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Ⅰ‐3:ボウズはボウズ。ユウはユウ……あぁ、気にしないでくれ。


<似非中国語之粗筋>

 女身上話終時、鐘鳴開扉。其空落少女発見、加少年出会。遁走少年追跡捕獲、後嘔吐。顔面全力殴打、其対少年無為揉事続行。諸々経過、少年案内役任命、小丘登頂墓石移動。奇穴出現、三人衆落穴中、其後――




 なだらかな坂道を下っていく。

 ソレの足元を、列なす黒い糸くずの塊たちが横切った。

「お、蜘蛛の行列だ。どこに行くんだろうな」

「ミア、しってる。これきっと、くもダイミョーのサンキンコータイ」

「おチビ、むつかしい言葉を知ってるじゃないか。ヨシ、ちょっくら後をつけて、向かう先におわすクモ将軍にお賽銭でも投げよう――」

「うろちょろしない」

「――ぜぅッ」

 墓下の闇を抜けて辿り着いたのは、なんてことない、石造りの回廊であった。外界から隔離されたそこの空気は淀んでおり、湿っぽくざらついた感覚が肌を撫でる。周囲にトン、てち、カツ、と三種三様に響く足音が、先の道がまだ長いことを教えてくれる。一定の間隔で吊るされた蝋燭が、闇に紛れる黒茶の蛾の、びっしりと生え揃った産毛の先までもを鮮やかに浮かび上がらせていた。

 案内役を務める少年を先頭に、ソレと少女が横に並んで後ろに続く。ときどき、おかしな行動に出るソレを少年が殴って止めたり、ぽけらと足を止める少女をのんびりと待ったりしながら、三人は順調に足を進めていた。


 三度ほどの迂曲を経たときに、ソレが突然、こんなことを言い出した。

「ときに、チビども」

「は?」

「どうしたの?」

「い゛づっ、いやなに、これから先、長いお付き合いになりそうだからな。ここら辺で一度、互いに自己紹介をしようじゃないかと思ってあだだだ」

 チビ呼ばわりが気に食わなかったらしい少年は、ギリギリとソレの身体を締めながら「冗談はよしなさい」と眉をひそめた。

「私はあくまで、案内役としてあなた方と共にいるだけです。これ以上に互いのことを知る必要など、あってたまるものですか」

「そうか? 僕は知りたいぜ、おチビが喜ぶことも、ボウズが嫌がることも、全部な」

 ソレは関節が曲がってはいけない方向に折れる前に、飄々とした身のこなしであっという間に拘束から抜け出した。途端に苦い顔をした少年の前で、いかにもわざとらしい仕草で胸に手を添えた。

「僕にとって、巡り出会ったすべての者の歩みと生き様を知ることが、最も尊ぶべき喜びだ。皆が辿る道の末を、この目で見届けるために生きていると言っても過言じゃあない」

「どう考えても過言でしょう。その言葉に嘘がないのなら、あなたは一体いくつになるんです?」

「おっと、それを聞くのは野暮ってもんだ。な、おチビ」

「ん。ばんしにあたいする」

 この少年、ソレのことはよく囀るゴミとしか思っていないようだが、少女にはめっぽう弱いらしい。少女の言葉を受けて、「そ、そこまで許されないことでしたか」と素直にへこんでるようだ。そんな彼の肩をソレが抱き寄せ、何事かを囁いてはまた殴られていた。

 もはや恒例になりつつある一連の流れには、なぜだろうか、見ている側からすると爽快感すらある。見た目は派手なわりに、数秒後にはソレがピンピンした様子で立ち上がっているからだろう。と、そんなことを思いながらぽけらと二人を眺めていた少女は、話を軌道を戻すべくポンと手を打ち鳴らした。

