役立たずと言われて冒険者を辞めようとしていた僕を拾ったのは、街で最強のパーティーでした。 54
次の日、ギルド職員も出勤していない早朝に、ウルエはギルドに出向いていた。というのも昨夜、ギルドマスターから話したいことがあるとニリリを通じて伝えられていたからだ。他所のアイギスから作戦を考えてほしい、と指名依頼などで呼び出されることは度々あり、でも早朝に呼び出されたのは今回がはじめてだ。用件も詳しく聞かされていない。
早朝の静かな通路、ウルエの足音はよく響いた。
ギルドマスターの部屋のまえで立ち止まり、時間を置かずに「どうぞ、入りなさい」と事務的で、どことなく冷たい声がした。間違いなくギルドマスターの声なのに、いつもの気さくな雰囲気はない。
早朝の呼び出しと冷めた声。
小さな違和感を抱きながら、ウルエは入室した。
「呼び出しに応じてくれて、ありがとう。かけなさい」
応接ソファーに腰掛けていたギルドマスターのサムルクに促されて、対面のソファーへ腰をおろす。ツーブロックのオールバックは一年前よりも白髪が増えているけれど、好々爺で紳士というイメージは変わらない。
それなのに、今のサムルクから感じるのは、冷徹さだ。感情を理性という武器で殺して、冷たく振舞う。いつもとは正反対の雰囲気に、ウルエは自然と背筋を伸ばしていた。
サムルクはオールバックの髪を一度右手で撫でつけて、テーブルのうえで手を組んだ。睨むように鋭い目をウルエに向けて、一度大きく呼吸して用件を話す。
「今日、君を呼んだのは、漆黒のドラゴンについて訊きたいからだ」
「……漆黒のドラゴン」
ぼんやりと繰り返したウルエは、急に眩暈のようなものを感じて、ソファーに手を突いて倒れかけた上半身を支えた。サムルクの一言で、早朝に呼び出された理由も、サムルクの雰囲気がいつもと違う理由も察した。
「君の祖先は、漆黒のドラゴンを全身の鱗にまでエーテル変色の起きたドラゴンと仮説を立て、エンシェントドラゴンと命名した。他にも多くの書籍が残されており、君は残された書籍から魔獣の知識を手に入れた。そうだね」
どうして、こんな質問をしてきたのだろう。理由は簡単だ。漆黒のドラゴンが現れて、フリッサが話したからだ。
「答えられないのかい」
動揺を隠せないウルエに、サムルクが静かに促す。
「ギルドマスターの話の通りです」
ティルターンゲリ王国はおとぎ話の国ではなく昔に存在していて、エンシェントドラゴンも空想の魔獣ではない。魔獣書籍にはドラゴンの寿命は記されておらず、研究者のほうが先に寿命を迎えたり、寿命のまえに脅威と判断して討伐されたと資料に書かれていた。
正確な寿命はわからなくても、資料から桁違いに長寿というのはわかることだ。
漆黒のドラゴンがどこかで倒されたとは思えない。だとしたら王国を滅ぼしたドラゴンは、今も生きているかもしれない。頭では理解していても、遠くの国の話のように現実感が乏しく、どこかに居るはずの脅威から目を背けていた。
「ウルエ、君が作戦を考えたら、討伐は可能かい」
――もしもウルエが作戦を立てたら、漆黒のドラゴンに勝てるのかな。
かつて、フリッサにされたのとおなじ質問。あの頃も今も、答えは変わらない。いくら優秀な作戦を立てたところで、蟻は人に勝てない。いくつもの偶然を積み重ねても、たとえ奇跡が起きようと勝敗は覆らない。そもそもの格が違うのだから。
「……いいえ、不可能です」
弱々しいウルエの返答に、サムルクの表情が一瞬だけ落胆の色をうかべた。はじめから答えを知りながら、もしかしたら違う答えを示してくれるかもしれない。一縷の望みも断たれた僅かな落胆。
「なら、進路を変えるのはどうだ。もといた大地へ帰すことは可能かい」
倒せないなら、引き返してもらう。
漆黒のドラゴンは、児戯に等しい衝動でティルターンゲリ王国を滅ぼした。同一の個体なら、進路を変えてもといた大地へ帰すのは、そう難しいことではないかもしれない。強く興味を惹かれるものがあれば、なによりも優先して追いかけていくだろう。
「はい、進路を変えるだけなら可能なはずです」
「……そうか」
望んでいた答えのはずなのに、サムルクは苦しそうに顔を歪ませた。
