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第四話 ちょろすぎるわエドワード

 ふたりでお忍びデートをしてから、俺とフランの距離はどんどん近くなった。昼休みは毎日ふたりだけでランチをとるようになり、放課後も空き教室や庭園で逢瀬を楽しんだ。


『エドワード様はすごいです』

『いつも努力する姿が素敵です』

『エドワード様と一緒にいられるだけで私は幸せです』


 つねに体面を取り繕う貴族とくらべて、フランはいつも明るく笑顔で、彼女が紡ぐ言葉は心地よく、二人でいると幸せな気持ちになれた。


 そのフランの笑顔が陰るようになったのは、いつからだったか——


 映像に中庭の噴水の前にひとり佇むフランが映し出された。


『フラン? なぜ泣いているんだ』

 俺が近寄ると、フランは目に涙を浮かべてうつむいた。

『……わたしの教科書が……こんなことに……』

 震えるフランの肩越しに噴水を見ると、水の中に教科書や小物が沈んでいるのが見えた。

『どういうことだ。誰がこんなことを!』

 怒りを堪えて問うと、フランは耐えきれないというように、ぽろぽろと涙をこぼした。

『うっ……ひっく……わたしが悪いんです……。平民あがりの男爵令嬢の身分で……エドワード様と……親しくなるなんて……マリエル様のいうとおりです……』


『マリエルなのか……』


『ちがうんですっ。いいんです。私が悪いんです……』 フランがカタカタと小さく震えながら頭をふった。


『怖がる必要はない。本当のことを言ってくれ。マリエルがどうしたんだ』

 フランは濡れた瞳で俺を見上げたが、何かを口にするのを恐れているようだった。


 俺はできるだけ優しく聞こえるようにフランに告げる。

『フランのことは悪いようにはしない。俺が守るよ。だからマリエルから何を言われたか教えてくれないか』


 フランはくしゃっと顔をゆがめると掠れたような声でつぶやいた。


『……学園にいたければ……ひっく……婚約者がいる男性に近づくなって……礼儀をわきまえろって、わたしが……まとわりつくと害にしかならないって……』


 今にも消え入りそうな声で泣くフランを俺はぎゅっと抱きしめた。震えながら理不尽に耐えるフランがいじらしい。俺は彼女の頬を流れる涙にそっと口づけをした。反対側にも、目尻にも。何度も。慰めるように口づけを落とした。


 フランを抱きしめながら、俺の身のうちには今まで感じたことがないほどの強い想いがあふれてきた。

——フランを守りたい





 当時の映像をみて、あのとき感じた怒りがふたたび湧きあがってきた。

 いくら公爵令嬢だからといって、やっていい事と悪い事がある。地位の低い女性に暴言を吐き傷つけるなど許せることじゃない。


 これを見たなら、父上だってマリエルとの婚約破棄に同意してくれるはずだ。


「父上っ、見たでしょう! マリエルは身分の低い女性を一方的に虐めているのですよ」


 俺が真剣に父上に訴えかけているのに、あろうことか姉さまと影がちゃちゃを入れてきた。


——ちょろすぎるわエドワード

——あれ信じちゃうの

——まじ単純

——誘導おつ


 俺は周囲をギロリと睨むと、ギリギリと奥歯を噛んだ。


「こんな横暴を許すのですか……」


 フランを守ると誓ったのに。どうしてみんなマリエルを擁護するんだ。下々の者を気にかけたりしないのか。


 正面のジョージが眠そうな目をこすりながら言った。


「にいさま、マリエル義姉さまのどこが横暴なのか、僕わかりません……」


「はああ? あの映像を見ていてわからなかったのか? マリエルはフランの持ち物を噴水に——」


 ジョージがこてんと首を傾げた。

「噴水はマリエル姉さまじゃないですよ」

「はあ?」

「だって、彼女も言ってました。マリエルがやったのかって兄さまが聞いたら、ちがうんですって」無垢な瞳で俺を見つめるジョージ。


 ああ、ジョージ。弟よ。俺は世の中の暗い一面をジョージに教えなければいけない。

「ジョージ……彼女は恐ろしくて真実を口に出せなかっただけなんだ。無垢なおまえに言うのはあれだが、報復されるのを恐れて身分が低い者は口に出せない時があるんだよ」


 優しく諭すように伝えた俺に、ジョージはやけにきっぱり胸を張って言った。


「にいさま、ちがいます。あれは保身と誘導です。ですよね? ねえさま?」

「は?」お前、保身なんて言葉、知っていたのかジョージ……


 ジョージが隣のアリア姉さまに同意を求めると、姉さまがにっこり笑ってジョージをなでた。


「そうね。『ちがう』と言葉にしながらも話の流れでマリエルがやったかのように誘導していたわね。エドワードが勘違いしただけで、あの女はマリエルの仕業とは言っていない。あんなのに引っかかるのはエドワードぐらいよ」


