再会の日
2016年9月3日。昨年の、秋の初めの事。
約束の時刻は14時。7月末に飛行船を見送った岩水海岸公園という場所に、私は到着した。札幌の隣の岩水市にある、海の近くに作られた総合公園だ。
土曜日とあり、駐車場は混んでいる。公園内は子供や家族連れで賑わい、広いグランドでは少年野球の試合が行われているようだった。
道路を挟んで向かい側の緑地、そこが、飛行船が係留されていた場所。私は公園ではなく、迷わずその何もない敷地の方へと向かう。
係留マストの立っていない、飛行船のいない、ただの広い空き地。
草が伸びたな、と感じる。そして、一気に蘇る思い出達。5月から7月までの2か月間、北海道に滞在していた飛行船を見るために、この場所に何度も何度も通った。つい1ヶ月と少し前までの事なのに。今では、まるであの時間が幻だったかのように何もない。
以前までと同じように、雑草の一部刈り取られた場所から敷地内へと入る。入口から右奥側、いつも一緒に飛行船を見ていた辺りの芝生に、彼が座っているのが見えた。
「シュンさん!」
当時、お互いの呼び方はまだ「さん」付け。私の声に、シュンはこちらを見て立ち上がった。思いを抑え切れなくて、私はそのまま彼に駆け寄り、背の高い大きな体に飛びついた。
「うわぁっ」
シュンはひっくり返りそうになったけれど、私の肩を両手で優しく受け止めて、何とか耐えた。
一体何をやっているんだろうと自分でも思ったし、やってしまった直後に急激に恥ずかしくなって、すぐに彼から離れたけれど。シュンは、ハッハッハッと大きな声で明るく笑い出した。
「はるさん、久しぶり! 来てくれてすごく嬉しいです!」
「ごっ、ごめんなさい! 何やってるんだろう私。嬉しくてつい……」
熱くなった頬に片手を当てながら正直にそう伝えると、
「僕もですよ! 本当に嬉しいです! 僕もはるさんに会いたかった」
そう言ってシュンは、私の体を一瞬だけ軽くハグしてくれた。懐かしい、少年のような優しい目で彼は私を見つめる。
会いたかった、という声が耳の奥でリピートされ、じわじわと胸の中に広がる。
また、シュンさんに会えた。飛行船はいないけれど、それでも私と会ってくれるんだ。こんなに嬉しそうな表情で……。
嬉しくて、くすぐったくて、恥ずかしくて、何とも言えない気持ちになる。
私達はそのまま、飛行船を見ていた時と同じように芝生に座って、話をした。この1か月間何をしていたとか、飛行船の公式SNSチェックしてますか、とか。そして私達が知り合ってから共に飛行船を見た短い短い時間の、小さくて大きな思い出達の話とか……。
目の前にはただの野原しかないけれど、そこに飛行船がいるかいないかという事は、あまり関係なかった。少なくとも、この時の私には。
「黒汐町で知り合う前から、僕らはここで実は何度か会っていたんですよね」
「そうみたいですね。とっても不思議な感じ」
「もったいないなぁ。もっと早くから知り合っていたら、きっと楽しかったでしょうね。って、そんなふうに思うのは僕だけかな」
「そんな事ないです、私もそう思います!」
飛行船を見ていたあの日々と同じように、私達は笑い合う。
また、こんな日が来るなんて。
7月末に飛行船を見送った時、私達は「また来年この場所で一緒に飛行船を見ましょう」という約束を交わして、別れた。彼との楽しかった時間が終わってしまう事がたまらなく寂しかったけれど、飛行船がいなくなってしまえば、私達はそこでもうお別れをするしかなくて。
この時の私達は、お互いに、また会いたいという思いを心の奥に仕舞い込んでいた。1年経てばまたこの場所で会えると、約束に縋り付くようにして無理矢理、それぞれの日常へと戻った。
それなのに、またこんなにすぐに会う事が出来た。彼が連絡をくれたから。
