刺繍! 2
この世界、私の前世と違うところといってまず真っ先に挙げるのが、男女逆転した世界観なのだけれど、実はそれだけでなくもう一つ大きな違いがある。
それが、魔法だ。
しかし最初に魔法と聞いて、ファンタジーな世界を想像したが、この世界に慣れれば慣れるほどそうでもないことを知ることになる。
確かにドラゴンやコカトリスのような変わった生き物もいるけれど、扱い自体はそう難しくなと聞く。
いかにもな呪文や、特別強大な力で怪物たちをねじ伏せることができるのかと思ったけどそうでもなかった。魔法による加護で、女性の方が圧倒的に強いということ以外は肉体的な有利はない。
その用途は意外と限られているもので、『魔法石』というアイテムを使用して、灯りを点けたり、部屋を暖めたり、逆にものを冷やしたりと、いってみれば生活家電のような働きが主なのだった。
つまり魔法石イコール動力みたいなものらしい。
おかげさまで今日のように外が猛吹雪であっても、家の中は適温に保たれている。ありがたい、ありがたい。
結局のところ、生活が便利になるためのものが一番いいよね。
家の中にさえいれば、昨日みたいに凍えて顔がバリバリになることもないのだから、魔法家電様様だと思う。
シャツとベストとスカートという軽装で、ほどよい気温の廊下を渡り部屋に戻れば、アッシュが刺繍の支度とお茶の用意もしていてくれた。
「わーい。アッシュ、ありがとう」
「エリーシャルお嬢様、まずは手を洗いましょう」
いきなりお茶請けのクッキーに手を伸ばしかけたところを、ぴしゃりと止められる。いつも通りだねと感心しながら部屋に備え付けてあるバスルームで手を洗った。
蛇口を捻れば普通にお湯が出るこれも、きっと魔法のお陰なのだろう。
ありがたいことだと、クッキーをほおばりながらアッシュに話すと、当然のように答える。
「それもコベリット侯爵家ならではです。侯爵様は魔法石を惜しむような方ではございませんので」
「……ん?もしかして、魔法石って、高い、の?」
「全てが高額とは申しません。安いものもございます……が、広い侯爵家では数も多く使用しますから。貴族の屋敷でも、この時期に家全体を暖めるまでのことは普通いたしませんし」
よく考えてみれば、そりゃそうだ。
燃料みたいなものならば使用数で値段ががらっと変わるのは当たり前。しかしそうか、家は普通じゃなかったんだな……お母様すごいな。色々と規格外だった。
「ということは、貴族でもない普通の家は、もっと使えないのよね、魔法石。じゃあ、今日のこの寒さって、ものすごく大変じゃない?」
朝よりは落ち着いたものの、まだまだ雪は降り積もっている。
「そうですね。ですから、毛糸でつくった服を着こみ、なるべく家族全員が一部屋で過ごすのだと、家政従僕のコジーが言っておりました」
「へえ、毛糸ねえ。そういえば、毛糸の服って見たことないなあ。温かいのにね」
「毛糸、ですか。どちらかといえば庶民のものですから。お嬢様方がお召しになるようなものではありませんので……」
おっと、そうなのか。通りで毛糸のセーターやカーデガンを見たことないわけだ。普段家で着るものも、肌触りからしてシルクとかだもんね。
いけない、いけない。なんでそんなものを知っているのかと、アッシュの目が光った気がする。
ここは、これ以上話題を引き延ばさないで、さっさと刺繍へと意識を移さないと藪蛇になりそうだ。
「じゃ、じゃあ。早速刺繍をやりたいなー。勿論、アッシュが教えてくれるんでしょう?」
「はい。僕も基礎くらいしか習ってはいませんが、僭越ながらエリーシャルお嬢様のお手伝いをさせていただきます」
だよね。まさかさすがに「男のするもの」である、刺繍を女である私に教えてくれる先生はいないだろう。ダンスと違って、まだ早いどころの問題ではないのだ。
ただそれでもやっぱり捨てきれないこの憧れ。
それを今までダメの一点張りだったアッシュが許してくれた上に、教えてくれるというのだから、もう全部お任せしちゃいます!
と、非常に張り切って、刺繍に取り掛かった。そう、取り掛かったはずなのだ。
なのに、なぜ……どうして……
手の中の、布だったものを目の前に掲げてもう一度見てみた。私に刺繍を教えるために、椅子を出して向かいに座るアッシュの顔が無表情を通り越してチベットスナギツネになっている。
ああ、なんで、こんな……
「複雑骨折したマチバリみたいな刺繍しかできないのよぉお!?」
しかも糸に合わせて布が引っ張りまくられたせいで、正方形だった布が変な方向へ捻じれている。
逆にここまで失敗できるのは珍しいんじゃないかな?と、現実から逃避しかけたところ、小さな咳払いに引き戻された。
「最初から思ったように上手にできる人などいませんよ、お嬢様」
なんとか平常心を取り戻したアッシュが、新しいシルクの布を刺繍枠へつけながら慰めてくれる。
「今度は力を入れ過ぎないように針を刺してみてはいかがでしょうか。それから布に手はあたらないように気をつけてください」
「わ、わかった。そっとね……そおっと」
一度の失敗くらいなんでもないよね。だいたい、そのために習っているのだから、失敗を怖がってどうする。
コブラ・兵頭なら何度倒されようともぶつかっていったじゃない。そう、失敗のその先に栄光があるの。
頑張れ、エリーシャル!負けるな、私!
しかし気合を入れれば入れるほど、刺繍枠を持つ手が震える。
ああ、だから上手く刺せないんだ。よし、ここはしっかりと刺繍枠を握ろうと、握り締めれば――
ベキッ!という音とともに、木くずが私のスカートの上に散らばった。
そして、ひらりと床に舞い落ちるシルクの布きれ。
お、おう……刺繍枠が砕け散ってしまった。どうしよう、スタート以前の問題だ。