 ジョージは褒められてにこにこしている。


「アリア姉さま。どうしてマリエルの肩を持つのですか!」俺は姉さまに抗議した。


「じゃあ、聞くけどエドワード。王家に害をなす者が学園に入りこんだ時、あなたはどう対処するの? 持ち物を隠したり、噴水に投げ入れてたりして幼稚な抗議をするのかしら?」


 ふっと姉さまが嘲るような笑いを漏らした。


「そんなことはしません。……でもっ、フランは王家に害をなす人物じゃないし、マリエルがやっ……」


「はぁあああ?」

姉さまが一瞬で鬼のような形相になった。


 ひぃぃ


「そこからなの?エドワード。王家と公爵家の政略結婚に横やりをいれるのが害ではないというの? 隣国では王子妃選定の過程で暗殺まで起きたのよ。あの女がやっているのは派閥に対する挑戦でしょう?」


「派閥とか……彼女は純粋でそんなこと考えてもいないです……」

「だから!マリエルが注意していたんでしょう!あの女が平民上がりで何も知らないというなら、エドワード、あなたが貴族のことわりを教えてあげるべきなのよ!」


 アリア姉さまの剣幕に返す言葉がない。俺はただ愛しいフランと一緒にいただけなのに……



 アリア姉さまが苛立たし気にテーブルのチーズを摘まんで口に放り込むと、ワインをぐうっと呷った。


 姉さまは最初からフランを認める気がないようだ。だが、俺は愛しいフランと別れるなんてできない……


 助けを求めて父上を見るとふいっと視線をそらされた。母上は急ピッチでワインを飲んでいるせいでもう真っ赤だ。


 いつの間にかアリア姉さまのサイドテーブルに空いたワインボトルがふたつ載っていた。


「なぜマリエルが注意していると思っているのよ」

「それは……フランに嫉妬して——」


——はあ?

——嫉妬って

——あの女に?

——ぷぷぷ


 俺の後ろで影たちのささやく声がする。俺はかっとなって椅子をガタガタさせながら怒鳴った。


「おいっ! お前らさっきから不敬だぞ! 今すぐ出ていけっ!」


 すると、母上が地を這うように低い声で言った。


「エドワード。最初に無礼講だって言ったでしょう。影を追い出して、誰に給仕してもらうのよ? 王家の恥をメイドや護衛にさらしたいのかしら……」

 そう言いながら母上は空のグラスを差し出した。影がさっとグラスを満たす。


「そうよ、影がこの場にいるから護衛もメイドも下がっているというのに……」


 イブ姉さまはそう言いながら、影に命じるのが面倒になったのか手酌でワインを注いでいる。注ぎすぎたワインがグラスから溢れてきた。


 影がささっとボトルを引き上げ、もう一人がさっとテーブルを拭いた。


「エドワード、あなたが給仕係を引き受けるというの?」アリア姉さまが言う。


——ぐぬぬぬぬ

王子の俺が給仕の真似事などするはずがないだろう


「わかりました……影は、いても……構いません。でも、そろそろ、この拘束を解いてくれませんか?」


 俺はあいかわらず魔術で椅子に縛り付けられているのだ。命令をくだしたアリア姉さまを睨むようにして言うと姉さまが影に目配せした。


 ぱあっと光がほとばしって俺の体に巻き付いていた魔術の戒めがようやく消えた。


 フランの幸せな思い出を汚され続けてむしゃくしゃする。どうして、誰もかれもがマリエルの肩を持つんだ。


 俺がようやく自由になった体を伸ばしていると、影がさっとワインを差し出してきた。


 なんだ、気が利くじゃないか。


 俺は受けとったワインを苛立ちまぎれに一息で飲み干した。



「ところで、エロワード、公爵令嬢のマリエルが彼女のどこに嫉妬すると思っているの?」とイブ姉さま。ちょっと呂律が回らなくなってきている……気がする。


「そ、それは。俺に愛されているフランがうらやましくて……」


——ぶふぉっぅ

——げほっげほっ

——やだ、汚いわね 


 後ろの影が盛大に噴き出した。なんなんだ、お前たち。振り向いてギロリと影一同を睨みつけると、ふとっちょの影がボトルを片手に寄ってきて、俺のグラスをなみなみと満たした。


