逃避
「何かあったのかしら?顔つきが全然違うのだけれど」
「覚悟が決まったってやつだ。殺しあおうぜ」
俺は既に過集中に入っている。ここからは一挙手一投足が『勝ち』に、殺しに繋がる。
「あら。それはいいわね。ええ是非ともそうしてもらいたいわ」
「それじゃあこの剣が倒れたら始めといこう」
俺はアイテムボックスから『フロストソード』を取り出す。
「ふーん。それでいいわよ。それじゃあさっさとして」
「言われなくとも」
『フロストソード』を地面に突き立てる。手を離してこれが倒れたらスタートだ。
「いくぞ」
離す。剣が倒れていく。それを俺はゆっくりと見ていた。
動体視力も良くなっていたのか!
驚くが、集中は乱れない。
剣が地面に吸い込まれるのを視界の端でとらえ続ける。そして、カコンと音が鳴った瞬間。
「『フライ』『本棚の壁』『求道の狂気・福音』」
『求道の狂気』という全ステータスバフがかかった頃、ドォンと凄まじい音がたった。
アヤフラッドが『本棚の壁』に穴を開けたのだ。
穴からニイッと歪んだ笑みを覗かせる。
馬鹿め。それは破壊せず回り込むのが正しい。否、マシだ。
本棚の壁に穴を開け、その中を通る際には『鈍足』の状態異常がつく。その時間があれば俺はバフと相手のMP吸収ができてしまう。周り込めばMP吸収だけで済んだものを。
「『福音・無限』『福音・真理』」
『福音・無限』でHPとMPの上限を上げ『福音・真理』でMPを吸収する。
「ん?」
『福音・真理』の詠唱時間が終わり発動しても、まだ余裕があった。
アヤフラッドが何故かモタモタしていてあと一回行動できるだけの時間がありそうだ。
様子見だな。
「『アルティメット・ライトニング』」
範囲は狭いがダメージはそこそこ入るはず。
「ぐっ」
アヤフラッドが苦しそうな声を上げ、顔をしかめた。
やはり。ここは現実。『鈍足』がついてる中での最速で移動できるとは限らないし、痛みがあれば反応してしまう。
これをくらっているのが俺だったらどうだろう。やはり無駄な動きをして隙を与えてしまうのだろう。これを考えるのは勝ってからで良い。
何故なら彼女は既に『詰んで』いるからだ。
顔をしかめる。それは間違いなく隙だ。
「『福音・思惟』『福音・根源』」
『福音・思惟』は対象に高速移動後、無詠唱の魔法攻撃。そして次の魔法の詠唱時間短縮効果。『福音・根源』は2メートル以内の対象全てにHPとMPに大ダメージ。短縮されてるお陰でコンマ8秒で発動。
これで殆どの魔法職は無力化できる。公式チートと言われた時期もあるが、後に対策が練られトップランカーの魔法職は俺にこのコンボを使わせることは殆ど無かった。使わせたとしてもその後の対応は決まってショートカットからガンランスを呼び出して地面にぶっぱなし飛び下がるという行動をする。フライ中にガンランスを撃つと自分の方が吹っ飛ぶという『仕様』を利用したものだ。瞬時に距離を取る為の行動としてこれは恐らく最適解。
さて。異世界人はこれにどう対応する?
現在俺とアヤフラッドは肉薄している。表情から読み取ってやろうと彼女の瞳を見た。
だから、俺は驚いた。恐怖した。
その顔には、その瞳にははっきりと愉悦の色が浮かんでいたのだ。
なんなんだ!
距離をとるのは俺の方だった。
慣れた動きでガンランスを放つ。飛び下がる間、俺の頭の中はあくまで冷静に混乱を極めていた。
俺は嵌められたと思った。これまでの行動は全てブラフでこの瞬間に何かを発動するのだと思った。だがどうだ。俺は今何もされていないぞ。背後に罠が設置されているということもない。
あいつはただ、嬉しくて笑ったのだ。
意味が分からない!ダメージを受けて、死に近づいて嬉しいだと!?
俺は尋ねずには居られなかった。
「お前!何故笑う!」
アヤフラッドは口に血を滲ませながら更に笑った。
「あははは!何故笑うって、嬉しいからでしょう。夢が叶うからでしょう。殺されるからでしょう」
訳が分からない。殺されるだと?死ぬのが嬉しいのかこいつ。なら何故自殺しないんだ!
「そうか。自分で死ぬのは怖かったのか。だから殺されたいと」
「あははは!何を言ってるのかしら貴方は!死ですって?どうでもいい。私は殺されたいのよ!私よりも強い貴方にね!」
クソ。全然分からねぇぞ。
「……よく分からないが、殺してやるよ」
そこからは戦いではなく蹂躙が始まった。
「『ドラゴン・フ』」
「『福音・誤謬』」
アヤフラッドが魔法を発動する前に発動を打ち消し。
「ッ!」
「『本棚の壁』」
壁を創り逃げ道を塞ぐ。
「『アルティメット・ライトニング』」
一方的に。
「『ドラゴニック・スピアー』」
一方的に。
「『ホーリー・ムーンライト』」
一方的に。
「『福音・思惟』『福音・根源』」
俺は彼女を傷つけた。
「……」
「……はは……は」
なぁ。なんで笑ってられるんだ?
皮は破け肉は削げ骨は折れている。右手なんてどこかに飛んでいってしまっている。
これじゃあ、俺が。
「笑えるかよ……!」
アイテムボックスから『ポーション樽』を取り出し、ぶちまけた。
俺はこの日、世界一からも逃げた。