着陸と、もうひとつの再会
16時を過ぎた頃。海沿いを飛んでいた飛行船は少しずつ陸の方へと向かい、ゆっくりと高度を下げ始めたかのように見えた。
「そろそろ着陸するのかもしれないな。係留地へ行ってみよう」
シュンも車の進路を変えるためにウィンカーを出した。
「そういえば、浜風町の係留地ってどんな所?」
「浜風エアポートっていう、小さな飛行場だよ。実はそこ、マストが立ってる所には一般人は入れないんだ」
「じゃあ、近づく事は出来ないの?」
「岩水とか黒汐みたいに間近では見られないけど、柵の手前側から見学はいつでも出来るよ」
話をしているうちに、その浜風エアポートと言う所の手前まで来ていた。先の方に案内看板が立っているのが見える。
「えっ、もう着いちゃうの? 近いんだね」
「たまたま今近くを走ってたしね。その飛行場がそもそも海からすごく近いんだよ」
看板を抜けて道なりに進んで行くと、小さな駐車場があった。先ほどシュンが言っていた柵というやつらしきものが、奥の方に見えている。
車を降りて近づいていくと、白い柵の手前に見学客がたくさん集まっていた。遠くからでは気がつかなかったが、小さな町にしては、随分と人が多い気がする。黒汐町へ行った時は、移動フライトの日でも2人くらいしか見に来ていなかったのに。ここには今、15人前後くらいはいると思う。
人々が見つめている柵の向こう側に、私も目を向ける。そこには広大な緑と滑走路、奥にはドライブ中に見かけた歪な形の山。そして、もう着陸した飛行船がクルーの手で移動させられている様子が見えた。昨年と変わらない、スカイブルーのパーカーを身に纏ったクルー達。Smile Skyと書かれたトラックも2台停まっているのが見える。
「もう着陸しちゃってたね。ちょっと着くのが遅かったな」
「でもすごく懐かしい光景! そういえば、橋立さんもいるかなぁ」
「きっとね。俺達がここに来てるの知ったらびっくりするだろうな」
橋立さんは、シュンがとても仲の良い飛行船クルーの男性だ。昨年はシュンのお陰で、私も橋立さんと関わる機会を多く持つ事が出来た。
私とシュンが付き合い始めた事を知ったら、彼はどんな反応をするのだろう。まだ会ってもいないのに、急に照れくささが込み上げる。どんな顔をして会えばいいのかな……それ以前に、私の事を覚えているだろうか。
1人で謎にもじもじとしているうち、飛行船はマストに繋がれていた。
その景色は、まさに北海道、という感じだった。広がる青空、山、緑の前では、飛行船も小さく見える。連なる柵の中央辺りには“浜風エアポート”と書かれた木の看板が立っており、絶景をバックに写真が撮れるようになっている。
着陸後の飛行船の周りで、クルー達が作業をしている。この様子も懐かしい。白い柵に掴まって、私はひたすら飛行船とクルーを見つめた。1年ぶり、久しぶり、また会えた。そんな言葉達が、何度も何度も脳内で繰り返される。
マストの位置は柵からはだいぶ離れており、飛行船は遠くに見える。もっと近くで見るのは、札幌に移動フライトをしてからのお楽しみだ。
他の見学客達も、飛行船がマストに繋がれると徐々にこの場所を後にしていて、もうまばらにしか残っていない。やがて作業を終えたクルー達が少しずつ駐車場方面へと戻って来るのが見えた。最初にシュンに気づいたらしいクルーの人が、はっとした表情をする。すぐに笑顔になって、彼は会釈をした。シュンも笑顔で応えている。
「シュン、すごいね。クルーさんに気づかれてる」
「俺、4年前から係留地に通い詰めてたからさ……橋立さん以外の人にも、顔は知られてるんだ」
そう言って、また少年のような表情になって笑う。やっぱりベテランだなぁ、と思う。彼が今私のそばにいてくれている事が、色々な意味で心強い。
最初にシュンに気づいたクルーの男性が、後ろの方を歩くクルーに声をかけに行っている。その相手は、橋立さんだった。
「あっ! 橋立さんがいた!」
シュンも気がつき、橋立さんに向かって手を振った。私は何故か恥ずかしくなってしまって、シュンの陰に隠れるように立つ。
