4.覚醒! 〈水〉の〈乙女〉!!
「ふぃ~、また母上が来たのかと焦ったぜ」
空中をクルンと回転し、青いイルカが汗を拭う仕草をする。
「え? お母さんが。大丈夫でしたかシャードくん」
「ああ、咄嗟にベッドの上でヌイグルミの真似をしておいた。まぁただ掃除にきただけだったが肝が冷えたぞ」
シャードはその時の様子を思い出し、プルプルと震えた。
(あ、やっぱりこの仕草は何度見てもカワイイですねシャードくんは)
流香は無意識にやっているシャードの仕草にホッと心の中で和んだ。本人に言うと瞳の色が不満げになるのであくまで心の中でだけだ。
その代わりにしっかりとシャードの仕草を堪能することにした。
「さて、ルカも帰ってきたし、元に戻るか」
シャードがその場でクルンと回転するとイルカからサメの姿へと変化した。
「うん、ワシにはやはりこの姿がしっくりとくる」
声質もイルカの時は少年のようだったのがサメになると落ち着いた成人男性のようなトーンに変化していた。
「・・・・・・」
「どうしたルカ。眉を八の字に下げて」
「あ、もうワイルドなシャードくんに戻るのかなと思いまして・・・・・・」
流香はちょっとガッカリだった。カワイイイルカのシャードをもっと堪能しようと思っただけに尚更と。ワイルドなシャードも嫌いでは無く。むしろ好きではあるのだが。
「全くおかしなことを言うなルカ。これがワシの本来の姿だってのに」
渋めな低音で、何が不満なのか解らないとシャードは瞳をパチクリとさせた。
「う~ん。女の子の事はよく解らないってことでひとつ」
そういって流香は人差し指を口にあてウインクをした。
「ますます意味がわからん。それと、ゴミでも目に入ったかルカ?」
「・・・・・・ひどいです。精一杯のカワイイポーズのつもりだったんですよ?」
「カワイイポーズとやらに意味はあるのか?」
「ふぅ、もういいですよシャードくん」
初めて出会ったあの日からなにも変わらない無愛想な言葉のシャードに流香は溜め息をひとつついて天井を見上げた。
流香がシャードと出会ったのは自宅のバスルームだった。栓を抜いたはずのバスタブに何故か水が溜まっており、その中でシャードはイルカの姿で浮かんでいた。
流香は驚いてシャードを水の中から救いだしバスタオルにくるんだ。
「なんでイルカがこんな所に? 随分と小さいですけど、子供? のイルカ?」
とても衰弱しているように見えた。家族を起こして動物病院に、でも、イルカを見てくれる動物病院なんてあるのだろうか? グルグルと頭の中で色々考えながら迷っている流香。そんな彼女の耳に謎の声が響いた。
「む・・・・・・無事・・・・・・か・・・・・・ホー・・・・・・ルア」
少年のような声。それは流香の抱き抱えているバスタオルの中から聞こえた。
そっと抱き抱えたイルカを見た。まさかと思った。
「な・・・・・・ウゥ・・・・・・おぉ」
だが、間違い無かった。このイルカは人の言葉を喋っている。
流香は慌てて、抱き抱えたまま自室へと戻った。同時に、自分がなにも着ていない事に気づいて更に慌てた。そして、足をもつらせてベッドの上に倒れ込み、イルカを直接胸に強く抱きしめてしまった。
ヒヤリとした直に伝わる冷たい感触が一瞬した。が、次の瞬間には少し暖かい感触とどちらのものとも解らない鼓動。流香は自分の胸に視線を向けると、大きな瞳がこちらを向き、その瞳に一瞬、津波のような〈大海〉の〈水〉がこちらに迫ってくるようなビジョンが見えた。
流香はそれに呑み込まれたかのようにジッとその瞳を見つめていた。
そして、青いイルカが目覚めの第一声を口にした。
「あんた・・・・・・誰だ」
「あ・・・・・・え? あ、私、流香です。青海・・・・・・流香」
これが彼と流香の初めての会話となった。
彼、「シャード。クルフィン」は、今の自分の現状を理解し、目の前の少女 流香に礼を言い、自分がどういった存在かを説明した。