「おい、ちょっ、入れすぎだ。ふつう、こんなグラスのふちまで入れないだろっ。限界に挑戦してるのかっ」

「いえ、これは王子殿下の為です。飲めるだけ飲んでおいたほうがいいです」と申し訳なさそうな顔で言われた。


——うんうん

——そうそう

——まじでそれ

——殿下ふぁいと


「なんなんだよ……いったい」


「ままま、おつまみもどうぞ」小柄な影がチーズが載ったお皿を差し出した。

「ナッツとドライフルーツもありますよ」のっぽの影が別の皿を出す。

「もっと強い酒がいりますか?」赤ら顔の影が言う。

それはお前が飲みたいだけだろう——


「本っ当になんなんだよ……なんの前振りだよ。怖いだろうが」


 俺はわけがわからず、あふれんばかりに注がれたワインをがぶがぶ飲んだ。


 酔った影たちは隣同士で乾杯を繰り返しているし、父上は無言でもくもくと飲んでいる。すでに部屋の中は酔っぱらいばかりだ——



 銀幕には学園の中庭が映し出されている。俺がマリエルを呼び出して叱責している場面が流れていた。度重なるフランへの虐めに我慢の限界だったのだ。


 俺が怒りを抑えきれない表情でマリエルに詰め寄る。

『マリエル、醜い嫉妬でフランを傷つけるなと言っただろう。愛されないからといって嫌がらせなど見損なったぞ!』


——ふっ

——厚顔無恥とはこのことね

——これが弟とは恥ずかしいわ

——マリエル様って別に殿下のこと好きじゃないですよねぇ?

——それな


 映像をみながら姉さまだけでなく、酔っぱらった影までもが合いの手を入れてくる。



 画面の中のマリエルは背中を向けていて、その表情は見えない。あのときは激高していてわからなかったが、こうして聞いていると彼女の声には心配があふれていた。


(もしかしてマリエルは心配していたのか?)

ほろ酔いの頭に今まで思いもしなかった考えが浮かんで消えていった。



 記録玉からマリエルの真剣な声が響いてくる。


『エドワード様、彼女の言い分を鵜呑みにせず、ご自分で調べてください。取り返しがつかなくなる前に、目を覚ましてください。あなたはこの国の第一王子なのですよ』

『学園で身分なんて関係ない。友人とのつきあい方をお前にガタガタ言われる筋合いはない!』


『は?友人……。友人のつもりであの距離感なのですか?』

急にマリエルの声がスンっと冷たくなった。


『つもりとは何だ。彼女は大事な友人だ』


『エドワード様は……友人に対してずいぶん酷なことをなさるんですね……』

 なぜか俺が責められている。

『はあ? 彼女に酷い事しているのはお前だろう』

『いいえ。酷いのは、エドワード様です。このままでは彼女の評判は地に落ちて、彼女はまともな貴族との縁組はできません』


『そんなわけないだろう。何を言っている。俺たちは友人だ。彼女に堅苦しい貴族の常識を押しつけるな。フランのことに口出しは無用だ』



(マリエルは堅苦しいお小言ばかりで愛らしさがない。王子にだって癒しが必要だろう。俺は間違っていない。俺とフランがどれだけ愛しあっているかわかれば、みんなフランとの結婚に賛成してくれるはずだ……)

俺は手元のワインをごくりと飲んだ。



画面の俺がマリエルを残してずんずんと歩き去っていく。マリエルは俺の後姿を眺めたまま、しばらく立ち尽くしていた。


 何もない空間に立ち尽くしたマリエルの右手がぎゅっと拳を握るのが見えた。


 振り返ったマリエルの表情が画面に映る。


 彼女は真っ直ぐに前を向いて、悲しそうな表情で軽く首を振った。画面越しに彼女と目があったような気がした。




「ねえ、エロワード。なんで公爵令嬢が男爵令嬢に嫉妬するの~」イブ姉さまがしつこく絡んでくる。

 イブ姉さまは酔ったら絡み酒になるのか。知らなかった……


 俺が何か言うより先に、アリア姉さまが口を出す。


「イブ、イブ。それはこの先の映像を見てからのお楽しみよ。映像を見終わったあとに聞いてくれる? お酒が足りないわ。ねえ、影。いったん映像とめるから、チーズとドライフルーツも持ってきて」

「エベンノ王国から頂いたワインがいいわ」母上も注文を出す。

 ふとっちょとのっぽの影がそっと部屋を出ていくと、アリア姉さままでもが手酌でワインを注ぎはじめた。そうとう酔ってるな……


というか、この上映会、まだ続くのかよ!




 アリア姉さまの隣でジョージがこっくりこっくり舟をこぎ始めた。


「ちょうど良かったわ。ジョージはしばらく寝てなさいな。年越しのカウントダウンの前には起こしてあげるわ」


 アリア姉さまがジョージにひざ枕をして横にならせた。そして、ジョージの髪をやさしくなでながら、つぶやいた。


「ほんと良かった。ここからはマジで素面じゃ無理だから——」


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