第八話 きゅんを出して
「……エドワードに飽きてきたわ」
「イザーク様を出して」
酔った母上と姉さまがわがままを言う。
映像の中には新緑の庭園で向き合う俺とマリエルがいた。淡い新緑の色合いからみて、まだ入学して間もない頃だ。
『エド、あの方は男性との距離感が近すぎます。エドからも貴族の子女としてのふるまい方を教えてあげたほうがいいと思うわ』
『彼女は平民から男爵家に入ったばかりなんだ。大目にみてやれよ』
『私が許すとか許さないとかの話じゃないのよ。周囲のひんしゅくを買っているの。彼女自身も、それを咎めない男性側も』
マリエルの苦言を俺は聞き流し、フランに注意する気など毛頭なかった。
——あら、この時はまだエドって呼ばれていたのね
——気づいたら『殿下』呼びだったわよね
——注意して見ていたら、エドワードがどこで見限られたかわかるかしらね
(言われるまで気づきもしなかった。そうだ、マリエルはいつから彼女は俺をよそよそしく『殿下』と呼ぶようになったんだろう……)
◇
音楽がかわって、今度は満開のバラ園だ。
迷路のように入り組んだ庭をマリエルが歩いている。つるバラのトンネルを外から眺めようと近づいたマリエルが何かに気づいたようにぴたっと足を止めた。
音声が大きくなった。
くすくすと嘲るような忍び笑いが聞こえる。
数人の女生徒がバラのトンネルの中で話しているようだった。
『ねえさっきの見た? 殿下とあの女がバラのガゼボからこそこそと出て行ったわよ』
『まあ、あんな場所でふたりっきりで何をしていたのかしら』
『マリエル様もお可哀想に。あんな下品な女に婚約者を奪われるなんて』
『あの方、高位貴族の令息にばかり色目を使っているんでしょう?』『男爵家とは家格が違いすぎて結婚などできないのに、何がしたいのかしら』『愛人狙いじゃないの』
『マリエル様はよく平気ね。婚約者が公衆の面前で浮気しているなんて、わたしだったら恥ずかしくて学園にこられないわ』
きゃははと笑い声が遠くなっていく。
彼女たちの声が聞こえなくなっても、マリエルはぎゅっと拳を握ったまま、その場に立ち尽くしていた。
俺は映像を見ながら胸が苦しくなった。
(マリエルは、ずっとこんな陰口を叩かれていたのか……)
一点を見つめたまま微動だにしないマリエルの背後から、長身の男性が近づいてきた。
——きゃー
——待ってましたー
——イザーク様ぁ
映像を見ていた女性陣が歓声をあげる
イザーク王子がマリエルに声をかけた。
「なあ」
「きゃあっ」
背後から話しかけられたマリエルが驚いて声をあげ、ぱっと振り返ってイザーク王子をみとめて大きく目を見開いた。
「イザーク殿下。お初にお目にかかります。ブロッサム公爵家のマリエルと申します」
マリエルが王族に対する深い礼をとると、イザーク殿下が手で制した。
「やめてくれ、ここには伯爵家の三男坊のイザークとして通っているんだ。学園の先輩くらいの距離感で頼む。……イザークと呼んでくれればいい」
「申し訳ありません。イザーク様。わたくしのこともマリエルとお呼びください」とマリエルが軽く膝を折った。
「なあ、マリエル嬢。君はエドワード殿下の婚約者だろ。なぜあのような無礼を咎めないんだ。それに婚約者の王子とその浮気相手をなぜ放置しているんだ?」
他国の王子にどこまで話して良いのか分からないのだろう。マリエルはどう答えるべきか逡巡しているようだった。
「エドワード殿下には、何度も、注意しています……」
「いや、注意じゃなくてさ。君の家の権力を使えば男爵家なんてすぐ潰せるだろう。俺の国なら、今頃あの女はとっくに傷だらけで魚のえさになっているぜ。なぜ、我慢しているのか不思議でな……」