「じこしょうかい、だいじ。おなまえ、しれる」

 少女が声を上げると、打てば響くように二人からの視線が集まる。

「ふたりのおなまえしれば、たくさんよべる。

 よべないと、おまえにとっても、きっとふべん。あんないするなら、おなまえしらないと」

「……ふむ。一理、ありますね」

「でかしたおチビ! 気が変わらない内にほら、ボウズよとっとと名乗りやがれ」

「やるとは一言も言っていないのですが。まあ……いいでしょう」

 カツン。かたい足音が止まる。

 後ろを振り返った少年の顔には、不服がありありと浮かんではいたものの。ぺかぺかと期待に輝くソレと少女の眼差しを直に向けられ僅かに顔を顰めてから、挨拶の礼をとった。


「はじめまして。名をユウと申します。少なくとも人間ではありません。どうぞよしなに」


「おう、奇遇じゃん。こちらこそよろしくな、ユウくん」 

「ユウ、ゆう。めずらしいおなまえ。どうぞ、よしなに」

 少女はチラチラと少年を見上げ、そっくりそのままの仕草を真似て返事をした。この動きが自己紹介のお作法なのかは知らないが、見た目がカッチョイイのでやりたくなったのである。

 少し大人になれたような気がして大変満足げな少女は、その姿勢を維持したまま、自身のことを口にした。


「ミアのおなまえ、ミア。かえりかた、わからん。いまのじょうきょうも、わからん。たすけてくれたあなたと、あんないやくのおまえに、ついていく。

 あと、えっと……、すきなことは、おえかき。あと、りんごのパイもすき」


「はじめまして、ミアちゃん。好きなことまでハッキリと言えて偉いなぁ。ちなみに僕もなーんもわかってないから、オソロイだ」

「オソロイ……!」

「私にとって、はた迷惑なオソロイですね。窮地に陥っておきながら、どうしてなおも無知でいることに耐えられるのか……理解に苦しみます」

 ソレと少女は、はてと首を傾げた。

「……もう忘れたのですか。つい先ほど、地面の染みになりかけたでしょうに」

 二人はポンと手を打った。少年がしわぁっと顔を顰める。

 しょっぱい表情のまま、「それに、」と言葉を付け加えた。

「今も完全に危機を脱したとは言えない状況です。だというのに、そこの阿呆に至っては、箱庭の存在すら知らないようですし、まったく……。私はあくまで案内役であり、子守ではないのですが」

