アマゾネスのたった一つの恋
女尊男卑の国の女性に強さを求められる文化で生まれ育った女戦士のブリーは恋の形見である一人息子が一人前と認められ、国外に追放されて数か月、涙も見せずに生きていたが・・・。
※アマゾネスの風習に則り、切除された乳房の記述があります。
愛用の弓と矢筒を肩に掛け、風に赤褐色の髪を靡かせながら女戦士が石造りの宮殿を歩く。衣装は胸と腰を覆う二枚の布と革製の胸当てだけで、あとは何も身に付けていない。足も裸足だ。
「ブリー!」
悠然と歩くブリーに小走りで黄褐色の髪の幼い女戦士が追いかけてきた。
「なんだ、エミーか」
呼ばれて振り返ったブリーは幼い女戦士の姿に表情を和らげた。
「なんで、ブリーは子どもを産まないの? ブリーみたいに強い女戦士が子どもを産まないなんて、もったいないよ」
緩められていたブリーの表情が元の無表情に戻る。
「タークを産んだ。子どもはそれで充分だ」
「男は子どもじゃないわよ。ブリーに似た強い女の子って、ことよ」
女戦士たちにとって、男は繁殖兼の奴隷でしかない。ただ、そうなるのは攫ってきた男たちだけで、女戦士の国で生まれた男たちはある一定の年齢になると国から追い出される。
そういう理由から、エミーもブリーの子どもの名前などおぼえていない。男の子などおぼえる必要もないのだから。
「弱い男の子どもを産む気はない」
(もう二度と、子どもを産む気はない。)
ブリーの脳裏には息子の父親のことがよぎった。
たった一度の恋だった。
弓を射る為に邪魔だからと右の乳房を切り取っていたことを後悔するような相手だった。
利き手側の胸を切り取ることは、女戦士の国では当たり前のことだ。それに疑問は抱かないし、強くなるためには弓を射るのに邪魔な胸など無用のもの。強さを正義と考える女戦士の国では、乳房など一つあれば子育てもできると考えて切除してしまう。
それを後悔したことなどブリーはなかった。
しかし、好きな男の前ではその論理は崩れた。
彼の周りにいる女となると、女冒険者よりも着飾っていて、戦士であるブリーは劣等感に苛まされた。いくら着飾っていても、あの女たちは女冒険者よりも弱いから、自分の敵ではない。そう思うのに、自分が負けているように感じるのだ。
自分より弱い女冒険者にすら負けているような気がする。
これ見よがしに胸を強調する彼女たちと、乳房を切除した跡に革製の胸当てを付けた自分。
その違いを追求してみると、要は乳房が一つしかないことが原因だった。
強さの為に不要だと判断したものが、それこそが自分が女冒険者や彼の周りにいる女たちと違って欠けているものだった。
それでも彼は誰よりも高潔で、誰よりも強く、誰よりも優しい男だった。
乳房が一つしかないブリーでも受け入れてくれた。
切り取った後、傷口を焼いた跡を見ても怖がったり、嫌悪の表情を浮かべたりはしなかった。
火傷の跡を見て、理由を聞いてくれた。
理由を聞いて、「頑張ったんだな」と言ってくれた。
胸を切り取ることは、弓が使いやすくなるだけではない。その後の痛みを受け入れる覚悟の表れでもある。
それを息子の父親は受け入れてくれた。一笑に付すことも、ブリーの覚悟や女戦士の国の風習を否定したり、馬鹿にしたりしなかった。
そんな彼を女戦士の国に攫ってくることをしたくなかった。
ただ、一夜を共にするだけで精一杯だった。
「弱いって・・・。この国にいるのは、繁殖用の男だもの。また冒険者になって、外で子ども作ってきたらいいじゃない」
強いからこそ、ブリーは冒険者となって外の世界を見てくることが許された。
実力のある女戦士はブリーのように冒険者となって、強い男の子どもを孕んで戻ってくる。彼女らは何度も、強い子どもを得る為に外で子どもを作ってくる。
だが、それはブリーにはできないことだった。
「冒険者になる気もない」
「どうして?」
「もう、この国を出る気はない」
彼は地位のある男だった。
やがて女戦士の国に戻るブリーにはふさわしくない相手だった。
ブリーが女戦士でなくとも、女冒険者では一夜を共にするぐらいしかできない相手だった。
今頃はもう、その地位にふさわしい妻を迎えていることだろう。
そんな光景など見たくない。
その強さから、百人隊長に抜擢されているブリーですら、恋する相手に妻がいる光景は見たくないと怯んでしまう。
「もったいないよ。外にはブリーが気に入る男だっているかもしれないじゃん」
「そんな男はいない」
たった一度の恋を知った女戦士は言い切った。
「そうでなくては困る」
聞き覚えのある、今では記憶の中にしかない恋しい声がして、ブリーは目を見開いた。全身が冒険者として彼と交流を持っていた時のように騒めく。
ここにいるはずがない。
それがわかっているというのに、高鳴る鼓動が抑えられない。
確かめようと振り向きたくても、すぐには振り返られなかった。
幻聴も、聞き間違いも、嫌だった。
彼がすぐ傍にいる。その感覚をもっと味わいたかった。
「母さん!」
変声期前のもう一つの声に、ブリーは信じられない思いだった。
聞き間違えようがない。恋しくてたまらないもう一つの声だった。
その声の主は、つい数か月前、成長した為に女戦士の国から追放されたばかりだ。
その声を聞かなくなって、どれほど寂しかったか。
「・・・」
ポタリと石の床に水滴が落ちる。
「ブリー。あなた、・・・泣いてるの?」
「え・・・?」
言われて、ブリーは自分の頬に手を遣る。指先が濡れた。
「母さん。泣いてるって、どうしたんだよ。母さんは強いから泣かないって言ってただろ」
そう言われて、ブリーは思わず振り返ってしまった。
その視線の先には恋しい息子と、知っている姿よりも皺や白髪のある恋しい人がいた。
「なんで・・・?」
(なんで、二人が一緒にいる?)
それ以上、その疑問を口にできなかった。ポカンと父子の姿を見ている。
「君がいなくなってすぐにこの国に入ろうとしたんだが、何年も入れてもらえなかった。それが、息子と出会って、やっと、アマゾネスの女王が入れてくれたんだ」
「・・・嘘だ。タークと出会ったなんて、そんな偶然あるはずがない・・・」
「母さんは冒険者時代のこと、よく話してくれたじゃないか。俺、母さんみたいになろうと、言ってた場所に行ってみたら、この人と出会っちゃったんだよね」
「それにしたって、あり得ない・・・」
覇気を失い、呆然と呟くブリーを、記憶の中にはない白髪が混じるようになった男が抱き締める。
「運も天も、僕たちが再会することを望んでいたんだ」
「ターク」
赤褐色の髪の女戦士は息子にも同じ名前を付けた恋しい人の温もりに包まれて目を閉じる。
赤褐色の髪の女戦士は恋しい人と息子と共に国を出て行った。そして、どこかの国のどこかの領主が一つしか乳房のない妻を娶った。
その妻は生き別れになった恋人だったらしい。
これは女戦士の国の女戦士が経験した、たった一つの恋の物語。
夢で見た人間×エルフの話の別離の理由に納得がいかなくて一日寝かせた結果、アマゾネスの話になりました。