左手で顔全体を覆い、ソファーの背凭れに大きく凭れ掛かると、肺の空気を出しきるように長く息を吐く。吐いた息は不規則な波のように揺れて、まるで嗚咽を我慢しているように思えた。
しばらくしてサムルクは体を起こす。
いつものサムルクらしくない、ギルドマスターに相応しい毅然とした顔で話し始めた。
「ハルジオンの南西で漆黒のドラゴンが目撃された。目撃者は近くでグリフォンの討伐をしていた、三人組パーティーの唯一の生き残りだ。彼女自身も片腕を失いながら、数日かけてハルジオンへ戻り、貴重な情報を届けてくれた」
サムルクは事の概要を話してから、ニリリから報告を受けたこと。アイギスに意見を求めたこと。目撃者に会いたいというフリッサの願いから、療養所で面会したこと。ショルテの病室で話したこと。漆黒のドラゴンについての一部始終、全てを詳らかに話した。
話し終えて、サムルクはウルエの瞳を覗き込むように見据えて言う。
「漆黒のドラゴンの進路を変えるために、アイギスに命令を出すことになるだろう。ウルエ、君に作戦を考えてほしい」
決定した事柄を読み上げるように、感情の見えない声。
ウルエは咄嗟に手で口をふさぐ。サムルクの話のおぞましさに、吐き気さえ込み上げた。突き上げるような怒り、痛いほどの悲しみ、やるせなさ――様々な感情がないまぜになり、人知れず肩が震えていく。鼻の奥が染みるように痛み、溢れそうな涙を精一杯堪えて、絞り出すように言う。
「……アイギスは、どうなるんですか」
アイギスを漆黒のドラゴンの興味を引くために使う。遠く、遠くへ、一歩でも遠くハルジオンから引き離して、そんなところから生還など出来るはずがない。ティルターンゲリ王国を滅ぼし尽くした執拗さで追いかけて、生かして逃がしてくれるなど思えるはずがない。
アイギスを犠牲にしてハルジオンを守ろうとするのは、ギルドマスターなら当然の考えだ。ウルエの怒りは逆恨みでしかない。そう理解していても許せない。
殴り掛かるのは我慢できても、涙は我慢できなかった。
「あなたは、こう言いたいんだ。……アイギスを犠牲にして、街を救う作戦を考えろと。僕を仲間にしてくれた、フリッサ、シャルクス、ルーデシア。誰よりも大切な人たち。犠牲にして作戦を考えろと。……この僕に!」
アイギスを生かすための作戦なら、いくら考えても苦にならない。けれども今回の作戦は、アイギスの犠牲なくして成り立たない。アイギスに生きてほしいと誰よりも強く願いながら、考えるのは正反対の作戦。本当に助けたい人たちの命を犠牲にした作戦。
おぞましさに心が抉られるように痛んだ。
悲しさに全身が慄く。
「ああ」
慈悲の欠片もない冷たい声。
ひとりぽつんと噴水のふちに座り込んでいたウルエを見つけて、運命に導かれるようにフリッサは声を掛けてくれた。ネモフィラで暮らしていたときにさえ、フリッサのことを考えない日はなかった。再会して一時期は仲間になり、でも、仲間から外された。たくさんの作戦を考えて、ギルド推奨作戦を作り替えていたのは、アイギスに任命して貰うため。もう一度、仲間になるためにしたこと。
「……アイギスは、だれにも受け入れてもらえない僕を、はじめて受け入れてくれたんだ」
呟いたあとに、ウルエは感情を爆発させて叫んだ。
「掛け替えのない、唯一の仲間なんだ!」
「だからどうした」
サムルクの冷たい声が胸を突く。
非情な言葉に、ウルエは返す言葉が見つからず息を呑んだ。
「ああ、君はこう言いたいのかい。アイギスの代わりに、誰か、死んでください」
咄嗟に否定できなかった。
たくさんのパーティーのために作戦を考えてきた。街を歩けば、多くの人が挨拶してくれて、困り事があれば助けになるから、といつも気に掛けてくれた。助けてくれるなら、助けてほしい。
「アイギスは、街を守るための楯だ。三人とも、とうの昔に覚悟など済ませている。アイギスに任命されたときにな。……覚悟が足りないのは君だけだ、ウルエ」
仲間を犠牲にすることを覚悟なんていわない。
話は終わりというようにサムルクは立ちあがり、ウルエを残して部屋から出ていく。ウルエは声を上げて、涙が枯れるほどに泣き叫んだ。