「なに当然のことを言ってるんだ、ボウズ。子守をしているのはおまえじゃなくて僕の方だろ? なー、ミアちゃん」

 少女はこくりと頷いた。

「ミアも、こども。ユウ、よろこべ。ミアとオソロイ」

「……、……わぁい」

「うむ、うむ」

「ンっふふふ、声ちっさ――いでッ」

 やかましい声の源に、少年がポカリと一発叩きこむ。一度咳払いをしてから、ジトリとソレを流し目に見た。

「それで。お次はあなたの番ですよ」

「ン、ああ、そうだったな。……とはいえ――」

 ソレはコトリと首を傾げると、自身の顔を指で差して笑った。


「――生憎僕ぁ、名乗るべき名を持ち合わせていなくてな。ま、好きなように呼んでおくれよ」


「……他には?」

「ン? 以上だが」

 少年はあからさまな溜息を吐いた。

「あなたという人は、自己紹介がどういったものなのか、ご存じないようですね。他人を知ろうとする前に、まずは常識を学びなさい」

「そんなつれないこと言ってくれるなよ。これ以上に伝えられるような内容がないんだ、いやマジで」

「……呆れた。ご自身のことでしょうに」

 ソレは特に言い返すことなく、誤魔化すように頬を掻いた。

 そんな釈然としない態度をとるソレの傍で、少女はなにかを考えるようにうんうんと唸っていた。やがて納得のいく答えを見つけたのか、一度大きく頷くと、パッと顔を上げる。

「すきに、よぶ。ミア、あなたのこと、てんしさんってよぶ」

「ほう、テンシさん? 不思議な響きの名前だな……って、どうしたんだよボウズ」

「いえ、何も」

 呆れを深めた少年に、ソレが問いかける。彼はそれには答えずふいと顔を逸らすと、「さて」と道の続く先に爪先を向けた。

「進みましょう。一先ずの目的地はもうしばらく先にあります」

「あと、どのくらい?」

「そうですね。絵本三冊分を読み切るくらいの時間はかかるかと」

「なる……」

「ミアちゃん」

 語尾を濁した少女の頭上から、突然ソレの声が降ってきた。続けて「ばんざーい」と指示を出され、少女は反射的に両手を上げた。

 ソレが、がら空きになった脇の下をひょいと掬い抱き上げる。そのままぽんぽんと小さな背中を叩きつつ、少年の隣に並び立った。

「ヨシ、行くか」

「手馴れていますね」

「そうか? ああ、もしかして羨ましいのか?」

「違います」

「しょうがない。ボウズには特別に、僕を抱っこする権利を与えようじゃないか」

「早く行きましょう。あなたの世迷言に付き合っていては日が暮れてしまいますから」

「世迷言だなんてとんでもない。僕の口先はいつだってクソがつくほど真面目だぜ」

 少女は軽快に交わされる二人の会話を心地よいBGMにして、目を瞑った。腕に力を籠めて、ソレのにぴとりと抱き着く。一番最初にこうやって助けてもらったからか、こうしてソレとくっついていると、酷く落ち着くのだ。たくさん歩いて疲れた身体に、ぽかぽかと温かい体温が染み渡る。

 伝わる振動と足音から、ソレが歩き出したことがわかった。その間ずっと、二つの声が途切れることなくポンポンと鼓膜を楽しげに叩き続けるものだから、少女はくふくふと静かに笑った。




 坂道を下っていく。

 静けさの満ちたその場所に、場違いな人影がひょっこり姿を表しては、灰にくぐもる煉瓦の道を踏んで去っていく。取り残された蜘蛛たちは壁に身を寄せて、きょとりと互いの顔を見合わせると、ゆるやかに遠ざかる嵐の背中を、八つの目玉にしかと焼きつけた。

 坂道を下っていく。

 階段に差しかかる。燭台に灯る炎が揺らめき、床に落ちる影法師が形を崩す。

 カツン。

 足音が止まる。

「ここですね」

 ソレの胸に埋まっていた少女は、目的地をその目に映すべく首を捻った。


 そこに立ち塞がっていたのは、一枚の扉だった。塗装は見る影もなく禿げ落ちており、木板の内側まで広がる腐りようが、至るところから見て取れる。

 と、そこでソレが隣に声をかけた。

「なぁボウズ。この扉、取っ手がないようだが――」

 最後まで言い終えぬ内に、少年は一歩前に踏み出すと、


  バギョッ


 と儚い悲鳴を響かせて、振り抜いた片足で扉を木っ端微塵に蹴り砕いた。

「不思議ですね。ここから出たときにも、同じように破壊したはずなのですが」

「うーん。その足癖の悪さ、嫌いじゃないぜ。むしろ大好きだ」

「あなたに褒められても不快になるだけですので、やめてもらえます?」

「キャッ! ユウきゅんちょースゴぉイ! ちょガチでマジヤバ激甚丸的な? 骨格筋率ガチ盛れであげぽよピィナッツって感――」

「かしましい」

「――じぃッ……!」

 少女に被害が及ばぬよう頭頂部に手刀を叩きつけてやれば、ソレのふざけた言葉が呻き声に変わる。

「ゆ、ユウくん鬼ありえんてぃー、激おこスティックファイナリアリティぷんぷんドリィムなんですけどぉ……!」

「フン。タピオカを喉に詰まらせて死になさい」

 そう言い捨てると、少年は一足先に扉の奥へと入っていった。

 ソレが恨みがましそうな顔で後を追う。中に足を踏み入れたそのとき、もぞりと腕の中の少女が身じろいだ。

「おチビ、下りるか?」

「うん」

 床に足をつけた少女は、しっかりとソレにお礼を伝えてから、辿り着いたその場所を見回した。青い貝殻の如き光沢を放つ目が、いっぱいに見開かれる。


 そこは、アトリエとでも呼ぶべき一室だった。

 三人の息遣いのほかには、生き物はおろか、物音ひとつ聞こえない。ゼンマイ式の壁掛け時計も、格子の嵌められた暗い小窓も、隅に転がる欠けた小筒も破り裂かれた紙屑も、ここにあるものはすべて、死んだように黙りこくっている。鈍色の世界でただ一つだけ、ちらちら、ちらちら、埃のつぶが、さびついた空気の中、ボンヤリと光っては虚空に溶けていった。