シャードいわく、彼は別の世界「エレメンテ」からある使命を持って他の仲間と共に別の世界へと旅立ち、その直後に彼らと敵対する存在からの攻撃を受け、この世界に流れ着き、気を失っていたこと。
シャードには心の〈水〉というものが探知でき、流香にはとても強い〈水〉の力があり、おそらくその〈水〉の力に直接触れることによって自分は意識を取り戻したのではないかと。そして、無理を承知で流香に自分の中の〈水〉の力が回復するまで休ませて欲しいとお願いした。
この話を流香はすんなりと受け止め、彼を休ませることにも了承した。
「本当にいいのか?」
自分を信じてくれるまで時間が掛かるだろうと踏んでいたシャードは驚いて聞き返した。
流香は着替えた淡い黄色い水玉模様のパジャマの袖を直しながらクスリと笑う。
「だって、あなたを見てると嘘だとは思えないですから。それと私達の世界ではこんな言葉があるんです」
流香はシャードの鼻先に軽く人差し指を当てるとこういった。
「困った時はお互い様。助け合っていきましょう」
この時の流香はシャードの事を特別な目では見ていなかった。この奇妙な彼をただの親切心から助けてあげようと思ったのだ。
「キミは変わっているな、流香」
「ん、たまに言われてるかもしれませんね」
こうして流香とシャードは二週間近く共に過ごしていたのだった。
共に過ごすうちに流香は色々なことを知った。
シャードの本来の姿はサメに近く、イルカのような姿は弱っている時と力を蓄えるためのいわゆる充電形態で、シャードの種族の特性で、派生種族である他の仲間達はこういった変化は無いということ。
シャードの世界〈エレメンテ〉は闇の侵略を受けていて、シャード達は世界を救うためのパートナーを探しにやってきてシャードはとても強い心の〈水〉の持ち主を探していること。
そして、彼は流香の人生の中で出会った事の無いタイプの異性であった事も。正直、流香はシャードにマスコット的な動物の可愛さを持っていた。だが、すぐにそれは間違いだと気付かされる。
「ルカ、お前は意外と抜けてんだな?」
シャードはとても口が悪かった。
「へー、上手いもんだな。こういうのは素直にルカを尊敬する」
だが、その反面よい所を見抜く事と褒めてやる気を起こさせる事に長けていて。
「ルカ、お疲れさん。今日は大変だったんだろう」
誰よりも優しかった。だんだんと、流香の中でひとりの人間として移り込み始め、そしていつの間にか、シャードの事を好きになっていた。
流香にとっては外見などどうでもよかった。ただこの胸の中に溢れる初めての感情を大切にしたかった。どんな形であっても自身の初恋を否定したくは無かった。ただ、シャードの使命を手伝いたい。もっとシャードと一緒にいたいという想いを日に日に募らせながら、二週間近くの時が過ぎていた。
「あ、シャードくんの好きなサイダーを買ってきましたけど今すぐ飲みますか?」
ルカがニコニコと鞄から先ほど自販機で買った炭酸飲料を取り出した。
「おお! これは嬉しいな! もちろん飲む!!」
シャードの瞳がキラリと輝いた。
「ふふ、コップを取って来ますね」
無邪気な子供のように喜ぶシャードをニコニコと見ながらコップを取りに部屋を出た。
冷やされたコップに数個の氷。そこにサイダーが注がれるとシュワァッと弾けるような爽やかな音を起てて、氷がピキピキと鳴り、カランとまるで楽器のような音が耳に届く。なんとも素晴らしい前置き。冷えきったコップを両の手で取り喉に流し込む。パチパチとした刺激が喉に伝わり、氷も再びカランと鳴る。飲みきったあとに残る喉の刺激と口内の甘い余韻。至福。些細なれどこれは間違いなき至福。この飲み物はまるで魔法のような瞬間を与えてくれる。
「うめぇ・・・・・・やっぱり、サイダーは最高だ・・・・・・」
余韻に浸りながらカランとコップの中の氷を揺らして鳴らすシャード。
「相変わらずいい飲みっぷりです」
幸せそうなシャードの顔を見ると流香も凄く嬉しかった。
