秘密 2
「いた!アッシュ」
「……エリーシャルお嬢様」
息を切らせながら飛び込んだ私の部屋で、花瓶の花を活けているアッシュを見つけてホッとした。
「どうしました?随分と息が……それに、汗も。早く着替えましょう」
そういえば、臭いかも?クンクンと袖の匂いを嗅いでみる。
ダンスのレッスン途中でアッシュが腰痛だと誤解して大げさに騒ぎ、そのままお父様に連行され叱られた。
さらには、今アッシュを見つけるまで家の中という中を走り回って探していたのだから仕方がないが、思っていた以上の匂いに、自分でも「うっ」とうめいた。
他の従僕を呼び、私が汗を拭いて着替えるための準備をテキパキと指示していくアッシュ。なんだか思っていたよりも普通だ。
もっと、こう、セクハラとパワハラをダブルでかました私に対して怒っているとか、もしくは軽蔑の眼差しで見られるかと思っていたのに、全然いつもの通りのアッシュだった。
「どうしました?お嬢様」
「あ、いや……えーと、そのね」
早く謝らなければと思いつつも、このまま私が知らんぷりをすれば、何もなかったようになるんじゃないかなって考えてしまい、言葉が出てこない。
「あのね、あの……」
私が言い淀んでいるのを見て、アッシュは腰を落とし私の目線にまで合わせてくれる。
相変わらずの無表情だけれども決して怒ってはいない。それどころか、とても私のことを気遣ってくれる。
「エリーシャルお嬢様、お話は後にいたしましょう。まずは埃と汗を落としてくださいませ。ほら、汗が冷えて、こんなにも冷たくなってきました」
そう言って、私の頬を優しく撫でてくれた。
熱めのお湯で汗を拭き、ダンス用ではない普段着に着替えてバスルームから出ると、アッシュがお茶の用意をして待っていてくれた。
この場合のお茶とは、七歳の私の口に合うように砂糖いっぱい入ったミルクティーだ。
ほわんと甘い香りがただよう。ゆっくりと口にふくむと、体の中からじんわりと温まっていく気がした。
「美味しいよ、アッシュ」
「ありがとうございます」
いつもと同じような受け答えをしている間も、私はさあ謝るぞ、今言うぞ、とタイミングを計っている。
けれど口を開こうとすると、アッシュがふっと目を逸らしたり、そういえばと話を逸らす。
そんなことをうちに、カップの中のミルクティーは空っぽになってしまった。
だから謝るならば勢いで言わなきゃダメなんだ。
後で、後でと先送りしていると、どんどんと気持ちが重くなる。
ああ、もういいや。このまま土下座だ。それが手っ取り早い。
カップをテーブルに置くのと同時に、ソファーから立ちあがろうと腰を浮かす。
その時、私のソファーの後ろに立つアッシュが、静かに、けれどもはっきりと聴こえるような声を出した。
「エリーシャルお嬢様は、『庶子』という言葉を知っていらっしゃいますか?」
「しょし……」
「はい。知りませんか?」
庶子と言うと、愛人さんの子どもっていう意味だ。
これでも前世ではいい歳をした大人だったので、それくらいの知識はドラマで聞き覚えがあった。
ただ、さっきの『エッチ』という言葉ならいざ知らず、この世界で七歳の私が知っていていい言葉なのかはわからないので首を横に振る。
「そう、ですよね」
ふっと息を吐くアッシュ。それがなんとなく、私が知らなくて安心したかのように聞こえた。
正妻の子どもではないけれど、父親には認知された子ども。それが私の元いた世界での『庶子』だった。
しかし、この世界の『庶子』とはどうなるのだろうか?
そもそも女性が子どもを産み、家を継いでいくという常識の中で、ひとくくりに愛人の子どもということにしていいのか?
本人の自己申告でどうにでもなりそうなものだけれど。
首を捻りながら考える私に向かい、アッシュは小さく頷いた。
「知らなくても結構ですので、僕の話を少しだけ聞いていてください」
そう言って、話し始めた。
「僕の父は『庶子』です。少し……変わった育ちをしました。そのせいか、僕はおそらく他所よりも厳しい躾けを受けてきたようです」
「……ようです?」
思わず口を挟んでしまったけれど、アッシュは特に戸惑うことなく答えてくれた。
「覚えて……いないので」
「覚えていないって!」
「はい。色々ありまして、こちらコベリット侯爵家へお世話になることになったのが、ちょうど今のお嬢様と同じ歳の頃でした。それ以前のことはほとんど覚えておりません」
なんだろう、このざわざわとした気持ち。
「話を戻しますね。そのせいなのかどうかはわかりませんが、僕は人と違うことがとても怖ろしいのです。『普通』と違うと言われると、息苦しくなるくらいに……ですから、お嬢様がお好きなことをしたいと言われた時も、大変戸惑いました」
そういえば、私が「男のするもの」をしたいと言った時、止めるアッシュがものすごく真剣だったのを覚えている。
あれは、アッシュの生い立ちにも関係していたのか。
うう、そうとも知らず「男のするものを」やりたいと言い続けた自分が、本当に申し訳なくなってくる。
頭を下げて俯くと、アッシュの手のひらがそっと私の肩にのった。
「ですが、エリーシャルお嬢様のことは決して怖ろしいとは思いませんでした」
「え……」
「むしろ、何度お止めしてもぶつかってくるその姿が、僭越ながら可愛らしいとまで思うようになってきたのです」
「アッシュ、本当?」
アッシュの手を取りぎゅっと握ると、こくんと頷いて返す。
「はい。コルセットパンツを触って騒いだのも、僕がケガをしていると思ったからでしょう?」
「うん。じゃ、なくて、はい」
「でしたら、エリーシャルお嬢様が謝ることなどなにもございません。ですよね」
「アッシュ……」
アッシュの優しさに、涙目になっていると、すっとハンカチが差し出される。
「さあ、明日のレッスンは今日の復習から始めますので、よく覚えておいてくださいね」
そう告げると、いつも通りの変わらない表情で、アッシュは仕事へと戻っていった。




