合同祝い
翌年2月、シュンは作業療法士の国家試験に合格した。
試験合格後、シュンの就職先もすんなりと決定した。施設の見学へ行き、担当者と話をしている流れで、その場で採用が決定したのだそうだ。このパターンは決して珍しい事ではないと言う。国家資格というのは、それだけ強いものらしい。
そして、3月4日、土曜日。
私は3月7日が誕生日で、せっかくだから合同で合格祝いと誕生会をしようと言う話になった。誕生日当日は平日であり、ちょうどシュンの卒業式の日でもある。夜には学年全体での卒業記念パーティーもあるそうなので、あえて予定を少し早める事にした。
私達は札幌駅のすぐ近くにあるカフェバーに来ている。ここは、シュンが秀司君とたまにお酒を飲みに来るお店らしい。学校から徒歩15分ほどなのだと言う。どこへ行きたいかと聞かれたけれど、私はお店に詳しくないので、彼が決めてくれた。
実は、シュンと一緒にお酒を飲むのは初めてだ。基本的に、私達のデートはいつも車移動なので。
暖色のライトが灯るおしゃれな店内に、私という存在は場違いな気しかしない。こんなに素敵なお店を知っていてすごいなぁ、と思う。
窓際の、横並びの席に私達は座った。お店はビルの3階にあり、街の灯りや、行き交う人々の姿が見える。
「俺はとりあえずビールにしようかな。春琉は何がいい?」
ドリンクメニューを見せてくれながらシュンが聞く。
「私もビール」
「ビール!?」
急に大きな声を出すので、驚いてしまった。
「な、何で?」
「いや、春琉ってビール飲むんだ、と思って。もっとなんか、カシオレとかさ……」
「私、果実系とか、甘い系のお酒ってあまり得意じゃなくて。ビールが一番好きなんだ」
マジか! とさらに驚いている。
「ビール好きなイメージは全くなかったわ……その、なんか春琉ってさ、少女みたいにかわいいから」
自然にかわいいと言われて、私は反応に困る。前ほど顔を隠したり突っ伏したりと言った奇妙な行動はしなくなったけれど、こう言う時、どうしたら良いのかわからなくなるのは相変わらずだ。他のカップルの女性達は、こう言う場面ではどうしているんだろう……なんて事を考えてしまう。葵さんに聞いてみたらいいのかな。
グラスビールが2つ届き、私達は乾杯をした。お互いへの、おめでとうの言葉と共に。
シュンは一気に半分ほど飲み干して、幸せそうな表情をしている。私も久しぶりのアルコールの味がおいしくて、思わず顔が綻んだ。
「一緒にお酒飲むのは初めてだね。春琉とだとビールがめっちゃうまいや」
シュンはそう言って、さらにもう一口ビールを飲んだ。
「私達いつも車だからね。お酒飲みに行こうっていう話にも、ここまで不思議とならなかったよね」
「飲むよりも、係留地行って話してる方が俺達は楽しいもんな」
その言葉に、私は笑顔で大きく頷いた。
「しかしホントにビール飲むんだな。ギャップ萌えってやつだな」
「ホントに飲むよ。そんなにイメージないかなぁ、私」
彼は珍獣でも見るかのような表情で、ビールを飲む私を見ていた。
「あ、春琉。誕生日プレゼントがあるよ」
シュンはそう言って、カバンの中からリボンのついた白い袋を取り出した。
「はい。開けてみて」
「うわぁ、ありがとう。何だろう?」
リボンを解いて、袋の口をぐいっと開く。中に入っていたのは、ベージュのシンプルなキャスケットだ。
「わぁ、かわいい! 帽子だね」
「今年も、あと2ヶ月くらいで飛行船の季節が来るからさ。日除けとか、熱中症対策にと思って。嫌じゃなければ」
「うん、もちろん嫌じゃないよ。帽子って普段かぶらないから、新鮮」
ちょっとかぶってみて、と言う。私はそのシンプルながらもかわいらしいキャスケットを、頭にかぶせてみた。シュンは一気に表情をダラリと緩めた。
「似合う! めっちゃいいじゃん! かわいいよ」
「ほ、ホント? なんか恥ずかしいね」
帽子は、特に嫌いという意識もないのだけれど持っていなくて、かぶる習慣が元々全くない。自分の頭の上に何かが乗っかっているという感覚が、とても新鮮だ。シュンはスマホで私の写真を撮っていた。
「こんな感じだよ」
画面を見せてくれる。帽子をかぶった私。決して悪い意味ではないが、違和感があって不思議な感じがする。そして、それ以上に嬉しい。自分では別に似合っているとも思わないけれど、シュンがくれたものというだけで、私にはもう特別なアイテムだ。
「私も、シュンにプレゼントがあるんだ」
「えっ!?」
「うふふ。今回は忘れてなかったよ」