「ん、そうか? おお、つい一気に飲みきってしまった。」
「はい、もう一杯」
「お、ありがとう」
「シャードくん」
「ん?」
コップにサイダーが注がれる中、流香はあることを切り出した。
「あのことについてなんですけど・・・・・・」
注ぎ終わると同時にシャードの表情が曇る。コップをそっと床に置き、流香を見た。
「そのことについてはもう話は付いたはずだぞ」
流香もサイダーのペットボトルを置き、シャードの目を見た。
「私はまだ納得していません」
「・・・・・・」
流香はまっすぐな瞳でこれで何度目かになる事を言った。
「シャードくん。私をあなたのパートナーにはできませんか?」
シャードもまっすぐな瞳で流香を見て、何度も繰り返した同じ言葉を返した。
「何度でも言うが、ルカをワシのパートナーにする気は無い」
「どうして? 私はシャードくんの言う心の〈水〉を持っていて、それがとても強いのでしょう? 必要な条件は満たしているはずです」
流香はシャードと一緒に彼の手伝いがしたかった。必要だと言って欲しいのだ。数日前、彼は言った。「ルカ、ワシはそろそろ行動を起こそうと思う」この意味はここを出ていくということだろう。
行かせたくはない。シャードと一緒にいたい。
彼との繋がりを流香は求め、その結果導き出した答えがパートナーになるという事だった。どんなに危険でも構わないと本気で思った。
「ルカ、確かにお前の〈水〉はとても強い。だけどな、ワシの求める〈水〉の力はもっと強いものじゃないと。ワシの使命は遊びじゃねえから。一時の馴れ合いで選ぶわけにはいかない」
だが、シャードもやはり頑なだった。キツい言葉をわざと選び、流香に嫌われるように何度も仕向けてきた。
「だったら、私がもっと強くなれば・・・・・・シャードくんは私を選んでくれますか?」
だが、流香がシャードを嫌うような事はなかった。全くめげずに、シャードを説得し続けてきた。
「わからんやつだな、お前は。選ぶも何もない。ルカ、これ以上ワシの問題に首を突っ込むな」
シャードも折れるわけにはいかなかった。確かに、流香の〈水〉の力は信じられないくらいに強かった。いや、ここ数日でなぜかとても強くなってきている。シャードにはよく解らない何かを流香は心に持っているのかもしれない。一時的にでもパートナーを組むのには申し分ない、それ以上といえた。
だが、シャードは流香をパートナーにするわけにはいかなかった。二週間、たった二週間だが、シャードは流香の優しさを知ってしまった。
「首を突っ込むな」などと言ったが、自分が流香の家に流れ着いた、出会ってしまった事から既に首を突っ込ませているようなものだ。後悔した。自分の使命を流香に教えた事を後悔した。流香にはこれからも普通の生活をして欲しい。それこそ自分の事など忘れてしまって。流香は優しい。優しすぎるからこそ自分達の世界の問題で戦わせたくは無かった。
だけど、流香は決めたら動かない頑固な一面も持っていることをシャードは知っていた。だから流香は絶対に諦めはしないだろう。
「ンガッ!!」
シャードはいきなり少し水っぽくなったサイダーを溶け掻けた氷ごと一気に煽った。
「氷が切れた。新しいのが欲しい。サイダーがまだ少し残ってるからな」
ボリボリと氷を噛み砕きながら流香にコップを渡した。
「一時休戦。一休みですねわかりました」
流香はコップを持って部屋を出た。
「・・・・・・」
きっと流香は諦めないだろう・・・・・・だから
(ごめんな・・・・・・ルカ)
「お待たせですシャードくん」
お盆に氷の入ったコップと、冷蔵庫に買い置きされていたサイダーを乗せて流香は部屋に戻ってきた。
「シャードくん?」
そこに・・・・・・シャードの姿は無かった。
(シャードくん、どこに行ってしまったんです!?)
シャードは出ていってしまった。窓に隙間ができていた。
(私がしつこくしたからいけなかったの?)