マリエルは言葉を選びながら、慎重に話している。
「いまは……見極め期間なのです。誰にとっても……」
それだけでイザーク王子は納得した表情になった。
「ふーん。そういえば、彼はまだ立太子されていないな。この国では女性も王位につけると聞いたが……」
「ええ、前例もあります。ですが古参貴族は直系男子にこだわる方が多いですね」
「なるほど。王家には第一王女、第二王女、それに第二王子までいる……確かにエドワード殿下にこだわる必要はないな。
彼が王位につかないなら君の公爵家には利益がない。婚約を解消するなら彼側に瑕疵があるほうがいいってことか……それなら傍観しているのも理解できるが……」
イザーク王子はまた思案顔だ。
「だが、王家としては重要な公爵家の後ろ盾を失うだろう。王家があの愚行を止めない理由はあるのか?」
「王家のお考えは私にはわかりません」とマリエルが頭を下げた。
「俺は君の意見を聞きたいんだ」
マリエルが一瞬息をのんで視線を彷徨わせる。
「……いまは止められますが、エドワード殿下が王位について権力を握ったあとは、誰にも止められなくなります……」
「だから、王家もエドワード王子の資質を見極めるために、傍観していると? 随分あまっちょろいな。俺の国なら不要だと思われたら終わりだ……」
イザーク王子が片手をあげて首を切るポーズをした。
◇
それから、イザーク王子とマリエルは徐々に親しくなっていった。
演武場で立ち話をしたり、メガネ氏も一緒にランチをとる場面、学年の違うイザーク王子がマリエルに勉強を教えている場面もあった。
時間の経過とともに、マリエルの表情がだんだん明るくなっていく。イザーク王子との時間を楽しんでいるのが見て取れる。
◇
突然アリア姉さまの声が耳に飛び込んできた。
「ねえ、会話は? ふたりの会話が聞こえないんだけど……」
確かに、音楽をバックに映像が流れているが、会話はまったく聞こえない。
アリア姉さまが不満をこぼすと影がすかさず謝った。
「申し訳ありません。あのおふたりは非常に気配に敏感なため、社交辞令のような会話しか撮れず、ダイジェスト版にさせて頂きました」
——ほんと撮影下手だなあいつ
——特訓が必要だな
影の先輩たちがひそひそささやきあう
イブ姉さまも不満そうだ。
「じゃあ、きゅんは? きゅんきゅんするシーンはないの?」
「すみません……取れ高が悪くて……ないことはないんですが……」と影の歯切れが悪い。
「じゃあ、あのタイトルは何なのよ〜! こういうのタイトル詐欺っていうのよ!」
イブ姉さまがぷんぷん怒っている。
「じゃあ、きん…イザーク殿下は?」と母上が問いかけると、影がぺこぺこ謝った。
「大変申し訳ありません。イザーク王子を撮影しようとすると決まってメガネ氏が画面に割り込んでくるため、初回の筋肉以降は撮れていません」
それを聞いてイブ姉さまが白けたように言う。
「じゃあ、この映像どこへ向かっているよ?」
「えーと、一応、アリア王女殿下のご指示どおりの目的地へ……」
母上とイブ姉さまが顔を見合わせて、あきらめたように肩を落とした。
「つまんない……」
「眠くなってきちゃったわ」
「ないことないって言ってたキュンをだして~」
——そうとう酔ってらっしゃいますな
——そろそろ終わりにしたほうがいいじゃないか
——ちび、ダイジェスト飛ばしてきゅんシーン出せ
先輩の指令に、小さい影が立ち上がりブツブツ言いながら記録玉を手に取った。
「えーでは、イザーク王子とマリエル様にきゅんイベントが起きた夏至祭りの日まで飛ばします」
きゅるるるると記録玉の中の模様が高速で回転して、ぱっと映像が切り替わった。