さらに、もうひとつの再会
ゆっくりと車を走らせながら、シュンが私を呼ぶ。
「この後はどうする? もう一度黒汐町に戻って、飛行船見るかい?」
「私はいつだって見たいけど……帰りの事もあるから、シュンが良いんだったらだけど」
「そうか。それならさ、俺ひとつ提案があるんだけど」
「賛成っ!」
私は元気に片手をあげた。
「まだ何も言ってないのに!?」
「シュンの提案は何だって賛成だよ、私。だって、いつもワクワクするアイデアばかりだから」
何を言ってくれるのだろうと、ドキドキしながらシュンを見つめる。シュンはあははっと楽しそうに笑った。
「そっか、今回もワクワクしてもらえるかな。でも、嫌だったら断ってね。もしも春琉がいいんだったら、今日、黒汐町に泊まっていかない?」
「えっ!?」
「明日移動フライトだって言ってたじゃん。去年みたいにまた、黒汐で離陸を見送って、岩水で迎えたいなぁって俺は思っててさ」
「大賛成だよ! シュンやっぱりすごいね」
シュンの提案で、私達は再び黒汐町へと向かった。
今日は土曜日。明日は日曜日。だから、泊まりになったとしても何の問題もない。
車中泊ではなくちゃんとした環境で体を休められるようにと、シュンは宿泊可能なホテルを探してくれると言う。黒汐町のコンビニに車を停めて、ネットで調べてみると、泊まれそうな場所を見つけたようだった。
「ホテル黒汐、っていう所が空いてる。泊まるって言っておいてなんだけど、この町ってホテルあったんだな」
「確かに。どの辺にあるの?」
「一応中心地に近い所らしいけど……あ、もしもし」
シュンはすぐに電話をかけ、予約を入れてくれた。
町のメインストリートから少し中に入った所に、そのホテルがあった。いつも私達が係留地へ行く時には通らない道。けれど、中心地からはとても近く、徒歩でもコンビニへ行けるような距離だ。
ホテル黒汐、とおしゃれなフォントで書かれている。レンガを模したシックな外壁がとても綺麗で、大人の雰囲気。あまり古そうには見えない。5階建てらしく、奥行きはあまりないけれど意外と大きい。こんな場所が黒汐町にあったなんて。
シュンが事前に電話を入れてくれていたおかげで、チェックインはスムーズだった。部屋は5階のツインルームで、白い壁に、机やドア枠などは落ち着いた焦茶色。普通に綺麗なホテルだ。
「はぁっ。やっぱベッドはいいな!」
シュンはゴロリと寝転がって、大の字になった。
「私は大丈夫だけど、シュンは車中泊窮屈だったでしょう。ここならゆっくり体伸ばせるね」
「あぁ。車中泊も特に不満はないけど、ベッドの快適さには敵わないよね」
私達は、部屋のベッドでそのまま少し眠ってしまった。寝不足に加えてお腹もいっぱいだった事もあり、シーツの心地良さに抗う術もなく意識が落ちた。私もシュンも、おそらく同時くらいに寝入ってしまったと思う。
目を開けると、隣のベッドに腰掛けたシュンが私を見つめていた。差し込む夕日で逆光になっているが、こちらを見ている事はわかった。
「おはよ! 起きた?」
「おはよう……あれ、シュンも寝てた?」
「うん。ちょっと前に起きた」
腕時計を見ると18時43分。ここに着いたのは16時半前くらいだったので、2時間くらいも寝てしまったようだ。
「春琉、ここ、景色がすごく良いんだよ」
シュンが窓の前に立って言う。私も隣に立って外を見てみる。遠くに連なる美しい山並みの向こうに、夕陽が沈もうとしている所だった。橋立さんの言っていたとおり、天気もすっかり良くなったようだ。
「綺麗! いつも係留地の方ばかりしか見てなかったから、この町にこんな景色があるなんて知らなかったね」
「うん。十勝って感じの景色だな」
山の手前には、黒汐町に暮らす人々の家が見える。全国を旅する飛行船のスタート地点であり、ゴール地点でもあるこの小さな町の住人達が、私はちょっと羨ましく感じる。
黒汐町は、毎年必ず飛行船が来る、むしろ来なければならない、日本で唯一の町。極端な話、何かしらの理由で札幌に降り立てなかったとしたって、この町には必ず来なければならないのだ。耐空検査を受け、年間を通して日本の空を飛び続けるために。
