秘密 3
夕食の前、私は枯山水の前の東屋で一人座っている。
アッシュにはちゃんと時間までに戻ることを伝えているし、風邪をひかないようにと渡された防寒のためのコートも言われるままにしっかりと着込んだ。
それでもこの冬の容赦なく降り続ける雪は、私の吐く息を真っ白に、そして頬を赤く染め上げる。
それだけ寒い証拠なのだけれど、私はどうしてもこの枯山水を眺めながら一人で考えてみたいことがあった。アッシュのことだ。
確かに私は悪気があってアッシュのコルセット部分を触りまくったわけではなかったけれど、この世界での立ち位置としては絶対にやってはいけないことだった。
前世なら言ってみれば、女子中学生の制服のお腹を広げて下着を触りまくった上に、それがなんかおかしいと大騒ぎしたようなものだから、本当に酷いことをしたと思う……これは私が七歳という年齢であっても許されない。
それなのにアッシュは私がしでかしたことを、全くなかったことにして許してくれた。
それだけでなく、自分の生い立ちまで持ち出して、私が気にするようなことはなにもないと言ってくれたのだ。まるで、おかしな育ちをした自分がおかしいのだからというかのように。
頭をくしゃりと掻きながら唸る。
「どうしてアッシュはあそこまで言ったんだろう?」
しんしんと降る雪が、私の独り言を隠してくれる。そう思っていたのだけれど違ったようだ。
誰も居ないはずの雪の東屋で、凛とした声が私の後ろから、その疑問に答えてくれた。
「あの子はあの子なりに考えていたのだと思うわ」
「……お母様」
いつの間に来ていたのだろうか。お母様はご丁寧に靴まで脱ぎ、床の上を歩いて私の横へ腰を下ろす。
「うう、寒い。エリシャを真似して靴を脱いでみたけれど、やっぱり落ち着かないわね」
そう言って手に持っていた靴を履き直し、東屋の縁から足を出した。静かに私に合わせてくれるお母様。
普段は私に茶々を入れたりしてからかったり、私もそれに反撃したりするのだが、なんとなく今のお母様は空気が違う。
きっと、今日の私とアッシュのことを気にかけてくれているのだろう。
さっきは変な言葉を教えたと、お父様に思わせぶりなことをしてしまったけれど、多分それも計算ずくだったのかもしれない。
今だったら私の疑問をお母様が教えてくれる。そう確信して口を開いた。
「お母様……『庶子』って、なあに?」
「……それは、アッシュが?」
コクリと頷いて肯定のサインを出すと、一瞬だけ枯山水の向こう側を見つめてから私へと視線を戻した。
「エリシャにわかるように言うなら、『庶子』とは、正しく結ばれなかった間柄の子ども、という意味ね」
「正しくって……でも、そんなの……」
「ええ、世の中にはいろんな形の結婚があるわ。どんなに仲が良くても子どものいない場合だってある。跡継ぎが必要な家柄ならば双方納得ずくで夫婦以外の子どもをもうける場合も。だから『庶子』とはね、教会に奉る出生証明書に母親と父親、二人の名前の記載されていない子どものことを指すの」
そんなこと初めて知った。
でもアッシュ自身は、今は家で私の従僕をしているけれども、ちゃんとした男爵家の子どもだという話だ。
その父親が『庶子』であるなんて、貴族の子どもでそんなことがあるのだろうか?
正直、母親が貴族であれば、父親の名前なんて誰であっても釣り合いさえとれていればなんとでもなると思う。
けれどもアッシュのお祖母さんはそうすることはせずに、アッシュのお父さんを『庶子』として生んだのだ。
だとしたらそれは、とてもとても悲しいことで……
庶子という立場の意味を知った私が黙りこくってしまうと、お母様は優しく肩を抱いてくれた。それから少しずつ私にアッシュのことを教えてくれる。
「アッシュはね、ファイの親戚筋にあたる家系の子どもよ。男爵家の息子として生まれ……でもそこでは少々問題があったわ。ファイも随分と気にかけてはいたのだけれど、どうしようもなくなってしまい、アッシュを放っておくことが出来なくなった。だから我が家で預かることにしたの。ちょうどあなたが生まれて少し経った頃だった」
「……それは、さっきアッシュに聞いた、の」
「そう。……あの子は、その頃自分の言葉を持たない子だった。家に身を寄せることになってからも、ずっと。何を聞いても、表情も変えずに答える言葉は全て同じ……はい。と、お任せいたします。の二つだけ」
「え?」
確かにアッシュは今でもほとんど無表情だけれども、私には随分と口うるさいことを言ってくる。「男のするもの」の妨害だけでなく、勉強のことから普段の立ち振る舞いまで、それはもうありとあらゆることを。
「エリシャには信じられないでしょうね。あなたはアッシュが従僕として付いてからというもの、毎日怒られているから」
「毎日は、言い過ぎ……」
「そんなあの子が自分から、四つになったばかりのエリシャの従僕になりたいと言いだしたの。最初はファイと私の耳がおかしくなったと思ったわ。初めてアッシュが望んだことだけど、すぐに音を上げると思っていたのよ。だってあなたときたら、歩けもしないうちからやんちゃで、ファイも手こずっていたくらいだから」
「は、あ……」
「それがまあ、自分からベテランの従僕へ教えを請い、たどたどしいながらも頑張って面倒をみていたわね。ほほほ、大抵の場合はエリシャが騒いで台無しにしていたけれど」
ふいに、くすくすと思い出し笑いをするお母様。多分事実なだけに笑えない。
ひくひくとひきつる頬をなだめていると、お母様がふっと息を吐いた。
「でも、それからアッシュは確かに変わったわ。息を吸って吐くだけのお人形ではなくて、自分でものを考えて、話しが出来るようになった」
「それは、あまりにも手がかかりすぎて……?」
「そんなことはどうでもいいの。大事なのは、アッシュがエリシャを通して、世界をちゃんと見られるようになったこと。――だからあの子は、あなたを大切にしてくれる」
目の前が、パチンと弾けたように思えた。
そうだ、アッシュはいつだって私のためを考えてくれていた。「男のするもの」をしたいと言った時に、全力で止めにかかったのも全部私のことを思ってしたことだし、段々と私がしたいことを汲んでくれはじめたのも。
そして私が知らずにおかした間違いを許してくれたのも、全部、全部だ。
ぽろりと涙がこぼれ落ちる。冷たい空気にさらされた頬にいくつも流れ落ちていく。
「お母様……私も、アッ……シュの、ごと……だいじ、に、ずるぅ……」
だんだんと涙だけでなく鼻水まで流れていくのがわかるけれども自分では止められない。
「そうね。きっと、それがエリシャ自身のためにもなるわ」
約束するつもりで、大きく何度も頷いた。
ただ、それでも侯爵家の娘として歓迎されることはないだろう乙女の夢も追いかけることは諦めたくない。
そのためにはおそらく、これからもアッシュとぶつかることもあるだろうし、迷惑もかけることになるかもしれない。けれども……
「でも、わだしぃ……好き、なごとも、したい……のお」
顔面をぐしゃぐしゃにしなごら、それでもなんとか私が今一番したいことを告げると、お母様は抱いた肩に力を込める。
「エリシャはやりたいことをやりなさい。アッシュもその方が喜ぶでしょう」
そう言って笑ってくれる。
真冬の枯山水の前、涙と鼻水で顔がパリパリになるまで私は、お母様の胸の中でアッシュを思って泣き続けた。