「あれ、みて。えを、かくやつ」

 少女が指で示した先には、四つのイーゼルが点在していた。教室ほどの広さの部屋に置かれたそれらには、まるでキャンパスを覆い隠すかのようにして、青い布がかけられている。

 その内の一つ、一番手前にあるものは、今にも布がずり落ちてしまいそうだった。

 ソレと少女が引き寄せられるように手を伸ばそうとしたとき、「止まりなさい」と鋭い牽制が響く。

「どうした? ボウズ」

 ソレが振り返ると、声の主である少年は溜息をついてこめかみをコツコツと指先で叩いた。まるで、あなたバカなんですかと言わんばかりの見事な呆れ顔である。

「迂闊な真似はよしなさい。ここから先は、私も何が起こるかわからないんです。あくまで慎重に行動なさい」

「ン? ボウズ、ここに詳しいわけじゃないのか」

「当たり前でしょう。私もあなたと同じ、この箱庭からすれば余所者に過ぎませんよ。あなた方は空の上からここに迷いこんだのでしょうが、私はそれがこの場所だった。ただそれだけの違いです」

 少年は前に歩み出ると、雑然と並ぶイーゼルたちをつまらなそうに一瞥した。

「ここで目覚めたときに、このようなキャンパスはありませんでした。ゆえに、これは舞台と繋がる鍵だと考えるべきでしょう」

「ぶたい?」

 少女が聞き馴染みのない単語をオウム返しにすると、少年はしばし考えこむそぶりをみせた。

「……そうですね。このあたりで一度、現状を共有しておきましょうか」

「お、そいつはありがたい」

「心底癪なことではありますがね。さて――」

 少年はコキッと首を鳴らし、ごく自然な動作でソレの懐を掴むと「ン?」、そのまま勢いよく地面に叩きつけた。ベチッと情けなくも床に伸びたソレの背中を椅子に見立て、よいしょと腰を落とす。

