2017北海道フライト、スタート!
7時を過ぎた頃、私達は浜風エアポートへと向かった。道の駅からは車で10分ほどだ。
エアポートの駐車場には、まだクルーのワゴンは到着していないようだった。
当番クルーは一般人立入禁止の区域内にいるので、離陸時間を聞きに行く事も出来ない。
私達はそのまま飛行船を眺めながら、ひたすら待つ事にした。雄大な北の自然の中で、小さな飛行船はふわふわと身を揺らしながら出発の時を待っていた。
クルー達が到着したのは、7時40分頃。同時に、見送りらしい一般人の車も少しずつ駐車場に入ってくるのが見えた。
スカイブルーのパーカーに身を包んだ彼らは、1人1人私とシュンに挨拶をして、立入禁止区域へのゲートに向かって行く。全てのクルーに、シュンは顔を知られているらしい。改めてシュンのベテランさを実感する。私は今、すごい人とお付き合いをしているんだなぁ……と、何度でも思ってしまう。
後の方から歩いて来た橋立さんは、私達を見るとまた驚いた表情をした。
「おはようございます! 昨日てっきり札幌に戻られたのかなぁと」
「いやぁ、飛行船見たら僕ら2人とも離れられなくなっちゃって。車中泊したんです」
シュンが頭を摩りながら答える。
「そうでしたか、今年も早速ありがとうございます! 何ともお2人らしいですね」
ハチャメチャな私達2人の行動を、橋立さんはよく知っている。
「春琉さん、お疲れではないですか?」
優しい笑顔で、橋立さんが私に声をかけてくれた。
「は、はいっ。全然元気です」
「それなら良かったです。今年もまたたくさん楽しんで下さいね」
それでは失礼しますね、と丁寧に言い、橋立さんは手を振って歩いて行った。
春琉さん、と橋立さんから呼んでもらえて、何だかすごく照れくさい。昨日名前を教えていた事をすっかり忘れていた。嬉しい不意打ちだった。
柵の周りには、離陸を見に来た人達が集まり始めていた。昨日の着陸時ほどではないけれど、私とシュン以外にもう10人前後くらいはいる。
「ここに来ている人達は、離陸の時間を知ってて来てるのかなぁ」
ボソッと、疑問に思った事を呟いてみる。
「俺もいつも思うよ。知ってる人は多分事前にクルーに確認してると思うけど、そこまでして見に来るって事は相当飛行船が好きなのかなぁって」
「実は、私達くらい飛行船好きな人って結構いるのかな?」
「ははっ、俺と全く同じ事考えるんだなぁ春琉も」
シュンは何だかとても嬉しそうだ。
「でも実際、俺達レベルで追いかけてる人って他にはいないよね。いたらきっと行く先々で見かけてる。北海道じゃ、間違いなく俺達が一番の飛行船ファンだと思うよ」
「ふふ、そうかもね」
そんな事を話しているうちに、飛行船はマストに繋がれたままの状態で、ブーンという音を立て始めた。1年ぶりに聞くエンジン音が懐かしい。この音には心が揺さぶられる。
飛行船を取り囲むようにして、クルーが離陸前の作業を行っている。統一性のないそれぞれの行動。大きな船の下で小さなクルー達はこまごまと動き回り、長旅の準備を整える。
しばらくすると、いよいよ飛行船はマストから外された。クルー達に運ばれ、離陸地点へと移動を開始する。飛行船は自力で動く事が出来ないから、こうして人力で移動させなくてはならないそうだ。こんな大きな乗り物を人間がゆっくりと運んで行く姿は、何度見ても不思議で面白いなぁと思う。
あぁ、久しぶりに離陸が見られる!
……と、私は心の中で呟いたつもりだったのだけれど、声に出てしまっていたらしい。
「あぁ、楽しみだな!」
シュンが笑顔で答えて、私は勝手に恥ずかしくなった。場に合った言葉だったから良かったけれど、だから良かったとかそういう問題じゃない。どうして私はいつも心の声がダダ漏れになってしまうのだろう……。
辺り一帯が轟音に包まれる。エンジン音の高まりと共に、私の気持ちも比例して高まって行く。飛行船は滑るようにスピードを上げて、地上を離れて浮き上がった。
飛んだ! 1年ぶりの離陸!!
