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刺繍! 3

「お嬢様、そのままで!」


 壊れた刺繍枠の木くずを自分で片付けようとしたところ、アッシュに動かないよう釘を刺される。

 刺すのは刺繍糸だけにしろって、心の中で一人突っ込みをしたら余計に悲しくなった。


 私の足元に屈むと、アッシュのひとつにまとめた銀色の髪がさらりと肩から流れ落ちた。木くずひとつ残さないよう、真剣に片付けるアッシュに対して申し訳ない気持ちでいっぱいだ。


 ここ最近、以前よりも力がついてきたなと感じていたけれど、ここまでとは思っていなかった。

 コブラ・兵頭でも片手で木の枠を壊せるなんて……ふむ、出来たな、多分。


 私に教えるためにアッシュが使っていた刺繍枠を手に取りさわって確かめる。

 そもそもこの刺繍枠も柔らかい気がする。もっと固い木で出来たもので、ガッチリはまらないと何度も繰り返そうだ。


 アッシュの刺繍枠を掴んだまま、うーん、さてどうしようかと考えていると、いつの間にか片づけを終えたアッシュが私の手元をじっと見つめているのに気がついた。


「あ、勝手にゴメンね。壊さないからね、はい」


 慌てて手の中の刺繍枠を返す。これがいつも通り、叱られる前触れならば気にならないのだけど、なんとなく違うっぽい。

 イケメンにもの言いたげな感じで見つめられるとどうもお尻の座りが悪いなあ、なんてことを考えていると、アッシュから声がかかる。


「あの……お嬢様、そのまま刺してみますか?僕の刺しかけですが、一から始めるよりもかえって練習しやすいかもしれません」


「え、やだ」


 速攻で返事をすると、なぜかアッシュの頭がシュンっと下がった。


 いやいや、こんなに可愛らしい花の刺繍の続きを私が刺してみて、台無しにしたらどうするの。というかさっきの二の舞になる可能性の方が大きいよね。


 余計な力が入り過ぎて枠をぶち壊して布まで破ってしまったなんてことになったら、責任持てないから絶対に嫌だ。


「けれども刺繍枠の予備を用意してありませんでしたので、これではエリーシャルお嬢様の練習にならないかと」


「あー……それはそうだよね」


 まさか刺繍枠を破壊するとは自分でも思わなかった。

 今からアッシュが新しい刺繍枠を借りに行くことは可能でも、一応私に仕えている時間だけに、なぜそんなものが必要なのかと不思議に思われるかもしれない。

 できればアッシュ以外には大っぴらにしないほうがいい趣味だというのは、いい加減私も自覚している。


「まだ時間もたっぷりあるのになー。どうしようか?」


「枠だけお嬢様がお使いになってもよろしいのですよ。僕はなくても大丈夫ですから」


 おっと、さすがはアッシュ。この刺繍の出来栄えならば納得の台詞だ。

 けれどもそれは、私による破壊の可能性再びということは考慮していない。やってはいけないと思えば思うほど力が入るのは私の悪い癖だった。


「刺繍は……もう少し練習してからにする。それより雑巾でも運針で縫うところから始めることにしようかな」


「は?雑巾、運針?」


「ああっと、こう、真っすぐね、縫える練習をするから、その間にもっと頑丈な刺繍枠を頼んでおいてくれる?」


 おっと、雑巾というキーワードは貴族のお嬢様である私には相応しくなかった。

 そもそもこの世界に雑巾という概念があるものなのか?わからない時は笑ってごまかす。


「なるほど、わかりました。新しい刺繍枠は折を見て注文しておきます」


 よかった。その刺繍枠が届くまでに、少しでも針の使い方に慣れておこう。

 さてさて、それじゃあ今からどうするかと考えていたらアッシュから思わぬ提案がされた。


「それでは……もし、お嬢様にその気がありましたら、レース編みなどいかがでしょうか?」


 レース、編み……だと……?


「勝手ながら、指先を見させていただきました。随分とその……針を刺した後がございますので。今日はもうご気分を変えるのもいいかと思いますが」


「やります。やります。やりますっ!」


 シュバッと右手を真っすぐ上げて答える。その間一秒弱。


 いやいや、アッシュどうしちゃったの?ここまで私のツボを押さえてくれるだなんて、夢?いや、夢なら覚めちゃダメ。

 なんといっても私がこの世界で絶対に捨てられない乙女の夢だもの。


 とにかく私がやる気満々気合を入れているのを見て、当然のようにアッシュが、用意してきた裁縫箱の中から細長いかぎ針と真っ白い糸を差し出した。


「こちらがレース編みのかぎ針となります。ただし」


「……ただし?」


「僕もレースは初めて編みますので、教えるというよりも一緒に勉強していきましょう」


 そう言って、アッシュはきゅっと唇を噛みしめると、ほんの少しだけ顔を赤らめた。


 か、か、か……カッコ可愛いっ!!


 そうだよね、アッシュはいつも無表情で完璧な従僕だといっても、成人前の十三歳の男の子だ。ほんの少しの恥じらいが、年相応に見せる。


 何だろうこの気持ち。前世の推しアイドルにも負けないくらいの高鳴り。

 もう、胸がきゅーんと音を立てて、内なる私が『こっち向いて』『笑顔みせて』のうちわを全力で振っている。


 お母様に約束した『アッシュを大事にする』という言葉、これ絶対に守れるわ。

 むしろ、どうしたら大事にしないという選択肢が出るのか教えて欲しい。後々その可能性を片っ端から潰すから。


 そんな決意と確信とともにかぎ針を握る。


「うん。一緒に頑張ろうね、アッシュ!じゃあ、前に座ってちゃわからないから、隣に来て」


「あ……」


 一瞬戸惑ったアッシュの隙をついて、椅子を勝手に私の隣へと動かした。


「はい、ここ。ここ」


 ぴったりとくっつけた椅子の座面をペンペンと叩いて呼ぶと、「失礼します」と言っておずおずと座る。うーん、やっぱりいい匂いがする。


 さあ、刺繍の失敗を忘れて、気分が良くなったところで、あらためて頑張りましょう!

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