「――どこからどこまで話したらいいものか、悩ましいところですが」

「あの、ボウズ? もしかして、この姿勢のまま続けるつもりか?」

 少年は隣の空席を軽く叩いて示し、「ミアちゃんも、こちらに」と手招いた。少女はかわいらしい足音を連れて少年の前までやってくると、そのままぽむちと横に座ってみる。

「てんしさん。すわりここち、バッチリ」

「そうか……。おチビが楽になるんなら本望だよ、僕ぁ」

「座面の高さが足りませんね。そこの桃色頭を足置きにしてもいいですか?」

「その余った足、捥いで接いで竹馬にしてやろうか? ……ってコラ、肘を置くなグリグリするな。僕の上でこれ見よがしに寛ごうとするんじゃない、この莫迦!」

「竹馬ぁ? はぁ、あなたごときが私の身体を壊せるはずもないでしょう。くだらない」

「アーッ! ちょっとボウズ、おチビがおまえを真似してゴロゴロし始めちまったじゃないか!」

「素晴らしい行いですね。ミアちゃん、もっとやっておしまい」

「ててんてん、てんしさん、は~♪ ふわふか、ぽちゅにぱてぃんぽ~ん♪」

「あのな、ミアちゃん。僕のお尻は太鼓じゃないんだぜ……?」

 ご機嫌に歌いながら尻をぽふぽふと叩きまくる少女に、ソレがなんとも情けない困り顔を晒している。少年はさも愉快そうにくつりと喉の奥で笑った。

「コホン。それでは、この箱庭という世界についてお教えするとしましょうか。精々その耳をかっぽじって拝聴なさい」

「ちょっと待て、せめて普通に座るだけにしてくれ頼むから!」

 キャンキャンと騒がしいソレを一笑に付して、優雅に足を組む。一度だけ悩ましげに軽く目を伏せてから、少年はとうとうと『箱庭』について語り始めた。




×■■×■■■×■×■■××■■×■■××■×■■×■××




 無数の世界に息づく誰しもが、星空を見上げたことがあるはずです。


 たとえ、いかなる苦難に見舞われていようとも。ひとたび虚ろな黒空に燦然と輝く青白い灯のかげを瞳に映せば、ある者は決して手の届かぬ美しさに目を細め、またあるものは己の望みを託して心の寄る辺としたことでしょう。

 しかしその実、星々の正体とは人々が抱く幻想とはほど遠いものです。なにせあれらは、祈りから生まれし箱庭が砕けたとき、紡がれた世界のすべてを焼き尽くさんと迸る、滅びの炎なのですから。




 そも、『箱庭』とは、空の幕下にある一世界のことを指します。その世界は祈りの結晶で構成されており、そこの物質及び生命体は基本、朽ちることはありません。

 祈り、と言うからには紡ぎ手がいるのですが、それは箱庭の『主』と呼ばれ、箱庭の中心である『禁園』に座して、己の箱庭における不変的営みを見守り、ときに維持しようと働きかけます。

 つまるところ箱庭とは、主の祈りを実践するための永久機関のようなものであり、余所者に妨害されることがないよう主自らその管理役を担っている、と捉えていただければわかりやすいかと。


 祈りと一口に言えど、その実体は非常に複雑なもの。ですので、多要因が絡みあった祈りを体現すべく、箱庭はいくつかの『舞台』にわかれた多層構造になっていることがほとんどです。縦に連なるこれらの頂上、その箱庭において最も空に近いところに禁園が作られる形となっています。

 それから、各舞台にはそれぞれ『要』が存在します。要は舞台で演じられる祈りの中心的な役割を果たしており、多数の『住民』たちが同じ舞台に住まい、これを補佐する状況を作り出しています。まあ、それら自身にその自覚があることは稀ですが。



 さて。

 我々がこの箱庭から自力で脱するために、とらねばならない手段はただ一つ。


 この箱庭を、破壊すればいいのです。


 しかし、先ほども申しました通り、箱庭とは祈りの結晶であり、自然に朽ちることはありません。

 ですが、二つほど例外があります。これらに直面したとき、結晶となった祈りは砕け、生まれた星の光に焼かれて消えることになるでしょう。

 二つの例外。

 一つ目は、各舞台において繰り広げられる営みを、主の祈りにそぐわない形になるよう妨害すること。ある条件を満たしていない場合、余所者はこちらを選択するしかありません。

 二つ目は、各舞台において要を殺すこと。今回の場合、私がいるのでこちらも視野に入れることができます。

 どちらを選ぶにせよ、結局は舞台を順に潰していくことになりますし、最後には禁園が崩れ落ちる前に主の『祈心』を抉り、燃え盛る炎に触れさせてやる必要があります。肝要なのは、速やかにその舞台の要を見つける、あるいは把握することですね。


 ある条件? 簡単な話ですよ。「箱庭の硬度を上回る攻撃手段を持っていること」、ただこれだけです。祈りは、長く強く紡がれたものであるほど、結晶の硬さが上昇し、箱庭を構成する舞台の数も多くなる、といった性質を持ちますからね。

 結晶硬度は主との距離と連続しない関数の関係にあるため、箱庭によっては各舞台により硬度が変化することもありますが……今回はこれに関して、意識をする必要もないでしょう。この程度の硬度であれば、どのみちこちらが上回っていますから。私が拳を振るえば、この箱庭のものはすべて砕くことができるはずです。