「シュンさんも、車に乗って飛行船追いかけたりするんですよね。札幌の街中を飛んでいる時って、追いかけづらくないですか?」
以前から思っていた事を、何気なく口に出してみる。
「そうなんですよ。都会は高いビルが多いから、車で追いかけるのって大変ですよね」
「ナイトフライトの時もそうだったし……西区の方を飛んでいた時なんかは、私はわざわざ西部公園まで行って飛行船見たんですよね」
本当に何気なく過去の自分の行動を言っただけなのだけれど、シュンは私の言葉を聞いて、えっ、と大きな声で反応した。
「はるさん、西部公園で飛行船見てたんですか?」
「え、そうですけど、何で?」
「僕も、西部公園って実は結構行くんですよ、飛行船見に」
「えっ? そうなんですか?」
私が単なる思いつきで行った公園を、彼も飛行船鑑賞の場として利用していたとは意外だった。
「あそこは何気にベストな鑑賞スポットなんですよ。大きな丘があるから、そこに登れば遠くまで見えますしね」
「そう! 私もそれを思いついたから、そこに行ったんです。5月末だったか、6月初めくらいだったかなぁ」
私がそう言うと、シュンは表情を変えた。
「はるさん……その時って、もしかして西部公園の真上まで飛行船が飛んできたりしませんでした?」
「えっ? そうですそうです。丘の上で、子供達が一斉に手を振り出して、周りの大人達も手を振ってて」
シュンは私の言葉を聞くと、うわーやっぱりか、と小声で言って、どこか困ったようにも見える微笑みを浮かべた。
「……僕、その時その丘にいましたよ」
えぇ!? と、大声が出てしまう。
「僕はてっぺんから少し下がった所の斜面に座って、飛行船に手を振ってました。はるさんはどこに?」
「私、丘の上で、手を振ってる人達を後ろから見てました……シュンさんもその中にいたんですか!?」
「えぇ、いたんですよ。男の子が飛行船見て、UFOー!? って言ってませんでした?」
「そう! 言ってました! うわぁ、ホントに同じ場所にいたんだ」
意外な事実がこんな所で発覚する。
「いやぁ、マジっすか……そんな所でもニアミスしてたなんて」
シュンはそう言って、片手で顔を覆った。
飛行船をより快適に鑑賞するためにと考える方法も同じ。互いを知らない時から実は、同じ場所で同じ景色を見ていたという事。
彼とは色々な“同じ”があって、私にはもう、どうしてもシュンの事を他人とは思えなくなってしまっていた。
その後も飛行船トークやら他愛もない世間話やらをし、気がつけば夕方になろうとしていた。飛行船をひたすら見続ける事と同じで、私はシュンと会話をしているだけでも、時間を忘れる事が出来る。
少しずつ傾いて来た太陽の光に照らされる係留地。マストに繋がれた飛行船が、夕日の中で艶やかなシルエットになる姿を思い出す。
今日はそろそろ帰りましょうか、という話になり、私達は駐車場へと向かった。飛行船をお見送りしたあの日と同じように。
私の車までついてきてくれたシュンは、いつもの優しい声で、はるさん、と私を呼んだ。
「あの……また、ここで会ってくれますか?」
少年の瞳。その純粋さに私は心臓がドキッとし、思わず吸い込まれそうになってしまう。
「もちろんですよ! 私もまたシュンさんとお話したいです。また是非会って下さい、私からも……お願いします」
ちょっと照れくさくなりながら、私は笑顔で答えた。大きな背中に夕日を受けて逆光になっていたけれど、シュンが一気に表情を綻ばせた事ははっきりとわかった。
お互いに笑顔で手を振った。また近いうちに、と。
7月末のこの場所で、寂しげな表情で別れを告げ、強制終了させるかのように離れていったシュンの背中を思い出す。
今は、あの時とは違う。また彼に会えるんだ。