だけど、どのみちシャードは出ていってしまっただろう。シャードとお別れを流香はしたくなかった。本気でシャードの手伝いをしたかった。突然いなくなってしまうなんて。涙が滲んできた。同時に、まだ間に合うと根拠もなく思った。気づいたら流香は外へと駆け出していた。
(シャードくん。私はさよならは嫌です私は)
「絶対に諦めませんから!!」
流香は決意を新たに彼女らしくない叫びと共に、幼なじみ 赤星 高美のように全力で駆けた。
流香のこの叫びを近くで聞いているものがいた。
「ん? なんだありゃ、最近はなんか騒がしいのをよく見るな」
そのものはダボダボのデニム生地の作業着に似た服を着て、片手に買い物袋。片手にiPodのイヤホンを持ち。頭はボサボサの無造作ヘアー。流香の走り去った方向を目を細めて眺めていた。
「あれ、うちの制服じゃないか? もしかして、あの時の先輩の知り合いだったり・・・・・・なわきゃねえか」
ハハハと笑ってイヤホンを耳に装着し、音楽を再開させる。まさか自分の推測が当たっているとも思わず、ただのひとりの通行人として、買い物袋を持ち直し歩き始めた。
「ルカ・・・・・・怒っているだろうな」
河川敷のガードレールの下にシャードはいた。人気も無く。休むにはちょうどよかった。シャードはイルカの姿になり無駄な力を使わないように努めた。
「外を出歩くというのはこんなにもしんどいもんだったんだな・・・・・・」
シャードは改めて自分がこの世界に来てから恵まれていたと、流香に護られていたという現実を思い知った。流香は寝るところも、食べるものも与えてくれた。なにより、仲間とはぐれて心の奥底で感じていた心細さを流香は埋めてくれていたのだ。
外に出る。それは想像以上に過酷だった。流香は特別であり、本来別の世界の人間に姿を見せるわけにはいかなかった。ここでは自分のような存在はいない。だから存在を知られてはいけない。姿を見られないようにここまで来たが、補給無しでは限界がある。いくらシャード達の姿が変えられる力があったとしても、それは心の力を消費する。シャードのような蓄える形態があるものは割かし運の良い方なのかもしれない。すぐにでも仲間と合流できたりパートナーを見つけられれば話は別だが・・・・・・もしも最悪の事態が起これば。
「考えるのはやめよう・・・・・・」
不安が心を包み込み、どうしようもない恋しさが沸き上がってくる。やはり流香の元に
「考えるな! 女々しいやつめ!!」
シャードは自分を詰った。女々しいやつと自分を詰った。
「今更、戻れるものか・・・・・・どうせ別れは来るんだ。ワシとあの娘には別れが」
(シャードくん)
「!?」
目を硬く閉じると流香の笑顔が瞼に焼き付いていた。やはり、もう一度流香の元に戻りたいとシャードは強く思っている。この世界で初めてできた、友達の元へ。
「ち・・・・・・くしょう」
シャードは体全体を震わせ、自分の心の中を呟いた。
「あいつの胸は、腕の中は、ワシには・・・・・・気持ち良すぎるんだ」
彼の心の奥底からの本当の気持ち、告白だった。
「なんの話だい?」
そんな奥底からの告白を聞いたものがいた。いままで、誰もいなかったはずなのに、すぐ近くに気配があった。とても禍々しく気持ちの悪いものだった。シャードはこの気持ち悪さに覚えがあった。シャードは飛び退くように後ろへと跳び、気持ち悪い気配の方向を見た。
「貴様は!!?」
そこにいたのはひとりの男。白粉を塗りたくったような白い顔。紫色の口元の裂けたメイク。身に付ける黒衣とヨレヨレでブカブカな靴が道化師のよう。作り物のように細い両の手足と毒々しい髪の毛はとても人間には見えなかった。
男はニィッと笑い口元を更に歪めてシャードを不気味に見つめる。
「やー、久しぶりー、青いの」
まるで友人に話すような口振り。
「アブテム野郎か!!」
シャードは目の前の男とは真逆に敵意をむき出しに睨み付けた。あの男の笑いの奥にある暗く濁った絡みつくような敵意をシャードは嫌というほど感じ、味わってきていた。
「名前ぐらいはー、覚えてねー、ボクはワーレだー」
「テメェの名前なんざ端から覚えてねぇんだよ!!」
ワーレと名乗った男はシャードの返答にやれやれと首を降った。
「全く、キミといい、赤いのといい、酷いやつらだねー」
「ほざきやがって! 酷いってのはな、テメェら見てぇな外道の事を言うんだ!!」
シャードは吐き捨てるように言葉をぶつける。だが、次にこの男 ワーレの言った言葉のひとつを思い出し、目を見開いた。
ワーレは言った。〈赤いやつ〉と。
「まさか、ホークに会ったのか・・・・・・ここにはホークも来てんのか! 答えろ!!」
ワーレはおかしそうに肩を揺らして笑い答えた。
「あー、フフフ。もちろんさー、会った会った。相変わらずキミと同じ好戦てきー、だったねー」
「おい、テメェまさかホークに・・・・・・」
「どう答えて欲しいー?」
更に口が裂けそうな笑みをワーレが作りあげる。
「きっさまああぁぁっっっ!!!!」
感情が爆発する。シャードはサメの姿へと変化し、〈水〉の力を解放し、ワーレへと突っ込んだ。
「やめなよ」
ワーレは笑みを消して前方に手を突き出し、それを弾いた。
「ッッッッ!!!?」
シャードが壁に吹き飛ばされ、声にならない声を洩らし、地面に滑り落ちた。
「あわてなくてもー。キミの相手はこれがしてくれるからねー」
言うとワーレは毒々しい髪の中から、小瓶と黒い宝石を取り出した。
「さぁ、いこうかー」
小瓶を揺らす。中にはなにやら黒いものが粘りけを持って貼りついていた。その小瓶の中身に、ワーレは黒い宝石を「飲み込ませた」。
――アーブ・モーンス!!