 ああ、そういえば。

 箱庭の踏破を目論む上で一つ、注意すべきことがあります。

 箱庭とは一つの多重世界であり、そこには我々の常識から乖離した独自の法則が存在します。箱庭の内側にあるものを対象に、祈りを保持するための大原則とでもいいましょうか、ある種の強制力が働くのです。これは余所者の我々にも漏れなく現象となって降りかかるため、基本回避することはできません。

 この強制力について、祈りの性質あるいは主の意思に基づき定まるものを『秩序』、舞台の設定あるいは要の意思に基づき定まるものを『律示』と呼称します。これはときに、思考や行動のみならず人格や記憶にまで作用することがありますが、秩序は箱庭を、律示は舞台を脱した際に消失しますので、なにか強制力による不都合が生じた場合は、急ぎ目前の世界を滅ぼすことに専念しましょう――






 

「――以上、ご理解いただけましたでしょうか」

 少年が隣を見やると、そこには話に集中するあまり顔をくちゃくちゃに萎める少女がいた。

「……うっすらなんとなく、ほんわかちょびっとくらい、わかった。じしんはない」

「そのくらいの認識で問題ありませんよ。我々がやらねばならないことは、その場に立てばおのずとわかってくるはずですから」

 「ほんと?」と眉を下げる少女に、少年はわずかに頷いて肯定した。

 ……できるならば、不安の種を取り除いてやりたいが。何分長らく常人と接してこなかったので、勝手がわからない。

 こういうのはきっとこの阿呆の方が得意だろうから任せよう、と座椅子の様子を窺うと、ソレは珍しくぴったりと口を閉じたまま、じっと一点を見つめてなにやら思索に耽っているようだった。

「どうかしましたか?」

 少年が声をかけると、熟思ゆえの鋭さを帯びていた表情は瞬く間に氷解し、いつもの人好きのする阿呆面が戻ってきた。

「いやなに、得るものが多くてな。ちっとばかし整理してたんだ、気にしないでくれ」

 ひらひらと手を振るソレに、少年は「そうですか」と特に気にした様子を見せず頷いた。

「おかげさまで、おおよそは把握できたぜ。要はボウズの足首掴んでぶん回して、この世界の主役たちを砕けるまで殴ればいいんだろ? 僕に任せな。相手のこうべを地平の果てまでぶっ飛ばして、一等賞のホォムランを量産してやろう」

「ご理解いただけたようでなにより。それに、あなたにしては悪くない提案ですね。ぜひともあなたをボール役に据えて試してみたいものです」

 パチンと指を鳴らしてウインクを寄越したソレに静かな一瞥をやってから、少年はよいせと背中から立ち上がった。座り心地の悪い椅子のせいで、そろそろ腰が痛くなってきたのだ。

 反対にソレの背中椅子が気に入ってしまったらしい少女をなんとか説得し、ソレはようやく起き上がることができた。這いつくばって固まった身体をほぐすべくうんと伸びをしてから、少年と向き合う。

「いくつか新しく聞きたいこともできたが、それは追々だな。まずは礼を言わせてくれ。

 色々と、丁寧に教えてくれてありがとう。助かった」

 ソレの足にしがみついていた少女も、自分から一歩前に出て、背中を真っ直ぐに伸ばして少年のことを見上げた。

「むつかしかったけど、きっと、ミアもしらないといけないこと、だったから。ユウ、ありがとう」

 二人からの感謝の言葉を受けて、少年は「……何も知らない粗大ごみと共に行くよりも、こうした方が私の負担が減りますから」とだけ言うと、耐えかねたようにふいと顔を背けた。

 途端にニマニマといやらしい笑みを浮かべて小突いてきたソレをパコンと殴る。もはやお約束となりつつある流れをこなしてから、ふと少年がこんなことを言った。

「そういえば。世界を壊す、なんて大層なことを言いましたが、あまり気に病むことはありません。

 箱庭の住民、それらにはそれらなりの物語があるのかもしれませんが、所詮は似て非なる理に生きる者たちです。相成れないのは当然のこと、排斥を恐れていては自らが取り込まれるだけですよ。

