願っていれば
――昔々、ある所に、飛行船が飛んでいました。
飛行船は、白くて大きな、長ーい風船のような形をした乗り物。その風船の下にくっついた小さな箱みたいなものの中に、パイロットさんが乗っています。
7歳のはるちゃんは、ある日、お父さんと一緒に、おうちの前で飛行船を見つけました。
お空にふわふわと浮かぶその姿に、はるちゃんはとっても感激します。
飛行船は、はるちゃん達の真上にずっと浮かんだまま。
お父さんが言いました。
「飛行船はきっと、はるやお父さんに気付いているのかもしれないね」
飛行船はやがて、どこかへと飛んで行きました。
はるちゃんは、お父さんに言います。
「お父さん、私、また飛行船に会いたい!」
お父さんは、大きく頷きました。
「はるが会いたいと願っていれば、いつかまた必ず会えるよ」
それから長い年月が流れて、はるちゃんは大人になりました。
お仕事でお出かけをしていた時に、はるちゃんは、お空に飛行船が浮かんでいるのを見つけました。
子供の頃、お父さんと一緒に見た飛行船のことを思い出します。そして、また会いたい! と、強く願った事も。
お父さんの言ったとおりに、はるちゃんはまた、飛行船に会う事が出来たのです。
どんなに長い時間がかかっても、願っていれば、いつかは叶う日がくるんだ。
はるちゃんは、とっても嬉しくなりました。
はるちゃんは、飛行船を追いかけます。
遠い遠い町まで、飛行船を追いかけて行きます。
そうして、辿り着いたのは海の見える小さな町。
そこではるちゃんは、しゅんや君という男の人と出会いました。
しゅんや君も、飛行船が大好きで、飛行船を追いかけて、この町に来ていました。
2人は、お友達になりました。
一緒に飛行船を見て、飛行船のお話をして、とっても仲良くなりました。
飛行船は、海を越えて次の町へと飛んで行かなければなりません。
日本中の人達を幸せにするために、行かなければならないのです。
2人は、離れていく飛行船を一緒にお見送りしました。
そして、はるちゃんとしゅんや君もまた、飛行船がいなくなってしまえば、それぞれのおうちへと帰らなければなりません。
とっても寂しかったけれど、2人はさよならをしました。
それから1か月が経った、ある日。
2人は――
そこまで話した所でスースーと寝息を立て始めたので、終わりにした。
無防備な寝顔に微笑みかけ、布団を肩まで掛けてあげてから、部屋のカーテンを閉める。
「ママ、ちょっと来て」
リビングに戻ると、ソファに座っていたパパが、私に手招きをして来た。
隣に座る。その横顔はまだまだ若々しく爽やかだけれど、鼻の下に少し髭を生やしていて、昔よりもちょっとだけワイルドだ。そしてここ数年で彼は、本格的に体を鍛え始めた。何でも、私と娘を守るために、という理由らしい。元々筋トレが趣味で、昔からガッチリしていたけれど、今の彼はさらに逞しくなったと思う。さすがにマッチョまではいかないけれど。
出会ってからもう15年も経つのに、相変わらずカッコいいなぁと思ってしまう。
「優香は?」
「お昼寝中。またあの話聞きたいって言うから、してあげてたら、いつの間にか寝てた」
「あの話が好きだなんて、俺達の子だよなぁホントに。子供の頃の自分を見てるみたいだよ」
嬉しそうに笑う。微笑むと、ほんの少しだけ目尻に皺が出来るようになった彼。その皺を見る度に、私は幸せな気持ちになる。
「で、何? 私に何か用事があったんじゃ」
「あぁ、そうそう。見てこれ!」
パパは私にスマホの画面を見せた。
そこには、大きなスカイ君の絵と、以前と違うフォントで“Smile Sky”と描かれた飛行船の写真が表示されている。
「えっ、何これ」
記事のタイトルを読んでみると、
Smile Skyが生まれ変わります!
全国展開プロモーション『飛行船SS号』14年ぶりに復活
と書かれている。
「SS号、復活だって」
「うそぉっ!?」
思わず、大きな声を出してしまった。優香に聞こえていないといいけれど。
「半年くらいの期間限定らしいけど、一応北海道にも来るみたいだよ」
「ほっ、ホントに!? SS号、復活するんだ……!」
若い頃に私が飛行船を追いかけた日々は、たったの2年間で終わってしまった。北海道の滞在期間は1年のうち約2か月間だったので、厳密に言えば約4か月間だ。
たったそれだけの時間だったとは思えないほどの濃くて大きな思い出を残して、SS号は2017年末に突然、運航が終了となってしまった。それ以来、日本の空には飛行船は飛んでいない。
今の世の中、宣伝のために飛行船を飛ばそうと考えてくれるような企業などなく、すっかり絶滅危惧種。と言うより、一度絶滅していたようなもの。
私達が子供の頃でさえ既に飛行船はほとんど姿を消していて、同世代にはその存在を知らない・見た事がないという人達も多数いるだろうと思う。
日本の空に、また飛行船が戻ってくる――
41歳。いつの間にか、若者と言われていた時代もとっくに過ぎ去ってしまっていた。
ラビットに勤めていた頃、葵さんが寿退職した時に「変わらないものってないんだね」と嘆いた事を思い出す。
その葵さんとは、今でも変わらず交流が続いている。お互いの子供同士も仲が良い。葵さんは43歳になっても若々しく、明るく豪快でとっても元気で、ラビットにいた頃のままだ。
大切なシュンが隣にいて、毎日私を好きでいてくれる事も、あの頃から何も変わらない。彼に対する思いだって、私の中では、出会った頃みたいに新鮮なまま。今でも毎日、私は彼に恋をしている。
14年前にマシューさんがくれた飛行船のペーパークラフトも、だいぶ日に焼けてしまったけれどそのままの形を保ち、棚の上に飾られている。
そして、橋立さんがくれたフォトフレームの中で、飛行船をバックに写る若い2人の写真だって、色褪せる事なくそのまま。結局、彼が岩水の係留地で撮ってくれたその写真を今でも飾り続けている。
橋立さんは49歳になったけれど、あの頃と変わらずシュンはメールで連絡を取り合っている。彼は今、アメリカでマシューさんと一緒に飛行船のクルーをしているそうだ。もしいつか日本で飛行船が飛ぶ事になったら必ず戻ると話していたそうなので、近い未来にまた会える日が来るかもしれない。
そして、私が小1の時、人生で初めて飛行船を見た日に父が言っていた言葉も、どんなに長い時が流れても変わる事はなかった。
会いたいと願っていれば、いつかまた必ず会える――
本当だね、お父さん!
「今年は優香と3人で追いかけような」
「うん! 絶対に見に行こうね、3人で」
微笑み合うと、もうすっかり当たり前のように、シュンは私にキスをしてくれる。
チクチクと当たる彼の髭が痛くて、私はうふふっと笑った。
(完)
本編は以上で終了となります。
大変拙い作品をここまでお読み頂きまして、心から感謝いたします。
どうもありがとうございました!