今度はしっかりと心の中で叫んだ。
こちらに船尾を向けるように飛び上がったSS号は、上空でくるりと旋回し、低空飛行で見学客達の集まる方へと近づいて来た。これは移動フライトの日に見られるファンサービスらしい。
頭のすぐ上を駆け抜けて行く巨大な白い船。太陽光が遮られて一瞬だけ暗くなり、すぐに眩しくなる。ゴンドラの小さな窓から、パイロットが手を振っているようだった。私もシュンも、他の人々もみんな、空に向かって笑顔で手を振った。
去年の北海道ラストフライトの日、その年最初で最後にして私は、飛行船に手を振る事が出来た。そこにいる全ての人達が幸せそうな顔をして、シュンも笑顔で両手を振っていて、その中に私がいられた事が嬉しくて、嬉しくて。
あの時の記憶が蘇り、思わずじわりと涙が滲んでしまった。空を見上げていた私の目から雫が重力でボロッと零れ落ち、私は慌てて指で拭う。
「え? ウソでしょ? さすがに早いでしょ、春琉さん!」
シュンが私の様子に気づいたようで、わざとらしくふざけて声をかけてくる。
「わかんないよ。なんか感動しちゃったんだよ」
シュンは身を屈めて私の顔を覗き込み、涙に濡れた頬をまた指で拭いてくれた。
「最初の離陸からこんなんじゃ今年どうなっちゃうのかなぁ、私」
「ははは。やっぱかわいいな、春琉は」
大きな手で優しく頭を包み込んでくれるシュン。こんな姿の一体どこがかわいいのだろう。以前から、私の反応を周りの人がかわいいと言うタイミングが、私にはよくわからないのが本音だ。
「カッコ悪いじゃん、こんなの」
「カッコ悪いもんかよ。俺は春琉のそういう所にも惹かれたんだよ。俺は純粋で素直な人が好きだ」
何となく、告白された時の事を思い出した。離陸にワクワクして速くなっていた鼓動がさらに強く打ち始めた気がして、思わず苦しくなってしまうくらい。
その時、かちゃかちゃと軽快な音が聞こえた。シュンの胸の上で、ネックレスにつけられた赤いキーホルダーの蓋が開いていた。
「これ、開いてるよ」
キーホルダーに軽く手を触れながら言う。
「ん? あぁ、そうだよ。飛行船を見る時、こうやっていつもケースを開けてあげるんだ」
思わず胸が詰まる。
お母さんに、飛行船を見せてあげてたんだ……。
穏やかな微笑みのお母さんの写真。何となくだけれど、とても嬉しそうに見えた。
「……私だって、シュンのそういう優しい所がすごく好き」
好き、というワードを口に出した瞬間、私は帽子の陰に隠れるように俯いた。普段は照れくさくて言えないのに、自然に言ってしまっていた。顔を上げていられない。
シュンが、ふふっと小さく笑ったのが聞こえた。
飛行船は空高く舞い上がり、係留地ではマストの撤収作業が始まっていた。いつの間にか、見学客も少し減っている。
5人のクルー達が並んで、マストと綱引きをしている。これは安全にマストを地面に倒すために行われるものだけれど、この光景にはどうしてもかわいらしさを感じてしまう。分解されたマストは、少しずつトラックに積み込まれて行った。
その間に、飛行船も上空から姿を消していた。
作業を終えたクルー達は、少しずつ駐車場へと向かい始める。彼らの次の目的地は、岩水海岸公園。私達が住む札幌に、今年もいよいよSS号がやってくるのだ。
ワゴンに乗り込む前に、橋立さんは私達に挨拶に来てくれた。
「遠い所を本当にありがとうございました。しかも泊まりで。北海道初日からお2人にお会い出来て本当に嬉しかったですよ」
「僕らも浜風町まで来れてすごく楽しかったです。この後岩水まで追っかけますね」
道中お気をつけて、とシュンに伝えた後、橋立さんは私を見た。
「春琉さん、どうもありがとうございました。また岩水でお待ちしていますね」
「は、はい! すごく楽しみです」
どうしてもありきたりな答え方になってしまう事にもどかしさを感じながらも、橋立さんに微笑みかけた。
クルー達の乗り込んだワゴンとトラックが係留地を去っていく様子を、私達は手を振って見送った。もう見学客達はほとんど残っておらず、数名の人が道路脇でまばらに手を振っているのみだ。こじんまりとしたお見送りだったけれど、この小さな町では十分な気がした。去年の黒汐町よりも人数はずっと多い。
私達も、彼らの後を追うように車に乗り込んだ。
「さ、それじゃ俺達も岩水に向かうか」
「うん。シュン、眠くない? 長距離運転大丈夫?」
「あぁ、大丈夫だよ。楽しみな気持ちの方が強くて、全然眠くない」
私の方を見て、少年の顔になってニヤッと笑う。
「あはは、そうだよね。シュンの答えはわかってたんだけどさ」
「へへへ、でしょ? 安心して任せておきなさい」
「うん。じゃあ、お願いします。あ、海が見える!」
エアポートのゲートを出て左折すると、正面奥の低い所に海が見えた。ここは少しだけ標高が高いようだ。昨日は暗くなってからこの道を通ったので、ここから海が見える事を今初めて知った。
飛行船SS号、2017年の北海道フライトが本格的にスタートを切った。