 ……まあ、此度の箱庭はこの懸念も杞憂になるほど未熟なもの。あくまで今後の教訓とでも思ってください」

「けいけんしゃは、かたる?」

「ええ。箱庭には、三度ほど巻き込まれたことがありますからね。独自の文明や生態系が発達しているものもあれば、主の過去を模倣しただけのものもあり、その在り方も壊し方も、千種万様です」

「なるほどな。おまえの忠告、覚えておくとしよう。

 ……たとえ目指す結末が同じであっても、できる限り、その瞬間を迎えるまで誰もが気づけないほど穏やかな傾敗と最期を齎してやりたいが……。ン、ああ、安心してくれ。優先すべきことを履き違えたりはしないさ」

 なんてことないようにそう言ってのけたソレに、少年は胡乱な目つきで「そうですか」とだけ返事をした。

 なぜだろう、物分かりがよすぎて逆に不安になる。正直なところ、もっとくだらないことで食い下がられると思っていたのだ。いくら懇切わかりやすく説明してやったとはいえ、その理解力と適応力には、目を見張るものがある。


 ――やはり。似ていますね。


 一瞬、脳裏にあの男の姿が浮かぶ。

「……フン」

「ユウ、どうした」

「いえ、なんでもありませんよ。つまらないものを思い出してしまっただけです」

 少し表情を和らげてそう言った少年に、少女は驚きにパチクリと目を丸くしつつも、納得したように頷く。

 そんな二人の様子を、ひそかに顔をほころばせたソレが一歩離れた場所から静かに見守っていた。







「こころのじゅんび、ばんたん」

「さくっと行ってさくっと終わらせようぜ」

「その手を離しなさい。捲るのは私がやります」

「あだだっ」

 キャンパスを囲うように集う三つの横顔を、天井に降る小雪がちらと照らしている。

 少年はソレから布の端を奪い取ると。

 キャンバスにかけられた青の無地を、微塵の躊躇いもなく取り払った。


 ずろり、と中身が曝け出される。


 そこに描かれていたのは、ざらざらと点滅する灰色の景色を背負って並ぶ、かしこまった五つの人間らしき者たちだった。

 中心には、男とおぼしき骨格の人物が座っている。その顔は、中心に大きな穴が空いている……というよりも、肉でできた顔の輪郭がかろうじて残っている、と言った方が正しいのだろう。豊かな表情の代わりに露出した筋の断面からは、黒い血液がたらりと垂れて足元を汚している。

 彼が肩に手を置くのは、骨に皮を貼りつけた壮年の女性。趾のごとき硬い両手で、おくるみに包まるふくよかな赤子を抱えていた。毛髪には白が混じり、乾き痛んだそれは乱雑に一つに纏めて歪んだ背中に流されている。深く刻まれた額の皴から血が滲む唇の荒れ具合、果てにはデコボコに削れて白く濁った爪の色まで、あまりに緻密に描きこまれており、キャンバスから網膜を通して鼻の奥に生々しい人間臭さが漂ってくるようだった。

 この三人を囲うようにして、膝小僧を出した子どもが二人、立っている。どちらも身体と背景の境界すら曖昧で、てんでバラバラの位置に口や目や耳やらが、オマケのように生えていた。


「……一人、足りないな」


 ぽつりとソレが呟いた。集まった二つの視線に応えるべく奇妙な肖像の下部を手先で示すと、少年が得心したように息を吐いた。

 首を傾げる少女に向けて、ソレが己の気づきを伝える。

「この男から滴る黒ずみを、よく見てみるといい。背景と混ざってちと見えにくいが、こいつらの影になるように広がってるだろ? 赤子は女性と同じ影と考えると、影は四つあるはずだ。だが、数を数えてみると、一、二、三、四――」