飛行船にとってそんな重要な町がある北海道に自分が住んでいる事を、私は密かに誇りに思っていたりする。他の人にとっては、全くどうでも良い話だと思うけれど。
散歩がてらコンビニに行ってこようとシュンが言ったので、外に出た。
私は、ホテルなどに宿泊した時に近所のコンビニや飲食店なんかに出かけるのが好きだ。何となく、特別さが感じられるから。ホテル内にある自販機とかお土産屋さんなどではなく、外に出てするごく普通の日常的な買い物が、むしろ非日常の冒険のように感じてしまうのは何故なのだろう。
私はシュンの後ろをゆっくりとついて歩いた。何で後ろにいるの? と笑う彼に、シュンの背中を見ていたいから、と答える。日がだいぶ落ちて来て、街は少しずつ薄暗くなって来ている。
表通りへと向かって歩いていると、歩道沿いの少し奥まった所に大きな倉庫のような建物がある事に気がついた。
「あれっ!?」
思わず私は声をあげてしまい、シュンが振り返った。
「何?」
「ここ、ラビットだ……!」
その倉庫のような建物には、見慣れたポップな文字で「手作りパンのラビット」と書かれた看板が掛けられている。歩道に面した広い敷地は駐車場のようで、車が2台停まっていた。
「ラビットって、春琉が勤めてるパン屋さんだよね?」
「うん。十勝にも営業所があるんだけど、ここにあったんだ」
「え、黒汐町にあるの!? 帯広とかじゃないの?」
「すっかり忘れてたけど、十勝営業所は黒汐町にあるって、私も去年初めて聞いたんだよね。ちょうど1年前に、ここから上司が1人出張で来てて」
去年の7月、ラビットの十勝営業所から稲田部長という人が2週間ほど札幌営業所に来ていた。販売員の売上強化週間で、私も一度部長に、販売に同行してもらった事がある。その時に、飛行船が黒汐町に滞在するという話を彼から初めて聞いた。それが、私がこの町を知ったきっかけだった。
その一連の流れをシュンにも説明する。
「私、その稲田部長って言う人に会ってなかったら、去年黒汐町に行ってなかったと思う」
「マジで? そんな重要人物がここにいるのか」
私達が歩道に突っ立って話していると、建物の扉がガチャリと慌ただしく開いて、人が1人飛び出すように外に出て来た。すらりと背が高く、細身のその男性は、驚いたような表情でこちらを見ている。
「やっぱり! 藤森さんじゃないですか!」
「い、稲田部長!?」
まさに私が今話していた、稲田部長本人だった。シュンは隣でポカンとしている。部長はこちらへと駆け寄って来た。
「ご無沙汰しています。どうされたんですか、こんな所まで」
「お久しぶりです! 私、すぐそこのホテル黒汐に泊まってて。ちょっとコンビニへ行こうと出て来たら、ここにラビットがあったから……」
1年前に初めて会い、たったの2週間しか一緒にいなかった稲田部長。こんな存在感の薄い私の事もしっかりと覚えていてくれたようだ。
「そうですか、そこに泊まられているのですね。観光ですか?」
「あはは、観光というか……飛行船を見に来たんです」
「あっ、なるほど! 飛行船をね。お好きでしたもんね」
稲田部長は、上司とは思えないほどにとても丁寧な口調で優しく話してくれる。去年会った時と何も変わっておらず、何となく、安心した。
「今日は販売はお休みなんですが、取引先の方をお招きして、お茶をしながら小会議をしてましてね。ふっと外を見たら似た人が立っていたので、びっくりしましたよ」
「私もです! ラビットを見つけた事にびっくりしていたら、部長が出て来たのでさらにびっくりで……」
この状況で触れないわけにはいかないので、ちょっと恥ずかしかったけれど、隣にいるシュンを紹介する事にした。
「あ、あの、部長。こちらは、シュンさんって言うんです。あの……おっ、お付き」
「初めまして。藤森春琉さんとお付き合いをさせて頂いております、道下俊哉と申します」
シュンは私が言う前に、例の調子で自己紹介をして深々と頭を下げた。
「そうでしたか、ご丁寧に……。初めまして、私はラビット十勝営業所で部長をしております、稲田と申します。藤森が大変お世話になっております」