ワーレの手の中の小瓶が黒く光り、目の前に黒い巨体が現れる。
『ン~~ガ~~!!?』
アーブ・モンスター〈ヘドロンガ〉が生まれた。それは形をほぼ保っていない。崩れては戻り、戻っては崩れるヘドロの塊。その塊の中に酷く濁った目がシャードを見つめていた。
「どうだい、ボクが数日掛けて選び抜いた素材は。クク、ここはやはりいーねー。なんにもしなくても人間が勝手に素材を作ってくれるからさー」
横のワーレが楽しそうに笑いながら手を叩いた。
「ああ、そういえばー。青いのー、キミーひとりー、パートナーいないー?」
「く・・・・・・ぅ・・・・・・ぁ」
「ふんふん、どうやらいないみたいねー。それに、動けないとみた。じゃあ、全く悪いとは思わないけど、終わらせてあげるね。妙な小細工使われないうちにさ」
ワーレの声のトーンが変わり、酷く怖い表情で片手を上げる。ヘドロンガの腕が固定形成される。
「これくらったら一発で終わるよ。じっくりと苦しんで終わるんだけど!!」
『ガ~~~~!!?』
ワーレが邪悪な笑みを浮かべて手を下ろすと同時にヘドロンガの腕が、シャード目掛けて降り下ろされた。
シャードの体は動けない。まだ体に力が入らない。
(こんなところで・・・・・・ワシは)
シャードは動かない今の自分を呪い、悔しさと共に、自身の終わりを感じた。
「ッッ!!!?」
声が声にならない叫び。そして彼は
「シャードくん!!?」
いまもっとも聞きたい少女の声を聞いた。
叩きつけられるヘドロの拳。異臭を放ち周りに飛び散り、地面に根付いた草花を汚し、枯らした。ブスブスと嫌な音を起てる。こんなものを真正面からくらった生物はもはや生きてはいないだろう。
「そんな」
だが、シャードは生きていた。
「どう・・・・・・して」
彼はヘドロの拳をくらってはいなかった。シャードの身体は横に跳んでいた。いや、〔一緒に〕跳んだのだ。彼は包まれていた。温かな腕の中で、少女の柔らかな胸の中で。
「ルカ!?」
「大丈夫、ですか? シャードくん」
少女 流香が柔らかな優しい笑みをシャードに向ける。
彼女は地面に倒れ込んでいた。シャードを助けるために、形振りは構ってはいられなかった。剥き出しの膝と手の甲に幾つもの擦り傷を作り、微量のヘドロが制服のスカートに付着し、端が少し溶けていた。ジワリとした痛みが流香の太股に広がっていく。少女の身体には耐えられない痛みのはず、だけど、少女は笑っていた。腕の中のシャードを救えた事を、止めどない喜びを感じていた。
「なんなんだお前はー」
無粋な声が彼らの耳に響く。酷く憎々しげな声が。シャードを酷いめに遇わせようとしたワーレの声が。
「その服はー、まさかねー」
そして、流香を見る目に今までに無い不愉快さが込められていた。
「あなた・・・・・・ですか」
流香が両肘を使い、上半身を起こし、真の強い眼差しでワーレを見据え
「あなたが、シャードくんの言っていた!!」
痛む足で立ち上がり、叫んだ。
「なんだよー、その目は! その顔は!」
ワーレは憎しみの籠った目を流香に向け、アーブ・モンスター ヘドロンガに拳を形作らせる。
(こいつが、あの青いのの、小細工のガキ!)
嫌な汗を掻きながら、ワーレはこの場で今度こそこの二人を潰す事を決めた。目覚める前に消滅させる。
「ルカ! やめろ、お前、足が!!」
シャードは震える足で立ち上がる流香に叫ぶ。こんな足では流香は立ち上がることができないはず、それなのに流香は立ち上がっている。それがどんな苦痛かシャードにも分かる。こんな真似を流香にはさせたくはなかった。
「シャードくん」
流香が叫ぶシャードに笑みを向ける。その笑みの奥の瞳に強い覚悟の色がシャードには見えた。
「お願いがあります」
決意の言葉を紡ぐ。
「私を、あなたの、パートナーに」
何度となく言ってきて、断れ続けられた言葉。だが、今の彼女の覚悟はいままでのものとは違っていた。
「一時的でも、いいですから、私を・・・・・・選んで!!」
おそらく、この現状を打破するには選択肢などは無い。流香にはこんな危ない目にはあってほしくはない。それはこれからも変わらない。
だから
「すまん、ルカ!」
今はルカと共に戦おう! シャードの決意も決まった。
シャードは瞳を閉じ開き、〈水〉の唸りを瞳に宿らせ、流香の腕から飛び立ち、体に水の膜が形成される。
――ウィー・ガードセット!!
