ご報告
月曜の夜の詰め所に、葵さんの叫びが響き渡る。
周囲で事務作業をしていた販売員さん達は一斉にこちらを見たが、声の出所が葵さんだと知ると、何事もなかったかのように作業を再開し始める。それほど彼女の大声はここでは日常茶飯事という事だ。
「本当に、春琉に……ついに春が来たんだねぇぇぇぇぇ!」
葵さんは私をぎゅっと抱きしめてから、頭をグリグリと撫で回した。あんまり激し過ぎるので、ちょっとめまいがしてしまった。
「よかったねぇ本当に……! お姉さん、マジで嬉しいよ」
涙を拭う仕草をするが、泣いてはいない。
「えへへ……葵さんに一番に言いたくて」
私はグシャグシャになった髪を整える。どんなにもみくちゃにされようとも、その相手が葵さんなら全く嫌な気はしない。
「春琉から告白したの?」
「ううん、向こうからだよ……」
言いながら、私は恥ずかしくなってしまって俯いた。葵さんは目をギュッと瞑って、ウッホーッ! と変な声を出す。ゴリラ……?
「シュンさん、だっけ? やっぱり彼も好きだったんだね、春琉の事が」
それは事実なのだけれど、そうやって言葉にされるとやっぱり恥ずかしい。自分から話し出した事なのに、私は恥ずかし過ぎて顔を上げられなくなってしまう。だって、こんな状況は人生で初めてだから。
「今日は2品だよ~っと」
山上係長が、さらに追加されたらしい新商品の試食を持って入ってきた。
販売員さん達が事務作業の手を止めて試食を始めようとする中、葵さんは新商品には目も向けずに係長に話しかける。
「聞いて係長! 大ニュース」
「お、なんだ。進展か?」
係長は早速ポケットから缶コーヒーを取り出しながら、私の隣に座る。
「大進展よ。春琉に、正式に彼氏が出来ました!」
その声に、試食をしていた他の販売員さん達も数名バッとこちらを振り返った。葵さんは別に大声で言っているわけではないのだと思うけれど、元々声量があるので、他の人にも聞こえてしまっている。
「えぇーホントか!よかったなぁ、藤森さん!」
係長が言うと、聞いていた他の販売員さんまでもが拍手をして「藤森さん、おめでとう!」「よかったね!」なんて言ってくるので、頭と顔面が大噴火を起こしたような気がした。とても嬉しい事なのだけれど、その1万倍くらい、恥ずかしい。
「本当に飛行船って幸運の乗り物なんだなぁ。俺も行ったけどさ、藤森さんくらい見に行ってたら、こんなにラッキーになれるんだね」
係長はそう言って、缶コーヒーの蓋をプシュっと開ける。
「ってか顔赤っ! 大丈夫? 熱あんのか、藤森さん」
「違いますよ……恥ずかし過ぎて」
私は両手を顔に向けてうちわのようにパタパタ振った。おでこがじっとりと汗ばんでいるのを感じる。隣で葵さんが豪快に笑って、春琉めっちゃかわいいな! なんて言う。大人になってからかわいいと言われたのは、これで2回目。っていうか、全然かわいくないんだけど、こんなの。
「ねぇ、シュンさんの写真ないの?」
葵さんの言葉を聞いて、彼氏シュンさんて言うのか、と係長が呟いたのが聞こえた。
そういえば、彼の写真は撮った事がない。
「特に撮るような機会もなかったから、まだないよ」
「今度撮って来てよ。シュンさんって、見た目はどんな人なの?」
「えぇと……髪は黒くて、背が高くて、スタイルは良いけどガッチリ逞しくて……爽やかで、かっこよくて、時々かわいい……かなぁ」
彼の見た目を話すだけでも私は恥ずかしくて、言いながら俯いてしまう。
「うはぁ、すごいいっぱい出てくる! へぇ、時々かわいいんだ。芸能人で似てる人いる?」
「うーん……似てる人はいないと思うけど、時々、少年みたいになる。目が純粋って言うか」
「へ~、純粋爽やか系男子いいね。身長は係長よりも高い?」
「うん、高い」
私が答えると、係長はその場で立ち上がった。俺、173センチだよ。と言っている。
「へぇ~これよりも大きいんだ。春琉ちっちゃいから、でこぼこカップルじゃん」
「かっ、かっぷる!?」
そうだ、世間では、恋人同士の事をそう言うのだ。その言葉に今の自分が該当するという事実に、思わずまた顔を両手で覆ってしまった。
「へっ、なんで? 春琉のそのスイッチの基準が謎!」
葵さんは面白そうに笑う。自分でも、さっきから俯いたり顔を隠したりして、一体何をしているんだろうと思う……。
「とにかく、次にデートした時にでも写真撮って来て、見せてよ」
「俺にもね」
また両側から圧をかけられ、私は苦笑しながら熱くなった頬を掻いた。
シュンは、とても優しい。それは、私が恋人になったからとかではなくて、彼の元々の性格。作業療法士を目指して勉強している事も、よく理解が出来る。
彼がお母さんを亡くしたのは、小3の頃。その時、子供心ながらにも、人に優しくし後悔をしない人生を過ごしていこうと決めたそうだ。
彼は、既に一度は社会に出ているらしい。高校を卒業してすぐに、一般企業で事務員として働いていたそうだ。ある時彼は、もっと人と直接関わり、人が希望を持つためのサポートが出来る仕事をしたいと考えた。それが、彼が作業療法士を目指すきっかけだったと言う。
私は手作りパンの移動販売員として働いているけれど、どんなに気楽なものだろうと思う。もちろん今の仕事には、楽しさややりがい、誇りを持って取り組んでいる事は事実だ。この仕事を選んだ理由だって、私自身が、内気な性格を変えたいと思った事がきっかけだった。
ただシュンの人生や考え方を聞いていると、彼がどんなに立派な人であるかという事を強く感じる。比較をするわけではないのだけれど、そんな人が、何故こんな何の取り柄もない私の事を好きになってくれたのか、不思議でならないというのが本音だったりする。そしてそれ以上に、これはとてもありがたい事で、嬉しい事で、大袈裟なようだけれど奇跡だと感じている。
人の心は、誰かが思いどおりに作り上げられるものではない。彼との出会い、そして彼が私を好きになってくれた事には、感謝しかない。