涙は、先輩の腕の中で
菜々を松本城の上から見つけた時から十分ほどして。
舞花と僕は、菜々がいる場所から、城を挟んで反対側に来ていた。
こっちの方が人が少なめで、少し日陰の場所もある。
休憩しているおじいちゃんおばあちゃんがいたりした。
そんな場所を舞花と僕は、のんびりと無言で歩いていた。
「お姉さんに、声をかけたりしなくて大丈夫だった?」
「……はい。大丈夫です。お姉ちゃんも、私が来たらやだと思うので」
舞花は悲しそうに、そして少し悔しそうにそう言った。
「お姉ちゃん、舞花が来たら嫌がるの?」
「……普通、そうじゃないですか?」
「え?」
「だってこんな、ついこの前まで引きこもってて、不登校で、取り柄もない私が、そんなお姉ちゃんのところにずかずかと行ったら、恥ずかしくないですか? ……私じゃなくてお姉ちゃんが」
「……いや」
「違わないんです。だって、先輩は知らないかもしれないですけど、お姉ちゃんの周りとかでは噂になっているっぽいですし。私のこと。それに、この前こんな記事だって見つけました」
舞花が立ち止まってスマホを操作する。
僕も立ち止まって、そして舞花を見ていた。
「ほらこんなのです」
僕は舞花のスマホを見た。
なんかよくあるブログみたいな感じだった。
『虹原菜々には妹がいた⁈ 芸能界に入る予定は? 不登校で引きこもりという噂も⁈』
ふうん。
ひどいな勝手にこんなこと書いて。
「お姉ちゃんだってこんな記事が書かれてたりしてて、絶対恥ずかしいんです。だから……」
「……」
「先輩も、恥ずかしいですよね、きっと」
「……なんでだよ」
「だって、毎日放課後、不登校のこんな私と待ち合わせて近所をうろうろして、しかも旅行まで来てしまって……なんかセットみたいになったらやですよね。それに……」
「はいストップな」
「ご、ごめんなさい……」
舞花はうつむいて謝った。足元の小さな砂利をつまさきでいじる。
「なあ……どう言えばいいのかわかんないからはっきり言うけど」
「はい……」
「恥ずかしいわけ、なくね? なるわけないだろどう考えたって」
つい、強めに言ってしまった。
でもそうなんだよ。
「僕さ、昨日と今日、いやその前から、あの日あった日から、ずっと、充実してたんだよ」
「……」
「恥ずかしいわけない。これを機に改めて言うとさ、僕、舞花といると、ほんと、めっちゃくちゃ楽しいんだよ。なんでこんなに楽しいのかわかんないくらいに」
舞花のスマホの画面が勝手に暗くなった。
そうだよ、そんな記事どうだっていいだろ。どこかの誰かが書いたただの文字列だろ。
「先輩……」
舞花はスマホから僕を見上げた。
そしてそのまま……涙が溢れ始めた。
その涙は、舞花のスマホに落ちて、画面を洗い流す。
「ごめんなさい……私、なんでなんでしょう。一緒にいたら楽しいなんて……泣いちゃいます……だって……」
そして僕に近づいてきた。
僕はとっさに舞花に一歩近づいてしまった。
その結果、舞花の顔は僕の胸に埋まる。
僕は思い切って、舞花の背中に、腕を回してみた。
「先輩……っ、あ……あの、私もっ、私も、先輩といるとすごく楽しくて……!」
「ありがとう」
僕は嬉しかった。
なんだよ、なんだかんだで僕も舞花にそう言って欲しかったんだなって。
そうして僕たちはしばらくそのままだった。
「先輩、私とこんなにくっついてても、恥ずかしくないですか?」
少し落ちついた舞花は、そんなふうに尋ねる。
「それはね、恥ずかしいかな。真逆の意味で」
そう真逆。
だってさ、優しくて、歌声は綺麗で、一生懸命蝶を見つめてて、時には面白くて、ちょっと食いしん坊で。
ジャージだってくまさんのパジャマだって水色のワンピースだって、全部似合ってて。
そんな一緒にいて楽しくて可愛い女の子と抱き合ったまんまだったら。
そりゃあ、恥ずかしいに決まってるよ、舞花。
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二章はおしまいです。
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