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飛行船と、私達の物語  作者: 清松
第6章~2017年・その後~
43/46

変わらないものってないのかな

挿絵(By みてみん)




シュンが私の実家に結婚の挨拶に来るという日を2日後に控えた、8月31日。

葵さんは、ラビットを退職した。

普段はお知らせが掲示されている詰め所のコルクボードには、販売員全員が書いた葵さんへのメッセージが一面に貼られた。それらを見ると、葵さんの人望の厚さがよくわかる。どれも、紙が埋まる程に長文で葵さんへの思いが綴られていた。私にはこんな小さな紙1枚だけでは足りないほどの思いがあるけれど、いざ書こうとすると何を書いていいのかわからなくなり、結局は無難なメッセージになってしまった。

最後の販売を終えて、最後の売上金を提出して、販売員としての9年間に終止符を打った葵さんは、最後の挨拶の時に大号泣していた。私は泣かないつもりだったけれど、葵さんに泣かれてしまっては堪える事は出来なかった。山上係長までもらい泣きしてしまい、他の販売員さん達もみんな泣いていて、大変な状況になってしまった。

葵さんはみんなから尊敬され、愛されている。これまで誰かが退職する事になっても、こんなにみんなが泣いていた事なんてない。

葵さんは、男性も女性も、1人1人全員とハグをして、お別れと感謝の言葉をかけていた。中でも、私の事を一番長くハグしてくれた。私がそうであるように、彼女にとっても私と言う存在は少し特別だったのかな、と思うと嬉しい。

その日葵さんは最後の最後まで残り、帰って行く販売員さんを全員、見送っていた。私は帰る事が出来なくて、葵さんと一緒に最後まで残ってしまった。結局、誰もいなくなった真っ暗な駐車場で、2人で泣きながら手を振って別れた。すぐにまた会おうね、いつでもラビットに遊びに来てねと声を掛け合って。







葵さんのいないラビットでの静かな日々が続く中、私とシュンの結婚の準備も少しずつ進められて行った。

57歳になる実家の母は、娘さんと結婚させて下さいと言うシュンの真剣な挨拶に涙していた。春琉にこんな素敵な旦那さんが出来るなんて……と。

シュンは仏壇の父の遺影にも、誠実な態度で挨拶をしていた。青空をバックに穏やかに微笑む父の写真に、春琉さんと結婚させて下さい、一生大切にお守り致しますと声に出して頭を下げる。彼のその後ろ姿を見て、私は涙が溢れ出してしまった。なんて立派な人なのだろう。この人と結婚させてもらえると言う事に、私は心の底から感謝した。

母と一緒に暮らしているうちの猫“こてつ”にまで、シュンは歓迎されていた。これはなかなか珍しい。普段は知らない人が来ると逃げて隠れるのだけれど。こてつは何故かシュンに興味津々な様子で、匂いを嗅いだり擦り寄ったりしていた。猫にも優しい人はわかるのかもしれない。


そして、シュンのご家族にも会いに行った。

優しそうなお父さんに、シュンの4つ下の弟の(けん)さん。お父さんも憲さんも、シュンとよく似ている。2人は私を大歓迎してくれた。帯広の伊吹家の皆さんにお会いした時のような、温かで心地良い雰囲気。やはりシュンの家族なのだと、すんなり納得が出来た。

シュンが私の事を紹介してくれ、春琉さんと結婚しますと力強く宣言していた。

お父さんはすっかり気分を良くして、憲さんと一緒に昼間からビールを飲んでいた。シュンは運転手なので飲まなかったけれど、私も勧められるままに1杯だけご馳走になってしまった。






挿絵(By みてみん)




挿絵(By みてみん)













突然衝撃的なニュースが入って来たのは、それから2ヶ月後の事だった。





『飛行船SS号は、今年12月31日をもって運航を終了する事となりました』



11月に入った頃、SS号の公式SNSで、こんな発信があった。

私とシュンは新居への引っ越しの準備をしている最中で、数日前から、休日や空き時間を使ってそれぞれの家から荷物を運び込んでいる所だ。

その日、仕事が終わった後に荷物を持って新居へ向かうと、シュンも来ていた。

「シュン、飛行船……」

玄関に入るなり私は真っ先にそう声をかける。シュンは開け放たれたリビングの扉から出て来た。

「うん、めっちゃびっくりしたよね」

「私もまだ信じられない……」

とりあえず中に入りなよ、と言われて、シュンと一緒にリビングに入る。まだまばらにしか物の置かれていない中途半端な空間で、シュンが自分の部屋から持ち込んだ小さな2人掛けソファに座った。

「橋立さんに連絡してみたんだ。さっき返事が来ててさ」

と言ってシュンは、スマホを取り出す。



――SSさんが、飛行船を利用した宣伝活動から撤退する事になったんです。実は9月頃には決まっていた事でした。僕らの意思ではなくSSさんからのお話ですから、受け入れるしかありません。

シュンさん、4年間飛行船SS号を追いかけて下さって本当にどうもありがとうございました。僕にとっても大変素晴らしい出会いと経験でした。どうかはるさんと幸せなご家庭を築いて行って下さい。はるさんにも、どうぞよろしくお伝え下さいね。機会がありましたら、いつかお会いしに行きたいです――



橋立さんからのメッセージには、長文でそのように書かれていた。

「橋立さんにも、もう会えなくなっちゃうんだね」

そう考えると、とても悲しくなってしまった。

「SS号がいつまでも飛んでくれたら、って夏に言ったばかりだったのに……」

「そうだな……ついにこの時が来ちゃったか、って感じだな」

スマホの画面を見つめているシュンの表情は暗い。

夏に飛行船を見ていた時は、その数ヶ月後にまさかこんな日が来るとは予想もしていなかった。もしもその時が来るのだとしても、心のどこかで、それはまだまだ先の事だと思っていた。

けれど。

「やっぱり、変わらないものってないのかな」

呟くと、シュンがこちらを見た。

「当たり前にそこにあるものでも、いつかは必ずなくなっていっちゃう。今年は、私の大切なものがどんどん私から離れていっちゃう……」

葵さんも、飛行船も。

シュンは慰めるように私の頭を大きな手で包み込んでくれた。

「俺が、春琉にとっての『変わらないもの』である事には間違いないからね」

低い声が響く。優しすぎて、また泣きそうになってしまう。

「願っていれば、いつか必ずまた会える」

シュンは、私の父の言葉を口にした。

「……って、お父さんが言ってたんだよね? そうして春琉は実際にまた飛行船に会えたんだ。だから、一緒に願おう」

「……うん」

これから先もまだ続いていくものだと信じていた、飛行船を追いかける夏の小さな冒険。SNSの発信ひとつで、それは突然終了してしまった。7月末に「また来年」と岩水で見送った飛行船が、クルーが、橋立さんが、最後になってしまったなんて……。

受け入れられない気持ちの方が今は強いけれど、シュンが言ったように、父が言ったように、願うしかない。

またいつの日か、飛行船が飛んでくれるように。






挿絵(By みてみん)




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