流香の頭に反響する力強いシャードの声。シャードの体が水の玉へと姿を変え、流香の腰を包み込む。そして、弾けた。流香の腰には青いポシェット型のカードリーダーが出現していた。
「あ、あれは!」
ワーレは焦りの色を浮かべ、ヘドロンガを流香にけしかけた。
「やらせるか!!?」
『ンガ~~!!』
ヘドロの拳が再度襲ってくる。
だが
「な、に!!?」
流香の目の前に水流のうねりが形成され、ヘドロの拳を受け止め、弾けると共に押し戻した。
『ガッッ!!!?』
そして、流香の目の前に、一枚のカードが出現した。
(ワシの〈水〉の全て、ルカに託す! 後は感じるままに、唱えろ! ルカ!!)
「はい!」
流香は〈水〉のカードを掴む。響くシャードの言葉のとおりに、感じるままに、カードをポシェットにスライドさせた。
――ヴァル・ガードアップ! 〈水〉のエレメス!!
カードが激しい〈水〉の渦となり、流香の体を包み込む。彼女の体から全ての痛みが消え、流香は流れるようにその場でステップを踏み、体を回転させる。
足の渦が弾け、制服スカートが青いスカートドレスへと変化する。
体の渦が弾け、流香の身体は青のオーラドレス。〈水〉のエレメスが形成される。
弾け飛んだ水の飛沫が唇に触れ、潤いの〈水〉のチークが引かれる。
瞼に触れ、潤いの〈水〉のアイシャドーが引かれる。
大量の飛沫が流香の長い黒髪を濡らし、鮮やかな青色へと変化する。
そして二つの水の玉が瞳を濡らし、潤いの輝きと変化をもたらす、それはまるでサファイアのような深く美しい〈蒼〉の輝きとなる。
彼女は新たなる姿で目覚める。両の手を胸のタイに添え、瞳を閉じ、強い意思で瞳を開き力強く両手を縦に広げ、生まれ変わった自身の名を叫ぶ。
――〈大海〉に潜む〈水〉の牙! 舞い泳ぐ〈守護〉の〈乙女〉!〈ヴァルウィーター〉!!
「〈ヴァルウィーター〉だって。クク、やっぱりお前達も!?」
覚醒した〈ヴァルウィーター〉の姿に、ワーレは歯噛みをした。目の前の存在の気迫が伝わってくる。それはまるで数日前に体験した再現のように。
(そんなことあるか! 今回はあいつらように万全を期して用意したアーブ・モンスターなんだ!?)
ワーレは嫌なビジョンを振り払い。再びヘドロンガに拳を形作らせる。
そんなワーレに〈ヴァルウィーター〉は拳を前に突きだして応える。
――あの口振り。あいつは、ホークは無事みたいだ――
「シャードくん。よかったですね」
――ああ、だが今はあいつを!!――
「はい! やっつけます!!」
〈ヴァルウィーター〉が大地を踏みしめる。
「ふざけるな! このアーブ・モンスターに触れることはできない。倒せるわけがないだろう!!」
ワーレが怒りを露に叫び、ヘドロンガの拳を繰り出した。触れたものの生命を奪う攻撃が、速度を上げて降り下ろされたる。いままでにない高速の一撃。
だが、この一撃の中に〈ヴァルウィーター〉はいない。
大地に踏みしめた足を解放し、〈ヴァルウィーター〉は跳んだ。逆きりもみ回転。強い眼差しで〈ヴァルウィーター〉は回転を空中で止め、ヘドロンガを見据える。
――触れるのがダメなら――
〈ヴァルウィーター〉の両指がタイの前で横に揃えられる。
――触れなかったらいいんだよ! ルカ!――
頭に響くシャードの声と共に、両の指を開放する。
「アクアビュート!!」
パチンと指を鳴らす音と同時に両腕を横一線に広げる。両の指から溢れる〈水〉の力は聖水の鞭となった。
『ンガ~~!!』
ヘドロンガの攻撃が来る。今度は拳を作らない一直線の攻撃。
「ライン!」
〈ヴァルウィーター〉はそれを右のアクアビュートで横一文字に一閃する。触れたヘドロが清らかな水となって弾け飛ぶ。
『ガ~~!!?』
怒り狂った咆哮。細かい無数のヘドロが槍のように〈ヴァルウィーター〉を突き上げようと伸びる。
「ローリン!」
左のアクアビュートを超回転させる。雄大な〈水〉の壁となり、全ての突き上げてきたヘドロの槍が水の飛沫へと変わる。
