十勝フライト
耐空検査明け、初のフライトの準備が始まる。黒汐町の係留地は相変わらず見学客が少なく、私達の他にはカメラを持った年配の男性1人しかいなかった。
作業ののち、マストから外された飛行船は離陸地点へと移動させられて行く。静止してから少しの間を置いて、一気にエンジン音が高まる。辺り一帯を轟音が包み、飛行船が目の前を駆け抜けて空へと飛び上がって行った。私もシュンも、大きく手を振って見送った。
橋立さんの話だと、飛行船は黒汐町周辺を飛んでから、午後過ぎに一度係留地に戻りパイロットを交代すると言う。再離陸後は帯広方面へと向かい、天候の許す限り飛ぶそうだ。せっかくここまで来たので、私達は十勝の空を飛ぶ飛行船を追いかける事にした。
『7/22(土) 飛行船SS号は黒汐町、帯広市周辺を飛行いたします。見かけたら手を振って下さいね!』
助手席に乗り込んですぐに公式SNSを開くと、そう更新されていた。
「黒汐町と帯広の周辺を飛行します、って書いてあるよ」
「よーし、追いかけるかぁ」
シュンは張り切って車を発進させる。
「シュン、大丈夫? 寝不足でしんどくない?」
「大丈夫!全然眠くはないよ」
私達はお互いの車を運転する事はない。と言うか、保険の関係で出来ない。なので交代で運転すると言う事が出来ず、遠出の時にはどちらかに負担がかかってしまう。シュンと代わってあげられたらいいのだけれど。
ただ、彼本人は疲れた様子を見せる事は微塵もない。ワクワクの方が勝ると、そんな事はきっとどうでもよくなってしまうのだろう。私にも、その気持ちはよく理解出来る。
十勝の大自然の中、シュンと一緒に飛行船を追いかけた。
去年初めて黒汐町に来たけれど、観光をしたわけではないので、町の事はあまりよくわからなかった。黒汐スカイスポーツ公園から少し奥へ進めば海が見える事、反対に中心地よりも奥へと進むと緑が広がっていて、森林浴をしながらドライブが出来る事を初めて知った。自然豊かで、空も海も、草木の緑も、特別に綺麗。黒汐町はどこへ行っても魅力的な町だと思った。
森林ドライブコースの木々の開けた所で、遠くの空を飛ぶSS号の姿を見つけた。車を降りて2人で手を振ってみたら、ゆっくりと近づいて来て真上を飛んでくれた。これには、思わずシュンとハイタッチをして喜んでしまった。
海の見える小高い丘の上にポツンと建つ、小さな温泉宿も見つけた。実は有名な温泉らしく、規模の割には随分と人が多く賑わっている。周囲は広い公園のようになっていて、温泉の利用客や公園で遊ぶ家族連れが、海上を飛ぶ飛行船に手を振っていた。
黒汐町の小さな中心地は決して人通りが多いとは言えないけれど、挨拶をするように低くゆっくりと飛ぶ飛行船を、町民達は楽しそうに見上げていた。彼らの笑顔を見ると、嬉しさが湧き上がった。
黒汐町とその周辺の空をたっぷりと飛び回った飛行船は、予定どおりに午後を過ぎるとスカイスポーツ公園へと向かい始める。13時前、係留地に着陸したSS号はいつもの流れでマストに固定された。
けれど、パイロットを交代して再離陸する、と言う様子が特に感じられない。
「今日ってもう飛ばないのかな」
「なんか、普通にいつもの終わりの作業をしている感じだよな。交代のパイロットさんも来ないし」
気がつくと空は曇っていて、朝よりも風も少し強くなっている気がする。
作業が一段落した頃、橋立さんが私達の姿に気づいて駆け寄って来た。
「シュンさん、春琉さん、すみません。急遽予定変更になっちゃいまして」
「何かあったんですか?」
「雷雲が近づいてまして。風も強くなって来てるので、残念なんですが今日はここまでになりそうです」
「えっ、マジっすか。それはしょうがないですね」
天気の急変では仕方ない。天候に左右されてしまうものは、それを仕事としている人も、私達のように趣味としている側も大変だ。急に予定が変えられてしまうのだから。
「橋立さん、明日は大丈夫そうなんですか?」
私が聞いてみた。移動フライトがどうなるのか知りたくて。
「断定は出来ませんが、今の所は明日は大丈夫そうですよ。予報では今日中に天候は落ち着くはずなので、おそらく移動フライトは出来るかと」
「そうですか、それなら良かった」
「急ですみませんね。本当ならこの後、帯広方面だったんですけどね」
橋立さんが言うと、シュンが突然、あっと声を出した。
「そうそう橋立さん、これ」
彼は腰に巻いていたパーカーのポケットから缶コーヒーを取り出す。
「あ! 僕の好きなやつ」
それは、シュンが去年もよく橋立さんに差し入れをしていたものだった。朝のコンビニで買っていたらしい。
「朝渡すの忘れちゃって。ぬるくなっちゃったなぁ」
「いえいえ、そのお気持ちが嬉しいですよ! シュンさんありがとうございます」
橋立さんは両手で包み込むように丁寧に缶コーヒーを受け取り、爽やかな笑顔を見せる。シュンの中では、これを橋立さんに渡す事が毎年のミッションのようになっているらしい。今年も渡せて、彼もまた満足げに微笑んでいた。
せめてごゆっくり見学されて行って下さいね! と言って、橋立さんはトラックの方へと向かって行った。
「帯広まで追っかけドライブしても良かったんだけどな、しょうがないね」
と話しながらシュンは徐々に不思議そうな表情になって、私を見つめる。
「……ねぇ春琉、今、もしかしてお腹鳴った?」
シュンはニヤニヤとしている。話し声と重なっていたから聞こえていないと思ったのだけれど……。
「……鳴りました」
「すげぇ。去年と同じ場所で同じ出来事が」
そう言って彼は笑った。去年シュンとこの係留地で初めて知り合った時も、私はまさにこの場所で豪快にお腹が鳴ってしまって、彼が食事に誘ってくれたのだ。
「でも俺さぁ、あの時春琉のお腹が鳴った事に実は感謝してんだよ。それがなかったらご飯に誘ってなかったんだもん」
「確かにそうかもしれないけど……感謝って」
「今俺達が付き合ってんのって、春琉のお腹の音のお陰なんだよ」
「それ、どう受け止めたらいいのか複雑……!」
思わず顔を覆うと、シュンはさらにおかしそうに笑った。
「まぁ、もうこんな時間だしね。俺もお腹空いたよ」
「飛行船も下りちゃったし、ちょうどいいからご飯を食べに行かない?」
と私が言うと、シュンはまた、あっ! と声を出した。
「そうだ、春琉。俺、おいしいお店を知ってるから連れて行ってあげる」
「おいしいお店?」
「へへへ、くろしお食堂じゃないよ。よし、今から予約のメールを入れておこう」