クリスマスの時の失敗が蘇って、私はちょっと苦笑した。帽子を頭に乗せたまま、紺色のリボンが結ばれた黒い箱をカバンから取り出して、シュンに渡す。
「合格と就職決定、おめでとう」
「マジで? 嬉しいな!」
シュンは光沢のある紺のリボンを解き、箱の蓋を開ける。中身を見て、おぉ……! と言って目を輝かせた。
そこに入っていたのは、ネクタイとタイピン。ネクタイの色は、落ち着いた印象のスカイブルーだ。
「こういうのがあると、何かと便利でしょ? 普段のお仕事では使わないかもだけど、研修会とかなんかでも使えるだろうし……ネクタイは飛行船のクルーさんと同じ色にしてみたさ」
話していると、やっぱり何だか恥ずかしくなってしまう。私の悪い癖だ。もういい加減、いちいち恥ずかしくなるの、辞めたいんだけど。
「ホントだ、クルー色だね。嬉しいな! どうもありがとう!」
シュンはネクタイとタイピンを手に取って眺めている。それは何の変哲もないただのネクタイとタイピンなのだけれど、まるでずっと探し求めていた宝物を見つけたような表情で、シュンはそれらを見つめていた。
「俺、これ卒業式の日に早速着けて行くよ。そして入社式の時も絶対着ける!」
力強い宣言。
「嬉しい。よかった、気に入ってもらえて」
「春琉が俺のために用意してくれたものなら、何だって気に入るよ。ありがとうね」
シュンはネクタイとタイピンを握りしめた両手を、自分の胸にギュッと押し当てている。心から喜んでくれている事が伝わる。私自身もホッとしていた。男性にプレゼントを渡すなんて、父親以外で初めての事だったから。
「卒業式の時、それ着けたら、写真撮って送って欲しいなぁ……」
「あぁ、もちろんいいよ。秀司に撮ってもらうよ」
「シュンってスーツすごく似合いそう。カッコいいんだろうなぁ」
「へへっ、そうかな。別に普通だと思うけど」
想像してみると、脳内でスーツを着用している彼の姿はとても格好良くて、つい顔がニヤけてしまう。なんでこんなに格好いい人が私なんかを好きになってくれたんだろう、といまだに考える。
「春琉も本当によく似合ってるよ。俺の目に狂いはなかった」
シュンはまだかぶったままだった帽子の上から、私の頭を優しく撫でてくれた。彼の手はとても大きくて、撫でるというよりも包み込まれるような感覚。
「私もこれから出かける時は必ずかぶるよ。もちろん、飛行船を見に行く時も毎回」
「うん。嬉しいよ」
頭を撫でていた手が、今度は私の肩を優しく包み込んでくれた。
「今年ももう少しで飛行船に会えるな」
「うん。すごく楽しみだね」
服越しに伝わってくる手の感触と温もり。シュンの全ての行動に、私は本当に彼に愛してもらえているのだという事を強く感じる。
私には、自分から気持ちを表現する行動というものがうまく出来ない。手をつなぐ時も、スキンシップも、いつも必ず彼の方から。私ももっと積極的になれたらいいのに……と思うけれど、まだどうしても恥ずかしい。交際を始めて、もう5か月も経つと言うのに。
つまらない女だと思われてしまわないか、時々不安になる事もある。けれど、シュンは私といるといつも笑顔だ。結局はその優しさに甘えてしまう形になる。
彼みたいに、私も自然にもっと愛情表現が出来たら……。
私は勢いで、帽子をぐるりと逆向きにした。そして身を乗り出し、隣にいるシュンのほっぺに軽くキスをしてみた。
「はっ! えっ? え!?」
シュンは突然の事にびっくりして、言葉にならない声を出す。
「……もうひとつの、私からの合格祝い」
私はすぐに正面を向き、さすがに両手で顔を隠してしまう。タイミングがおかしかったような気がしてならない。けれど、勢いって、究極に不器用な私にとっての貴重な武器だから。もうこの時点で“自然”な愛情表現ではないのだけれど。
「……俺、この先一生仕事頑張れるわ」
チラリと横を見たら、この上ないくらいに緩み切った表情をしていた。デレデレ、という表現が似合いそうな、まるでアニメにでも出て来そうな。
「春琉の方からちゅーしてくれるなんて、めっちゃ嬉しいっ!!」
そう言われると恥ずかしさが最高潮に達してしまい、私はさらに顔を覆ってヒィーッと変な声を出してしまった。シュンは大きな声でおかしそうに笑っている。
でも、一応成功って事でいいのかな……。
――今年もまた、もう少しであの季節がやってくる。
シュンと出会う事の出来たきっかけでもある飛行船がまた、北海道に戻ってくる。
今年は、彼と一緒に追いかける事が出来るんだ。
そう思うと、今からワクワクが止まらない。