「ラッシン!!」
ヘドロの槍が止むと同時に高速で両腕を振り上げる。アクアビュートの連打がヘドロンガに叩きつけられる。
『ガッッ!!!?』
それはまるで牙の如く体を削り取り、清らかな水へと変えていく。
「ハイッ!!」
両腕を横に一閃し、連打が止まり、アクアビュートが消失する。滞空時間の終了。〈ヴァルウィーター〉は地面にぶつかる直前
「ハッ!」
体を信じられないスピードで回転させ、大地へと足を滑り込ませる。
砂ぼこりが舞う。一瞬静止した〈ヴァルウィーター〉の隙をヘドロンガは見逃さなかった。巨大な拳を形作り、叩きつける。
だが、それは〈ヴァルウィーター〉の隙では無かった。
――撃ち込め!!――
ヴァルウィーターは既にタイの上に両の指で丸を作り出していた。
「バブルス!」
それをシャードの合図と共に口元へ向け
「シューター!!」
解き放った。
無数の泡のリングが指の丸から生まれ、ヘドロの拳を締め上げた。
『ガ~~、ガ~~!!』
締め上げられた拳は形を崩さない。崩すことができない。バブルスシューターの拘束がそれを許しはしない。
〈ヴァルウィーター〉が跳ぶ。自身の拳を振り上げて、ヘドロの拳を締め上げるバブルスシューターへとぶつけた。
バブルスシューターが破裂する。ヘドロの拳が吹き飛び、水飛沫となる。
次々とバブルスシューターに拳叩き込み。破裂させる。飛沫は、雨となって降り注ぐ。
『ガァッ! ガァッッ!!!?』
ヘドロンガが苦しげな叫びを挙げ、最後のバブルスシューターを振りほどこうと歪な腕を作り上げる。
だが、その腕よりも先に
――いってこい!!――
「ヤアァッッ!!」
〈ヴァルウィーター〉のソバットがバブルスシューターに叩き込まれ、破裂と共にヘドロンガの巨体がワーレ目掛けて吹き飛んでいく。
「こっちに来るんじゃない!!」
ワーレが悲鳴に近い声を挙げ、暗闇の中に退避した。ヘドロンガはなにも無い地面に滑り落ちた。
――これで終わらせる!――
「はい!!」
〈ヴァルウィーター〉は吹き飛ばしたヘドロンガへと跳ぶ。最後の一撃を決めるために。
――ウィー ガードターン!!
ポシェット型カードリーダーを押し込み、上下を反転させる。
――オン ブーステック!!
〈ヴァルウィーター〉のエレメスが変化する。両袖部が弾けて〈水〉の玉となり、彼女の両腕が露となる。
スカート部が弾けて〈水〉の玉となり彼女の両足が露となる。
〈水〉の玉が両手に集まり、〈水〉の渦となる。〈ヴァルウィーター〉が渦を握り締める。
「ウィーターアーチェ!!」
引き抜くように両腕を振り上げ、この世界に召喚するは、青く輝く自身の背丈程の聖なる弓。氷のように研ぎ清まされた高潔な一矢。荒れ狂う水の刃。
それらを〈ヴァルウィーター〉は合わせ重ねる。力の限り引く。水音に似た弦が響く。
その姿は、まるで〈大海〉に潜む美しき狩人。
速く速く、更に跳ぶ。目標を真下に捕らえた。
サファイアのような瞳が見開かれ、輝きを増す。
――〈水〉の一閃 射撃!!――
「ウィーター・ファイナリー!!!」
青き一撃が放たれる。正確に標的が射抜かれる。
『ガアアァァッッッ!!!!?』
断末魔の声を挙げ、ヘドロの体が水柱へと姿を変え、巻き上げられる。〈ヴァルウィーター〉は全身を濡らしながら地面に降り立つ。遅れて巻き上げられた水柱が雨となり大地を浄め、破壊の痕跡を完全に浄化した。
「終わりましたね」
青い光と共に変身が解かれる。〈ヴァルウィーター〉の姿からただの女子中学生 青海 流香へと戻る。同時に、太股の怪我も、擦り傷も、制服のスカートも、全て無かったかのように元に戻っていた。 サメの姿のシャードが彼女の周りを一周し、警戒をする。あの禍々しい気配は既に無かった。
戦いのどさくさに姿を消したのだろう。シャードはフッと力を抜く。姿がイルカへと変わり、ゆっくりと流香の方を見た。