稲田部長も、シュンに負けないほどに深々とお辞儀をする。丁寧合戦、みたいだな……なんておかしな事を考えて、密かにクスッと笑ってしまった。シュンを相手にビジネスっぽい対応なのも、何だかちょっと面白くて。
「……え、何? なんか面白かった?」
クスクス笑っている私を見て、シュンもつられて笑う。
「ふふふ。2人共すごく挨拶が丁寧過ぎで、なんか面白くなっちゃって」
そう言うと、稲田部長がおかしそうに笑った。
「いやぁ、藤森さんに彼氏さんがいらっしゃったとは。昨年お会いした時は全然知りませんでした」
「あっ、お付き合いは去年の秋頃からで。彼とはこの黒汐町で知り合ったんです、飛行船を見に来て」
「へぇっ、黒汐町で。そういえば去年いらしたと言っていましたね」
稲田部長はとても楽しそうだ。
「だから、私、部長に感謝してます。部長が教えてくれたお陰で私、黒汐町を知ったから……去年、飛行船の事とこの町の事を教えてくれて、どうもありがとうございました」
「僕からもお礼を言わせて下さい。そのお陰で僕も春琉さんと知り合えたので……どうもありがとうございます」
急に2人の人に頭を下げられて、稲田部長もちょっとタジタジになってしまっているようだった。
「そんなそんな……僕は何もしていませんよ。でも、お2人の出会いのきっかけに少しでもなってもらえたなら大変嬉しいです」
部長は私達を見つめて柔らかく微笑む。
「まさかこんな形で、部長にお礼を言えるなんて」
「散歩に出て来て良かったな」
シュンも嬉しそうなのが、私には嬉しい事だった。見ず知らずの私の上司にも、感謝をして、且つそれを言葉にして伝えられる誠実さ。別にわざわざしなくても問題ないような事、他の人ならしないであろう事でも、彼はまっすぐな心のまま行動に移す。改めて、シュンはやっぱり立派な人だなと思う。
「それにしても、藤森さんに彼氏が出来たと言う事なのでしたら、きっと山上君や石黒さん辺りが賑やかそうですね」
「本当、そのとおりなんです。私いつも2人に冷やかされてしまって……」
部長には、山上係長や葵さんの反応が容易に想像出来るようだった。
稲田部長は一度社内に戻って、小会議のお供にしていたと言うお菓子と、敷地内に設置されている自販機で買った缶コーヒーを袋に入れて、私達に持たせてくれた。引き留めてしまい申し訳ない、黒汐町をゆっくりと楽しんで欲しいと言う事を伝えて、彼は私達を見送ってくれた。
町のメインストリートは、すぐそこだった。赤信号で立ち止まったシュンは、何だかとても嬉しそうに笑みを浮かべている。
「ふふっ、何笑ってるの?」
私も笑いながら聞いてみた。
「なんか、すげーなぁと思って。黒汐町に来て、春琉の勤めてる会社の支店たまたま見つけて、上司さんに会って、その人が実は俺達の出会いに関わっていた重要人物で、ってさ……なんか、普通にめちゃくちゃすげぇなって」
「うん。泊まってるホテルの隣がラビットだったなんて、なんか不思議。部長にも再会しちゃって。何だか漫画みたいな展開」
私が言うと、シュンもはははっと笑い声をあげた。
「色んな奇跡がたくさん重なり合ってるんだな、俺達が出会って、付き合った事の裏にはさ。俺、全部に心から感謝してるわ、マジでありがたい事だって思う」
青信号になり、シュンは私の手を握って歩き出した。見上げる横顔が、満面の笑み。
私は何故か、秀司君の事を思い出した。
岩水の係留地で彼が、自分もシュンが大好きなのだと言っていた時の事。シュンの事をよろしくね、と私に言っていた時の事。
シュンのこの純粋な微笑みを、私は一生見ていたいと心から思った。この笑顔を私が守り続けて行きたいと思った。
繋いでいない方の手で、シュンの腕を抱きしめるようにギュッとしがみついた。
「シュン、ずっと一緒にいようね」
溢れ出す思いを抑えられずに、勝手に口から出てしまう。恥ずかしいけれど、もうそんな事はどうでも良かった。
「めっちゃ嬉しい! 春琉からそんなふうに言ってくれるの」
夜が始まり行く静かな表通りを、ゆっくりゆっくりと進んだ。出会った町を、1年を経た今2人で歩いている、この時間もまた奇跡であると私は思った。




