大切な人達
お腹空いた! と秀司君が言ったので、係留地から車で10分もかからない岩水の市街地に一旦移動して、ファミレスで昼休憩を取った。風がおさまるのを待っている間にお昼になってしまった。
午後過ぎに再び係留地へと戻ると、ちょうどクルーのワゴンが到着した所だったようだ。スカイブルーのパーカーを着た人達が、続々と係留地へ入って行く。
「葵さん、もしかしたら飛べるかもしれないよ!」
「うぉーなんかいっぱい来てるねぇ」
私と葵さんは車を降り、向かいの敷地へと急いだ。別で移動していたシュンと秀司君も、車を降りて来る。
確かに、まだ少しだけ風はあるけれど午前中よりも穏やかになっている。クルー達は飛行船を取り囲んで作業をし始める。離陸の準備をするようだ。
「あれっ!? 係長?」
葵さんが突然叫んだ。10メートルくらい先の所に山上係長が立っていた。息子さんと奥さんも一緒にいる。
「おぉ、やっぱりいたか!」
係長は笑顔でこちらに近づいてきた。私は嬉しくて、お疲れ様です! と明るく挨拶をする。また、来てくれたんだ。
「土曜に行くって話してたから、いるかなぁと思ってたよ」
「係長も早速有言実行だね~」
「あぁ、息子がエラく気に入ってるからね」
私と葵さんは、少し離れた所に立つ奥さんに笑顔で会釈をした。相変わらず係長の奥さんは、すらりとしていてとっても美人だ。爽やかに会釈を返してくれる。一体どこで知り合ったんだろう、なんて考えてしまう。
「あ、そうだ係長! 春琉の彼氏いるんだよ、ほら」
「えっ! どこどこ?」
係長は機敏な反応で葵さんの目線を追った。41歳のおじさんなのに、何だか女子高生みたい……。
私達より少しだけ後から来たシュンと秀司君は、ちょっと離れた所に立っている。
「おぉ~! あの写真の彼だね。実物はもっとイケメンじゃないか」
「そっ、そうですかね……」
照れる私の隣で、係長は目を輝かせている。
シュンは不思議そうな表情をこちらに向けている。突然私が知らないおじさんと話し始めたので、疑問に思ったのだろう。私はシュンの所に行き、あの男性も上司なのだという事を伝えた。
シュンはすぐに、山上係長の所へと向かった。
「初めまして。藤森春琉さんとお付き合いさせて頂いています、道下俊哉と申します」
先ほどのようにシュンは丁寧に自己紹介をし、深々と頭を下げている。
「おぉ~、シュン君! 藤森さんからお話聞いているよ。僕はラビット係長の山上と言います。お会い出来て嬉しいですよ」
私の上司達に、礼儀正しく誠実な挨拶をしてくれるシュン。態度が真面目でかっこよくて、少し離れた所から見ていた私はついニヤニヤしてしまった。
「シュンってめっちゃ誠実だよね。純粋なんだよね、心が」
私の後ろで、秀司君が微笑みながら言う。
「うん。すごくかっこいいよね」
褒め言葉として、共感を求めるような意図でそう口にしたのだけれど、その言い方は秀司君のテンションを上げてしまったらしい。ヒィ~! と甲高い声を出している。やっぱり、葵さんみたい……。
「春琉ちゃん、シュンの事よろしくね」
秀司君は急に、表情を引き締めてそう言った。
「俺3年間学校でずっと一緒だったけど、今は離れちゃったからさ。あぁ見えてちょっと頼りない所もあったりするんだよ。めちゃくちゃ優しい奴だから、大事にしてやって」
いつになく大人っぽい微笑み。彼もまた、シュンを温かく見守る兄弟のようだなと思った。
「うん! 絶対、シュンの事ずっと大事にするよ。私に任せてね」
笑顔を返すと、秀司君はいつもの表情に戻った。
「あいつね、マジで、めっっっちゃ春琉ちゃんの事大好きだよ。俺にいつも熱弁してくるの」
「そ、そうなの……?」
「うん。でも俺、それがすごく嬉しいんだ。春琉ちゃんと付き合い始めてからあいつ、いつも幸せそう。親友が幸せそうな顔してるのって嬉しいよね」
そう話す秀司君が、今まさに幸せそうな表情をしている。
「俺もシュンの事大好きなんだ。すっげー優しいからね。だからさ、一緒に大事にしてやろうね」
「うん。すごく嬉しい! 秀司君がそんなふうに言ってくれるの」
私達は微笑み合う。なんて温かい人なんだろう。今の彼は、普段のおちゃらけたイメージとは全く違っていた。私の大好きな人を、大好きと言ってくれる人の事は、私も大好きだ。
私とシュンは、温かい人達に囲まれている。私達の幸せの半分は、間違いなくこの人達のお陰。そう実感した。
シュンは挨拶が終わったのか、ずんずんとこちらに近づいてきた。そして突然、私を大きな体ですっぽり包むようにグッと抱く。帽子の庇の先が彼の胸に当たり、ポロリと脱げ落ちた。
「秀司、やらんぞ」
シュンはニヤニヤと秀司君を見る。
「ははは! 心配するな。春琉ちゃんの好きな人は俺じゃないから」
秀司君は帽子を拾って、私の頭に後ろ向きにかぶせてくれた。
「でも羨ましかっただろ、俺と春琉ちゃんが仲良くしてるの」
「あぁ、羨ましかった!」
2人は笑い合う。温かくて逞しい胸、ふわりと漂うシュンの匂い。目の前でかちゃかちゃと揺れるネックレス。溢れる幸せに全身を包まれながら、私も笑った。
シュンの体で視界が遮られているけれど、葵さんが怪獣の叫びみたいな声を出しているのが聞こえていた。
それから少ししたのち、飛行船はマストから外され、大空に向かって飛び上がって行った。
離陸を初めて見た葵さんと係長一家は、歓声をあげていた。息子さんは大はしゃぎで、ジャンプしながら手を振っている。
今日という日のこの係留地での時間は、私の中でとても特別なものになった。今周りにいる人達は、全員が私の大切な人だから。葵さんがいて、係長もいて、秀司君もいて、そして隣にシュンがいて。どこを見ても、大好きな人しかいない。こんなふうに飛行船を見る日が来るとは思わなかった。
持て余すくらいの幸せに、私は思わず隣にいるシュンの腕をギュッと掴んでいた。一瞬、ピクッとしたのがわかる。シュンは特に何も言わずに、私を見て嬉しそうに微笑んでいた。
いつもより少し遅めのフライトを開始した、飛行船SS号。
その後ろ姿を、私達は手を振って見送った。