橋立さんはシュンと私の姿を見て、かなり驚いた様子だった。小走りでこちらへと駆け寄ってくる。
「お久しぶりです! こちらまでいらしてたんですか」
「橋立さん、お久しぶりです! 今年はまた浜風町まで来ちゃいました!」
「いやぁ、嬉しいです! ここでシュンさんに会えるなんて」
1年ぶりの橋立さんは、前よりも少しだけ髪が伸びたように見えた。それ以外は特に何も変わっていない。懐かしい笑顔、懐かしい声。私達より10歳ほども年上らしいけれど、相変わらず若々しい。
「どうもお久しぶりです! 遠い所をどうもありがとうございます」
橋立さんは、私にも声をかけてくれた。やっぱりドキッとしてしまう。
「お久しぶりです……橋立さん、私の事覚えててくれたんですか」
「もちろんですよ。昨年はたくさん係留地に来て下さってありがとうございました」
その言葉だけで、私は何故かちょっと泣きそうになってしまった。橋立さんの優しく温かな声は、涙腺に響く。こんな私を覚えていてくれた事が素直に嬉しい。
「お2人は、あの黒汐町の時からすっかりお友達に?」
とても嬉しそうに聞いてくる橋立さんに、シュンは照れくさそうに頭を掻く。
「お友達って言うか……あの、なんて言うか、それ通り越して」
「え?」
「僕達、実は今お付き合いしているんですよ」
いたずら小僧のようにヘヘへっと笑って、照れをごまかしている事がよくわかる。私は彼の隣で、また顔面が噴火しそうになっていた。
「えぇっ! そうなんですか? あの日がきっかけで?」
「えぇ、黒汐で知り合ったあの日がきっかけで……へへへ、なんか、めっちゃ照れくさいですね!」
さすがにシュンも顔が赤くなっているけれど、それ以上に嬉しそうだ。時々見せる、デレッとした表情になりかけている。
「そうでしたか! びっくりしました。そんな事になっていたなんて……それは僕もすごく嬉しいです」
橋立さんは満面の笑みで、心から喜んでいる様子が伝わってくる。
「あの時、ちょうど橋立さんが当番でしたもんね。そのお陰もすごく大きいって僕は思っています」
「いえいえ、僕は特に何も……でも、お2人の出会いの場に僕がいられた事はとても嬉しいですよ」
シュンの言葉を聞いて、確かにそうだと思った。私とシュンが黒汐町で出会った時、橋立さんがちょうど飛行船の見守り当番として係留地にいた。あの時橋立さん以外のクルーの人が当番だったら、おそらく私とシュンは会話も続く事なく、すぐにその場で別れていたと思う。シュンが橋立さんと元々仲が良かった事は、とても大きい。
「私からも感謝します、橋立さん。どうもありがとうございます」
真っ赤な顔をしていたと思うけれど、一旦恥ずかしさを無理矢理引っ込めてお礼を伝えてみた。
「とんでもないですよ、僕は本当に何もしてなくて。飛行船が、素敵なお2人を引き寄せてくれたんですね」
彼の言葉にはひとつひとつに愛がある、と思う。橋立さんはもてなしのプロだとシュンもいつも話しているけれど、飛行船を見学しに来た人に対してだけではなく、そもそもの彼の人柄なのだろう。
「彼女は、春琉さんと言うんです。改めてこれからもよろしくお願いします」
「あっ、あの、藤森春琉と言います。改めまして……」
シュンが紹介してくれるので、私も慌てて名乗る。橋立さんにはこれまで自分の名前を伝えてはいなかった。
「藤森春琉さん、とおっしゃるのですね。とても素敵なお名前で。改めまして、僕は橋立武志と申します。こちらこそ今後ともよろしくお願いします」
深々とお辞儀をする橋立さん。なんて丁寧な人。
シュンがクルーの中で彼と一番仲が良い理由がよくわかる。優しい人には、優しい人が引き寄せられるのだ。
「橋立さん、明日には飛行船は札幌に向かうんですか?」
シュンは移動フライトの予定を確認する。
「今の所はその予定です。予報どおりの天候なら移動フライト出来るかと」
「そうですか、楽しみだなぁ。また今年も始まるね」
シュンは私に微笑みかける。彼の言葉に頷くだけの行為が、なんてこんなにも照れくさく、嬉しい事か。橋立さんはその様子を笑顔で見ていたと思うけれど、私は恥ずかしくて橋立さんを見られなかった。