新たな冒険へ
それからちょうど1ヶ月ほどの間、飛行船は札幌やその近郊の空を飛び続けた。
私とシュンは、土曜日になると決まって岩水海岸公園に出かけた。朝8時頃には現地で合流し、離陸を見る。そうしてどちらかの車に乗って、飛行船を追いかけた。天候不良でフライト中止になれば、係留地のいつもの場所に座ってひたすら飛行船を眺めた。日曜は基本的に休息日という事にしていたけれど、元気があれば2日連続で見に行く事もあった。
青空の中、初夏の日差しに煌めく艶々のシルエット。
マストにしがみつく船のお尻を、これでもかと舞い上がらせる風のいたずら。
相合傘の下で身を寄せて、しとしとと濡れる姿を見つめた雨の午後。
飛べる日も飛べない日も、晴れの日も雨の日も、私達はいつだって楽しかった。隣にシュンがいるだけで、私には全ての日が特別。去年は想像も出来なかった時間。大好きな飛行船を大好きな人と見られる日々に、私は心から感謝した。いつまでもこんな日が続いてほしいと、いつまでもSS号が日本の空に飛び続けていてほしいと、願わずにはいられない。
6月25日の日曜日。
飛行船は、耐空検査のために十勝の黒汐町へと移動フライトを行う。
元々は23日金曜日に移動の予定だったものが、天候不良で2日間延期になってしまった。お陰で、私とシュンの休日に当たってくれた。さすがはラッキーガールだなぁとシュンが笑っていた。
いつものように朝8時頃に係留地でシュンと合流し、いつものように離陸を見送った。週末で見学客も多数来ており、飛行船は低空飛行でご挨拶してくれる。私もシュンと一緒に両手を振った。
離着陸を見るたびにワクワクする事に変わりはないが、回数を重ねるごとに、少しだけ気持ちに余裕が出て来ているような気がする。私もそろそろ、初心者マークは卒業と言う事だろうか。
これで、少しの間は飛行船のいない日々が続く事になる。けれど、耐空検査が終わる頃にタイミングが合うなら、また黒汐町まで見に行きたい所だ。
マスト撤収の綱引きを見学していた時に、春琉、とシュンが私を呼んだ。
「黒汐町、行く?」
「えっ?」
いつの話をしているのかわからなくて、間の抜けたような返事をしてしまう。その事を察したシュンは、今日、と言う。
「日帰りになっちゃうから、無理はしなくていいけど。もしこの後特に何も予定ないんだったら、飛行船追いかける?」
「ホントに!?」
シュンはいたずら少年のような笑顔で頷く。一気に胸に広がるワクワク。シュンは何故こんなにも、私が思い付かないような楽しい提案を出してくれるのだろうか。
「俺が言い出しっぺだから、俺が運転するし」
「待って! 浜風町はシュンが連れて行ってくれたんだから、今日は私が運転するよ。っていうか、運転させて」
撤収作業の終わったクルー達が車に乗り込む。挨拶に来てくれた橋立さんに、これから自分達も黒汐町まで飛行船を追いかけるとシュンが伝えると、とても嬉しそうに笑っていた。彼は私達の行動パターンをよく知っているから、札幌から約250キロほども離れたその町へ向かうと聞いても、もう驚かない。道中気をつけていらして下さいね、と言って橋立さんはワゴンに乗り込んで行った。
クルー達を見送った後、一旦シュンの家へ車を置きに向かった。シュンは札幌の北区という所で一人暮らしをしていて、岩水海岸公園から実はそれほど離れてもいない。15分も運転すれば着いてしまう。私は市街地に近い豊平区という所に住んでいるので、家から係留地までは50分近くもかかる。なので、シュンがちょっと羨ましい。
アパートの駐車場に自分の車を停めて、シュンは私の車に乗り込んだ。
「俺が言い出したのに本当にいいのかい? 春琉の運転で」
「もちろん! 私が運転したい」
「そうか、好きだもんね、運転。じゃあお願いしまっす!」
急遽決定した黒汐町ドライブのスタートだ。私もシュンも、こんな事が大好きだ。いきなり提案されたとしても、何の問題もない。私にとっては、目指す先に飛行船がいて、シュンが隣にいれば、それだけでもう十分な理由になる。
去年初めて黒汐町へ行った時、高速道路に乗ったまでは良かったけれど、降りるインターチェンジを間違えてしまうというハプニングがあった。今日は間違えないようにしなければ。
「シュン、眠い時は寝てていいからね」
浜風町へ行った時にシュンが言ってくれた事を、私も言う。
「俺は大丈夫だよ! 逆に何でもサポートするから、何かあれば遠慮なく言ってね」
「もう……なんでそんなに優しいの」
「へへっ、春琉が大好きだからだよ」
平気でそんな事を言う。この人といると、私はやっぱり心臓がもたない。
1年前に一度しか行っていないと、やっぱり細かい事は忘れてしまうものだ。国道や、高速道路で通過する町の名前など、黒汐町へ向かうために必要な情報をシュンに聞きながら走る事となった。彼は嫌な顔ひとつせずに私の質問に答えてくれる。大体の人なら、うんざりしてしまうのではないだろうか。こんなに優しい人が恋人になってくれて本当に良かったと思う。
1年ぶりの高速道路をひたすら走った。一度しか通っていないとは言え、見ると思い出される景色やカントリーサインに懐かしさが溢れる。あの時は1人で不安を抱きながらだったけれど、今年は隣にシュンがいる。1年後に自分の車の助手席に彼が乗っているなんて、一体どうやったら想像出来ただろう。
しばらく走っていると、空模様が怪しくなって来た。ここは既にもう帯広辺りだ。札幌からは約200キロほどの距離があるので、天気が全く違っても何もおかしな事ではない。インターチェンジを2つほど越えた辺りで、ついに雨が降り出してしまった。
「雨降って来たけど、飛行船って大丈夫なのかな?」
「雨だと基本的には飛べないからね。ホントかどうか俺も知らないけど、雨粒がつくと機体が100キロも200キロも重くなるって聞いた事があるよ」
「えぇ、そんなに?」
「クルー達も到着出来てるといいけどね。マストを立てない限りは飛行船も下りられないから」
飛行船の事が、そして飛行船を操縦するパイロットの事が心配になってしまう。
雨はどんどん強くなって行った。ワイパーを連続で動かし、速度に注意して慎重に走り続ける。
去年来た時には私は全く知らなかった、無料高速と言うものの存在をシュンが教えてくれた。帯広ジャンクションと言う所で降りて進んで行くと、支払いをしてゲートを出たのにまだ高速道路が続いている。ここがもう無料区間で、この先の終点が黒汐町なのだと言う。
流れに乗って、しばらくそのまま走り続ける。ジャンクションを降りて1時間もしないくらいで『黒汐IC』と書かれた緑色の看板が見えた。そこを通り過ぎると、ゲートらしきものもないままに道路は自然に一般道へと繋がって行った。
この行き方を知らなかった去年の私は、降り口を間違えた事も重なり大きなタイムロスをしてしまった。今思えば、シュンに出会えたのはそのタイムロスがあったお陰でもあるのだろうけれど。
だんだんと、見覚えのある景色が見えて来た。町に一軒ずつしかないというガソリンスタンドにコンビニ、小中学校、小さな商店街。
「うわぁ、懐かしい!」
「1年ぶりだな。俺達の出会った町」
「うん、また来れて嬉しい!」
町役場の脇の小さな道に入り、ひたすら緑の中を進んでいったその奥の奥、一番奥に、飛行船の係留地がある。おさまる気配のない雨音に不安を抱きながら、私はアクセルを踏み続けた。