「ありがとうルカ」
シャードは頭を下げて、礼をいい、次の言葉を出すのに少し時間が掛かった。シャードは(しっかりしろ)と自分を叱りつけ、流香に告げた。
「お別れだなルカ」
とても辛い言葉だった。だが、今日はっきりとした。やはり自分といると流香に危険が及んでしまう。だからここで別れるのは正しいことだとシャードは思った。
だが、流香は
「え、嫌です」
そんな事は微塵も考えていなかった。とても明るい声でシャードの言葉を拒否し、彼をしっかりと抱き止めた。
「私とシャードくんはもうパートナーです。離れてはいけないんです」
シャードは唖然と流香の顔を下から見た。満面の笑顔が見える。シャードは首を降る。
「待て、あれは、一時的なものだ。緊急事態で仕方なかったって、ルカも解っていただろ」
「う~ん。私、そんなことを言いましたか? 覚えていません」
流香はとぼけて見せた。こんなとぼけた事を言う流香をシャードは初めて見た。
「ルカ?」
「私、シャードくんが離れていって改めて思ったんです。私はシャードくんが大好きだって」
「・・・・・・」
「それと、シャードくんは責任を取るべきなんです」
「せ、責任だと?」
「私、さっきのひとに顔を見られてます。だから私はあのひとに狙われちゃうかもしれないです」
「あ・・・・・・」
そうだ。その可能性は無いことではない。むしろ可能性が高いのではないだろうか。シャードはもしかしたら自分の方が間違っているのではと思い始めた。
「だから、一緒にいて護ってもらわないと」
「しかし、その場合。戦うのは流香になるんだぞ?」
「望むところです。私の決意は固いんです。シャードくんと一緒にいるって決めたんですから、ね」
流香はトントンと自分の胸を叩いた。
「いつか、私よりも強い〈水〉の力を持ったひとが来たら、そちらに行ってしまって構いません。だから、それまでは私と一緒にいましょう」
「・・・・・・」
「それとも、シャードくんは私と一緒にいたくないですか?」
「・・・・・・いや」
シャードは首を振った。
「嫌なんて、思わない。ワシはルカと、〔友達〕と一緒にいたい。パートナーでいたい」
シャードは折れた、いや、自分の心に素直になった。まだ流香とは別れたくはないという自分の心に。
(そうだ、ワシがしっかりすれば、ルカを護っていけるはずだ)
シャードは決意した。ルカと共に戦う事を。
「すまん。新ためてよろしく頼むルカ!」
「はい」
シャードの言葉にルカは頷き、心の中にちょっとだけ複雑な思いを宿した。
(友達、かぁ)
「どうした? ルカ?」
「ん、何でもありません」
流香は満面の笑みでそれを隠した。
今はこれでいい。きっと自分の想いは伝わりはしないから、今は一緒にいられるだけでそれでいい。
流香はシャードを抱え上げて、一番の笑顔を彼に贈った。
「これからもよろしくです。シャードくん」
今度こそ短くできたかなぁ・・・・・・。色んな所を切りまくって〈水〉の話は書き上げました。楽しんでくれれば幸いとなります。
ここで、なんで〈ウォーター〉ではなく〈ウィーター〉? と思った方に説明します。しょうもない理由なんですが・・・・・・。 むかし、えげれす人から英語を教わった日本人が耳だけの発音で書き留めた日本語訳が〈うぃーたー〉だったと昔だれかから聞いたような気がしまして、嘘か本当か真実は解りませんが記憶の片隅から引っ張り出して使ってみました。違和感があったらごめんなさい。 以上、しょうもない理由でした!!
あと、決めポーズを取らせてみようと書いてみましたら、もろに元にした作品と同じポーズになってました・・・・・・。気づいた方はニヤッとしてくれると救いになります。 個人的にはあのポーズは凄く決まっていると思います。単純だけど考えたひとは偉大です。
超長文になり失礼しました。
次回は〈樹〉の話です。正直、この話を書くのが一番楽しみかもしれません。
それではまた!