すでに指は引き金にかかっていた。
撃たせてくれよ。もう限界だ。
「敵は、私たちが部屋の中にいると思って撃ってきたの」
「ああ、確かに」
「だったら、さっきみたいに下の階に降りない?」
あらいの提案は理にかなっていた。
けど、それは命を賭ける選択でもある。
「今なら、不意を突けるかもしれないってことか」
「私はそう思ってる」
「少し…考えさせてくれ」
敵がこちらを“部屋の中”と誤認しているなら、扉の前で待機しているはずだ。
もし敵がそのまま動かずにいれば、
こちらが下の階から回り込めば、
側面を突くことができる。
悪くない。いや、やる価値はある。
「どうかな?」
あらいが俺の判断を仰ぐ。
「…やった方がいいと思う」
「了解。それじゃ、やるわよ」
案が通れば即行動。
あらいのこういう所は好感を持てる。
「どっちが先に行く?」
「今度は俺が行く、慣れてるから平気だ」
前回、10階から9階に降りた時はあらいが先行した。
順番を交代するのが自然だろう。
「分かったわ」
俺たちはシーツを切り裂き、
前回と同じようにロープを作って外壁を伝って降下する。
2度目ともなれば手際は良い。
問題もなく、8階のベランダへとたどり着いた。
だが、8階の床に足を下ろした、その瞬間だった。
バキィッ。
鋭い音が静寂を破った。木片がV字に裂けるのを、わずかに感じ取ったその瞬間——
床が一気に崩れ落ちた。
迂闊だった。
敵が見えない場所に巧妙な罠を仕掛けていたのだ。
まるで俺たちがここに来るのを待ち構えていたかのように。
足元が消え、身体が宙を舞う。
冷たい空気が頬を切り、心臓が何処かに置いて行かれた気がした。
「嘘だろ!?」
重力に引きずられ、俺の身体は7階へと落下した。
体制を崩し、背中に激痛が走る。
息が止まりそうになった。
だが、それより先に気にしなければならないことが
出来た。
それは女。
ジャケットにミニスカート、どこかOL風の装いをしてた。
俺たちと同じ。
戦いの参加者の証がある。
“ガラスの羽”
淡く光を反射し、
炎と煙の中でもその存在は浮かび上がっている。
彼女は友好的とは思えなかった。
何故ならば、冷たい獲物を見る目をしてたから。
砂漠で飢え倒れた子供を、カラスがじっと見つめていた。
まるで、死の瞬間をじっと待ち受けているかのように。
間違いない。
敵だ。
「…ね」
敵の女が不敵な笑みを浮かべ、刃物を振り下ろしてきた。
「くそっ!」
俺は咄嗟に持っていた銃で刃先を受け止め、金属が擦れる嫌な音が耳に響く。
「しぶといわね…」
女は俺の真上に立ち、力を込めて刃物を押し込んでくる。痛みが走る寸前だった。
「レン!」
あらいが敵にタックルを仕掛ける。
その勢いで敵は俺の上からようやく退いてくれた。
「ちっ…仲間か…」
敵は一瞬ひるみ、戦況が不利と判断したのか、素早く退散していった。
「助かった…」
俺は深く息をつき、乱れていた心臓のリズムが徐々に落ち着いていくのを感じた。
「平気?」
「ああ…なんとか」
幸い、傷はなかった。
俺は深く息をつき、心臓の鼓動がまるでギアをニュートラルに入れて、ゆっくりと駐車場に停まるかのように、徐々に落ち着いていくのを感じた。