 とん、と母親の左隣にある空白を指で叩く。

「――五。子どもだろうな。大きさからして、上から三番目か」

「なるほど」

「この省かれた人物、それからやたらと写実的に描かれた女性が、箱庭の主にとって何を意味するのか……」

 ソレの言葉を受けて、少女はやつれた母親に目を向けた。

 その目は、沈み淀んでいる。目を覆いたくなるほどやつれ果てた姿に、なぜか心奪われる。

 少女は身じろぐこともできずに、息を止めてその母親の肖像に見入っていると。


  ずぶり


 突然、手袋越しに絵に触れていたソレの指が、キャンバスに沈んだ。

  パシッ

「おわ、」

 手首を掴まれる。指先に伝わる粘土のような感覚と、手根をギリギリと蝕む痛みに、思わず肩が跳ねた。何事かと振り返れば、そこには眉をきつく吊り上げた少年が、焦燥混じりの形相で絵画を睨んでいた。

「……異常は」

「っ、ああ、どうやらこの絵、どこか別の空間に繋がっているようだな。どれ、ちょっくら様子を見――」

 ソレの言葉を、少年の低い声が遮った。


「――あなたの身に、異常はないかと、聞いているんです」

「アッハイないです、とっても元気いっぱいです」


 きろりと鋭い眼差しでソレの全身を確認してから、少年はようやく掴む力を緩めた。が、いまだ手を離そうしない。少女はあれまと口を覆い、ソレはなぜか申し訳なさそうに視線を彷徨わせ、それからへらりと笑って一言。

「アー。その……ご心配、どうも?」

「勘違いも甚だしいですね、自意識過剰も大概になさい。私が懸念しているのは一人で先に舞台に入られた場合こちらが被る迷惑についてのみであり、あなたなど視界に映りこむだけで煩わしいことこの上ないというのになぜ私がそのような無意味でくだらない――」

「ウシ、それじゃあお先に行ってくるわ。チビ共もしっかりついて来いよ。んじゃ」

 ソレはいとも簡単に少年の拘束を外すと、ウインク一つを残して絵の中に飛びこんだ。

「「あっ」」

 と二人が声を上げても既に遅く。ソレはすっかり絵画に呑まれて消えてしまった。

「チッ。勝手なことを」

「いまのは、ユウもわるい」

「……そうでしょうか?」

「ん。はんせいしな」

 少女は神妙な顔で首肯すると、両手を高く上げた。

「ミアたちも、いこう。もちあげようい」

「持ち上げ」

 持ち上げて運べ、ということだろうか。

 少年は恐るおそる少女の脇に手を差しこんだ。できる限り力を抜いておっかなびっくり腕を上に動かすと、あり得ないほどの軽さで少女の身体がぷらりと宙に浮いた。

「うむ。くるしゅうない」

「力が強くて痛いところはありませんか? もし痛かったり苦しかったりするところがあれば、絶対に我慢しないで、すぐに言ってください」

「だいじょうぶ、どこもいたくない。ユウ、じょうず」

 少年がほっと息を吐いた。よかった、力加減はこれで間違っていないらしい。

 その明らかな安堵を目の当たりにして、獲物のようにぷらぷらと掲げられた少女の内心に、ある疑いが芽生えた。

「てんしさん、まってる。はやくいこう」 

「ええ。さて、どう入ったらいいものか……」 

 少年はへっぴり腰ぎみのちょっぴり間抜けな姿勢のまま逡巡し、結局少女を持ち上げたまま背中から入ることにしたらしい。いそいそと絵画の前で構えてから声をかけてくる少年に、やっぱり、と少女の内なる疑念は強くなる。


 ――やっぱり。

   ユウって、じつはいいやつなのかもしれん。


「ミアちゃん?」

「うん。いつでも、バッチリ」

「わかりました。それでは、いきますよ」

 その言葉が聞こえてから一拍置いて、


  ずぶり

 

 と、頭から勢いよく泥粘土を被るような感覚が襲いかかってきた。直後、空で味わった恐ろしい浮遊感がやってくる。少女はたまらず目を瞑った。



 


・××:名乗るべき名前はない。もらった名前がソレそのものになる。


・少女:本名ミア。この名前が一番の宝物。その理由は覚えていない。


・少年:通称ユウ。この名前に意味はない。


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